ツッコミ不在のアースドラゴン
大変お久しぶりでございます……!
ようやく繁忙期が終わったかと思ったら、現在某感染症の濃厚接触者なうでございます(´・ω・`)。
わたし自身自身はなんの自覚症状もないのですが、隔離されている家族のお世話ですとか、他人様にうつしてしまうのが怖くて買い物にいけない不便さとか、ちょっと大変。宅配サービス、ありがたやー。
みなさまも、くれぐれもお気を付けくださいませ。
凪の目が覚めたとき、至近距離にシークヴァルトの美麗なご尊顔があったことについては、まあわかる。恋する乙女の心臓が盛大にきゅんきゅんときめいたものの、幸か不幸か凪はだいぶこういったシチュエーションにも慣れているのだ。特に挙動不審となることもなく、なんだか上手く力の入らない体を、シークヴァルトにお姫さま抱っこされている事実も受け入れた。
だがしかし、だ。
(ステラを助けにきただけなのに、そのステラはエリアスと一緒に先に帰っちゃってるし。いや、それは別に全然いいんだけど、いきなりレイラさんのお兄さんと対面する心の準備なんてできてなかったし、何よりスパーダ王国の聖女さままで来ているとかね!?)
大型魔獣を相手にブチ切れ状態で大暴れした影響なのか、体も頭も上手く働いていない感じがする。一応、自分の足で立ってはいるものの、少し気を抜くだけでへろへろと座りこんでしまいそうだ。
そんな情けない状態ではあるものの、スパーダ王国の聖女といえば、現在この大陸で唯一聖女としてまともに働いているお方である。後学のために、ぜひともお話を聞かせていただきたいところなのだが――。
「はあぁああん……。ここは、この世の楽園か……。妾、もう一生ここに住む……」
「どついたわけでもないのに、何をトボケたことをおっしゃっているのですか、エステファニアさま。一度、双眼鏡をお返しください」
イザークと呼ばれていた青年に、小脇に抱えられる形で運ばれてきながらも、断固として双眼鏡を離そうとしなかった少女――スパーダ王国の聖女エステファニアは、凪のふわっとした知識で言うなら『アラビアンナイトのお姫さま』であった。
腰まで真っ直ぐに伸びた艶やかな黒髪に、浅黒い肌。たっぷりと布地を使ったズボンは、彼女の細く引き締まったウエストを隠しておらず、上半身は体のラインにフィットするVネックの半袖シャツを着ているだけだ。ほどよい気温に調整されている防御フィールドの内側とはいえ、雪景色の中ではひどく寒そうに見えてしまう。
しかし、当の本人は至って平気であるようで、イザークに軽く頭を叩かれて双眼鏡を手放すと、そのくっきりと大きな目を丸くして口を開く。
「おい、イザーク。なんだか人が増えているな。何者だ?」
「エステファニアさま。こちらは、我がアシェラ傭兵団の団長です。そして――」
そこまで言って、困った顔で上官を見上げたイザークに、ザインは頷きエステファニアに一礼した。さすがは、元子爵家の当主さまである。その一挙手一投足が、実に優雅だ。
「お初にお目にかかります、スパーダ王国の聖女。私はアシェラ傭兵団の団長、ザイン・ラーズリーと申します。そして、こちらにいるライニールとナギの伯父でもあります。どうぞ、お見知りおきを」
「……む?」
きょとんと瞬きをしたエステファニアが、首を傾げてライニールと凪を順に見る。そして再びイザークに視線を戻した彼女は、困惑の滲む声で言う。
「イザーク。おまえのところの団長は、ルジェンダ王国の貴族だったのか?」
「いいえ、違います。団長は、どこの国の貴族でもありません」
イザークの否定に、エステファニアがますますわけがわからん、という顔になる。
柔らかな微笑を浮かべたザインが、ゆっくりとした口調で言う。
「私はたしかに、以前はルジェンダ王国の貴族籍に名を連ねる身でしたが、今は主を持たぬ平民として、レングラー帝国に居を構えております。スパーダ王国の聖女。あなたは我が団への入団をご希望とのことですが、その件について詳しいお話をするとなると、少々時間が必要になってしまいます。ひとまず、落ち着ける場所へ移動したいのですが、よろしいでしょうか?」
「………………えー」
