隠してはいなかったらしい夫の隠し子はどんな子?
「ちゅぬめむぱ。ちゅぶもなれ? ちゅばむちゅえ?」
魔女語で話しかけてくれたらしい。
そういえば、捕虜になった時、魔女語は分からなかったと夫は言っていた。
何か質問されているらしいことはわかる。
わたしはゆっくり立ち上がって、
「寒くない? お洋服着ないと風邪ひくよ?」
と声をかけて大きなお腹で両膝をつき、男の子と目線を合わせた。
廊下のほうで夫の声がする。
「ルーナス、どこだ、どこいきやがった?」
わたしはひざ掛けを手にしてその子の肩にかけた。
「ルーナスってお名前? わたしはシェリルよ」
「ルーナス、シェル……」
復唱してくれたつもりのようだ。
扉が開いて、タオルを腰に巻いただけの夫が入ってきた。左手に握り締めているのはカリッジが用意したルーナスの着替えだろう。
慌てふためき方が可愛らしくてわたしは夫に笑いかけた。
「ふくらはぎの傷よく見せてくれって言っただけじゃないか。勝手に飛ぶなよ」
「ふくらはぎの傷?」
「ああ、見てやってくれ」
夫は近づいてきて、わたしの目を覗き込んでいたルーナスの身体をくるりと回した。
小さなお尻から伸びる脚の膝から下にかけて、ストライプ縞のような痕がある。
「鞭やら物差しやらで、しこたま殴られてたらしい」
「まんぼるぷるみえふぉわ」
「今日飛んだのが初めてだって」
「あら、魔女語分かるようになった?」
「違う」
夫はぶすっとうなだれた。
わたしが事情のあらましを想像できてしまったからバツが悪いのだろう。
「飛べないと魔女軍団と行動を共にできない。母魔女は早く飛べと言って足を鞭打ってた」
「ひどい。それがあなたのふくらはぎに現れてたの?」
「恐らく。幼な子の限界を超えてしまったんだろう。もう痛いの嫌だと強く念じただけだろうが。魔女のように飛べないのはオレの血のなせる業だろうから、少しでも肩代わりできてオレはよかったと思ってるが」
急に父親面を見せるアシュリーに戸惑いを隠せなくて、わたしは湿布を作りにキッチンに行こうと思いついた。材料は揃っているから数分もかからない。
立ち上がりながら問うた。
「あなた、この子が生まれてたこと知ってたの?」
どう発音しても責め立てる口調に聞こえてしまう。
「いや、思いもよらなかった。ギャン泣きと一緒に自分の記憶を流してきたから思い至っただけ」
母魔女は、と夫は言葉を継ぐ。
「飛べないコイツに見切りをつけていなくなった。コイツは魔女がいなくなって最初はホッとしたみたいなんだが、捨てられたと判って心細くなって泣きだした。父親って概念はないみたいだったぜ? 自分で引き寄せといて最初の30分はオレを警戒して逃げるわ暴れるわ、大変だった」
「そうなんだ」
大した反応も返せなくて、わたしはキッチンで頭を整理することにした。
ルーナスのふくらはぎは、表面の傷はもう治っていて、打たれてから何日か経ってる内出血だから、温めて血行をよくしたほうがいい。
ほかほかの湿布を作った。
居間に戻ると、だぶだぶのドレスみたいなナイトウェアを着たルーナスは、上半身裸のアッシュの膝の上で眠っていた。
「すっかり仲良くなったのね」
嫌味にならないことを祈りながら、夫に向けて笑顔を作った。
アッシュは見たことのない憔悴した表情をしていた。
「仲良くって感じじゃないよ。見殺しにできなかっただけだ。既に泣き疲れてたくせに、オレを見て飛び回って逃げた。限界だったんだろ、ぐったりしちまって」
「介抱してたの?」
「ああ、だから帰りが遅れたんだ。桃のジュースを口に含ませながら、意識がはっきりするのを待った。少し弱ってるくらいが扱いやすくていい。もう復活しやがって、あちこち飛ばれると困る。こうやって掴まえとかないと」
お風呂の前に抱っこしていたのは親としての愛情表現ではなくて、ただ取り押さえておきたかっただけらしい。
今、夫の手はルーナスのまだ水分の残る黒髪を撫でている。少しずつ、自分の息子だと、可愛いと思い始めているのかもしれない。
「シェリルの気持ちを考えずに連れてきてすまない」
