汗をかいた君
声に振り向いた僕たちは驚いた。
そこには汗まみれのリンリンがいたからだ。学校指定のワイシャツが濡れて透けているほどだ。
下に透けて見えるのはキャミソールかブラジャーか。
リンリンは訝し気な目を僕らに向けている。
「さっきからお前らそこでなにしてる?」
「いやそれはその……」
さっきまで威勢よく僕に凄んでいた彼はしどろもどろだ。女子に悪く思われたくないのだろう。不良をやるにしても中途半端なやつだ。
「君こそそんな汗かいてどうしたの」
「私は日課の鍛錬よ。この校舎裏の木が打ち込みに丁度いいね」
言うと、リンリンはあちょー! と独特の掛け声とともに、そばにあった木を蹴りつけた。木はその衝撃でびりびり揺れて、青い葉を数枚落とした。
すごい威力の蹴りだ。不良たちがうっとたじろぐ。
しかし妙だな。そういう鍛錬をしていたのだったら、物音でリンリンが近くにいることはすぐにわかるのに。
校舎裏に僕たちがきたとき、そこには確かに人気がなかった。
リンリンがきっと眼光を鋭くし、不良たちを睨む。
「嫌がる人に無理やり鍛錬させるの良くないね。しかも暴力もふるてる。私、弱い者いじめ好きじゃない。それ以上やるなら、私が相手になるよ」
リンリンは両手を顔の前に構えた。武道の知識がない僕でも、その構えが堂に入ったものだと一目でわかる。
「はは、いやそんな。俺らはただ遊んでただけだからさ。……おいお前ら、行くぞ」
彼らはそうしてあっけなく去った。
あとには僕とリンリンが残される。
リンリンは立ち上がろうとした僕に手を差し出してきた。
「大丈夫か? 酷い目にあたね」
大きな美しい瞳が僕を見下ろしている。
僕はその手を無視して立ち上がった。
「余計な情けはかけないでほしいな。どうせ君も、僕みたいな弱虫のことは内心で見下しているんだろう」
助けてもらったのにこの言いぐさ。最低だ。内心ではわかってる。
でも、素直にお礼を言うなんてできなかった。
僕は、弱い。
弱すぎて、女の子に助けてもらった。こんな情けない話があるものか。
今、僕はリンリンの顔もまともに見れないのだった。
リンリンは腰に手をあててため息をついた。
「やぱり、思ってた通りの捻くれものね。でも大丈夫。私があなたを矯正してあげるね。それが未来の妻の役目よ」
「それじゃあ僕は教室に戻ってるよ……って、今なんて?」
そのときだった。
突如として、立ち去ろうとしていた僕の背中に、柔らかいものが触れた。
とっさに頭に思い浮かんだのは大きなマシュマロだった。
耳元でリンリンの声。
「どして気づかない? 私あなたのことずっと覚えてたのに」
少し鼻にかかったような、甘い声。
この声を僕は知っている。
その瞬間、僕の脳裏に子供のころの記憶が走り出した。
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そうだ思い出した。僕はリンリンのことを知っていた。
僕たちは子供のころ、幼馴染だったのだ。
子供のころの僕は、今よりもずっと活発な性格で、友達も多かった。
習い事にも積極的で、色々やっていた。サッカーに水泳、空手にピアノ。
どれもそつなくこなして、人並み以上にうまくやれて、神童なんて呼ばれることもあった。
そう、思い出した。
リンリンは、僕と同じ空手道場に通っていたのだ。
彼女はそのとき、中国から戻ってきたばかりの時期で、日本語があまり話せなかった。
そのせいか周囲に馴染めず、道場にきても独りでいた。
そんな彼女が不憫だと、当時の僕は積極的にリンリンに接していったのだ。
随分、寂しい思いをしていたのだろう。リンリンもそんな僕にどんどん、懐いてくれて。
僕たちは親友と言えるほどに仲を縮めたのだ。
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耳元で甘い声が続く。
「平八郎が私のこと覚えてなかったの、許す。仕方ないね。私もあの頃とは全然違う。すごく可愛くなた」
「自分で言うんだねはは……。ところでどうして僕の背中におっぱいを当てるのかな」
「もっと色んなとこ当てたいよ」
ふっと耳に息がふきかけられた。
「ふぅ~っ!」
「独特な喘ぎ声ね。でもそんなとこも好き」
「そうじゃなくて! さっきの言葉はどういう意味なんだい僕の未来の妻って」
リンリンがぐい、と僕の顔を無理やり後ろに振り向かせた。
唇が触れそうなほどの距離に、彼女の顔が。
「そのまんまの意味よ。平八郎は私の大事なとこを見た。私の部族では、大事なとこを見せた男の人と一生添い遂げるね」
そして再び僕の記憶の扉が開かれた。
冒頭と二人の関係性が違うのはなぜか? 気になった方は是非この物語を追いかけてください!