エステファニアが、そわそわと周囲の魔獣たちに視線を向けながら、煮え切らない声を出す。そんな彼女に、イザークが冷ややかな視線を向けて口を開く。
「えー、じゃありませんよ、エステファニアさま。よろしいですか? 自分は先ほど、お父君からあなたの護衛を依頼をしたいというお話を受けて、スパーダの王宮へ向かったんです。それが、到着するなりあなたに捕まったかと思えば、国王陛下への突撃からの強引極まりない出奔劇に付き合わされたのですよ。それがどういうことか、おわかりですか?」
「お……おまえの働きには、いつも感謝しているぞ?」
何やらぎこちない笑みを浮かべたエステファニアに、イザークがますます冷えこんだ視線を向けた。
「エステファニアさま。こう申し上げてはなんですが、今の自分は契約外のタダ働き状態なのですよ」
「……おお!」
ぽむ、とエステファニアが両手を打ち合わせる。
「それは、すまなかったな。今日の日当については、父上のほうに請求してくれ」
「はい。そちらの手続きについては、後ほど改めてさせていただきます。ですが、あなたがアシェラ傭兵団に入団するとなれば、スパーダ王国との関係をはじめ、状況はかなり変わってくるでしょう。聖女であるあなたの安全を確保するためにも、正しい認識の共有及び正式な契約の締結は必須です」
イザークの威圧的ではないが反駁を許さぬ口調に、エステファニアがおとなしく了解の意を示して頷く。
どうやらこのイザークという青年は、スパーダ王国の聖女と随分親しい間柄らしい。イザークはエステファニアを護衛する傭兵だということだが、もしやかなり長い付き合いだったりするのだろうか。
このふたりとまだ挨拶をしていない凪は、軽くライニールの袖を引っ張った。すぐに振り返った兄が、にこりと笑いかけてくる。
「なんだい? ナギ」
「兄さん。わたしも、スパーダ王国の聖女さまと、イザークさんにご挨拶したいです」
何しろエステファニアは、聖女業の先輩なのだ。今後のお付き合いを円滑にするためにも、きちんとしたご挨拶は必須だと思われる。
ライニールは一瞬迷う素振りをしたあと、少し待てというように軽く手を上げてからザインを見た。
「ザイン伯父上。エステファニアさまの件については、我が国の上層部ともいろいろ協議したいことがございます。よろしければ、現在我々がルジェンダ王国の王都で拠点としている屋敷を、話し合いの場としてご用意させていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
その提案に、ザインが頷く。
「……そうだね。ルジェンダ王国の魔導騎士団が拠点としている屋敷であれば、セキュリティの面では問題ないのだろう。ありがたく、お邪魔させていただこう」
「はい。ご了承いただき、ありがとうございます。つきましては、エステファニアさま。ザイン伯父上。イザークどの。改めて、ご紹介させていただきます」
ライニールの腕が、軽く凪の肩を引き寄せる。
「我が妹にしてルジェンダ王国の聖女、ナギ・シェリンガムです。孤児院育ちのため『聖歌』を歌う訓練は受けておりませんが、聖呪及び直接接触により地脈の乱れを解消することが可能です」
「………………は?」
その瞬間、ザインとエステファニア、イザークの声が見事に揃った。仲よしさんっぽくて羨ましいぞ、と思いながら、凪はルジェンダ王国魔導騎士団方式の敬礼をする。
「ご紹介に与りました、ルジェンダ王国の聖女のナギです。先輩聖女のエステファニアさまにお会いできて、とても嬉しいです。えっと……」
ザインたちが、なんだか固まったままだ。たしかに、いきなり「我、聖女ナリヨ!」と主張したところで、いくらライニールの紹介であっても、信じてもらうのは難しいかもしれない。
少し悩んだ凪は、ふと防御フィールドの外で少しずつ移動を開始している魔獣たちの姿に気がついた。それぞれの住処に帰っていくところなのかもしれないが、みななんとなくこちらを気にしているような感じがする。
その様子を見た凪は、両手で口の前にメガホンを作るようにして、声を上げた。
「おーい! さっきのでっかい猫にゃんさーん! おうちに帰る前に、ちょっとこっちに来てくれないかなー?」
