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告白

 再び画面が切り替わり、穏やかにほほえんだオスワルドが口を開く。


『エステファニアさま、ありがとうございました。――なお、エステファニアさまをお迎えさせていただいたことに伴い、我がルジェンダ王国、そしてウエルタ王国の二国は、聖女ディアナさまの亡命受け入れ先となることを望まないことも、ここにご報告させていただきます。ディアナさまが、ご夫君とともによき国にお迎えされることを、心より祈念しております』


 軽く胸元に手を当て、オスワルドは言った。


『それでは、聖女に関する大陸条約加盟国のみなさま。以上をもちまして、我が国からのご報告は終了とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました』


 そして、映像が消える。前もって大筋を聞かされていたとはいえ、こうして実際に公式発表という形で知らされると、何やら身の引き締まる思いがした。


(とりあえず、ニアがしばらくの間はこの国を拠点として聖女活動するってことがわかれば、学園のみんなも安心するよね。……ぃよしッ! ニアのお陰で確保してもらえた猶予期間は、あと半年! それまでに、もうちょい聖女パワーを使いこなせるようにがんばろー!)


 ぐっと気合いを入れ直した凪だったが、少し気になることがあったため、首を傾げてアイザックに問う。


「ニアの声明は、大体聞いていた通りでしたけど……。ザイン伯父さまとわたしたちの関係は、やっぱりまだ公表する時期じゃなかったってことなんでしょうか?」


 たしかオスワルドは、エステファニアのことを公表する際、同時にザインと自分たち兄妹の関係も公表することになる、と言っていたはずだ。

 そんな彼女の疑問に、アイザックは穏やかな口調で答えた。


「いや。タイミングとしては、一緒に公表してしまっても構わないところだったと思うよ。ただ、今のチャンネルは、聖女に関する公式発表以外では使用できない特別なものでね。このチャンネルに配信が入ると、情報検索魔導ネットワークに接続しているスクリーンは、今のように強制起動するようになっているのだよ」


 しかし、とアイザックが小さく苦笑する。


「エステファニアさまの事情に深く関わるものとはいえ、ザインどのときみたちの関係は、話すとかなり長くなってしまうだろう? 王室もその辺りを踏まえて、別の媒体で公表することにしたのではないかな」

「あ、そうなんですね。んー……。そっちもちょっと気になりますけど、先にエリアスとステラに会いに行ってもいいですか?」


 ザインと自分たちに関する事情ならば、すでにきちんと説明されていることだし、どんなふうに公表されたかは王都に帰ってからでも確認できる。

 そう考えた凪の希望に、アイザックは笑って頷いた。


「もちろんだよ。ちょうど私も、彼らの様子を見に行きたいと思っていたのだ。案内がてら、ご一緒しても構わないかな?」

「はい! もちろんです!」


 背の高いシークヴァルトと、ものすごく背の高いアイザックに挟まれて歩くと、自分が巨人の国に迷い込んだような錯覚を起こすのが、ちょっと楽しいのは黙っておくことにする。

 すべての治療を終えて以来、ステラは客間の一室で眠り続けているという。


「エリアスくんには、本人の希望で魔力封じの魔導具を付けさせてもらっているんだが……。ステラ嬢には、魔力の回復期であることを考慮して、一切そういった措置をしていないのでね。彼女が目を覚ましたとき、知らない環境でパニックを起こすことも充分考えられる。念のため、きみはシークヴァルトのそばから、極力離れないようにしておいてくれたまえ」

「は、はい。了解です」


 ステラはエリアスと同じく、戦闘タイプの『商品』として育てられた子どもだ。リオの記憶にある限りでも、かなり運動神経がよかったと思うし、この三年間で相当実戦経験を積んでいるはずである。


(ステラは、あの孤児院にいた女の子の中では、珍しくリオに優しくしてくれた子だったからなあ……。三歳年上のお姉さんってのもあっただろうけど、リオもすごく懐いてたんだよね)


