7話 オオカミ少女と街の買い物
◇◇◇
名前を決めた、次の、次の日のことである。
「ほんっとーにすいません……」
満月の夜も過ぎ、小さな人狼の少女となったその姿で。
グラウクスとラブリュスの前で、アルテミスは縮こまっていた。
「いえ……無理に連れ回したこちらも悪いですし」
「子どもは体が弱いってのを完全に忘れてたよね……」
二人もなんとなく申し訳そうな顔をする。
宿の小さな部屋に、重い沈黙が満ちた。
実は、アルテミスの名前を決めた後、三人で話し合っていたのだ。
「明日は朝から街に出て、入学に必要なものを買いましょう」
グラウクスのその提案に、アルテミスも当然大賛成の意を示した。それはもう、明日の買い物楽しみだなあ、わくわく、なんて言って眠りについたのである。
しかし、アルテミスは子どもであった。いや、幼児であった。
子どもというのはすぐに熱を出す。周知の事実である。
アルテミスもまたその法則に則り、また決して健全とは言えない生活続きで弱体化した体や、思ったより疲弊していたことなんかも相まって。
アルテミスは昨日は丸一日熱を出してダウンだったのである。
まさか熱を出すとは誰も予想しておらず仕方なかったのだが、いかんせんアルテミスは真面目人間────いや、真面目人狼である。ただでさえ入学まで日にちもないのに早速予定を潰してしまったことに対して罪悪感を覚え、アルテミスは土下座せんばかりに謝罪をしているのであった。
「すいません……せっかくのお買い物だったのに」
相当へこんでいるアルテミスに、グラウクスとラブリュスは慌てて声をかけた。
「そんな、謝らないでください!仕方なかったんですよ!こちらにも非はありますし……」
「そうそう!それに明日入学って訳じゃないんだ!今からだって行けるよ、ほら!」
わたわた焦った声をかけられる。
少し複雑だった。
必死で慰めてくれるのが嬉しくて、迷惑をかけてしまう自分が嫌で。
それでも頑張って、アルテミスは付き纏う罪悪感を振り解いて顔を上げた。
「……そう、ですよね」
「「そうそう!」」
二人がシンクロして頷く。
「じゃあお買い物の予定は、今日に変更でもいいですか?」
「「もちろん!」」
いつもは仲が悪いくせに、ぴったり息を揃える二人。
アルテミスは思わずくすりと吹き出した。
さて、と言うことで。
アルテミスとアテナの使者たちは、お宿から出て店の並ぶ通りまでやってきた。
昨日の前の、助けてもらった夜に通った通りである。しかし夜と昼ではやはり印象は違う訳で、見覚えのない景色と化している。
そのためアルテミスは、初めてそこを通ったかのようにその街並みに感動しながら歩いた。
「すごい、すごすぎる!家はかわいいし、お店はおしゃれだし!最高っ」
一歩歩くたび感嘆の声が漏れる。
そもそもアルテミスは外国文学を好む人間で(余談だが、アルテミスはこれ以上ないほどの文系人間である。中学校の頃から太宰治やカフカとは仲良しだった)、高校に入ってからは特にヨーロッパに住むことをずっと夢見ていたのだ。そんな時に偶然舞い降りた『ヨーロッパっぽい国に連れてってあげますよ』という誘い。人狼のこととかなんやかんやあって悩んだ末に頷いたが、誘いに乗って大正解である。
だってこんなに美しい街に住めるのだ!
童話っぽい雰囲気もあちこちに猫とかフクロウとかいる所も、全部全部かわいすぎる!
