星座
夜空ほど汚いものはない。こじつけにすぎない星座よりも、私ならもっと美しく配置し直して見せる。数年ほど前からこのことについて考えている。大理石でもキャンバスでもない何か新しい表現方法がないかと模索しているところだ。空というのもいい。しかし、当然非現実的だ。もっと何か、心に訴えかける何かがないものだろうか。
ふと昔読んだ本の一節が頭に浮かぶ。人生にも傑作が存在する、という文を思い出した。それは当然存在するだろう。が、重要なのはその表現だ。いかなる形で他者に知らしめるのが最も効果的に心に訴えかけることができるのだろうか。
「ラフロー様。ヴィルガルム帝が秘密会議室にご到着なさいました。」
夜空を眺めながらのとりとめのない時間潰しの堂々巡りは想定より早めに終わってしまった。白のバルコニーから見える夜空に暇を告げて、珍しい客人のために少し急ぎ早で部屋へと向かう。
扉を開けると、一切姿の変わることのないヴィルガルムが席に座らずこちらを見ていた。私の姿を確認した瞬間に少し頭を下げた。しかしかれ彼と私の関係ももうずいぶんと長いことになるので、ヴィルガルムは私よりも先に席に着いた。
「急な来訪失礼した。こちらとしても予想していなかった事態が起きた。君の意見を伺いたい。」
「そんなに焦ってもいないだろうに。仰々しい話し方だ。ここには君と私しかおらん。力を抜きためよ。」
「そうは言っても、我々のようになってしまっては、理由がなくては動けないのだ。君の星では多少そういうことに関して寛容なようで、うらやましい限りだ。」
「非常に難儀なものだな。責任というものは。何か理由がなくてはこうして話もできん。行動に意味を一々尋ねられてはきりがない。」
私は自分の爪を見ながら、そろそろ整える時期ではないかと考えていた。
「今回の理由は何かね。前回は盗賊か何かが地下資源を強奪した話だったと思うが。今回も似たようなものかね。」
「君は本当に何も世間のことを耳にも入れようとしていないのだな。今回は少し大きい事件だというのに。」
「どうも私は自分のこと以外には興味が持てなくてね。どうでもいいのさ。明日に戦争が起こっても自分の近場でないのなら熟睡できるの違いないね。それよりも今日の朝に雨が降っていたことの方が気に食わない。朝日を浴びることができなかったからね。」
「芸術家の性というものか。君のように創造の源泉を持っていれば、そのような考え方にもなるのかもしれん。」
ヴィルガルムは一つのしわもなく仕立てられた軍服についた多数の勲章を揺らしながら蓄えられた髭に触れる。
「君も何度かあったことがあると思うが、デルモンラン星のドルア・ジャワランテ皇帝が退位した。革命によってだ。端的に表現するならその地位を引きずり降ろされたのだ。」
「あの堅物が?側近を粛清し損ねたのか。減らしすぎたのかもしれんな。使える部下は大抵自分自身の考えを持っているものだ。一つの思想的違和にこだわって何の能も思想もない人間だけを残してしまったというところか。」
「外部勢力による援助が大きいという報告が先に調査に向かわせた私の部下からは上がってきている。私も実際現地へ向かい調査する予定だ。」
「しかし、あの星はあいつの能力のおかげで、ようやくまともになったという印象を受けていたが、あの男なしで運営していけるのか。甚だ疑問だな。無力な者に自由と国家は背負いきれんぞ。」
ヴィルガルムは驚いた顔をして、ラフローを一瞥した。驚嘆というよりも関心に近い表情だった。
「その指摘通りだ。ドルア・ジャワランテは皇帝の地位を追われたが、これからは選挙による国民の選択によって代表者決める方針となり、その選挙によってドルアはもう一度代表に選ばれた。これからは役割の違うだけで、社会を体に例え、民と同じ血の通った一部分として、代表者は首と名乗ることとなった。」
持参している報告書を読み上げたヴィルガルムに向かって、ラフローは馬鹿にした笑みを浮かべている。
「結局、構造の名前を付け替えただけか?その報告通りとは思えんな。わざわざそんな小細工までするほどに追い詰められたということだろうか。そんなものに騙される程度の人間は見捨てるやつだと思っていたがな。」
「まだ若く経験は不足しているが、信用している部下を直接対面させ、対談にも成功している。彼らによる報告を読み上げよう。」
