類は友を呼ぶのかもしれません
低く、冷たい声だった。
そこから伝わるのは、凍りつくような明確な殺意。無理もない。十六年前、ザインはマクファーレン公爵家の暴虐によって、すべてを奪われてしまったのだから。
ザイン伯父上、と呟いたきり、ライニールが言葉を失う。重たい沈黙が続く中、ナギが軽くシークヴァルトの服を引っ張った。
「ナギ?」
「たぶん立てるから、下ろして?」
たぶんか、と思いながらも慎重にナギの体を下ろすと、一瞬ふらついたもののどうにか無事に立てたようだ。ひとつ深呼吸をした彼女は、少し迷うようにしてから口を開いた。
「はじめまして。わたし、ナギといいます。えぇと……ザイン伯父さま?」
その呼びかけに、ザインがぱっと顔を上げる。そこに浮かんでいたのは、小さな驚き。
「声……が……」
「はい?」
首を傾げたナギに、ザインが泣き笑いのような表情を浮かべて言う。
「……いや。きみの声が、あまりにも妹に――幼かった頃のレイラの声に、よく似ていたものだから」
「あ、そうなんですか。自分ではよくわからないんですけど、ひょっとしてわたしの顔って、レイラさん譲りだったりするんでしょうか?」
自分の顔を指さしながら問うナギに、ザインはそうだね、と頷いた。
「とても、よく似ているよ。……本当に、よく似ている」
目を細めてそう言う彼は、在りし日の妹の面影をナギの上に見ているのだろうか。シークヴァルトは、ナギを保護した際に確認した資料で見たレイラの姿を思い浮かべ、内心少しばかり首を捻る。
(まあ……うん。顔立ちは、たしかに似ているよな。ナギがこのまますくすく大人になったら、きっとああいった女神レベルの超絶美女になるんだろうけど。なんというかこう、レイラさまの雰囲気がおっとりふんわりの儚げ癒し系というか、そのまま宗教画になってもおかしくない清らかさというか……。いや、ナギも黙って座ってさえいれば、ああいう雰囲気になる……のか?)
つい先ほどの、無表情のまま素手で大型魔獣をぶん殴って、全身血塗れになっていたナギの姿を思い出し、シークヴァルトの頭は若干混乱してしまった。あのときの彼女は、かつて北の海で『氷の悪魔』と呼ばれたライニールの戦闘モードと、大変相通ずるものがあったのだ。この辺りはさすが兄妹、というべきなのかもしれない。
そんな彼の戸惑いなど知る由もないナギは、あっさりとザインに問いかける。
「そうなんですね。……えっと、失礼な質問だったら申し訳ないんですけど。ザイン伯父さまは、殺してやりたいほど憎んでるマクファーレン公爵の子どもが、レイラさんと似たような顔をしているのって、いやだったりしないですか?」
失礼ではないかもしれないが、ものすごく直球すぎる質問に、ザインが顔を引きつらせた。その斜め後ろに控えているイザークなど、『うわぁ……』とドン引きした様子でナギを見ている。
しかし、どうやらナギの懸念は、大変的外れなものだったようだ。瞬時に我に返ったらしいザインが、ひどく狼狽して否定してくる。
「いやだなんて、思うわけがないよ! きみがこうして無事に生きていてくれて、私がどれほど嬉しかったか……!」
「はい。わたしも、ザイン伯父さまがこうして元気に生きていてくださって、とても嬉しいです」
ザインが、固まった。ふわりと笑って、ナギが言う。
「ザイン伯父さまが十六年前、レイラさんの――お母さんのために、とても頑張ってくださったことは、聞いています。いつかお会いできることがあれば、お礼を言いたいと思っていました。ありがとうございます」
それから、とナギは困ったように首を傾げた。
「できることなら、ザイン伯父さまには心ゆくまでマクファーレン公爵をぶん殴っていただきたいところなんですが……。その、少し手遅れだったみたいで……」
ナギの視線を受けたライニールが、一瞬ひどく複雑な表情を浮かべてから、改めてザインに向き直る。
「申し訳ありません、伯父上。公式発表は今日の午後になるかと思いますが、本日零時をもって、マクファーレン公爵オーブリーは国王陛下の勅命により、その地位を剥奪されました。彼は現在、公爵領の小さな島にて、公爵夫人その他腹心の者たちとともに、永蟄居の身となっております」
「………………は?」
掠れた声を漏らしたザインに、ライニールは申し訳なさそうな口調で言う。
「またその島は、すでにアンチマジックフィールドで完全封鎖してしまっておりまして……。国王陛下の許可がなければ、外部からの侵入は一切不可能となっているのです。もちろん、伯父上のご要望とあれば、私のほうから国王陛下に許可をいただいて参ります」
ただ、とライニールはひどく言いにくそうにして続けた。