 孤児院でともに過ごしていた頃のステラは、よくエリアスとどつきあいのケンカをしては、「ふはははは、これで65勝64敗110引き分け!」「ちーくしょー!」と煽り合っているような子どもだった。濃い褐色の艶やかな髪を、邪魔だからという理由でいつも少年のように短くしており、年下の子どもたちからは男女問わず慕われていた。リオも、そんな子どものひとりだ。

 自分の中にあるリオの記憶は、間違いなくステラを慕わしい存在だと言っている。けれど、凪にとっての彼女は、せいぜい顔見知りのお姉さんという感覚でしかない。どういう顔をして彼女に相対すればいいのか、正直迷う。

 複雑な気分で目的の部屋に着くと、開け放たれたままの扉の向こうで、すでにこちらの接近に気付いていたらしいエリアスが立ち上がった。

 少し憔悴した様子ではあるものの、顔色は悪くない。きっと、ここの美味しいご飯をきちんと食べさせてもらっているのだろう。彼の首に巻かれているチョーカーが、魔力封じの魔導具だろうか。

 凪は、にこりと笑って口を開いた。


「こんにちは、エリアス。ステラの様子はいかがですか?」

「ああ。体のほうはすっかりよくなっているし、魔力も順調に回復している。この屋敷の方々にも、とても親切にしてもらっているよ。何もかも全部、リオ――じゃない、ええと、ナギ? のお陰だ。本当に、ありがとう」

(あ、しまった)


 エリアスからの不自然な呼称確認に、シークヴァルトとアイザックが訝しげな表情を浮かべるのがわかった。特にシークヴァルトにとっては、二度目の違和感だろう。

 彼らとはじめて出会ったとき、アイザックの使った魔術で、凪の言葉にはすべて嘘がなかったことを証明されている。実際、凪にとっての『自分の名』は間違いなく『凪』なのだが、エリアスにとって幼い時間をともに過ごした少女の名は、あくまでも『リオ』だ。エリアスと再会したとき、今後はナギと呼ぶようお願いしてあるとはいえ、この矛盾はシークヴァルトたちにとって気になるところかもしれない。

 頷きつつ、どうしたものかと思っていると、エリアスが軽く首を傾げて言った。


「さっき、スパーダ王国の聖女さまの公式声明が流れてたけど……。もしよかったらなんだが、あの聖女さまに、ステラを助けてくださったことのお礼を伝えてもらってもいいか?」

「あ、うん。わかった、伝えておく」


 何しろ、凪が気絶してしまったせいで、ステラの汚染痕ポリュシオン除去をエステファニアにお願いすることになってしまったのだ。今までうっかり忘れていたけれど、これは凪のほうからもお礼を言っておかなければならない案件である。

 そうして改めてベッドで眠るステラの様子を見てみると、たしかに顔色はさほど悪くないようだけれど、ぴっちぴちの健康的とも言い難い感じだ。今は体力、魔力ともに回復中とのことだし、あまり長居はしないほうがいいだろう。


「じゃあ、今日はステラの様子を見に来ただけだから、もう帰るけど……。エリアスは、大丈夫? どこか、調子悪いところとかはない?」

「いや、何も問題ない。――ナギの治癒魔術は、本当に凄いな。自分で言うのもなんだけど、あのときの俺はかなりボロボロだったろう? ステラの無事を確認できたら、一気に限界が来るかと思ってたんだが、お陰でこの通りピンピンしてるよ」


 少しぎこちないが、穏やかな笑みを浮かべて言うエリアスに、凪はへにょりと眉を下げる。


「元気になったのは何よりだけど、あまり無理はしないでね。ステラのことが心配なのはわかるけど、エリアスもちゃんと寝るんだよ?」

「ああ。わかって――」


 その瞬間、エリアスが獣のように鋭い動きで、ベッドに眠るステラを見た。つられてそちらに視線を移した凪は、少女の長い睫毛が微かに震え、それからゆっくりと持ち上がる様子に息を呑む。

 現れたのは、茫洋とした光を宿した褐色の瞳。

 もしや、近くでおしゃべりなどしてうるさくしたせいで、起こしてしまったのだろうか。少し慌ててしまったが、何度か瞬きをしたステラは、彼女に覆い被さるようにして見つめていたエリアスに気がつくと、へにゃりと笑った。


