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5話 オオカミ少女と女神の従者


「え……その、魔法の世界?っていうのは……?」


 いきなり幻想的な話で頭がついていかない。少女は思わず問うた。

 するとオオカミことラブリュスが目を見開く。

「わあ。君、喋れたんだね。よかった、ここのトラウマで声が出せなくなっちゃったのかもって思ってたから」

 純粋な善意でそんなことを言うラブリュスを、フクロウことグラウクスが叱りつけた。

「こら、お黙りなさいラブリュス。すみません、失礼なことを」

「いえ、全然……むしろこっちが喋らなかったのが悪いんですし」

 少女はそう前足を振って言うと、再度首を傾げた。

「それで、魔法?っていうのは?」

「ああ、そういえば、あなたの世界に魔法使いはいないのでしたね」

 グラウクスは器用に口元を翼で覆った。きらり、と闇夜にその双眸が輝く。


「それでは、少しお聞きいただきましょう。私たちが住む世界のこと────『魔法使いの世界』のことを」


 そう言って、グラウクスは語った。



 この世界は、二つに分けられている。


 一つは少女のような人間が住む『非魔法使いの世界』。


 18世紀ごろのイギリスの産業革命の頃から使われ出した電気が人間たちの用いるエネルギーであり、人間だけでなく動物たちも人智を越えた力は使わない。馬が空を飛ぶことはなく、蛇は火を吹かない。それが、非魔法使いの世界。


 そしてもう一つは、その対極にある世界、『魔法使いの世界』である。


 その名の通り人間の技術ではその原理を説明することもできない力『魔法』を用いて生きる人間たちの世界。魔法を使うのは人間に留まらず、動物たちもまた然りだ。そしてそんな魔法を使う動物たちのことを、魔物だとか魔獣などと呼ぶ。喋るオオカミやフクロウであるラブリュスやグラウクスもまた、人間が化けているのではなく一種の魔物であるようだ。


 魔法を操り、魔法と共に生きる人間の世界。

 それが『魔法使いの世界』────通称、『魔法界』である。


 そんなあまりに非現実的な話を聞かされ、少女は目を丸くすることしかできなかった。

「この世界に、魔法なんてものがあるなんて……わたし、知らなかった」

「それはそうですね。非魔法使いと魔法使いは、争いごとを避けるために区切られてお互いに干渉しすぎないようにしていますから」

 グラウクスが頷いた。


 『科学』によってこの世界を作り上げてきた、魔法の使えない人間たち。彼らは魔法の力を持ち自分の何歩も先をゆく魔法使いたちを憎み妬んだ。恐れ傷つけた。

 その最たる例が、中世の魔女狩りである。魔法を恐れたひとびとによって、魔力の有無に関わらず魔女だと言われた女性は弁明も許されず火炙りになった。またその手下と言われた黒猫も殺され、結果的にネズミの急増による獣害を招いた。

 そんなことは、非魔法使いにとっても魔法使いにとっても不利益しかもたらさない。

 そこで二つの世界は誓ったのだ。


 互いに干渉せず、傷つけあうこともしない、と。


 そして非魔法使いの世界側は、その手段として『魔法とはおとぎ話の中だけで存在しうるものだ』と人間たちに教えることを取ったのである。

 まあその誓いも絶対ではなくて、今回少女を襲った人狼のようにこちらの世界に紛れ込んで暮らしているものもごく少数いるのであるが。


「そもそもこの世界の人間たちは『魔法』を世界中から淘汰していきましたからね。『魔法をよしとしない空気』に包まれたここは魔法使いにとって、ものすごく息苦しいところなんですよ」