「あら、わたしの気持ちより、あなたの気持ちのほうが心配よ? これから毎日顔を合わせて、一緒に暮らせるの?」
「コイツを置き去りにする魔女のところになんか返せない……」
わたしは夫のその言葉に、自分の辛かった体験を思い起こさせられることよりも、この子を大切にしようと決心した覚悟のようなものを感じていた。
「放っておけないわよね、泣いてた子、鞭打たれてた子、自分の子どもでなくても助けると思うわ」
アッシュがそのつもりなら、わたしがとやかく言うことじゃない。わたしのすることは、アッシュを支えること。
そう思えて心が軽くなった。
「わたしが子守してるから部屋着を着てきてちょうだい、湯冷めするわ」
アッシュは、ありがとうと言って立ち上がるとわたしの隣にルーナスを寝かせた。
わたしのまんまるなお腹に頭をもたせかけて、ルーナスは起きるようすもない。
痛々しいふくらはぎにペタリペタリと湿布を貼り付けると、
「うえちゅままもん」
と寝言を言った。
アシュリーは翌日から元気いっぱいで、ルーナスと追いかけっこをしていた。
「ここはお前の家だと言ってるだろが、なんで逃げようとするんだよっ!」
そんな言葉を叫んでいる。
ルーナスはちょこちょこ地面を歩いているかと思ったら、空に飛びあがったり瞬間移動したりする。夫は付いていくのに必死だ。
まあ2人とも、朝食はしっかり食べたし、疲れたらお昼寝するでしょ、とわたしは窓から眺めていた。
とはいっても。
空を飛ぶ人間が2人も庭に居ると、ハッキリ言ってウザい。
とんぼや蝶々なら微笑ましいのに。
ルーナスのサイズならまだいい。大の男のアッシュがびゅんびゅん飛びはねるのは確かに鬱陶しい。
飛ぶところを目の当たりにして、夫が別人のようにも思えてしまう。
ふっと気配がして後ろを振り向くと、ルーナスが入ってきていた。
「喉乾いたんじゃない? ジュースいかが?」
飲んでいたりんごジュースのコップを差し出すと、無表情ながらとことこ近づいてきて両手で受け取った。
立ったままごくごく飲んだので、手を引いて一緒にソファに座ることにした。
抱き上げようとするとルーナスは自分でソファによじ登って、わたしの隣に収まった。大きなお腹に両手を回してぺたりとひっついてくる。
ルーナスはわたしのそばではドタバタしない。その点はちゃんとわかっているんだと思う。
「ルーナス来てない?」
夫が居間のドアから顔をのぞかせた。
「来てるわよ。追いかけなくても家にいてくれると思うわよ?」
夫はわたしに貼りついてる幼児を見下ろす。
「鞭打つような酷い親でもママだって思ってるんだよ、コイツ」
「それは本当のことでしょ?」
「ママ探しに行くなんて言うから」
「あなた、この子の言葉通じてるの?」
「いや、もごもご言ってるのはわからん。想念がテレパシーで届いてしまう。オレの脳内ではオレたちの言葉で再現されるから」
「まぷてぃたみちゅまんとん?」
ルーナスが顔もあげずに呟く。
「おいこら、ヘンなことするなよ?」
「ヘンなことって例えば?」
とわたしが尋ねると同時に、ルーナスはアッシュに向かって舌を出した。
「いや、中の子に話しかけてただけだが」
と、アッシュはわたしに答えて、ルーナスには、
「ここにはお前の妹が入ってるんだからな、大事にしろよ?」
と釘をさした。
もしかして、ルーナスが魔女語で何を言っているのか、知りたい方、いらっしゃいますでしょうか?
アッシュが一緒にいれば説明してくれてますが、シェリルには全く通じません。
通じない状況でふたりは親しくなっていくので、わからなくていいのですが、もし、ルーナスの心情がもっとわかりたい、というご希望があるかもしれないと思ってここに書いておきます。
* ルーナス語録
「ちゅぬめむぱ。ちゅぶもなれ? ちゅばむちゅえ?」
-僕のこと嫌いだよね、いなくなってほしい? 僕を殺す?
「まんぼるぷるみえふぉわ」
ー自分で飛ぶの初めて
「うえちゅままもん」
ーママ、どこ
「まぷてぃたみちゅまんとん?」
ーちびちゃん、僕の声聞こえてる?
お気づきの方いらっしゃるでしょうが、フランス語がもとになってます。
正確ではないので突っ込まないでくださいませ。