「なに……エリアス、ヘンな顔ぉ……」

「……っ、目ぇ覚まして、まず言うのがそれかよ! 気分は!? どっか、痛いとかないか!?」


 半分泣いているような声での問いかけに、ステラは僅かに身じろいだあと息を吐く。


「なんか、モゲモゲにだるいけど……手足の感覚は、ある。痛みは、ない。あと少し休んだら、問題なく動けると思う……」

「そっか……よかった……っ」


 感極まったらしいエリアスが、ステラをぎゅっと抱きしめる。

 なかなか感動的な光景だったが、そこでステラと凪の視線がぶつかった。

 ひゅっと、彼女の喉が鳴る。

 まるで信じがたいものを見たかのように、ゆるゆると瞬きを繰り返したステラが、一拍置いてひっくり返った声を上げた。


「リオぉおおおー!? え、何、ちょっとエリアス! なんでリオが……って、ここどこ!? あのお兄さんたちは誰!? 『お父さん』と『お母さん』は!?」


 べしべしべしべし、とエリアスの背中を叩きまくりながら喚いた彼女に、腕を緩めたエリアスが言う。


「……ここは、ルジェンダ王国。『父さん』と『母さん』は、あのスタンピードで死んだ。あの方々は、俺たちを保護してくださった、ルジェンダ王国魔導騎士団団長のアイザックさまと、シークヴァルトさま」

「へ? ルジェンダ王国? いや、それはとりあえずどうでもよくて! リオー! うわあぁん、あんた絶対死んでると思ってたようぅー! 嘘やだ、なんかめちゃくちゃ可愛くなってるし! ちょっとこっち来てー! エリアス、あんた邪魔!」

(あ、ヒドい)


 命がけでステラを助けたエリアスに対し、なんとも雑な扱いである。しかし、凪が何か言うより先に、ステラの肩をぐっと押さえたエリアスが叫んだ。


「やめろ、ステラ! リオは、ルジェンダ王国の聖女だ!」

「………………は?」


 動揺したらしいエリアスの凪に対する呼称が、リオに戻ってしまった。大きく目を見開いて固まったステラに、凪は少し迷ってから声を掛ける。


「こんにちは、ステラ。お久しぶりです。ただ、今のわたしはナギ・シェリンガムですので、これからはナギと呼んでくださると嬉しいです」

「ナギ……?」


 ひどく困惑した様子のステラが、ややあって掠れた声で問うてくる。


「えっと……。ナギって、まさか……リオが子どもの頃、ときどき出てきてた……二重人格の?」

(へ?)


 その問いかけに、凪は思わず目を瞠った。そして、ぽんと手を叩く。


「ああ、そうか。ノルダールの孤児院では、小さい子のお世話は年長の女の子がしていましたもんね。よく覚えていないんですが、ひょっとしてリオがお昼寝か何かしていたときに、わたしが『目を覚まして』いたことがあった感じですか?」


 凪とリオの『入れ替わり』は、物心つく前から起こっていた。ならば、本人たちは幼すぎて記憶になくとも、そのそば近くにいた年長者が覚えていても不思議はない。

 ステラが、ぎこちない仕草で頷く。


「え……ああ、うん。リオが五歳になるくらいまでは、わりと頻繁に……自分は『ナギ』だって言って、普段とは全然違う感じで……」

「あ、そうだったんですね。それは、お世話をおかけしました」


 五歳以前の自分がどんなイキモノであったかなど、まったく覚えていない。けれど、幼児というのは基本的に、永久機関とも思えるエネルギーの塊だ。その世話をするのは、さぞ大変だったことだろう。

 そう考えたところで、凪はそっと息を吐いた。


(……うん。いつかは、話さなきゃならないことだし。いい機会だから、話しちゃおうか)


 自分が本当は、違う世界で生まれ育った子どもなのだということは、一生誰にも語るつもりはない。

 けれど、かつて『リオ』という名の少女がこの世界で生きていたことと、その最期だけは、知っていて欲しいと思った。自分が心から信頼している人々と、そして――リオの死を悼んでくれるかもしれない人々に。