 グラウクスはそう締めくくった。

 ここで新たな疑問が生まれる。赤子のように質問ばかりで悪いとは思いながらも、少女はまた問いかけた。

「……それならどうして、貴方たちはここに?その息苦しいのを耐えてまで、ここに来る理由があったのですか」

 すると今度はラブリュスが胸を張って頷いた。

「そりゃあね。僕らだって暇じゃないし、こんな山奥にわざわざ遊びに来たりしないよ」

「ですよね。それならどうしてです?」

 そう頷くと、ラブリュスは「そんなの決まってるさ」とにっと笑って答える。

 きらりと赤い瞳が煌めいた。


「君を、僕たちの学校にスカウトするためさ」


「………………え?」







「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

 少女は慌てた声を上げた。

「どういうことですか?わたしがスカウト?貴方たちの学校って……『魔法学校』でしょ……!?」

 そう言うと、ラブリュスは首を傾げた。

「そうだけど、どうかした?何か問題ある?」

「ありますよ!」

 慌てる少女にラブリュスは言った。

「なんで……あ、もしかして魔力の心配?非魔法族だったからってこと?大丈夫大丈夫!君に魔力があるのは確実だよ!僕そういうのわかるもん!」

「え!?わたしに魔力とかあるんですか!?……って、そうじゃなくて!」

 衝撃的な事実に驚くが、少女はすぐに気を取り直す。首を傾げて、まさか断られるなんて、という顔をしているラブリュスに意を決して伝えた。


「もう知ってるとは思うけど!わ、わたしは、人狼なんですよ!」


 魔法の世界に住む貴方たちなら知らないはずないだろう。夜に生き、満月の夜には残酷にひとを喰らう獣のことを。

 少女はそんな人狼だ。今こそ薬でこの満月の夜も意識を正常に保っているが、もしも薬の効果が切れて生徒を襲ってしまったら。


 嫌でも想像してしまう。こちらを見る怯えた瞳を。逃げ惑う人間たちの悲鳴を。

 『化け物』と蔑む声を。


 ……とどのつまり、少女はどこまでも臆病なのだ。

 自分でも制御し切れない力で大切なひとを傷つけてしまうこと。正体を見破られ、虫けらを見下ろすような侮辱の瞳を向けられること。それが怖くて怖くて、光る方へ向かう足が震えてしまう。

 来年のことを言うと鬼が笑う。よく聞くことわざだ。

 確かにその通りだろう。自分がひとを襲うとは限らない。薬があるのだから。正体を知られてしまうこともないかもしれない。耳と尻尾は隠せるのだから。


 それでも。『もしも』が起こってしまったら。


 もう、取り返しがつかない。少女は前に踏み出せない。


 だから、怖くて自分の殻に閉じこもってばかりいる。とっくに体はできているのに、卵から出てこない雛鳥のように。

 少女は俯いた。

「だ、だから……無理ですよ。もちろん誘っていただけたのはとっても嬉しいし、興味もあるんだけど……それから、わたしに魔力があるなんて信じられないし」

 ぶつぶつとこぼす少女。二人は、うーん、と唸った。

「……まあ正直、急に押しかけて『はい、あなたには魔力あるのでうちの魔法学校にきてください』っていうのはまずかったですかね……。でも、あなたが魔法使いであるのは本当ですよ」

 グラウクスはそう囀った。

「でもわたし、魔法を使ったことなんて」

「そのお札のせいですよ」

 困惑した顔の少女に、グラウクスは翼で首輪のお札を指し示す。たたた、とラブリュスが駆け寄ってきて、お札を力ずくで引き剥がし破り捨てた。

 ごとり、と首輪が外れて地に落ちる。


 途端。


 ずっと感じていた息苦しさが掻き消えた。


 ぐわ、と力が増すような感覚に襲われる。


 胸の中でオオカミが歓喜の声を上げた。

 それに呼応するように、体が高揚するみたいに熱くなって、毛がぶわりと逆立った。

 がたがたと空気が揺れる。

 部屋中に散らばった瓶が、家具が、実験器具が、小刻みに震えながら宙に浮いた。


 あっという間に、物という物が空中に浮かぶ不思議な光景ができあがった。


 もちろん糸で吊ってなどない。その現象は到底、科学や物理で人間が説明できるものではなかった。


「すごい、お札を剥がしただけでこんなに魔力が増すなんて!」

 ラブリュスが楽しげに跳ねて、そして前足で浮かぶ瓶たちを差し示した。


「いいかい、これが魔法だよ!君の作り出した、君の魔法だ!」


「わたしの、魔法……」

 少女はぼんやりとそれを反芻した。

 この不思議な光景を作り出したのは紛れもなく自分。少女の中に秘められた魔法の力が起こした奇跡。

 オオカミが吠えたその時に起こった、不思議な出来事。

 ふと思った。

(じゃあ、この見えないオオカミは、わたしの魔力が姿を持ったものだったの……?)

 特に理由はない。

 けれど、漠然と思った。

 少女が人間であることを捨てた日に現れた彼は、少女が猛れば牙を剥き、少女が怯えれば守ろうと吠えていた。いつだって、少女のために動いてくれて、いつだって、少女の味方でいてくれた。



 そんな彼は。

 少女にずっと寄り添ってくれたあのオオカミは。オオカミだと思ったものは。

 少女のうちでずっと燻っていた魔力だったのかもしれなかった。

 


