『一章』.8 鬼の足音
「……成程。今のは確かに、良い一撃であった」
桃浦太一の一撃をもらい、竹藪を超えた先にある岩壁まで吹っ飛んだ鬼童丸が起き上がり、唇から垂れる紫色の血を拭って不敵に笑った。赤鬼の血は紫なのかと思ったが、今はいい。
一撃を入れてやった。
ダメージを与えてやった。
余裕綽々とした態度に、一発入れてやったのだ。
太一は荒い息を吐きながら、拳を構える。
切り替えろ。一撃を入れたなら、次だ。次のダメージに繋げるための攻撃手段を考えろ。
「だが。次はもうないのである」
言ったそばから、鬼童丸が動いた。奴は一瞬にして姿を消すと、太一の懐深くに潜り込んだ。
ーー潜り込んだ。
それが分かる。
つまり見えている。
大量出血のおかげで、頭に昇っていた血が冷めたのかもしれない。
自然と、次の動きが取れた。最適解が導き出された。
太一は真下から繰り出される鬼童丸の拳を、視線で気取られることを防ぐためにノーモーションで受け止めたのだ。その瞬間、突風のような余波が拡散し、鬼童丸が初めて「驚いた」。
「いい気分だ」
「……なんだと?」
「罪悪感が微塵も沸かねェ相手を、本気で殴れるんだからよォォォ!!」
ドッッッッパァァァァァァン……!!!! と。
見事なほどに強烈な一撃が、鬼童丸の顔面を捉えた。さしもの鬼童丸も、太一のこの一撃は効いたのか、痛みに苦悶しているような表情が見て取れた。紫色の血がしぶき、その一滴一滴に、太一の冷えた顔と瞳が映る。
ここから、桃浦太一による怒涛の反撃が始まる。
まるでサンドバックだった。
鬼童丸の腕を掴んだまま、太一は拳を叩き込んでいく。しかも、殴っては引き戻し、殴っては引き戻しの繰り返し。
「ストレス解消にはもってこいだな、赤鬼サンドバックは!」
「ぐ……!」
反撃に出ようとした鬼童丸だが、そうはさせない。太一は奴のもう片方の腕を蹴り上げて攻撃を封殺し、隙だらけの脇腹へ右フックをぶち込んだ。
「ゴ……ッ!」
「これはほのかの分!」
殴る。
「これもほのかの分!」
殴る。
「これはオレのプライドと、あと痛かったからその分じゃァァァァああああ!!!!」
ボコボコに殴る!
はたから見れば弱い者イジメに思える暴行のラッシュを、太一は鬼童丸に叩き込む。そして、そろそろ手が痛くなってきたところで、太一は重い一撃を放つ。
「桃浦流剣武術ーー桃突」
「ゴ、あ……ッ!」
「唐突に、飛べ」
渾身の「突き」が鬼童丸の腹部に直撃した。威力、力の流れを「突き」の先端、爪先に全て収束し爆発させる技。その強烈な「突き」が鬼童丸の内臓を確実に破壊して、上空まで吹き飛ばす。
更にダメ押しとして、だ。
「これでいいか?」
「ーーええ。十分よ」
太一が笑った直後、別の声が割って入ってきた。鬼童丸が驚いて上に視線を向ける。すると、そこには太陽に照らされている「月の姫」がいた。
黒い髪を長く伸ばし、女性用の和服を着て、緑色の風を纏う美少女。
「我流・かぐや式ーー月の満ち欠け」
織月かぐや。
「かぐや姫」の子孫が、威風堂々と鬼童丸戦に参戦の意を表明したのだ。
彼女は翡翠色の風を円形に解き放ち、その瞬間に鬼童丸の体に異変が生じる。
赤色の肌が、かぐやの風に触れた瞬間に裂傷を刻んだのだ。鋭い痛みが発生したのだろう。鬼童丸は眉を顰めるが、当然これだけじゃ終わらない。
円形の風が、欠ける。
ボロボロと、パラパラと、キラキラと、破片を作って欠けていく。
その、欠けた「月の満ち欠け」のような破片が、漏れることなく全て、鬼童丸を抉った。
「ぐおォォォォォォォォォォォォォ!?!?」
紫の血が舞う。
かぐやの頬に着く。
「耳障りね。節分の日に出直してーー死になさい」
冷酷で冷徹な、かぐや姫の死刑宣告に等しい声が、鬼童丸の耳を打った直後。
「鬼は外……ってね」