アルテミスはこの地に立つ幸せを噛み締めたのであった。
また、グラウクスやラブリュスも愛国心豊かな人間もとい魔物なわけで、アルテミスが街をベタ褒めするのでいつも以上にご機嫌だった。
「ね、ね、いいでしょー?来てよかったでしょー?」
「最高です!やばいです!」
自慢げなラブリュスに、憧れの西洋風な街並みに大興奮のアルテミス。
「ここを観光するために来たわけではないんですが……ちょっとくらいならいいか」
厳格なグラウクスも今日ばかりはと許す。
童話に出てくるようなかわいらしい街の中を、アルテミスは意気揚々と歩いた。
「さて、まず一番最初に買うのは制服ですね」
ある程度進み、アルテミスの興奮もおさまったところでグラウクスはすぐそばの店を指さした。
「あと、その尻尾と耳を隠せるものも何かあるといいんだけど」
ラブリュスがアルテミスを見下ろす。長いこと研究所にいて半人半狼の姿だったせいか、アルテミスはいつの間にか尻尾と耳がしまえなくなっていた。
いや、しまえるのだが、むちゃくちゃ疲れるのである。
今は帽子とローブで隠しているが、入学した後はそうもいくまい。
そういうことで、アルテミスは今この厄介な二つを隠せる何かが欲しいのであった。因みにメッシュの入った髪とオッドアイの目は校則には引っかからないので大丈夫、とのことである。
さて、アルテミスは店の前に立って看板を見上げたが、
(……よ、読めん)
その事実に気づき愕然とした。看板に並ぶのは日本語ともアルファベットとも程遠い記号。そうだここ、外国だった。
まあ辛うじてショーウィンドウに飾られたマネキンから、服屋というのが分かるが。
それでもハルタの学校(ついでにエリート校)にこれから行くのだし『文字が読めない……』では困る。
グラウクスにそっと囁いた。
「あの……いつかハルタ語教えてもらえますか?」
「あ、そうでしたね」
一応そのつもりはあったらしく、グラウクスは頷いた。こて、と首を傾げる。
「……そうだなあ、とりあえず、和訳の辞書を渡しておきますね」
そう何でもないように呟いて、彼女は翼を一振りする。
刹那、空中からぱっと分厚く小さな本が現れた。
「はい、どうぞ」
グラウクスが翼を振って、少女の眼前に本を持ってきてくれる。これが和訳の辞書……?と首を傾げながらも、アルテミスは手に取って適当に開いた。
そこには白紙のページが広がっていた。本当に、真っ白だ。
しかしすぐにふわっと文字が紙の上に浮かび上がる。どうやら服屋の看板を訳してくれたらしい、『エヴァレット洋服店』という日本語が綴られていた。
本当に和訳辞典である。
グラウクスだって日本人ではないのに。
「私が今作ったので、変な所があるかもしれませんが。これで少しは凌げると思いますよ。でも訳すことしかできないので、話す練習はこの後しましょうね」
グラウクスは驕ることなく、優しくそう言った。
(このひと、すご……)
アルテミスはぽかんとするしかなかった。
さて、魔法の和訳辞典を手に入れた所で、三人で服屋に入る。
挨拶もそこそこに、店長らしきおじさん────店の名前から推測してエヴァレットさんだろうか────がこちらを見るなり目を瞠って息を呑んだ。
それもそのはず、ラブリュスとグラウクスは超有名人なのである。
「────!?」
おじさんは何かを言った。完全なる外国語だ。
慌てて和訳辞典を出すと、白紙のページに文字が連なっていく。
「ら、ラブリュス様にグラウクス様!?どうしてここに……」
狼狽えるエヴァレットに、ラブリュスは晴れやかに返す。
「スカウトの子の制服を買いに来たんだ。一着、お願いできるかな?」
そのラブリュスの言葉も、アルテミスの知らない言語。翻訳をかけなければ何を言っているのかさっぱりだ。これはやばいのでは、と一人戦慄するアルテミスである。
そう言うと、エヴァレットはますます驚いた顔をした。
「そ、それはもちろんお受けいたしますが……スカウト?あれだけいないいないと仰っていたのに」
ここでラブリュスはにっと笑う。
「これまではね。でも今年は見つかったんだよ」
「ええっ……!!」
それを聞いたエヴァレットは、たちまち満面の笑みを浮かべた。
「そうなのですか!それはそれは、おめでたいですね!」
にっこにこである。相当喜ばしいことだったのか、アルテミスにも「嬢ちゃん、頑張れよ!スカウトだってこと誇っていいんだからな!」と喝を入れてくれた。
スカウトとは、誇れるほどすごいものなのだろうか。
アルテミスは内心首を傾げたが、とりあえず頭を下げてお礼を言っておいた。エヴァレットがにこにこしながら採寸の道具を取りに行ったところでグラウクスに聞いてみる。
「あの、スカウトって珍しいんですか……?」
「ええ、まあ」
グラウクスは問いに頷いた。
「それなりに厳しく選んでるつもりはありますので。特に最近は魔法界でも非魔法界でも逸材が見つからなくて、長らくスカウトのいない状態が続いていたのですよ」
「ほう……」
彼女の話からするに、スカウトというのはまあまあ希少性の高い人物のことを指すようだ。彼女の言う『それなりに厳しく』がどれくらいかわからないので何とも言えないが。
なんか知らない間にえげつないくらいハードル上げられてるんだけど、と今更怖気付いたところで、エヴァレットが帰ってきた。手には巻き尺。魔法がかけられているのかくねくねとひとりでに動いている。恐怖映像である。
その何だか気持ち悪い巻き尺で採寸した後に、エヴァレットはいよいよ服の制作に取り掛かった。
箪笥を漁り、アッシュブルーや黒、白にグレーの布を引っ張り出して、金色のカフスボタンを机に並べる。全ての材料が揃ったところで、エヴァレットは懐から何か取り出した。
30センチくらいの、棒切れだ。木でできた柄の先に針を思わせる鋭い銀色の石がついた、細長い棒。
一見子どものおもちゃにも見えなくはないが、びりびりと肌を震わす魔力を纏っているあたり遊び道具ではないだろう。
そう、それは、まさしく。
(杖……!)
