聖女、とは?
(そういえばソレイユさんが、わたしを身代わりにして捨てたかもしれない女の人が、聖女を騙ったとかなんとか言ってたような?)
「そして、凶暴化した魔獣の被害が各地から報告されはじめた頃、我が国の聖女として認定された女性がいた。それが、ユリアーネ・フロックハート侯爵令嬢。――ナギ嬢。その聖女を騙った令嬢を探していて、我々は森できみを発見したのだ」
ソレイユに聞いたときにも思ったが、なんだか意味がわからない。首を傾げた凪は、軽く挙手して口を開いた。
「……えぇと? お話しの途中に、すみません。聖女さまって、世のため人のために何か立派なことをしたから、神殿の総本山にその功績を認められて、そう呼ばれるんですよね?」
まったく詳しくはないのだが、凪の認識している『聖女』というのは、みな一神教の教義の中で、その名に相応しい存在であると世に認められた女性たちだ。たしか、ジャンヌ・ダルクやマザーテレサがそう呼ばれていたと思う。
さまざまな奇跡や社会貢献を為し、多くの人々を救った立派な女性が、聖女と呼ばれるのは納得できる。しかし、なんの実績もないというのに、ただ珍しい能力を持って生まれたというだけで『聖女』と呼ばれるのは、おかしな話しだ。
ならば、と凪は首を傾げる。
「その女性――ユリアーネさん? は、地脈の乱れをどうにかしたから、聖女と認められたのでしょう? だったら、騙るも何もないんじゃないですか?」
聖女と呼ばれるようになった以上、それは必ず何かしらの実績があってのことのはずだ。
そう言うと、アイザックは少しの間のあと眉間に拳を当てて俯いた。
「まったく、その通りだ。実際、どんな仕掛けを使ったものなのか、ユリアーネ・フロックハートはその歌で、地脈の乱れに影響され、濁ってひび割れた魔導鉱石を、見事に元通りにしてみせた。本人が逃亡してしまったため、そのからくりはいまだ不明だが……。現在、王立魔導研究所の魔導士たちが、全力で当時の記録を解析しているところだ」
「歌? ですか?」
ああ、とアイザックがうなずく。
「聖女のみが使える固有魔術、というものがあってね。その中でも、最も効果が高く広範囲に使用できるものが『聖歌』なのだ。私は実際に見たことはないのだが、聖女が歌えば、その周囲の自然魔力はすぐさま滞りなく調和しはじめ、凶暴化した魔獣すら理性を取り戻すことがあったという」
「あ、そうなんですか。だったら、ユリアーネさんが聖女さまの偽物でも、ほかの聖女さまに歌ってもらえば大丈夫ですね。音響系の魔導具に録音したものを、地脈の乱れが起きているところで流しまくれば、一発ですもん」
何やら大変な事態が起きているような雰囲気だったけれど、すでに解決策があるのならば、なんの問題もない。
不安になって損をした、と思っていると、なぜかアイザックがものすごくしょっぱいものを食べたような顔になっている。次いで、突然何かに気がついたかのように、大きく目を見開いた。
「アイザックさん? どうかしましたか?」
「いや……残念ながら、今の我が国に聖女と認められている女性は、存在しない――はず、なのだが」
強張った表情で言い澱むアイザックに、それまで黙っていたシークヴァルトが、低く鋭い声で言う。
「団長。ユリアーネ・フロックハートが本物の聖女を確保した上で、自分が聖女だと騙ったんだとしたら、いろいろと辻褄が合うんじゃねえのか。もちろん、『不世出の天才魔導士による聖歌の再現』という線も消えるわけじゃないが……。希望的観測を含めたとしても、可能性がゼロじゃない以上、その対処は検討するべきだ」
「……ああ。その通りだな」
うなずいたアイザックが、テーブルのほうに向けて命じる。
「ライニール。セイアッド。第二部隊と第三部隊に伝達を。対象を発見した場合、必ず生きた状態で確保せよ、と」
「了解」
「申し訳ない、ナギ嬢。少しの間、失礼する」
こちらを伺っていたらしいふたりが即座に応じ、アイザックもまた通信魔導具を使ってどこかに連絡を取りはじめる。凪は、内心で力いっぱい絶叫した。
(今まで、普通にデッドオアアライブだったんデスカー!? 怖いよ! 最初にこのヒトたちに会ったとき、即ずんばらりされなくて、本ッ当によかったあぁあああーっっ!!)
