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新たな聖女さま

「おはようございます、ナギ。今回のマクファーレン公爵家のこと、本当に驚きでしたわ。まさかご当主さまが爵位剥奪の上、夫人ともども離島での永蟄居を命じられるだなんて……」

「……あっ」


 その日、無事に遅刻することなく登校した凪は、教室に入るなり友人の知的美少女マリアンジェラにそう言われ、目を丸くした。

 なぜなら、自分の血縁上の父親が、この国の社交界から完全追放処分となった件について、今この瞬間までキレイさっぱり忘れていたのである。


(そそそそういえば、そんなこともあったね!? だってホラ、あのエロオヤジの件より、エリアスとステラを保護した件とか、ザイン伯父さまや、スパーダ王国の聖女さまとその護衛さんと知り合いになった件のほうが、ずっとインパクトが大きくてですね!?)


 咄嗟に間の抜けた声を零してしまった凪に、マリアンジェラが胡桃色の髪を揺らして首を傾げた。


「ナギ?」

「え、あ、はい。ごめんなさい、いろいろと考えることが多すぎて……」


 もにょもにょと言葉を濁しつつ目を逸らしていると、マッスル美少女のリディアが複雑な表情を浮かべて頷く。彼女の艶やかな赤い髪が、朝の光に映えて実に美しい。


「まあ、そりゃそうだよねえ。グレゴリーさまも、大変だ。マクファーレン公爵家ほどの家門が、そう長い間当主不在ってわけにもいかないだろうし。十五才の若さで公爵家の当主さまになるとか、めちゃくちゃストレス凄そうだよね」

「う……やっぱり、そうですよね? もちろん、兄が可能な限りフォローしてくれるとは思うのですけど、なんだか不安になってきました」


 昨日のマクファーレン公爵家に関する公式発表では、次期当主としてグレゴリーが内定していること、彼がその責務を十全に果たせるようになるまでは、ライニールが後見人としてその任に就くことが、国王の名で宣言されている。

 実際、ライニールは昨日からずっと、マクファーレン公爵家の屋敷に詰めっぱなしらしい。今朝、登校前に連絡を入れたときにはごく普通の声で挨拶をしてくれたけれど、きっと今頃は公爵家の立て直しのために忙しく働いているのだろう。

 こういった問題に関して、自分がまったく無力であることは自覚している。けれど、ライニールとグレゴリーがこんな状況に陥っているのは、凪が『グレゴリーと仲よくしたいです!』と、オスワルドにワガママを言ったせいでもあるのだ。

 そしてその当人であるグレゴリーは、今日は国王との謁見と今後についての話し合いのため、公休扱いで授業を休むことになっている。貴族教育をキッチリ受けている彼ならば、そんな恐ろしげなイベントもそつなくこなしてくるのかもしれないけれど、だからといってストレスを感じないということはないはずだ。


「わたしにも、お兄さまとグレゴリーのためにできることが、何かあればいいのですけど……」

「うーん。実務的な面では、ナギナギにできることは、まずなさそうー」


 しょんぼりと肩を落として言った途端、天才ロリ系美少女のブリジットに容赦なく現実を叩きつけられる。凪は思わず恨みがましい目で、今日はふわふわの黒髪を緩やかに編んでいるブリジットを見た。


「ブリジット。人間というのは、本当のことを言われると結構容易く傷つくんですよ?」

「だから、実務的じゃないことで、グレゴリーさまを励ましてあげればいいと思うのー」


 おお、と目を見開いた凪に、ブリジットは続けて言う。


「立派な大人のシェリンガム男爵さまには、勝手に頑張ってもらえばいいと思うー」

「手厳しい!」


 どうやらブリジットにとって、成人男性は励ます対象ではないようだ。

 しかし、現実的に考えてみても、公爵家やその領地を飛び回って働いているライニールよりも、同じ学園で過ごすグレゴリーのほうが、圧倒的に励ましやすいだろう。

 よし、と凪は頷いた。


「こういう場合、手作りのお菓子などが王道だとは思うのですけど。残念ながら、グレゴリーにはその一般論が通用しません」


 入学してからの付き合いで気付いたことだが、肥満体の母親を間近に見て育ったグレゴリーは、カロリーの取り過ぎについて少なからず忌避感を抱いているようだ。子どもらしく甘味を喜ぶ感覚はあるようだけれど、それとて実際に口にするのはほんの少しだけ。一人前を完食できれば上出来、彼の好物であるレモンのシフォンケーキでさえ、食べている途中で顔色を悪くして、最後まで食べきれずにいることもある。