 凪は、通信魔導具にもなっているピアスに触れて口を開いた。


「――兄さん? 今、レディントン・コートにいるんだけど、ちょっといいかな。……うん。そっちの状況が問題なさそうならでいいんだけど、少しの間だけこっちに来られる?」


 マクファーレン公爵家の立て直しのため、忙しく各地を飛び回っている兄を突然呼びつけることに、躊躇わなかったわけではない。それでも、リオのことを語るときに、ライニールがいないのはダメだと思った。

 彼は今、世界中の誰よりも凪を愛してくれている人だから。

 そして本来なら、彼がそんなふうに愛していたのは、この世界で生まれ育ったリオだったはずなのだから。


「やあ、ナギ。どうしたんだい? 今日確認された聖女さま方のことで、何かあったかな?」


 そうしてすぐにやってきてくれたライニールが、当然のようにほほえみかけてくれるのに、なぜだか泣きたい気分になってしまう。


「……ううん。ちょっと、兄さんにも……どうしても、聞いてほしいことがあって」

「聞いてほしいこと?」


 いつだって優しい『兄』に、ぎゅっと抱きつく。ライニールが少し戸惑う気配があったけれど、すぐに柔らかく背中を撫でてくれるのが嬉しい。

 深呼吸をして顔を上げた凪は、シークヴァルトとアイザック、それからエリアスとステラを順に見つめて口を開いた。


「……エリアス。ステラ。ごめんなさい。今のわたしは、あなたたちと一緒に育ったリオじゃない。誰よりも優しくてお人好しで、あなたたちが愛したあの子は、もういない。――この国の聖女を騙ったユリアーネ・フロックハートと、彼女の魔導士に殺されたから」


 エリアスとステラの目が、大きく見開かれる。


「リオが殺された森の中で、わたしは目覚めた。本当なら、わたしがこの体の持ち主になることなんて、ないはずだった。わたしは死ぬまで、リオの夢の中の住人で終わるはずだったのに――」


 ぎゅっと、震えそうになる唇を噛む。


「……リオを殺したやつらを、わたしは絶対に許さない。あの子はただ、この国の聖女であったというだけで殺された。暗い森の奥で、たったひとりで、使い捨ての道具みたいに。本当に、あと少しだけ生きていられたら、ずっとリオを探してくれていた兄さんにだって、会えていたはずなのに!」

「ナギ……!」


 ライニールに、きつく抱きしめられる。目の奥が熱くて、涙が溢れた。


「……兄さん。わたし、兄さんが会えるはずだった、リオじゃないの」

「ナギ……」


 こんなに掠れたライニールの声を、はじめて聞いた。


「最初は、夢かと思ってた。物心ついてから、わたしがこんなふうにリオの体を、自由に動かせたことなんてなかったから」


 ライニールの大きな手が頭に触れ、引き寄せられる。


「兄さん」

「……なんだい? ナギ」


 先ほどから、何度もたしかめるように名を呼んでくれる兄が、心の底から愛しいと思う。


「少しだけで、いいの。いつか、リオのために……あの日殺された、兄さんのもうひとりの妹のために。少しだけでいいから、泣いてくれる……?」


 今は、無理でも。

 一度も言葉を交わしたことのない『妹』のために、今は涙を流すことが叶わなくても。

 それでも、いつか――。


「……ああ」


 ライニールの腕が、強くなる。


「リオという子は、おれが守れなかった、もうひとりのきみなんだろう。……ナギ。きみの中に、本当に彼女はもういないのかい?」

「……うん」


 聖女の力と名に相応しい、限りない優しさと純粋さを持って生まれた少女は、この世界のどこにももういない。

 そうか、と頷いたライニールが、そっと息を吐く。


「話してくれて、ありがとう。ナギ。――きみが、ほかの聖女さまたちのように魂魄魔力を失っていないことを、ずっと不思議に思っていたけれど……。それは、聖女であるリオの体で、魔力を持つきみの魂が目覚めたからだったのかな」

