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フェアリー・リトライブ  作者: 天沢壱成
『桃太郎編』
10/15

『一章』.10 雨


 包丁がまな板の上で食材を切る音がした。

 

「……っ」


 桃浦太一は不自然に軽い体に違和感を覚えながらも目を開けた。

 知っている天井。

 嗅ぎ覚えのある味噌汁の匂いと、畳の匂い。

 ゆっくりと身を起こせば、自分の部屋で、自分の布団で寝ていた。


「……」


 何がどうなったんだと、太一は自分の額に手を添える。眠気がまだあるのか、それとも思い出したくないのか、記憶が曖昧だ。

 ゆっくりと一つ一つ、太一は記憶を遡る。

 〈桃源界〉に召喚され、鬼退治をしてほしいと頼まれ、猿の女の子と凶暴な月の女に出会って、強い鬼にボコボコにされて――、


「……ウラ」


 そうだ。

 赤髪の女の子で、〈謡い手〉と呼ばれている〈桃源界〉の管理者。

 あの、人当たりが良くて食いしん坊な女の子は、どうなった?


「……クソっ!」


「どこへ行くんじゃ」


 と、太一が布団から飛び出した瞬間、横から声がかかった。

 縁側と部屋を区切るふすまを開けて、緑和服を着た白髪頭の桃浦源太郎が立っていた。

 外は雨が降っていて、雲は鉛色にどんよりしている。


「……ジジィ」


「千歳がお前のために食事を作ってくれとる。支度を済ませたら居間に来い」


 素っ気なく、しかしそれが源太郎っぽい言い方で、太一は奥歯を噛んだ。

 食事なんて。

 そんな悠長で平和的なことをしている場合じゃないのに。どうしてこの世界に戻ってきたのかとか、ウラはどうなったのか。知りたいことも聞きたいことも山程ある。

 

 ……それなのに、なんで目の前にいるこの「クソジジィ」は、こんなに冷静なんだ?


「……まてよクソジジィ」


「話なら後にせい」


「待てよ……」


「……」


「待てって言ってんのが聞こえねぇのかクソジジィ‼︎」


 カッ! と。

 太一が源太郎の胸ぐらを掴むと同時に、雷が光って落ちた。落ちた場所は近く、腹に響く重低音が、鬼が叩く太鼓の音にも似ていた。

 縁側で、歴代の「桃太郎」同士が睨み合う。

 正確には、太一だけが、源太郎を睨んでいる。


「聞きたいことが山程あんだ。逃げてんじゃねぇ。一から十まで問答をしても足りないくらいだぞ」


「答えることなど何もない。全部お前が見てきた通りだ、太一」


「桃太郎のことも! 鬼童丸のことも! ウラのことだって! オレに伝えることは出来たはずだ! それをどうして、今の今まで隠してたんだ!」


 至近距離で、太一は源太郎に怒鳴った。八つ当たりのように思えるその行動を、太一は十分理解している。それでも叫ばずにはいられなかったのは、己の弱さを認めたくないからだろう。

 

 たとえ、〈桃源界〉に召喚される前に「桃太郎」のことを話されていたとしても、太一はおそらく信用しなかったろう。事実、彼は源太郎の言葉を全く信じていなかった。

 それは、今朝のやり取りを思い返せば分かること。

 

 だけど、そういうことじゃなくて。

 ただ、もっと純粋に。

 話してくれていれば、もっと違う準備の仕方があったかもしれないのだ。鬼童丸を倒せて、ウラやほのか、かぐやを守れる準備が。


「ジジィがもっと早く……」


 源太郎の胸ぐらから、太一はゆっくりと手を離した。

 服のシワを源太郎はそっと直し、それから俯く太一に声をかける。


「儂が何かを話したところで、お前は信じなかったろう。だからこそ、お前が向こうに送られる直前に少し話をしたんじゃ」


「……だとしても、だとしてもだ! こうなることが分かっていたら、もっと別の手段を選んでた!」


「自分の弱さを他者の責任にしている時点で、お前の未来は何も変わっていない。鬼童丸に敗れ、ウラに助けられ、友を傷つけられる。その、実に無力なお前の様は惨めなままで、何も成しえなんだ」


「……っ! だったら最初から、桃浦流が鬼と戦う方法だって教えてくれたらよかったじゃねぇか!」


 過去のことに対して今更なにかを言っても意味なんてない。そんなことしたところで、鬼童丸に負けた事実もウラに助けられたことも、ほのかとかぐやを守れなかったことも、なかったことにはならない。

 ならばなぜ、こんな堂々巡りな考えをしているのか。

 その答えは簡単だ。


「……『後悔』をするくらいなら、強く在れ。それが「桃浦」の男たる証じゃ」


「そんな偉そうに講釈を垂れるんなら、オレより強いってことを証明してみろよ! 桃浦源太郎!」


 ブチっと下唇を噛んで、太一は源太郎に殴りかかった。とにかく怒りをぶつけないと気が済まなかったのだ。

 しかし、太一の打撃を源太郎は身軽な所作で難なく躱し、それどころかカウンターのように少年を縁側の床に叩き伏せた。

 背中を強く床に打って、太一は息を詰まらせた。


「が、は……っ!」


 数秒、肺に酸素が巡らない苦しい感覚に苛まれるが、何とか呼吸器官を正常な動作に戻すと、太一はゆっくり立ち上がった。

 眼前、源太郎が和服のシワを戻している。


「……なんだよその目は。同情か? 後世の桃太郎に対しての憐れみか? それとも孫に抱く罪悪感か? そんな目を向けられるほど、オレが悪いって言いたいのかよ」


「……弱くなったな、太一。自尊心を砕かれ、矜持を踏み躙られて。お前は人間としても男としても弱くなった。実に軟弱な男よ」


「……そんなわけあるかよ。オレは歴代で一番強い桃太郎なんだぞ! お前みたいな『失敗した桃太郎』なんかに負けるほど、弱いわけがねぇだろうが!」


 鬼に負けて、次代に託すしかなかったくせに。

 オレに頼ることしかできなかったくせに。

 ……ギリっと奥歯を噛んだ。血の味がした。

 唇の端から垂れる血を雑に拭って、太一は源太郎を正面から睨む。


「なんだよ……。なんなんだよ……。なんなんだよその目はァ!」

 