 仮にここで、凪たちが心を込めて手作りのお菓子をプレゼントしたとしても、グレゴリーは喜んではくれるだろうけれど、きっと持て余してしまうに違いない。

 ですから、と凪は友人たちを見回した。ぐっと、拳を握りしめる。


「ここはひとつ、グレゴリーに素敵な笑いを提供する方向で何かできないかと!」

「………………は?」


 友人たちが揃って首を傾げるのに、凪は気合いを入れて先を続けた。


「笑う、というのは、ストレス解消に大変有効だと聞いたことがあります。かといって、脇腹をくすぐるというのも芸がありませんし……。わたしはよく存じませんけれど、王都の街には大道芸を披露する芸人さんなどもいらっしゃるのでしょう? そういったプロの方々の力をお借りして、グレゴリーを励ますのはいかがかと思いまして」


 人を笑わせる、というのは非常に高難度のミッションだ。素人が無駄な努力をするよりも、プロを頼ったほうが確実だろう。

 そう言うと、目を丸くしていたマリアンジェラが、うふふと上品にほほえんだ。


「まあ……ナギ。私はてっきり、グレゴリーさまにナギの細かすぎる物まねをご披露するつもりなのかと思ってしまいましたわ」


 うんうん、とリディアが笑い含みに口を開く。


「ホラ、『普通のクッキーだと思って食べたら、レモンピール入りのクッキーだったときのグレゴリーさま』とか、めちゃくちゃそっくりだったし!」

「……本人の物まねって、励ましとしては微妙じゃありません?」


 首を傾げた凪に、ブリジットが楽しげに言う。


「あれは、可愛かったー。ナギナギとグレゴリーさまって、顔は全然似てないのに、ああいうほわほわした顔してるとそっくりだよねー」

「そうですか? それは、ちょっと嬉しいです」


 凪とライニール、そしてグレゴリーは間違いなく同じ父親を持つきょうだいだというのに、その顔立ちはまったくと言っていいほど似ていない。ライニールは父親に、凪とグレゴリーはそれぞれの母親に似た結果かもしれないけれど、少しだけ寂しいような気がしていたのだ。


(……いや、グレゴリーが元公爵夫人に似ているのは、髪と目の色だけだけどね! グレゴリーのほうが、元公爵夫人の百万倍以上可愛いけどね!)


 元公爵夫人も、かつてはきっと美しい女性だったのだろう。しかし、残念ながら凪は彼女のまんまるな肥満体しか知らないため、若かりし頃の姿を想像するのは難しかった。

 そして、今のグレゴリーはとても可愛い。

 初対面のときの、躾のなっていない愛玩犬のような鬱陶しさが思い出せないくらい、穏やかで落ち着いた少年になった彼は、今や完全な癒し系である。

 マリアンジェラが、軽く指先で頬に触れながら、おっとりとした口調で言う。


「ねえ、ナギ。これからグレゴリーさまはとてもお忙しくなるのでしょうし、しばらくの間はあの方があまりご無理をなさらないよう、さりげなく休憩やお茶にお誘いしてはいかがかしら。街へ出るのは、もう少し落ち着かれてからのほうがいいと思いますわ」


 そのアドバイスに、凪はなるほど、と頷いた。


「あんまり疲れているときに街へ誘われても、逆に迷惑かもしれませんものね。ありがとうございます、マリアンジェラ。状況が落ち着くまでは、グレゴリーが無理をしていないかどうか、本人にバレないようにコッソリ観察していようと思います」


 キリッと宣言した凪に、リディアが笑う。


「そうだね。グレゴリーさまって、ちょっと自己管理が苦手っぽいし。自分が無理していることに、なかなか気づけないタイプな気がする」


 そこでブリジットが、鞄の中から真新しいノートを取り出した。可愛らしいデザインの表紙に、何やらさらさらと書いていく。


(――グレゴリーさまの観察日記・1。……1?)