「うん。リオが使えたのは、聖女の力だけだったから……」


 だからあの日、リオはあの男に殺されてしまった。

 もし彼女が聖女になどなることなく、生まれ持った魔力を失うことがなければ、あんなふうに無為に殺されてしまうことなどなかったはずなのに。


「あの女に、リオはいっぱい、ひどいことをされたの。毎日殴られて、血を吐くまで歌わされて……。疲れ切って気絶しても、治癒魔術で無理矢理起こされて、また歌わされて」


 ――思い出す。

 ずっと、無意識に蓋をしていた記憶が溢れる。気持ちが悪い。体が震えて、指先が冷たくなっていく。


「やっと、録音した『聖歌』を再生できる魔導具が、ひとつだけできて……それで、あの女が聖女になって。でも、一度長時間使ったらもうダメで、それからどれだけ歌っても、全然上手くいかなくて……っ」

「ナギ……!」


 ライニールに息が詰まるほどの強さで抱きしめられて、目を閉じる。けれど、自分を抱きしめる兄の体もまた、震えていた。


「兄さん、わたし……。あの女が目の前にいたら、何をするかわからない」

「……ああ」


 低く掠れた声が、耳に触れる。


「……怖いの」


 憎い、のに。本当に心の底から憎くて、殺してやりたいと思うのに。

 なのに、どうしても心が竦む。想像するだけで、心臓が凍りつきそうになるほどに――。


「わたし……人を殺すのが、怖い」

「……そうか」


 ぶん殴ってやる、だとか。ぶっ飛ばしてやる、だとか。

 自分自身のことを何も知らないままだったなら、簡単に口にすることができた。

 けれど、そんなことはもうできない。

 自分の手は、その気になれば大型魔獣の外殻さえ、まるで薄氷のように容易く砕くことができる。理性を失った自分が、魔獣以上の化け物になるのだと知った今、もしこの手が害意を持って人間に向けられたらと思うと、本当に怖くてたまらなかった。

 ライニールの手が頭に触れて、引き寄せられる。


「それでいいんだ、ナギ。……きみは、そのままでいい」


 優しい声。優しい手。


「きみの手は、人を癒すための手だ。誰よりも多くの人々を、救える手だ。その手を……あんな女の血で、汚したりしないでくれ」


 お願いだ、と希うライニールの背中に、力の限りしがみつく。


「ふ……ぅ……っ」

「大丈夫だよ、ナギ。こんなふうにきみを泣かせた連中を、おれたちは決して許さない。だから――ああ、うん。シークヴァルト、気持ちはものすごくよくわかるが、少し落ち着け。それ以上盛大に魔力を乱したら、王宮から制御不能の第一級警戒対象認定された挙げ句に、ナギの護衛騎士資格を剥奪されるぞ」


 後半、妙に平坦な口調で語られた言葉に、凪は思わず顔を上げた。瞬くと、涙で歪んだ視界がクリアになる。

 ――彼らは、いったい何をしているのだろう。

 極小型で、ものすごく強力そうな半球状防御フィールドを何重にも展開しているアイザックと、そのフィールドの中で腕組みをして立っているシークヴァルトの姿に、困惑する。

 いったい何事、と首を傾げていると、額に汗を滲ませたアイザックが防御フィールドを解除し、深々とため息を吐く。


「……大バカ者が。この場には、魔力を封じられた青年と、病み上がりのお嬢さんがいるのだぞ」

「……ああ」


 ぼそりと呟いたシークヴァルトが、表情のない目でエリアスたちのほうを見る。


「すまなかった」


 短い謝罪を向けられたエリアスは、完全に血の気が引いた顔で、同じように真っ青になって固まっているステラを抱きしめていた。

 はく、と口を動かした彼が、掠れきった声で言う。


「勘弁……してくださいよ……。マジで、死ぬかと……」

「……信じ、らんない……」


 震える声で言ったステラの顔が、くしゃりと歪む。指先が真っ白になるほどエリアスの服を握りしめていた彼女が、叫んだ。


「リオが、ひどいことされて、殺されて……! ブチ切れていいのは、あの子の家族である、私たちのほうだろうが! なのに……っ、あの子のことを、なんにも知らないやつが! 邪魔してんじゃ、ねえぇええーっっ!!」


