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フェアリー・リトライブ  作者: 天沢壱成
『桃太郎編』
11/15

『一章』.11 雨ー②


 桃浦美咲がこの世を去ったのは、太一が十二才の時だ。

 彼女は桃浦家の血筋で、源太郎の実の娘であり、千歳の姉でもある。美咲の死因は『病気』。病名は、「癌」。ステージ4と診断され、長い闘病生活の末に早逝した。

 

 ーー三十九才だった。


「……母さん」


 雨に濡れながら、太一は母の名残を探すみたいに呟いた。

 月命日と、年命日。どれも必ず、サボるという概念すら持ち合わせることなく訪れていた母が眠る場所。

 

 いつからだろう、来なくなったのは。

 いつからだろう、来ることが痛くなったのは。


「……高校生に、なったんだ」


 生前の母なら、きっと飛んで大喜びをしていたであろう吉報。太一の母、美咲は感情がとても豊かで聡明な人だった。もちろん陽の光のような温かい優しさを持っていて、怒ると手に負えない母の強さも兼ね備えていた。

 

 きっと、今の太一を見たら「こら、太一! 男がメソメソしてるんじゃないの! ブツわよ!」と、怒ってきて、言う前にゲンコツを貰っていただろう。

 そしてその後は、当然のように抱き締めてくれて。


「……母さんは、知ってたのか?」


 雨で濡れるアスファルトの上に、太一は座り込んだ。母の墓前だ。弱いところなんてみせたくない。

 

 でも、立つことすら今の太一には難しい。

 美咲は桃浦の直系だ。

 それは、つまり。

 彼女もまた、「桃太郎」の子孫だということに他ならない。

 美咲が桃浦家と〈桃源界〉の事情を全て知っていたかどうかは分からない。でも、ウラが源太郎のことを『先代』と言っていたことから、おそらく美咲は「桃太郎」ではなかったのだろう。

 

 だけど、だ。


「……知っていたとしたら、どうして何も教えてくれなかったんだよ、母さん」


 そんなことを言っても、答えなんて返ってこない。太一が望む回答は永遠に闇の中だ。それでも知りたいと望んでしまうのは、きっと母だけは味方であってほしいと願っているからだ。源太郎と違い、母だけは太一に何も隠していないと。


「ーーここにいた、バカ太一」


 と、雨の音に紛れて聞き覚えのある声が太一の耳を打った。

 

 太一は精気も気力もない目で顔だけを横に動かす。

 視線の先、そこにいたのは傘を差している黒髪の少女、織月かぐやだ。彼女は長い黒髪を後ろで束ね、ホットパンツとパーカーで身を包んでいる。

 

 見たところ怪我はなさそうだ。太一もそうだが、おそらく「きび団子」で回復したのだろう。


「……かぐや。どうしてここがわかった」


 彼女がこの場所を知り得ているなんてありえない。だって教えてなんかいないし、そもそも出会ったばかりだ。母が死んだことさえ語っていない。

 かぐやは太一の疑問に答えるように、肩をすくめた。


「アンタのお姉さん? が教えてくれたのよ、どうせ太一はここにいるってさ」


 言いながら、かぐやは太一に近づいてくる。

 千歳が教えたのなら仕方ない。彼女のことだ、太一を心配した結果の言動なのだろう。

 かぐやは太一の隣まで来ると、そのまま屈んで美咲の墓と向き合った。

 そして、両の掌を重ねて、瞼をそっと丁寧に閉じた。


「……なにしてんだよ」


「なにって、アンタのお母さんに挨拶してんのよ。あなたの息子の友達で、世界で一番美しい女の子ってさ」


「……そうかよ」


 こっちの世界に戻ってきても自信過剰なのは変わらないんだなと太一は思う。

 今更だが、こいつもこっちに戻ってきたんだな。

 かぐやは千歳に挨拶をし終えると、その場で立ち上がり、太一に視線を落とした。


「さ、帰るわよ。そんな恰好で出歩くなんて馬鹿じゃないのアンタ。風邪引くよ」


「……うるせえな。どこでどんな恰好をしようとオレの勝手だろ。お前一人で帰ってろ」


「アンタね、何を意固地になってんのか知らないけど、みんな心配してんの。それに、今は一刻も早く向こうに帰らないとなんじゃないの?」


「……お前には関係ないだろ。お前はかぐや姫なんだから」


「……ふーん。へー、そーゆーこと言うんだ、アンタ。意外とシケた男なのね、だっさ」


「……何が言いてえんだよてめぇ」


「桃浦太一はバカでアホでつまんない男だって言いたいのよ、このばぁぁか」


 どんだけ人のことを馬鹿呼ばわりするんだと怒りが煮えてくる。なんなんだこいつは。自分の問題なんだからお前には関係のないことだろう。首を突っ込んでくるな。

 ……そんな風に悪態を吐いてやろうとしたが、その気さえ失せた。こんな所で言い争っていても意味なんてないからだ。

 太一はかぐやから目を離し、母の墓に視線を戻した。


「……帰れ」


 かぐやは顔を歪めた。

 苛立ちと、呆れと、ろくでなしを見るような。


「こっちを見なさい、太一」


「……」


「こっちを見ろ! 桃浦太一!」


 傘が飛んだ。

 鉛色の空を背景に、透明な傘が寂しく映える。

 怒鳴って、かぐやは太一の胸ぐらを掴んで、強引に立ち上がらせ、自分を見させた。

 太一の目に、争う覇気はない。

 二人の姿が、地面に落ちたビニール傘越しに映った。


「……離せ」


「いつもみたいに言い返してきなさいよ。なんなのよその腑抜けた態度は。アンタ、天下の桃太郎でしょ。鬼に一回負けたくらいで、もうギブアップなわけ?」


「……いいから、離せよ」


「みっともないわよ、今のアンタは。桃太郎っていうより、ただの玉なし野郎ね」


「……離せって、言ってんだろうがッ!」


 半ば強引に、太一はかぐやの腕を振り払った。

 反動で、太一はみっともなく地面に尻もちをついてしまう。一方かぐやは平然とした態度だ。

 

