表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

1話 オオカミ少女と夜の襲撃者


 どうしてこうなってしまったのか、未だに考えている。


 ◇◇◇


 ここは日本。白地に日の丸はためく国旗を掲げた極東の小島。

 その日本の隅にちょこんと位置する小さな田舎町に、少女は住んでいた。

 少女は、近くの高校に通う女子高校生であった。

 クラスでも一番ほどの小さな体躯と、色白でふっくらした体つきと、腰までの長い髪と、真ん丸く幼い顔立ち。そして覗き込めば自分の姿が反射して見えるほどに真っ黒な瞳が特徴の少女である。

 性格はというと、端的に言えば温厚で大人しく、無邪気で好奇心旺盛。命じられたことは一生懸命やる真面目な性格でもあった。


 さて、少女から少し離れて、彼女の暮らすこの小さな町の説明をしよう。

 ここは町は平凡で地味で、少女のような高校生たちが遊べるところも旅行で楽しめるような観光地もない。

 あるのは狐狸の暮らす深い山と、歴史があると言えば聞こえはいいけれど結局は古いだけの建物たちと、特に目立った特徴もこれと言ってなしの子供たちと、少子高齢化の進んだ日々の中で暮らすおじいちゃんおばあちゃんたちくらいである。

 遊ぶとこもない、目立った特徴もない、ついでに知名度もお金もない……そんな町であるわけだが、刺激のなさと引き換えにここでは安全がかなり確保されている。

 決して国の内側に位置するわけでもないにも関わらず、地震も津波もない。他国のミサイルだのなんだのが飛んでくることもない。あったら困るのだが。


 とにかくそんな平和な町で、少女は暮らしていた。

 母と、父と、妹と、かわいいペットと共に暮らすただの女子高校生だった。


 その日までは。


 ◇◇◇


 その日は唐突に訪れた。

 少女は家族と、夜の町を歩いていた。外食の帰り、父親も母親もお酒を飲んでしまったので歩きで帰ったのだ。飲酒運転ダメ、絶対、である。

 四人でたわいもない話をして、アスファルトの道を歩く。田舎というだけあって人通りはなく、道も薄暗い電灯が申し訳程度にあるだけだった。見上げれば星が綺麗に見える。

 空の上には銀の月が煌々と輝いていた。

 少女は昔から、月や星が好きだった。

 その星座に秘められた美しい神話、丸い月の中で踊るうさぎやライオン。そういうものを通して昔のひとの考え方を知るのが好きだった。


 そういえば、月の夜、特に今日のような満月の夜は、魔物の力が強くなると聞く。


 特に、オオカミと人間が合わさった生き物である、人狼、と呼ばれる類の魔物が。


 もし出てきたらどうしよう、なんて、少女は戯れに考えた。

 もちろんそういうのはファンタジーの話であって、出てくるわけなんてないのだが。

(魔物とか……一回くらい、会ってみたいな)

 漠然と思った。

 少女もこんな退屈な町にはもう飽き飽きだ。少し、刺激が欲しい。

 なんて、いたずらに思った。思っただけだった。


 本当に出てきてほしい、なんて、一言だって言っていなかった。





 ぎらり。


 道の先で一対の光が瞬いた。

 不穏な空気を感じ少女は立ち止まる。ぶわり、と鳥肌が立った。


 向こうに何かいる。とても、怖いもの。

 まるで、飢えたオオカミのような、とても恐ろしいものが、この先にいる。

 直感でそれを感じた。


 進んではいけない。

 そう少女は忠告しようとした。みんなはわかっていないみたいだったから。


 そのときには、もう手遅れだったけれど。


 その目線の先には、大きな影が目をぎらつかせ立っていた。

 明らかに危険な、こちらを狙う『何か』。


 その『何か』は唸り声をあげ、一瞬でこちらのすぐそばまで迫る。

 真っ赤な双眸に捉えるのは、少女の妹だった。

 一番道を進んでいて近かったからだろう。妹は目を見開いたまま動けずにいた。

 その爪が迫る。

 時間がない。


 少女は本能で動いていた。


 妹を力ずくで突き飛ばして、その前に立ち塞がる。

 少女にとっては決死の行動。しかし『何か』にとってそれはただ獲物が入れ替わっただけだ。

 『何か』はそれを一切気に留めることもなく、少女に牙を突き立てた。

「っ……‼︎」

 痛みから漏れ出る悲鳴を噛み殺し、少女は『何か』を見上げる。

 成人男性ほども大きい、たくましい体。腕に顔に、ごうごうと生えた硬い毛。そして体つきは完全に人間でありながら、顔だけはオオカミそっくりのその姿。


 その姿は、さながら伝説上の生き物────人狼のようだった。


 少なくとも、間違っても図鑑に載るような生き物ではない。


(何これ……!?)