 少女らしい、丸っこい字体で書かれた文字に、凪とマリアンジェラ、そしてリディアは無言でブリジットを見た。


「観察と、記録はセットなのー」


 当然のようにのほほんと言うブリジットは、これからいったい何冊の観察日記をつけるつもりなのだろうか。

 若干微妙な空気になったとき、始業を告げるベルが鳴った。慌ててそれぞれの席に着き、一時間目の授業に備える。


(えーっと、今日の一時間目はミルドレッド先生の魔導理論。二時間目が体育で、三時間目が言語学。四時間目は音楽。……うん、リオ。アナタが子どもの頃から頑張ってお勉強をしていてくれたお陰で、わたしは今大変ラクをさせてもらってます。ありがとう)


 まったくもってありがたいことに、凪は入学してからというもの、座学の授業で一切苦労をしたことがない。音楽の時間でさえ、どんな曲を聴こうとその作者名と作曲された当時の時代背景、作者がこめたメッセージまでがスルスルと出てくる。

 ただ不思議なことに、そういった知識は問題なく自分自身のものとして思い出せるのに、その過程――幼い頃からリオが受けていた教育の現場風景については、あまりはっきりとは思い出せない。

 厳しいカリキュラムをこなす日々だったことは、なんとなく覚えている。教育係だったシスターたちは、テストでいい結果を出せば大袈裟なほど喜んでくれたし、きちんと褒めてもくれた。それはリオにとって、たしかに嬉しいことでもあったはずなのに、そんな在りし日々を思い出そうとすると妙に空虚な気持ちになる。


(まあ……思い出さなくてもいいことは、思い出すなってことなのかな。リオが受けていた教育カリキュラムとか、普通にめちゃくちゃキツそうだし。……エリアスとステラ、ちゃんと元気になったかな)


 ふたりとも無事で生きているということについては、アイザックから聞いているから心配していない。けれど、体が無事だからといって、心までもそうであるとは限らないのだ。

 やはり、今日の授業が終わったらシークヴァルトに頼んで見舞いに行こう、と考えていると、相変わらずスタイル抜群のミルドレッドが現れた。彼女は教卓に資料を置くと、いつも通りにひとりひとりの顔をざっと見てから口を開く。


「おはよう、諸君。今日は授業の前に、先ほど王宮に入ったニュースを、最優先できみたちに告知することになってな。聖女さまに関する最新情報だ」


 教室内が、ざわりとどよめいた。


(おお? 随分、対応が早いですね?)


 たしかにエステファニアの魔導学園への短期留学については、王宮側も最優先で対応すると聞いていたが――。


「スパーダ王国、レングラー帝国に次ぐ第三の聖女が、大陸北西のトゥイマラ王国で発見された。これが、トゥイマラ王国から発信された公式声明だ」

(なんと!?)


 てっきり、『スパーダ王国の聖女さまが、近いうちに短期留学生としてやってくるから、仲よくしてね!』という話だとばかり思っていたのだ。まさかこのタイミングで、新たな聖女発見の報が飛びこんでくるとは、さすがに想定外だった。

 凪にとって、聖女というのはこの世界でたった四人しかいない自分の『同族』である。いまだ顔を見たこともない相手であっても、なんとなく親近感というか、仲間意識が湧いてしまう。

 いったいどんな聖女さまなんだろう、とわくわくしながらミルドレッドが教室の前面に展開した映像魔術を見つめた凪は、少しの間のあとそこに映し出された人物を見て首を傾げた。


(……あるぇ? 新たな聖女さまが発見されましたよー、っていうお知らせでも、聖女さまご本人が出てくるわけじゃないんだ? ていうか、めっちゃイケメンですね。目の保養!)


 かなり高精細な大画面に映し出されているのは、怜悧な印象の青年である。意思の強そうな眼差しと、清潔感のある口元が若々しい。年齢は、二十歳には届いていないだろう。戦いに従事する人間らしく、短く整えた髪は明るい栗色で、瞳は黒。

 トゥイマラの国旗を傍らに立つ彼は、かなりの長身に見えた。おそらく、ライニールと同じくらいだ。真っ直ぐに伸びた背中の後ろで手を組んでおり、軽く開いた脚が素晴らしく長い。ダークグリーンの騎士服に包まれた肩幅は広く、微動だにしない立ち姿が、この人物が年若いながらも厳しい訓練を受けてきたのであろうことを窺わせる。