ーー風を纏ったかぐやの拳が、鬼童丸の顔面を確かに捉えた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「ふん!」
「いってぇ!」
かぐやが太一の頭を殴った。
そりゃあもう、ツッコミで使われる「殴り」ではなく、なんかこう、ミスをした部下を怒る上司みたいなゲンコツだ。
太一は頭のてっぺんを両手で押さえ、涙目になりながらかぐやを見た。
「なにすんだよ竹林女! 痛ぇじゃん!」
「誰が竹林よ! そこはせめて月の民でしょ!」
「自意識美化! 誰がお前みたいな暴力女を麗しい月の民〜なんて呼ぶかよ! 一昨日きやがれ!」
「ふんっ!」
「だから痛い⁉︎」
また殴られた。
たんこぶが二つ出来るどころか、頭が二つに割れてしまう。頭を押さえて転げ回る太一に呆れて、かぐやは息を吐くと、
「まぁ、無事でよかったわ。正直死んでると思ってたから」
太一はたんこぶを撫でながら起き上がって、
「そいつはどうも。……ま、死にかけたけど」
「でも生きてる。それでアンタの勝ちよ」
太一は照れ臭そうにして、
「あ、ありがとな……」
「なにアンタ、照れてんの? かわいいトコあんじゃない」
「う、うるせえな! そんなことより、ほのかのヤツはちゃんと生きてんだろうな!」
照れ隠しもあったが、一番訊きたかったことだ。鬼童丸から受けたあの傷は、致命傷に近いモノだったから。もちろん、きび団子があるので「回復」に対しての信頼はあるのだが、自分の目で見て確かめないと安心は出来ない。
そんな太一の不安を感じ取ったのか、かぐやは微笑んで、
「大丈夫。ほのかは無事よ。でも傷が傷だからね、今は寝てるわ」
「……そうか。よかった」
「……そうね」
太一の安堵した姿に、かぐやもつられて優しく笑った。ほのかが無事。その情報は疲弊しきった心と体を癒してくれる。鬼童丸を倒しても、ほのかが死んでいては意味がない。
「さて。とりあえず、これで「桃太郎」の話は終わりでいいのかしら?」
「……そうだな」
かぐやがとある方向を見ながら呟いて、太一もそこに視線を振った。
鬼童丸。
あの赤鬼が、かぐやの一撃を喰らって上空から高速落下をし、地面に激突して巨大なクレーターを作り上げた場所。そこの一帯は、竹藪は吹っ飛び更地になっている。
「そう思いたいけど、とりあえず生死確認だ。……ってか、桃太郎のオレが倒してないけどいいのか?」
「細かいことは気にしないの。ほら、行くわよ」
「……お前は別のお伽話だから気にしてないだけだろ」
などと言い合いながら、二人はクレーターに近づいていく。
話の流れで特に重要な点ではなさそうに思えるが、「桃太郎」が鬼を倒さなければ「桃太郎」のお伽話が正しい完結を果たした「伝承」として確立しないと、ウラが言っていた。もしそれが事実なら、この勝ち方は「ダメ」な気がしてならない。
失敗をしたら、「現実界」の人たちが消滅してしまうという懸念があるのだ。
「……まぁ、考え過ぎか」
「なにブツブツ言ってんのよ。ほら、ついたわよ」
そんなことを考えていたらクレーターに着いてしまった。深い。大きい。まるで隕石が落ちたかのような有様だ。覗き込むだけでは鬼童丸の生死確認ができない。
太一は一瞬降りるか迷って、しかしそうも言ってられないと息を吐いて、
「降りるぞ」
太一に続いてかぐやもクレーターを降りた。坂道を滑って下る感覚に近い。一番下に到着し、辺りを見回した。
「埋まってんのか?」
「かもね。結構本気で殴ったし。下手したら爆散してるかも」
「言い方こわっ」
そんなグロい殺人現場みたいになっていたらシャレにならない。爆散とか誰も知らないところで勝手にやっといてほしいところだ。
とにかく、かぐやのブラックジョークは放って置くとして、太一はもう一度周囲を見回した。地面の起伏が少しでも動いたり、音がしたらすぐに反応が出来るように、臨戦態勢は整えた状態で。