 あの、桃浦太一がこのザマとは。

 この世界においては喧嘩無敗の最強が、今じゃこんなにもダサく尻を濡らしている。太一に負けていった者たちがみたら笑うだろう。もしくは、怒るかもしれない。

 こんな男に、おれたちは負けたのか、と。

 太一はゆっくりと立ち上がって、


「もう、オレに構うな。お前はお前の物語に帰れ。オレの話は、ここで終わりだ。ここがオレの、エピローグなんだよ」


 無様に負けて、相手にもされなくて、誰も守れなくて。

 そんな惨めな男に、それ以上の話なんていらないし価値もない。ハッピーエンドなんて、夢のまた夢だ。

 

「お前はまだ違う路線ストーリーに行ける。オレみたいにならずに済む。オレの「桃太郎」は駄作だ。誰も読まなくていい。……それでいい」


「……それでアンタは後悔しないの? 駄作のまま終わって、アンタの描く本線ストーリーは完成でいいの?」


「いいもなにも、それしかないんだ」


「……だったら今ここで、アンタの物語を私が終わらせてやる」


 ズァ……ッッ! と。

 かぐやの雰囲気が一変した。曇天から降る雨が、彼女の近くに落ちると弾かれていく。

 翡翠のオーラ。

 伽力ゲノス

 太一にはない、強い力。


「こんな行間でリタイアするなら、それまでの男。そんな男に協力なんてしたくないしね。ムカつくし、アンタをボコボコにしてから私一人で鬼童丸にリベンジするわ」


 どうしてそんなに強く在れる。

 あんなにボロ負けしたじゃないか。歯が立たなかったじゃないか。


「負けっぱなしは趣味じゃない。それだけよ」


 まるで太一の思考を読んだみたいにーー否。おそらく本当に読んだのであろうかぐやは、真っすぐに太一を睨む。

 

 負けっぱなしは趣味じゃない。そんなのは太一だって同じだ。でも、世の中プライドだけ持っててもどうにもならない時だってあるのだ。

 

 例えば、自分よりも遥かに強い強大な敵が現れた時。

 例えば、現実を粉々にされた時。

 例えば、矜持も己の在り方も丸呑みにされた時。

 

 人は、自分じゃどうにもできないくらいの『圧倒的な理不尽』が壁として目の前に立ち塞がった時、初めて『絶望』するのだ。

 

 ーー立ち向かうなんて、できるわけがない。


「ねえ。アンタが鬼と戦わないなら、誰が〈桃源界〉を救うのよ」


「……」


 声が、痛いくらいに太一の心に寄り添っていた。


「あっちに残されたウラは、今ここで『絶望』に負けているアンタを助けるために自分を犠牲にしたの?」


「……」


 表情が、泣きたくなるくらいに太一を想っていた。


「もしそうだとしたらさ……あまりにもかわいそうよ」


「……」


 気づけばかぐやは伽力ゲノスを解いていた。雨に打たれていて、互いにびしょ濡れだ。黒い髪の毛から水滴が滴り、それはまるで涙のように彼女の頬を流れていく。

 太一は俯いた。今は、かぐやを見れなかった。彼女の瞳に映る自分が惨め過ぎて、見ていられなかったのだ。

 

 もう、どこかに行ってくれ。

 もう、構わないでくれ。

 もう、見せないでくれ。

 

 ーーその、未来に希望を見ている光を。

 今の太一には眩しすぎて、目が痛いから。


「……晴れた日と雨の日があって、ひとつの花が咲くように悲しみも苦しみもあって、私が私になってゆく」


 ふと、かぐやが詩的な言葉を呟いた。

 綺麗で、しずかな言葉だった。


「私が好きな詩人の言葉よ。……ねぇ太一。雨はいつかやむ。その時、アンタは真上に広がる青空を見なくていいの? とても綺麗よ、雨の後の澄み渡る青空は」


「……」


 なにも言えなかった。

 源太郎の時と同じだ。また何も言えなかった。

 太一は顔を上げた。

 かぐやはもういなかった。

 

 ーー雨だけが、降り続けていた。



△▼△▼△▼△▼



 乙木霊園の出口近辺。

 織月かぐやは一人しずかに立ち止まっていた。

 雨が降っている。

 いつになったらやむのだろうか。

 

「……バカ太一。傘、忘れちゃったじゃない」


 空を見上げた。

 暗く沈んだ色をしていて、あとからあとから雨が降ってくる。

 彼女の頬に雨粒が落ちた。

 前髪で隠れて見えない少女の顔を、何かが伝って落ちた。

 それが雨なのか、涙なのか。

 

 ーーその答えは、雨だけが知っていた。

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