 その姿に戸惑いながらも、躊躇する暇はない。

 少女はガン、と力いっぱいそれを蹴った。ギャン、と『何か』が悲鳴をあげる。

 『何か』は唸りながら牙を引き抜いた。血で汚れた口元を舐め取り飛び退る。

 しかし尚も執心深く、『何か』は去ろうとしなかった。

 少女から目を逸らし、今度は母親に向かって唸りをあげる。母親は目を大きく瞠ってよろけるように後退りした。


 少女の頭がかっと熱くなった。

 自分に蹴られたことで勝てないことを悟ったこの『何か』は、怯える他の家族に標的を変えたのだ。

 弱きものに牙を剥くことにしたのだ。


 なんと卑怯であることか。


 怒りで眼前が赤く染まる。そんな行動で大切な家族を傷つけられると思ったら大間違いだ。

 右の瞳が怒りに呼応するようにかっと痛んだ。


 行け。

 早く。


 心の中で誰かが命じる。

 少女はその声に従って、力強く地面を蹴った。



 このあとしばらくのことは、少女は覚えていない。

 しかし後に家族は、この時の少女の様子をこう語ったという。


 まるで、獲物に襲いかかるオオカミのようだった、と。







 それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。

 少女はようやく我に返った。

 目の前には、あの『何か』が倒れ伏していた。見れば見るほど、人狼のような姿だ。あちらこちら血塗れで、月にてらてらと光っている。

 やがて『何か』は体を揺らし立ち上がった。思わず身構えるも、もう『何か』にこちらを襲う気はないらしい。時折血を滴らせながら、どこかへと去っていった。

 少女はゆっくりと立ち上がった。体中が痛む。特に酷いのは、序盤で咬まれた腕だった。夜闇であまり見えないが、さぞ酷い状態なのだろう。

 荒く息を切れさせながら、家族の方を向く。


 見る辺り、誰も怪我をしていなかった。


 安堵と歓喜が胸に広がった。全身の痛みを容易に打ち消してしまえるくらい。

 お前がみんなを守ったんだ。誇れ。

 心の中で誰か囁いた。

 少女は思わず笑みを浮かべて、家族の方に歩み寄った。

「みんな、よかった……!怪我はない……?」

 危険が去って一安心だ。守りきれて嬉しい。きっとみんなも褒めてくれるはず────


 ────そう、思ったのに。


「ち、近寄るな、化け物っ!!」


 投げかけられた鋭い棘を持った言葉に、少女は思わず足を止めた。

 満ちる静寂。

 理解するのに時間がかかった。

「………え?何言ってんの……?」

 そんな言葉を絞り出すのが精一杯だった。


 化け物?

 どうして⁇

 血塗れだから、そう見えたの?家族にはわたしがわたしに見えてないってこと……?


 考えるほど頭がこんがらがって、ただ家族の目を見つめる。

 その目ははっきりとこちらを捉え、そして揃って怯えに支配されていた。

 ますます不思議だった。

 自分が化け物なはずあろうか。今まで十五年以上、人間として生きてきたのだ。

 少女はただ首を傾げるままだった。



 けれど。


 家族の言うことは合っていた。


 家に帰って姿見の前に立った少女は絶句した。

 ほとんどいつも通りの自分の姿。血で汚れてみすぼらしい。

 しかしそんなことはどうでも良かった。

 もっと大きな違いがあったから。

 頭の上に生えた三角形の耳、臀部から覗いた黒く太い尻尾。そして手にはかぎ爪、口にはずらりと並ぶ牙。それらは大きな黒いオオカミを思わせる。

 そして、黒い髪には一房銀色が混ざり、あの時痛んだ右目は人間離れした青銀に────満月の色に変わっていた。


 鏡の中にいるのは間違いなく、人間ではなかった。


 これではまるで、あの『何か』のようではないか。


 人狼。人間とオオカミが混ざった魔物。

 自分はそいつに咬まれたことでこうなってしまったのか。



 どうしよう、そう思って家族たちを振り返ったけれど。

 その冷たい瞳に背筋が凍るようだった。


「こっち見ないで、化け物」 


 あの時身を挺して守ったはずの妹が、そう吐き捨てた。





 化け物。

 刃物のような鋭さを持った言葉が、いつまでもぐるぐると回り続けた。

しばらく毎日夜9時に更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