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フェアリー・リトライブ  作者: 天沢壱成
『桃太郎編』
12/15

『一章』.12 雨ー③


 憂鬱になるくらいに雨は止まずに振り続け、時刻はもう夕方の六時を回っていた。

 流石に冷たい雨は病み上がりの体には響き、太一は一時的に雨風を凌げる橋の下に身を置いていた。

 訂正、風は全然吹いていて普通に寒い。

 梅雨の時期だ。

 

「……」


 橋の壁に背を預けるように座っている太一。

 外観的には不良映画とかヤンキー漫画で喧嘩の舞台に使われていそうだ。

 

 まぁ、今の太一に喧嘩を売ってくるような男もいないだろうが。そもそも、乙木市にいる不良は漏れなく全員太一がフルボッコにしている。今更喧嘩をする相手もいない。


 そう。

 太一は強いはずだった。


 誰にも負けない無敗の男のはずだった。生まれつき力が強くて、その制御方法を得るために桃浦流の門を叩いて。今にして思えば、そのどれもが「桃太郎」になるための布石だったのかもしれないけれど。


 それでも太一は強かった。

 誰かに負けるなんて、ただの一度も考えたことがなかったのだ。

 なのに惨敗した。

 本当に、自他ともに認めるくらいの敗北を喫した。

 

「……くそっ」


 奥歯を噛んだ。

 拳を握り締めた。

 誰かに負けることがこんなにも悔しいなんて、知らなかったのだ。


「……オレは。こんなに弱かったのかっ」


 吐露。

 ついにでた、本音。

 膝の上に顔をうずめて、太一は己の弱さを噛み締める。

 もう何度、鬼童丸に負けたことを思い出せばいいのだろうか。

 あと何回、自分の弱さに打ちのめされたらいいのだろうか。

 

「……オレはもう、戦えない」


 最初の勢いなんて、とうの昔に燃えて消えた。桃太郎としての自信もなく、強者としての自覚も潰え、残っているのは生かされて無様な「生き恥」だけ。

 鬼童丸が怖い。

 負ける自分が怖い。

 何も守れない自分が怖い。


 そうやって、何度も何度も自分の中で、現実から逃げるための言い訳を探しては喰われて、探しては食われてを繰り返して。


「――よォ。テメェが「桃太郎」かァ?」


 無気力で非力な太一の横から、そんな声がかかった。

 まるで相手にするつもりもないような目で太一は声がした方を見た。

 橋の下。

 ビニール傘を差して立っているのは、白い髪の少年だった。学ランを着ていて、目つきは人を殺していてもおかしくないくらいに悪く、立ち姿はどこか威圧的。

 同い年か、少し上か。

 太一は眉を顰めて、口を開く。


「……誰だ」


 白い髪の少年は笑う。

 口の端から覗くのは、犬歯か。

 歯を剥いて笑った顔は、まるで猛獣が獲物を見つけたようだった。

 咄嗟に、だ。

 太一は立ち上がって、最早自動的に臨戦態勢に入ろうとして――、


「『犬童狼牙いんどうろうが』だ。鬼と一緒に地獄まで覚えていきやがれ」


 そう言ってきた瞬間、犬童狼牙が軽く片手を振り下ろした。その、戦闘の始まりにしては実に適当に思える所作に太一は首を傾げた。

 なんだその動きは?

 

「……?」


「なンだよ。この程度か、天下の桃太郎さンもよォ」


 ザシュ……ッッッ‼︎ と。

 犬童狼牙がため息混じりに、心底ガッカリした様子で呟いた直後――桃浦太一の胴体に、獣の爪の跡に似た裂傷が刻まれた。

 血飛沫が盛大に舞い、橋の下に、雨の代わりに血が降りしきった。



△▼△▼△▼△▼



「お風呂、ありがとうございました」


「いいえ。熱くなかったかしら?」


 桃浦家の居間だ。

 そこで、お風呂上りのかぐやと、お茶を飲んでいた千歳が話していた。

 かぐやは太一を連れ帰ることに失敗すると桃浦家に戻り、濡れた姿を千歳に見られ、そのままお風呂に入れられた。正直寒かったしお風呂はありがたかった。

 かぐやはバスタオルで頭を拭きながら、


「最高の湯加減でした。ありがとうございます」


 千歳はかぐやの反応に笑みを浮かべて


「それはよかった。ウチのお風呂はバカみたいに熱いから、かぐやちゃんみたいにかわいい女の子にはキツイと思ったのだけれど」


「全然そんなことなかったですよ! 本当です!」


「でもあれ、太一君が一番疲れが取れるっていう高温度だったのだけれど……」


「……全然熱くなかったですね。ぬるいくらいでした。温水シャワーくらいぬるかったです」


「それは満足しなさそうね……ふふ」


 なんか太一と同じ温度を丁度いいとか思うのは個人的に嫌だった。唇を曲げたかぐやが可愛かったのか、千歳は口元に手を添えて微笑んだ。

 そんな様子にかぐやは照れて顔を赤くし、隠すみたいに千歳の向かいに腰を落ち着かせた。


「かぐやちゃん、何か飲む?」


「あ、じゃあお茶でお願いします」


「ん」


 千歳の好意に甘えて、かぐやは冷たいお茶をもらった。湯上がりには最高の一杯だ。

 それから二人は無言でいて、時計の秒針が時間を刻む音だけが響いていた。

 

(……き、気まづい。友達のお姉ちゃんと二人きりとか何を話していいか分からない。好きな食べ物はなんですかとか? いやいや、ないない。会話に困ってしりとりをするくらいナァイ!)