 オオカミは誰にも見えない。少女にすらも。そもそも、少女のただの幻想でしかない。

 それでも、オオカミは確かに、この胸の中にいて。

 きっとずっと、少女を守り続けてくれるのだろう。




「それからもう一つ、君が人狼だってことなんだけど」

 ラブリュスの声で我に返った。

 いけない。魔法を初めて目にしたせいか、あのオオカミの正体に気付いたせいかわからないけど、すごくぼんやりしていた。

 気を取り直す少女に、ラブリュスはえっへんと胸を張った。


「大丈夫さ。人狼でも、うちの学校に行けるよ」


「え……」

 少女は戸惑う。一体どこからそんな自信が。

「そんな根拠のない馬鹿みたいな励ましで、この子が納得できるとお思いですか」

 同じことを思ったのか、グラウクスが鋭く言う。

「馬鹿……」

 しゅんとしょげたラブリュスをちらりと一瞥した後、グラウクスはこちらに向き直って説明してくれた。

「いいですか。普通人狼というのは、満月の時でなくとも理性などないようなものです」

 はっきりとした声でそう紡ぐ。

「えっ」

 少女は驚いた。

 それじゃ矛盾がある。だって医者は、この世界にも密かに暮らしているって言ってた。

 困惑する少女の心を読んだように、グラウクスは「確かに非魔法使いの世界にも人狼は存在しますが」と瞬きをした。


「それでも、人狼は獣でしかないのですよ。ひとに暴力を振るい、本能のまま生きることしかできない獣」


 その言葉に軽蔑は一切なく、ただ淡々としていた。その響きが、ますますその言葉を現実たらしめている。

 少女はそっと聞き返した。

「そうなんですか……?」

「ええ。彼らは非魔法使いの世界の中で()()()()だけであって、人間の中に()()()ことはできない。それでも彼らが人狼だと疑われないのは、人狼はあくまで空想上の生き物だと刷り込まれているからに他なりません」

 それは、人狼として生まれたものの宿命。例外はない。人狼は一生、ひとを喰らう獣として生きていく。


 でも。


 それでも、あなたは違う。


 グラウクスが凛とした声で言った。

 少女の耳がぴんと跳ねた。

「あなたは違う。あなたは理性を保ち、優しさを持っている。その手に抱えた薬だって、満月の凶暴化を抑える薬なのでしょう?」

 グラウクスが隣に置かれた瓶を翼でまっすぐに差し示した。医者からもらった人狼薬の瓶だった。

 グラウクスはその薬をじっと見つめて、そっと呟く。

「その行動は、あなたが人間であり優しい心を持った人物であることの証明なのですよ」

「………」

 瓶から目を離しこちらをまっすぐに見つめる少女に、グラウクスははっきりと言った。



「あなたは、化け物ではない」



 化け物は、あなたのような優しい心も、ひとに危害を加えんとする理性も、持っていないから。


「………」

 少女の色違いの瞳が、ふるりと揺れた。

 本当に?

 本当に、わたしは化け物ではないのだろうか?

 グラウクスの瞳は、真剣だった。慰めでも事実から目を逸らさせている訳でもなく、ただ事実を伝えている。そしてラブリュスも、それを否定することなくまっすぐこちらを見つめていた。

「本当、ですか?」

「もちろん」

 震える声で聞き返せば、しっかりとした声が返ってくる。


 わたしは化け物じゃない。


 まだ信じられない。

 あの家族が、研究所たちが、少女に残した爪痕はあまりに大き過ぎた。まだ、やっぱりひとを襲ってしまうんじゃないか、と怖がっている自分がいる。


 でも。



 何でもかんでも恐れるのも、もうやめていいかもしれない。

 少しでも、勇気を持ってみてもいいかもしれない。



 例えばそう、今持ちかけられている誘いに答える勇気。


 自分の知らない、きらきら光っているような世界へ足を踏み入れる勇気を。



 少女はゆっくりと立ち上がった。尻尾を大きく振って、恐れを振り払う。

「……あの、話が急に飛んですみません。あなたたちの学校に行くって、話なんですけど」

 二人がふっと優しい目になって、少女を黙って促した。少女は震えを取り払って、心を決める。



「わたし、あなたたちの学校に行きたい。行かせてください」



 言えた。


 まだ言葉を言うことで精一杯だけど、勇気を持って行動ができた。


 グラウクスとラブリュスは、揃って微笑む。

「もちろん」

「ようこそ、僕たちの学校に!」

 理知的に笑うグラウクスと、尻尾をぶんぶん振るラブリュス。

 そんな不思議でかわいい二人と、この先に待ち受ける未来に思いを馳せて。


「よろしくお願いします」


 少女は震えのない声で、そう頭を下げた。




 その後ろの窓から月の銀光が差し込み、少女を明るく照らす。

 手入れのされていない髪、痩せ細った体、身に纏う汚れた毛皮、魔物めいた瞳。

 後ろから銀に染められるそれらは、普通は綺麗だとは言えないのかもしれないけれど。



 月に照らされたその姿は、眩しく、美しく。


 まるで女神のように二人の目に映った。




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