しかし、だ。
軽く5分は無言で警戒をした。確認をした。
その上で。
「……倒した、のか」
「かもね」
という結論が太一とかぐやの間で出された。
ここまでして何もないなら、ヤツは死んだとみていいだろう。
「……意外と呆気なかったな」
「終わっちゃえばこんなもんよ。……で? これで鬼退治は完了?」
「……いや、まだあと一体はいるんだ」
言いながら、太一は序盤も序盤で瞬殺された、あの巨大な鬼を思い浮かべる。鬼童丸いわく、ヤツが鬼の総大将で、巨大な鬼は手下らしいのだが、あのサイズは異常だ。戦うとなれば、その方法を考えなければならない。
「とりあえず、ウラとほのかと合流しよう。話はそれからでも大丈夫だろ」
かぐやは頷いた。
「そうね。焦ってもロクなことにはならないし――」
悪寒。
目を見開く。
鬼童丸。
が、後ろに立っていた。
赤い鬼。
瞼の上から血を垂らしてる鬼。
悪寒。
死の気配。
「やはり貴様のようであった」
「――なん!」
「……かぐやっ⁉︎」
バギィ……ッッッ! と。
忽然と背後に現れた、「瞼から血を垂らす鬼童丸」に、かぐやが大威力の打撃を喰らった。咄嗟に腕を出してガードはしたものの、その衝撃は計り知れない。
両足を地面に擦り付ける形で吹っ飛んで、砂煙が立ち舞う中、酷く腫れ上がった腕に苦鳴しつつ、かぐやはヤツを睨んだ。
「……よくも私の華奢な腕に傷を」
鬼童丸。
かぐやの一撃で沈んだと思われた鬼が、少しだけ傷を作った姿で再び目の前に現れたのだ。
少しの傷。
瞼から血を垂らす『程度』の傷。
鬼童丸は頬まで流れてきた紫の血を舐め取り、唇を緩めた。
「娘よ。我が真に警戒すべき相手は、やはり貴様のようだった。敬意を送ろう」
「よく言うわ。本気で殴ったのにその程度の傷なんて……自信無くしそうよ」
言いながら、かぐやは腕を振ってダメージを確認し、苦笑する。
一方で、太一はただ呆然としていた。
自分の攻撃の連打と、かぐやの攻撃。その二つを合わせても「かすり傷程度」のダメージ。
さらにダメ押しとばかりに、鬼童丸は太一を無視してかぐやに興味を抱いている始末。
「……ふざけんな」
「太一?」
「テメェの相手はオレだけだ! 他の奴なんかに目を向けてんじゃねぇええ!」
これ以上、自分以外の誰かを傷つけさせない。そんなことさせたくない。太一は激昂し、瞬時に『舜踏』で鬼童丸に迫った。
そして、そのままヤツの鼻っ柱をへし折る勢いで拳を振り抜いた。
「桃の虫なのである」
が。
「桃の虫に、我はもう用はないのである」
冷酷で、心底、興味が尽きたような目と表情。
失望、ではない。
ハナから期待なんかしていないけれど、改めてそれを実感すると感情が失せるような、そんな情緒。それが鬼童丸の中にあった。
そして、起きればそれは一瞬だ。
太一が右腕を振り下ろした瞬間ーー、
「五月蠅い」
「おーー」
鬼童丸がたった一言呟いたと同時に、太一は『不自然に全身から血を吹き出しその場に膝から崩れ落ちた』。
凄惨たる光景に、かぐやは目を見開く。
そして、大口を開けて叫んだ。
「あぁああああああ!」
「こい、娘よ。『桃太郎』の歴史に刻まれた特異点よ」
どこまでも挑発する鬼童丸に、かぐやは後先考えずに突撃した。緑色の風で作り上げた剣を握り締め、鬼童丸の喉元を狙った。
「しかし。練度が足りないのである。出直して我の好敵手になるといい」
太一と同じだった。
鬼童丸は何もしていないし動いていない。
とにかく『不自然にかぐやの全身から血が吹き出して彼女はその場に崩れ落ちた』。
血の海。
グロテスクな赤色に染まり上がった光景。
倒れる二人。
桃浦太一と、織月かぐや。
その二人を見下ろす圧倒的強者の、鬼童丸。
「次はあの猿の娘である――桃太郎」
太一は、動けなかった。