 などと心の中で自己完結を果たしているかぐや。確かにこの状況はかなり気まづい。


 年が近ければまだ話ようはあるものの、太一のお姉さんは大人の魅力に溢れすぎている。


 なんなら、あの馬鹿と同じ血が流れているとは思えないくらいの絶世の美女だ。


「かぐやちゃんは、「かぐや姫」の子孫ってことでいいのかしら?」


 と。

 千歳がふいにそう言ってきた。思わずかぐやはお茶を飲もうとした手を止めて、千歳を見た。彼女は同じ女であるかぐやですら見惚れてしまうほどの顔立ちで、穏やかな表情を浮かべていた。

 

 しかし、その瞳の奥には『確実なモノ』を求める感情が眠っているのも窺える。

 これは、隠し事はなしだな。


「……はい。私は、十一代目「かぐや」。お婆ちゃん、いえ。お母さんからその資格を継承しました」


「……そう。やっぱり、そうだと思った。とてもキレイな顔立ちをしているから。どこからどう見てもかぐや姫ですもんね」


 千歳の容姿でそんなに褒められると照れくさい。 

 だが、これでハッキリした。

 千歳も、「桃太郎」の家系、その関係者だ。 

 かぐやは姿勢を正すと千歳を真っ直ぐ見た。


「千歳さんは、どこまで知ってたんですか?」


「……どこまでっていうと?」


「今回のことです。太一が向こうに送られて、本気で鬼童丸を倒せると思っていたんですか? ……確かに太一は強い。あれで伽力ゲノスを使っていないんだから尚更に。でも、伽力ゲノスを使えたとしても鬼童丸に勝てるかどうか。現に、歴代の桃太郎は敗北してるんですよね? ……それが前提の上で、千歳さんも源太郎さんも、太一を向こうに送ったんですか? こうなることが、予期できなかったんですか?」


 かぐやは別のお伽話の住人で、そちら側の主人公だ。本来なら桃太郎のお伽話に介入してくるなんてありえない。それが実際に起きてしまった要因の一つが、「桃太郎の連戦連敗」。あまりにも鬼に勝てなくて、事実の改変が難しくなったために、別のお伽話から助っ人を召喚した。

 それがかぐやだったのだろう。

 

 ――しかし、だ。


 百歩譲ってそれが理由でかぐやが呼ばれたとしても、根本的に『前提条件がおかしい』のだ。

 

 ――何故、「未熟」な太一に運命を背負わせた?


 歴代の桃太郎が勝てなかった相手に、伽力ゲノスも使えない少年が勝てるとでも?


「……太一くんは、生まれながらに『完成』してたの」


「完成……?」


 妙な言い方に、かぐやは眉をひそめた。

 千歳は頷いて、


「本来、「桃太郎」に成るには桃浦流を学ばなければならない。桃浦流を体に覚えさせ、桃太郎としての自覚を肉体に芽生えさせる。その後に魂を、精神を桃太郎へと覚醒させて〈桃源界〉に送る。そういうしきたりだった。そういう『流れ』だった。……だけど、太一くんは違った」


「どういう、ことですか」


「太一くんは、生まれた時から『肉体が完成』していたの」


「……それって」


「そう。『肉体だけなら桃太郎』なのよ、あの子は生まれた時から。だからずっと強かった。だから制御出来なかった。……だから私たちはあの子に希望を見た。未来を見た。この子なら、きっと悪しき鬼である、先代たちの仇である鬼童丸を倒すことができる、と。……けれど」


「……精神が、桃太郎じゃなかった」


 ええ、と。かぐやが至った結論に千歳は頷いた。

 だから、なのかと、かぐやは少し腑に落ちた。

 

 太一を見ていて思っていた。

 本来、お伽話の英雄が『自分の敵に一度負けたくらいで挫けるわけがない』。それなのに、太一はあんな風になってしまった。

 

 負けることは悔しい。それは分かる。

 だけど、一回負けただけだ。また立ち上がって挑戦すればいい。勝てるまで立ち上がって、勝てるまで歯を食いしばる。それが主人公だ。それこそが、お伽話の英雄だ。


 それなのに、太一は下を向いた。

 〈桃源界〉が限界に近いことは承知している。

 一度の敗北が決定的な決着なのも。

 でも、まだ全部が終わったわけじゃない。

 