内心ガクブル状態で青ざめた彼女に、ひとつ息を吐いたシークヴァルトが言う。
「ナギ。聖女ってのは、そう簡単に生まれるものじゃない。実際、今の時点で聖女を確保しているのは、中央のレングラー帝国と、南のスパーダ王国の二国だけ。地脈の乱れは、大体三十年から五十年周期で発生するが、そのたび現れる聖女は、大陸全体で平均して五人か六人。少なければふたり。記録に残っている最大人数でも、七人だけだ」
「そうなんですか?」
それは、思っていたよりもずっと少ない。音響系の魔導具への『聖歌』の録音も、たった数人で担うとなると、なんだかものすごく大変そうだ。
シークヴァルトが、顔をしかめてため息をつく。
「あの女――ユリアーネ・フロックハートが、乱れた自然魔力を調えて見せたのは、聖女認定の儀のときのたった一度きりだった。おまえは、聖女の歌を音響系の魔導具に録音すればいいと言ったが、『聖歌』は聖女の膨大な力がのった歌声を、フルパワーで長時間放出し続けているようなものなんだ。それだけの出力に耐えられる魔導結晶なんざ、いくら侯爵家でもそうそう用意できるもんじゃない」
魔導具が発動できる力の大きさは、基本的に内蔵する魔導結晶の大きさに比例する。
また、一般的に流通している生活魔導具には、国の定めた製造管理基準により、必ず安全回路が組みこまれているのだ。そのため、魔導具に使用されている魔導結晶から、規定量以上の魔力が放出されることはない、とされている。
だが、どんなに安全を謳っている道具でも、百パーセントということはありえない。魔力の過剰放出で魔導具が壊れたり、魔導結晶が融解したりという事故は、凪も何度か耳にしたことがあった。
「だから、普通は聖女の歌を魔導具に録音しようなんて考えない。そもそも技術的に高難度過ぎて、試してみる気にもならないものなんだ」
(ハイ。無知なガキんちょが生意気を言って、本当にスミマセンでござる)
己の浅はかさにしょんぼりした凪に、シークヴァルトが続けて言う。
「だがもし、あの女が本物の聖女を秘密裏に確保して、その力を利用していたなら――それは、国家反逆にも相当する大罪だ。国を、いやこの大陸そのものを救える唯一の力を、己の私欲のために秘匿していたんだからな」
「……そう、なんですか」
基本的に平和で落ち着いた国で生まれ育った凪にとっては、いまいち理解しがたい感覚だ。けれど、聖女というのがこの世界でものすごく重要な存在であることだけは、ひしひしと伝わってくる。森にポイ捨てされていた自分とは、なんという違いであろうか。
シークヴァルトが、ひょいと肩を竦める。
「まあ、聖女を騙った時点で、王族への虚偽申告を筆頭に、数え切れないほどの重罪のオンパレードだったんだ。どう足掻いても、死罪は免れないだろう」
先ほどまでのデッドオアアライブ状態も、それなりの理由があってのことだったようだ。つくづく、彼ら魔導騎士団との出会い頭に、切り捨て御免をされなくてよかった。凪は密かに胸をなで下ろす。
同時に、少し不思議に思う。
「ユリアーネさんが聖女を騙ったっていうのは、どうしてわかったんでしょう?」
王宮の考え方というのはわからないけれど、神殿のものの考え方ならば、少しはわかる。彼らはとにかく、非常に格式やメンツというものを重んじるのだ。一度正式に聖女と認めたのならば、よほどの証拠がなければ、彼らはその決定を覆すことはしないはずである。
「あの女は聖女認定の儀をクリアしたあと、八度現場に出たんだが、いずれも地脈の乱れの解消に失敗している。そのたび、調子が悪いだなんだと言い訳していたが、さすがにおかしいという話しになってな」
うわあ、と凪は顔を目を丸くする。
「周りのみなさん、八回もユリアーネさんの失敗にお付き合いしたんですか?」
仏の顔も三度までだというのに、ちょっと心が広すぎるのではあるまいか。