(うぅむ……。これは、なかなかの素敵マッチョですな)


 凪の知る限り最も立派な筋肉の持ち主は、ルジェンダ王国の魔導騎士団団長であるアイザックだが、この人物もかなり筋トレに対するこだわりがあると見た。鍛え上げられた肩の厚みが尋常ではなく、かっちりとしたデザインの騎士服が、見事な逆三角形を描く体躯に素晴らしく似合っている。

 ちらりとマッスル信者であるソレイユのほうを見ると、案の定ウットリとした眼差しで画面の中の見事な筋肉――もとい、マッチョ系美青年を見つめていた。

 もしや彼は、トゥイマラ王国の王子さまか何かなのだろうか。凪は特に筋肉に萌える趣味はないけれど、栗毛に黒目はニッポンジンの魂を持つ身にはめちゃくちゃポイントが高いでござるぞ、と考えていたところで、映像の中の人物が口を開いた。


『みなさま、はじめまして。私は、ウィルヘルミナ・カルティアラ。このたび、トゥイマラ王国の聖女として認定された者です』

(………………へ?)


 そのとき、目と口をあんぐりと開いてしまったのは、決して凪だけではないだろう。

 逞しくも精悍な騎士にしか見えない人物の口から発せられる声は、凜とした響きのアルト。男性のような太さはないが、女性らしい甘さや柔らかさもない、よく通る涼やかな声だ。


『諸事情により、私は幼い頃からトゥイマラ王国の騎士となるべくして育ちました。そのため、聖歌の歌唱訓練は最低限しか受けておりません』


 一瞬、お仲間デスネ!? と思いかけた凪だったが、映像の中のウィルヘルミナは淡々と続ける。


『ですが、我が国におけるさまざまな検証実験の結果、私の後輩指導における叱咤激励であれば、聖歌とほぼ同等の効果を得られることがわかりました。歴代の聖女さま方とはまったく違った方法ではありますが、トゥイマラ王国の聖女はその務めを問題なく果たせることを、ここにご報告させていただきます』

(し……叱咤激励?)


 それはいったいどういうこっちゃ、と混乱している間に、トゥイマラ王国の聖女は踵を合わせ、ビシッと一分の隙もない敬礼をした。


『以上、ご清聴ありがとうございました。みなさまの人生に幸あらんことを』


 映像が消え、ひとつ息を吐いたミルドレッドが口を開く。


「――彼女はトゥイマラ王国の聖女、ウィルヘルミナ・カルティアラ伯爵令嬢。年齢は十八歳。武門である家督を継ぐ兄君の体が弱かったため、幼少期から騎士となるべく育てられていたそうだ。成長過程における魔力保有量の低下により、一般魔術は一切使用できないものの、現在在学中のトゥイマラの騎士養成学校における総合成績は、常にトップ。特に対人近接戦闘に関しては、入学の翌年から一度も首席を譲ったことがないらしい」


 しん、と静まり返った教室を見回したミルドレッドが、小さく笑う。


「座学に関しても非常に優秀で、騎士養成学校卒業後は、トゥイマラ王国近衛騎士団への入団を嘱望されていたとのことだ。なかなかに、異色の聖女さまだな」


 どこか楽しげに言うミルドレッドの声を聞きながら、凪はぷるぷると震えて机に突っ伏したくなるのを、必死に堪える。


(騎士養成学校で主席の強さで、近衛騎士団への入団が嘱望されるくらい優秀で賢くて、人前であんなふうにちゃんとお話しできる落ち着きと度胸もあって、その上ちゃんと聖女さまとしてのお仕事もできるとか……! なんですか、そのパーフェクト過ぎる聖女さま!? やめてください、そんな立派な方と並べられたら、聖歌もまともに歌えないわたしのへっぽこ具合が、めちゃくちゃ際立っちゃうじゃないですかあぁあああああー!!)


 優秀過ぎる『同族』の出現により、突如としてものすごく打ちのめされた気持ちになった凪は、なんだかしくしくと泣きたくなった。悲しい。

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[気になる点] 冒頭のセリフ、まさか、の後で読者に向けて詳しく説明してるけど、実際に口にしたら心配するふりして家の汚点を改めて突き付けるような、見下すようなセリフですよね… [一言] 通常の聖女が固定…
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