 怒鳴って、当たり散らして、それこそストレス発散のように、太一は再度、源太郎に殴りかかった。

 当然、彼のパンチが当たるわけもない。源太郎は軽く手を突き出して太一の一撃を受け止め、そのまま強烈な打撃を少年の頬にめり込ませた。

 鈍い音が、雨が降る曇り空によって暗くなった縁側に響く。

 太一は仰向けに倒れた。

 ピクリとも、動かない。


「今のお前に語ることなど何もない。気づいているのか? 太一。今のお前は……鬼のような面をしておる。そう、それこそ。まるで憎悪に取り憑かれた――悪鬼のようじゃ」


「……っ」


「出てゆけ。――桃浦太一。主を『破門』とする」


 何も言い返せなかった。

 言い返そうとする精神力も、言葉を出す口さえも動くことはなかった。

 ただ、雨を降らす曇天と、暗く曇った木目の天井だけを、桃浦太一の瞳は映していて。


 ――源太郎が去ってからも、太一はそこからしばらく動けなかった。



△▼△▼△▼△▼



 『破門』。

 その二文字は案外、太一の心に動揺を作り上げることはなかった。

 自分でも驚くほどに、冷静だった。

 源太郎に殴られた頬は腫れていて、ズキズキ痛む。けれど、その痛みを少年は煩わしいとは思わず、ゆっくり起き上がった。

 

 縁側。

 雨だけが近くにある、静かな場所。

 雨音と微かな風な音と、そこに紛れる仄かに香る食事の匂い。

 

 源太郎が言っていた。千歳が太一のためにご飯を作ってくれていると。もうずいぶんと、彼女のご飯を食べていないような気がする。

 太一はポケットにしまっているスマホを取り出した。時刻は昼の十三時半を回ったところ。つまり、〈桃源界〉に送られてからまだ半日くらいしか経っていない。

 どうやら、向こうとこちらの時間は繋がっているようだ。

 

 だけど、それでも〈桃源界〉での数時間が激動すぎて、千歳のご飯なんて何十年も食べていない感覚だ。

 お腹は、空いていないと言えば嘘になる。

 

 ……でも。


「……」


 太一はスマホをポケットにしまい、歩き出した。縁側を進み続ければ玄関に辿り着く。その前にはまず居間を通る必要があるわけだが。

 雨が瓦屋根を叩く音が響く。

 床を踏み締める度にギシギシと音がする。


「ふん、ふん、ふふん♪」


 鼻歌が聞こえた。

 居間の横を通ったら、キッチンが見える。千歳が機嫌良さそうに、鼻歌を口ずさみながらご飯を作っている。味噌汁の匂いと、焼き魚の匂い。食欲を唆られる、小さい時からずっと食べているご飯の香り。


 ……そういえば、今朝はジジィと喧嘩をして千歳ねえちゃんに怒られたっけな。


「……ごめん、千歳ねえちゃん」


 聞こえるはずもなく。

 まして、聴かせるはずもなく。

 

「……ん?」


 玄関の扉の開閉音だけが、千歳の耳には届いていた。



△▼△▼△▼△▼



 ドラマでよく見たシーンがある。

 ガラの悪い男が雨の中、傘も差さずに外を出歩くシーン。それをテレビで見る度に、笑ったものだ。

 傘も差さないで黄昏れるなんて、とんだナルシストだと。カッコつけてるだけだと。

 

「……これは確かに。差す気にもなれないな」


 自嘲気味に笑って、太一は傘も差さずに雨に濡れながら街中を歩いていた。 

 

 乙木市、一寸町。

 その、花が咲いているみたいに傘を差す行き交う人々に怪訝な目を向けられながらも、太一は行くアテもなくただ歩いている。

 

 濡れる髪の毛と服、冷える体。

 六月とはいえ、梅雨の時期は肌寒く、雨の中薄着でいれば風邪くらい引きそうだ。

 もちろんそんなものは関係なく、桃浦太一は雨で滴る薄桃色の髪の毛もそのままに、歩を進める。

 ひたすらに、歩く。行くアテはない。……が、止まる気もない。


 ……遠くへ。


 誰にも捕まらず、誰にも止められない。

 鬼なんていない、静かな場所へ。


「……」

 

 そうやって、ボーッと歩いた先に辿り着いたのは、とある墓地だった。

 乙木霊園。

 いくつもの墓地が淋しく並び、キレイに整地された地面と草花。雨が降る夕方の墓地はどこか少し、死者の魂がひっそりと身を潜める雰囲気があった。

 どうしてここに来たのか。

 考えてはいなかった。

 ただ、気づけば足は無意識に乙木霊園に向いていて。


「……」


 ――『桃浦家之墓』。

 ――『墓誌・桃浦美咲』。


「……母さん」


 ボソリと呟いた太一の目の前には。

 四年前にこの世を去った母の墓があった。

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