普通ならば声が届くはずもない距離だが、魔獣ならばイケるかもしれん、だって魔獣だもの、という凪の希望的観測は正しかったようだ。
直後、白銀の毛並みが一同の見上げる位置に現れる。シークヴァルトのフィールドが一瞬解かれたかと思うと、その美しい毛並みの主はふわりと凪の前に舞い降りた。
「ちょっとぉ、小娘聖女。いくら名付けを後回しにしたからって、このアタシを猫にゃん呼びするとはいい度胸じゃないの」
「え、トカゲさんのほうがよかった?」
今は虎サイズの雪豹に見えるこの魔獣は、ナギが肉体を破壊する前は巨大なトカゲの姿をしていたはずだ。だがそう言うと、魔獣はくわっと牙を剥いた。
「蜥蜴とは失礼ね! アタシはアースドラゴン! この姿はアンタの中にある、雪の中で一番キレイな生き物のイメージを模しただけよ!」
「あ、そうなんだ。器用だねえ。それにしても随分縮んじゃったけど、大丈夫なの?」
何しろ元々は、小山のようなサイズ感だった魔獣である。今更、質量保存の法則を云々するつもりはないけれど、それにしても随分なビフォーアフターだ。
(アースドラゴン……土竜? そっかあ、あのときはでっかいトカゲさんに見えてたけど、ホントはモグラの魔獣だったんだ)
ツッコミ不在の中、凪がそんなことを考えている間に、優美な雪豹の姿をしている魔獣はふんす、と鼻を鳴らした。
「別に、縮んでいるわけじゃないわよ。他の種族に姿を変えるくらい、別に大変なことじゃないわ。元の姿にだって、いつでも戻れるけれど……。そうしたら体が大きくなりすぎて、アナタと話すのが難しくなっちゃうじゃない」
つまり、この魔獣が今の姿を維持しているのは、凪との対話を容易にするためだということでいいのだろうか。なんというツンデレ。
思わずにへらと笑み崩れつつ、凪はこちらを凝視している三名にオネエな魔獣を紹介することにした。
「こちら、先ほどわたしがぶん殴って暴走状態から正気に戻した、大型魔獣さんです。わたしの魔力を食べて、仲間の魔獣たちをみんなまとめて助けてくれたんですよ」
「アラ、そっちにも聖女がいたのね。同じ場所に聖女がふたりも揃うなんて、珍しいこと」
魔獣は、人間と違って嘘を吐かない。その言葉ならば、間違いなく信じてもらえるだろうと思ったのだが――なぜだろう。ザインとイザークが、揃って盛大に顔を引きつらせている。
何かマズイことでもあっただろうか、と不安になっていると、それまで黙っていたエステファニアが両手で頬を押さえて絶叫した。
「はあぁあああああんっ!!」
「エステファニアさま、失礼します」
イザークが、慌てず騒がずエステファニアの顔に右手を当てる。その途端、ぐにゃりと力を失った彼女の体を、イザークは当然のように受け止めた。その様子に驚いた凪は、いまだエステファニアの顔の下半分を手で覆っている彼に、恐る恐る声を掛ける。
「あの……イザークさん? 一体、何を……」
凪の目には、イザークが薬か何かを使ってエステファニアを気絶させたようにしか見えなかったのだが、彼は一呼吸置いて淡々と応じた。
「見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。ルジェンダ王国の聖女。エステファニアさまは、少々興奮しすぎたようでございまして……。特にご病気というわけではございませんので、どうぞお気遣いなく」
「興奮」
思わず復唱した凪は、改めてぐったりとしたエステファニアを見つめ――そして、イザークの手が塞いでいるのは、彼女の鼻だけだということに気付いた。よく見れば、彼の手とエステファニアの鼻の間には、白いハンカチが挟まっている。……その白が、じわじわと赤く染まっていく。
(……わあ)
事態を察した凪が再びイザークに視線を向けると、彼はものすごくしょっぱいものを食べたような顔をして言った。
「まあ……鼻血を出されるほど興奮されたのは、大変久しぶりではございますが。アースドラゴンという稀少な大型魔獣を、これほどの近距離で拝見するなど、エステファニアさまにとっては夢のような出来事でございますので……。その、ご容赦いただければ幸いです」
「お……お大事に、なさってください」