 ――だって、まだ「桃浦太一」は生きている。


「……太一は多分、まだ自分が「桃太郎」だって理解してなくて、自覚してないんですよね」


 かぐやは言う。

 出会ったばかりだけど、彼に抱いた感想を。

 千歳は、それを黙って聞いていた。


「考えが甘いんですよアイツは。誰も傷つくことなく事件を解決しようとしているし、自分が犠牲になることは厭わない。太一はこっちが異常って思うくらいに「他者」を守ろうとしている。鬼と戦っているんですよ? そんなのはただの理想論で、子供のわがままだ。……だけど、アイツは実際にその理想を叶えようとしていた。だからあんなに……」


 傷ついていて。

 膝を抱えていて。


「桃太郎は、一人で戦う英雄じゃない。みんなで戦って初めてその真価を発揮するのが桃太郎なのに。……アイツは、あのバカはそれをわかってなくて……」


 ただ、たった一言。

 「助けてくれ」って。

 「一緒に戦おう」って。

 言ってくれたらそれだけで……。


「私は、命を賭けられるのに」


「……かぐやちゃんは、本当に優しいのね」


 と、千歳が微笑んでそう言った。

 彼女は実の妹に向けるような優しい笑顔で、口を開く。


「一人じゃ戦えない。それは多分、あの子が一番わかってると思う。だから最初はみんなで戦うでしょうね。でもね、きっと敵が「自分でも敵わない」って悟った瞬間、あの子はまず先に、第一優先事項として自分の命を対価にする。あの子はとても優しいから。かぐやちゃんは、それが嫌なのよね」


 かぐやが知る由もないことだが、実際に太一はほのかと協力することを選んだ際、共に戦うようなことを言っている。

 更に、かぐやと出会った時も似たようなことを確かに言っているのだ。

 なのに、最後は自分一人だけ犠牲になる形を取る。

 千歳が言っていることは、おそらく正しい。

 かぐやは頷いた。

 千歳はその上で、


「ねえ、かぐやちゃん。かぐやちゃんは、あの子とどういう関係になりたい?」


「か、関係ですか?」


「ふふ。そんな顔を赤くしないで。別に恋人になりたいって訊いたわけじゃないわ。……境遇が似ていて、けれどお伽話は違う英雄で。かぐやちゃんは、太一くんとどういう関係を築きたい?」


「……私は」


 考えたこともなかった。

 というより、まだ出会ったばかりだし、お互いのことなんて何もわかっちゃいない。かぐやは自分のことを太一に話していないし、彼もまた自分のことをかぐやに話していない。

 そういう関係だ。

 偶然出会ったに過ぎない関係だ。

 

 だけど、自然とかぐやは口を開いていた。


「私は、対等な関係でありたい。助けて助けられて、背中を預けられるーー友達でいたい」


 真摯で真っすぐで、邪な感情はもちろん、打算も計算もない言葉と表情だった。

 出会ったばかりとか、関係ないのだ。

 桃浦太一はいいヤツだ。多分、あんなお人好しは滅多にいない。

 そんな男が、挫折しようとしている。

 見て見ぬ振りなんて、できるわけがない。

 そんなかぐやの思いが伝わったのか、千歳は穏やかに微笑んだ。


「よかった。かぐやちゃんになら、あの子を任せられる。太一くんをお願いね」


「……はい。任せてください」



△▼△▼△▼△▼



 痛みが視界を明滅させた。

 

「ーーッ!」


「おいおい。こンなのはただの挨拶だろォが。退場するにはまだ早いンじゃねェかァ⁉」


 白い髪の男が好戦的に吠えた。

 犬童狼牙いんどうろうがと名乗った少年は、自分の初撃をまともに喰らって血を流す桃浦太一に追撃を放つ。

 ダンッ! と踏み込みの一歩目で加速を終えたみたいに俊足を叩き出した犬童は、その速度のまま右手の五指を揃えて突き出した。


「風穴ァ開けてやるよ!」

 

「チィッ!」


 舌を打って、太一は強引に体を捻った。結果的には犬童の攻撃を紙一重で躱すことに成功したが、初手で喰らった傷が傷だ。獣爪の痕のような傷口から血が溢れ、痛みが走った。体がよろめいた。


「……くそったれめ!」


「ハッ! 路傍の石ころを気にしなくていいのは結構だけどよ、足下注意してねェと怪我するぜ、桃太郎さンよォ!」


 言いながら、尚も好戦的に笑う犬童。

 よくわからないが、こいつは太一に恨みでもあるのだろうか? そもそも初対面の相手だし喧嘩を売られるようなことをコイツにした記憶はない。

 ……そこまで考えて、ハタと気づく。


(……犬童……『犬』? おいおい、まさかこいつ……!)


「ご明察。アンタの手下の一人、『犬』の狼牙だ。仲良くしてくれよ? 桃太郎ォ!」


 ここにきて、だった。

 「二人目」の仲間になるはずだった男、『犬』の名を持つ男が――確かな敵意を待って目の前に現れた。

 直後。

 犬童の爪撃が、太一の懐に届いた。

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