 凄絶な瞳でシークヴァルトを睨みつけ、癇癪を起こした子どものように泣きわめくステラは、凪が考えていたよりもずっと、リオを大切に思ってくれていたのだろうか。そんな彼女を抱きしめているエリアスのうつむいた顎先からも、透明な雫が滴り落ちている。

 彼らが心からリオの死を悼んでくれていることを、本人に伝えられないのが悲しい。


「……ありがとうございます、エリアス。ステラ。リオのために、泣いてくれて。あなたたちも辛いときなのに、こんなことを伝えてごめんなさい」


 せめてと思ってふたりに感謝と謝罪を伝えると、まだしゃくり上げているステラは涙の止まらない目で見つめてくるだけだったけれど、エリアスは袖口で目元を拭って口を開いた。


「ナギ。きみは……どれくらい、リオの記憶を持っているんだ?」


 突然の問いかけに戸惑ったけれど、隠すことでもないので素直に答える。


「ほとんど全部、だと思う。ただ、リオが酷い目にあってたときのことは……断片的にしか、思い出せていないけど」


 先ほど溢れ出した記憶は、リオが受けた苦痛のほんの一部なのだと思う。それ以上を思い出そうとすると、ひどく頭が痛んで思考が揺らぐ。

 そうか、と頷いたエリアスが、いまだ涙の残る瞳で見つめてくる。


「それはきっと、リオがきみに思い出すなと言っているんだと思う。思い出しても辛いばかりの記憶なんて、思い出さないほうがいい」


 一度迷うように視線を落とし、再び顔を上げたエリアスが言う。


「きみは……たしかに、リオではないんだろう。もしきみがリオだったなら、たとえライニールさまがきみと血の繋がった兄上なんだとしても、必ず家族である俺たちのほうを頼ったはずだ」

「……そうだね」


 リオにとって、エリアスとステラは赤ん坊の頃から十年以上もの長い時間を、家族として過ごしてきた相手だ。そんな相手が目の前に現れたなら、誰にどう制止されようとも泣いて抱き合い、再会を喜んでいただろう。

 それでも、とどこか寂しげな顔をしたエリアスが、静かな眼差しで見つめてくる。


「リオの姿をして、リオの記憶を持つというきみを、俺はどうしても家族だと思ってしまう。何よりきみは、ステラを助けてほしいという俺の願いを、躊躇うことなく叶えてくれた。――ナギ。あのときも言ったが、俺の命はきみのものだ。もし今後、きみが人間を殺すことがあったなら、俺は魔力を体内でオーバーロードさせて、自壊することにする」

「………………はい?」


 咄嗟に相手の言葉を理解できず首を傾げた凪に、エリアスは淡々と続けて言った。


「きみは、人を殺したくないんだろう? でも、きみは理性を飛ばすと何をしでかすかわからないうえに、護衛騎士であるシークヴァルトさまの言葉さえ無視していたじゃないか。だからまあ、これから先殺してやりたいほど憎い相手がきみの目の前に現れたとしても、『コイツを殺したら死ぬやつがいるんだった』と思い出せれば、半殺し程度で済ませられるかもしれないなあ、と」

「………………ごめん、エリアス。ちょっと、意味がわかんない」

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― 新着の感想 ―
リオの受けた仕打ちが酷すぎて、凪のリオへの想いが辛くて苦しいです。書籍版のリオの学生生活が楽しそうなのが救いで…(涙)。リオにはこんな背景があったのですね…過去をふまえてまた1・2巻の書き下ろしを読み…
リオの受けた仕打ちがあまりにも酷すぎる! 偽聖女かたったヤツ等は、リオが受けた仕打ちをそのまんま返してからの、処罰になればよいと思う。 リオとナギ、ハッキリと打ち明けるのには確かにこれ以上にないタイ…
リオにとってはナギ一家が理想の家族だし、クズ親父と会うこと無くて逆に良かったよね。もう一人のお兄ちゃんにいっぱい甘やかしてもらってね。こっちのお兄ちゃんにはリオを推すしかない洗脳をナギが施してくれると…
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