写真で事前に確認していた人相とは微妙に異なる人間が対談に現れた。緊迫した成功者特有のあの野性的で餌を追い詰める獅子のような、かつ不安に追い詰められて心を縛られたような目をしていなかった。政権演説とは打って変わって物腰の柔らかい人間が部屋に入ってきた。体のいたるところを負傷しており、痛々しさを感じさせる包帯などがまかれている。単独で行動することはかなりの労力を要すると思われるが、周囲の者に心配をかけるような行動は一切せず、何の怪我もないかのように着席した。いくつか言葉を通わせた中で、彼が繰り返し何度も使用する言葉があった。それは、間違い。弱さ。出会い。この三つだった。間違いに関しては彼に起こった政変の経緯に起因するのだろう。弱さに関しては全く説明しなかった。しかし、彼の悔いるような語り口が彼に詳細な説明を求める気持ちにさせなかった。最後の言葉が一番私の印象に残っている。これまでの人生で築き上げてきた全てを根本から変えるようなことが起こった。すべてを変えてしまうものではあったけれども、これまでの人生の全てを否定されるとともに肯定されるようなものだった。紙に置かれただけだった絵の具が絵画になる瞬間を見たようだった。改めて書き出してみると意味をなさないが、彼の嬉々とした表情と生気に満ちた語気がその出会いの感動を伝えていた。
ラフローはヴィルガルムの話をそれ以降真剣に聞かなかった。この報告書はあまりにも小説じみているので今後のために注意をせねばならない、などと言っているヴィルガルムには目もくれず、机の上に目を落としていた。ヴィルガルムは友人がいかに芸術家たるかを知っていたので、話を聞かなくなり始めた友人を見て、早々に切り上げて帰っていった。
「ラフロー様。ヴィルガルム様がお帰りになってもう20分ほどたちます。いつまでそこにお座りになっているのでしょうか。座り続けていると健康にようございません。バルコニーで星を見ましょう。今夜は雲がなく星がよく見えます。」
ラフローは背中を押されながら会議室からバルコニーへととぼとぼと歩いて行った。大臣はラフローがバルコニーでぼんやりと星を見ている姿を見て、一度部屋に戻った。そして花束を持ってきて、ラフローに語りかけた。
「ラフロー様。ヴィルガルム様からのお土産でございます。こちらをどうぞ。」
大臣は抱えるように持っていた赤い花束を渡した。
「こちらは地獄で咲くと言われている花だそうです。ヴィルガルム様が芸術家はこういうのが好きだろうとおっしゃっていました。」
ラフローは少し微笑んで、
「いらん世話だな。」と短く返事をした。
「今回は何についてお考えなのですか?私にも聞かせてくださいますか?」
「今回は題材や作品のことで頭を悩ませているのではない。」
「では何をそんなに思い詰めてらっしゃるのでしょうか」
大臣は主人の珍しい返答に少し困惑しつつもラフローから目をそらさず、優しく尋ねた。
「ドルアが言っていた出会いという言葉だ。出会い。私もそんな心震える出来事に出会えると思うか。もう長らくそんな心震えるようなものに出会っていない。」
落胆した声と表情が青春的な深い絶望とは違う、ねっとりとまとわりついてくる気持ちの悪い嫌悪に似た空虚な諦めを示していた。
大臣は彼自身の過ぎ去って積もり積もった人生を思い返し、かつて自分が通過したことのある問題に悩む若き者を鼓舞するかのように、ぬくもりを含んだ強気な調子で空に向かって話し始めた。
「あの満天の星空をご覧くださいませ。人生の出来事はすべて運命的につながっております。人々はそう言いますが果たしてそうでしょうか。あの星たちのようにあらゆる物事はただそこに、まばらにあるだけであります。古くの時代の人々はそれら繋げてを星座と呼びました。しかしどうでしょう。どう見たってそうは見えないではありませんか。あの空に神話のかみさまや動物はたまた英雄を見出したその創造性が我々には欠けているのです。明るくなりすぎてしまったからかもしれませんが、人生も同じこと。いつかの日と今日をつなげる創造性が肝要なのです。貴方様はもうそれをお持ちでいらっしゃる。後は待つだけです。ゆっくりと待たれるとよろしい。のんびりと待たれるとよろしい。いつか流れ星が、はたまた何かもっと輝くものが、あらゆる星々をつなぐ何かが貴方様の目の前に現れて、それがすべての星々を繋げ、この空が運命と呼ぶに値するものとなって、色鮮やかに輝き始めることでしょう。」
ラフローは腕を組んだ。そうだろうかとは口に出さずに夜空を眺めた。納得はしていなかった。天命に任せるというのは性に合わない。しかし、なんだか、何かを待っている、というのが気に入った。私は待っているのだな。それも悪くないかもしれない。では待つとしようか、と言葉に出して大臣の言葉に心を少しでも動かされたと思われたくなかったので、黙ったまま雲一つない、輝かんとする線を待つ星空をじっと見つめていた。