魔法使いといえばの、魔法の杖である。
それにしても、魔法使いの映画と言えばの某洋画を見たときは、登場人物の持っている杖は木の枝みたいなやつだった気がするが。地域で違うのだろうか。
閑話休題。
エヴァレットはその杖を一振り、軽く振った。
「メイディアス」
呪文を呟く。
すると。
布がかたかたと揺れ、ふわりと宙に浮いた。
見えない鋏が入ったかのように裁断され、糸に縫い合わされて、みるみる形を作っていく。
あっという間に服が出来上がった。
白いシャツに黒いベルトが巻きつくグレーのプリーツスカート、青いリボンが首を飾る制服である。最後の仕上げのように、アッシュブルーの滑らかな生地でできたケープが制服を覆って、カフスボタンでぱちんと留められた。
これがアテナの制服。
そして、さっき見たあの不思議な光景が、紛うことなき『魔法』である。
(すごい……!)
内心感動しているアルテミスに、エヴァレットはその制服にローファーを添え、袋に入れて差し出した。
「はいよ。アテナ、大変だと思うけど頑張ってね」
お礼を言いたいが言葉がわからないので、アルテミスはぺこぺこ会釈してそれを恭しく受け取る。ラブリュスが代金を払うのを見届けて、さあ店を出ようと踵を返した。
その時。
ドアのすぐ近くに置かれていたキャスケットが目に留まった。
夜空のように黒いキャスケット。留められた銀色のボタンと、魔法がかかっているのかきらきら輝く星と月がかわいらしい。
でも、それだけ。
なはずなのに。
アルテミスはそれが無性に気になった。
最近は声を顰めていた心の中のオオカミが、これ欲しい、と言っている。
「………」
じい、と見つめていると、エヴァレットが気づいてくれた。
「おや、嬢ちゃん。それが欲しいのかい。お目が高いねえ」
キャスケットを一目見て、にこりと頬を緩める。
「それは最近仕入れた新しい商品さ。『夜闇のキャスケット』って言うんだよ」
何とも中二病感溢れるネーミングだが、どうやらこれはその名の『夜闇』の如く自分のトップシークレットを隠してくれる魔法がかかった逸品なのだという。
きゅぴーん、と閃いた。
これこそ求めていたものだ。
この帽子があれば、引っ込められなくなってしまった尻尾と耳を隠すことができる。
だってアルテミスが人狼であることは、間違いなくトップシークレットだ。
これ、ほしい。
アルテミスはくるり、とラブリュスに向き直った。(決してわざとではないが)上目遣いで、心なしかうるっとした瞳でラブリュスを見上げる。
「お願いします、ラブリュスさん!あのキャスケット、買ってください!」
「え?アルテミスがおねだりなんて珍しいなあ」
驚いた顔をしたラブリュスは、その値札をちらりと見て首を傾げた。
「うーん、どうしよっかなー」
悩む仕草。
結構いい値段するんだろうか……?
「お願いします……!」
「う────ん」
手を合わせ懇願するアルテミスの前で、ラブリュスはしばらく考えていたが。
やがて、にっと笑った。
「なぁんて、嘘うそ。買ったげるよ」
「ありがとうございます!!」
アルテミスはこれまでにないほど気持ちを込めてお礼を言った。
と言うことで、アルテミスは制服とキャスケットをゲットしたのである。
しかし、これで終わりでは当然ない。まだまだ買い物は続く。