その3
何かものを作るのが好きで工学部へ入ったものの、子供の頃から好きな文学が忘れられず、ゼミで知った小説に嵌った。それで文学散歩を思いつき、夏休みに上京した。
だが1週間、友達の下宿で過ごして、己の愚かさに気づかされた。負け犬のように逃げ帰った。東京は自分に合わない……そう悟った二十歳の頃の思い出、それが蘇っていた。
ただ私は腹が減っていた。何はともあれ交差点を渡って、向かいの蕎麦屋へ向かった。時間は午後の12時半、ちょうど昼時だが、きっと座れるという変な自信が湧いていた。
サラリーマンに取って何が楽しみかといえば、出張した時のお昼ご飯である。訪ねる先々で、港々に女ありではないが、思わぬ美味に出会う。関西で生まれ育った私は、粉もん類こそ大阪に軍配を上げるものの、和食や洋食の味は間違いなく東京の比ではない。
特に老舗の蕎麦屋は、鬼平犯科帳の頃から代々店を継いで、秘伝の味を残している店が多い。元々蕎麦は大阪の陣の後、江戸へ伝わったと言われるが、例え時代が変われども味は変わらない。
(それがなんぼや)と言う大阪の御仁もいるが、こと蕎麦に関しては疑いの余地がない。立ち食い蕎麦はともかく、東京の老舗の店の味は格別である。
年季の入った蕎麦屋の玄関を開け、見た目とは違う戸の軽さに気を良くしながら、私は店の中へ入った。もうその時は、歩道で出会った女子大生への憤懣も、ガラケイに対する東京のコンビニの仕打ちも忘れ、さて何を注文しようかと、目先の課題に夢中だった。
暖簾に手を掛け、格子状の桟が入った硝子戸を開けて入ると、店の中は狭かった。左手には壁に向かうカウンター、中の土間には4人掛けと6人掛けのテーブルが置いてある。けっこう込みあっていたが、戸を開けるや否や奥から涼やかな声がかかった。
「いらっしゃいませ――、どうぞ奥へ……」
それは本当に清々しい声で、これが江戸前であろうと、何かウキウキしながら声の主を見た。すると賄いの暖簾から、小さっぱりした顔立ちの女性が現われた。
思わず私は、
(これが小股の切れあがった女か)
と、それこそ映画の一場面を見るような思いだった。
その気になった私が、後ろ手で戸を閉めると、その若女将が最寄りの客に声をかけた。
「お客さん――、お相席をお願いいたします」
その物言いは至極丁寧なのだが、有無を言わさぬものがあった。
鉢物を手にとり頬張ろうとしていた客は、声の主の顔を探しながら、蕎麦を口にしたまま頭を右往左往させた。
「すみません……」
思わず謝った私に、その客は眼を白黒させながら、今度は首を上下させたのだった。
(やっぱり関西とは違う……、女将も客も東京人や……)
(つづく)