「オーブリーどのは、先ほど王妃殿下のお手により、その右腕を切り落とされました。彼の島に治癒魔導士は同行しておりませんので、しばらくは寝たきりの生活になるかと」
その言葉に、ナギが驚いた顔をして振り返る。しかし、今はよけいな口出しをする場面ではないと判断したのか、黙って再びザインを見た。
驚愕に目を瞠っていた彼は、信じがたいという顔をしてライニールに問うてくる。
「なぜ……なんだい? ライニール。なぜ今になって、ルジェンダ王室はあの男を切り捨てた?」
「彼が、我が国にとって不要で有害な存在になったからです」
そう言って、ライニールは少し困った表情を浮かべてザインを見た。
「ザイン伯父上。あなたには、幼い頃に可愛がっていただいたご恩があります。肉親としての親しみも、愛情も――そして、私の父が、あなたにしてしまった非道についての罪悪感も。けれど、申し訳ありません。今の私には、それ以上に大切にしなければならないものがあるのです」
「……そうだろうね」
ひどく柔らかな視線でナギを見たザインが、苦笑する。そんな彼に、ライニールは言う。
「はい。ただ、ザイン伯父上。その上で私はあなたと、きちんとお話をしたいのです。ルジェンダ王室がマクファーレン公爵を切り捨てた理由についても、あなたには何ひとつ隠すことなくお伝えしたい。あなたには、すべてを知る権利がありますから」
聖女であるナギを守るために、ルジェンダ王室はマクファーレン公爵家を切り捨てた。
その事実を知る権利が、かつてレイラを――ナギの母親を、己のすべてを賭けて守ろうとしたザインにはある。
なるほど、とザインが腕組みをする。
「イザークには、聞かせないほうがいい話だということかな?」
どんな秘密であろうと、守るにはそれを知る者が少ないほどいいというのは、自明の理だ。しかし、ライニールは柔らかな口調で続けた。
「いえ。我々は今まで、スパーダ王国の聖女についての詳しい情報を、なんら得ることができておりませんでした。それだけ、アシェラ傭兵団の守秘義務が徹底しているということなのでしょう。伯父上のほうから他言無用を命じていただけるのでしたら、イザークどのにも聞いていただければありがたく思います」
そうライニールが言った途端、イザークがものすごく複雑そうな表情を浮かべる。彼の危機察知能力が、面倒ごとの気配を感じ取ったのかもしれない。そんなイザークをちらりと見てから、ザインはライニールに向けて小さく笑った。
「ライニール。きみが評価してくれた通り、我々の守秘義務に関する規則はとても厳しいものだ。私が命じなくとも、イザークがよけいなことを外部に漏らす心配はないよ」
ザインが、ひとつ息を吐いてからゆっくりと頷く。
「そうだね。私もきみと、話したいことがたくさんあるんだ。――だがその前に、まずはスパーダ王国の聖女さまの件かな。つい私情を優先してしまったが、イザーク。あちらの聖女さまは、いつになれば落ち着いてくださるのかな?」
「はい、団長。自分の経験上、ああいった状態になったエステファニアさまは、放ってけば何時間でもあのままです」
沈痛な面持ちでイザークが視線を向けた先には、それはそれは楽しそうに魔獣観察に勤しんでいる聖女がいる。
彼女が走り回って移動するたび、シークヴァルトは自分たちを覆っている防御フィールドの範囲を拡大していた。ほとんど無意識でその作業をしていたのだが、いつの間にか彼女は随分遠くへ行ってしまっていたようだ。おそらく、ザインの存在にもエステファニアは気付いていないだろう。
「エステファニアさまが聖女認定される前でしたら、自分が遠慮なく頭をどついて正気に戻していたのですが……」
「うん。今それをやったら、間違いなく国際問題になってしまうから、やめておこうね」
淡々と言い合うふたりの会話を聞いたナギが、はじめてエステファニアの存在に気付いたらしく、ひどく驚いた声を上げてシークヴァルトを振り返る。
「え? あっちにいる南の国のお姫さまっぽい女の子、スパーダ王国の聖女さまなの?」
「ああ。スパーダ王国の王兄殿下のご息女、エステファニア・ナダルさまだ。で、イザークどのが、彼女の専属護衛。見ての通り、あちらの聖女さまは重度の魔獣オタクだそうだぞ」
魔獣オタク、と呟いたナギが、双眼鏡を構えて魔獣を観察しているエステファニアを見た。いったい何が見えているのか、ときどき小さく飛び跳ねたり、『うっひょー!』と奇声を上げたりと、全力で満喫している様子である。
ややあって、ナギが困惑した表情を浮かべながらぼそりと言う。
「なんか、思ってたのと違う」
「だろうな」
そのとき一瞬、『あの聖女さまも、おまえには言われたくないと思うぞ』と考えてしまったのは、黙っておくことにしたシークヴァルトだった。