アシェラ傭兵団の団長さま
お久しぶりです、すみません!
座り仕事の方、座骨神経痛には気をつけましょうね!
こまめなストレッチ、大事ですよ!
ルジェンダ王国の聖女とその護衛騎士が、ほけほけと間の抜けた会話を交わしていると、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。ライニールだ。
「ナギ。気分はどうだい?」
その呼びかけに、ナギが視線を兄に移してほほえむ。
「兄さん。お仕事、終わったの? って、あれ? エリアスとステラは?」
「ああ。ふたりは無事だ。先に屋敷へ戻ったよ。おれの仕事も、すべて済んだ。……きみは少し、無茶をしてしまったみたいだね」
ライニールの声が、後半少し低くなる。それを聞いたナギの体が、強張った。何度かぱくぱくと口を動かしてから、しょんぼりと目を伏せる。まるで、悪戯がバレて飼い主に叱られた仔犬のようだ。
「勝手なことをしちゃって、ごめんなさい」
「ナギ。おれは、怒っているわけじゃない。きみが、昔馴染みの子どもたちを見捨てることができなかったのも、仕方のないことだと思っている」
ただ、とライニールが真っ直ぐにナギを見つめて言う。
「とても、心配した」
「……ごめんなさい」
ますますしょんぼりとしたナギに、ライニールが小さく息を吐く。
「うん。きみに無茶をされると、おれだけじゃない。おれの仲間たちもみな、胃に穴が空きそうになるほど心配するんだ。だから今後は、おれたちの胃壁を守るためにも、くれぐれもきみには気をつけてもらいたいな」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいー!」
自らや同輩たちの胃壁を盾にするとは、ライニールも心配のあまり少々頭が回らなくなっているようだ。普段の彼なら、もう少し洗練された脅迫――ではなく、嘆願をしたはずである。
まったく他人事ではないのだが、ライニールにとってのナギは、聖女である以前に大切な家族だ。そんな彼女が、自分の手の届かない場所で危険に晒されていたとあっては、冷静さを欠いてしまっても仕方があるまい。
(オレもあのとき、反応が少しでも遅れていたら、転移魔術を発動し損ねていたかもしれねえしなあ。……うん、もしそんなことになっていたら、今頃しっかり胃に穴が空いていた自信しかねえな!)
本当に、ナギにはぜひとも今後は理性をすっ飛ばすことなく、落ち着いた行動を心がけてもらいたいものである。
とはいえ、ナギは先ほどの大暴れのせいで、かなり体力を消耗したようだ。意識はだいぶはっきりしているものの、体にほとんど力が入っていない。スパーダ王国の聖女とアシェラ傭兵団の今後は気になるけれど、ここから先は彼らとルジェンダ王国上層部との話し合いになりそうだ。
この場はライニールに任せて、一足先に屋敷へ戻るかと考えていると、それまで硬い表情で通信魔導具を使っていたイザークが、何やら戸惑ったような表情を浮かべてこちらを見た。
「あの……ライニールさま。我がアシェラ傭兵団の団長からライニールさまに、急ぎお尋ねしたいことがある、とのことなのですが、よろしいでしょうか?」
「はい。なんでしょうか?」
すっと居住まいを正して振り返ったライニールに、イザークがどこか硬い声で問う。
「ライニールさまと、そちらの妹さまの魔力が共鳴したというのは、たしかに間違いのない事実なのでしょうか?」
あまりにも意外過ぎる問いかけだったのか、ライニールがわずかに首を傾げる。ナギもまた、不思議そうな表情を浮かべている。
ライニールは困惑した様子で一度ナギと視線を交わすと、落ち着いた声で問い返した。
「質問に質問で返す無礼は重々承知なのですが、イザークどの。アシェラ傭兵団の団長どのは、なぜそのようなことをお尋ねになるのでしょう?」
「え? あ……はい。了解です。――ライニールさま。団長が、あなた方と直接お話しになりたいそうです。シークヴァルトさま、申し訳ありませんが五秒ほど防御フィールドを解除していただけますか?」
少々想定外な展開ではあるが、アシェラ傭兵団の団長がこの場にやってくるというなら、拒否する理由はない。
シークヴァルトが防御フィールドを解除した瞬間、イザークのそばで魔力が揺らいだ。ついで姿を現したのは、ひとりの男性。背が高い。がっしりと隙無く鍛え上げられた体つきをしていて、長い金髪を無造作に首の後ろで括っている。
年齢は、三十代半ばから四十代前半といったところだろうか。イザークと同じ戦闘服を着ているが、その立ち姿にはどこか気品のようなものが感じられた。
イザークが敬礼するのに頷いたあと、振り返った彼がまっすぐにライニールを見る。
その鮮やかなスカイブルーの瞳を見返したライニールが、ひゅっと息を呑んだ。そんな彼に、それまで纏っていた怜悧な空気を一瞬で消した男性が、ひどく柔らかな笑みを浮かべて言った。
「久しぶりだね、ライニール。……私のことを、覚えているかな?」
(は?)
明らかに親しげな呼びかけに、シークヴァルトは咄嗟にライニールの横顔を見る。
今までライニールから、アシェラ傭兵団のトップと親交があったという話は聞いていない。もしそんな事実があれば、彼は必ず魔導騎士団にその旨を申告していたはずだ。何より、この驚きようからして、おそらく本人もその事実を知らなかったのだろう。
はく、と何度か無意味に口を開閉させたライニールが、掠れた声で口を開く。
「ザイン、伯父上……ですか……?」
(ザイン? 伯父上って……マクファーレン公爵には、王妃さま以外に兄弟姉妹はいなかったよな? ってことは――)
そこまで考えたシークヴァルトは、ぱっと顔を上げ、ザインと呼ばれたアシェラ傭兵団の団長をまじまじと見る。
――ライニールとナギの母親、レイラにはひとつ年上の兄がいた。十六年前、レイラが不義の疑いをかけられた際に、彼は妹の無実を何度も王宮に訴えたという。
だが、若くしてギャレット子爵家を継いだばかりの彼は、マクファーレン公爵家からの圧力に潰される形で、国外への脱出を余儀なくされた。その後のザインがどうなったかについては、ルジェンダ王国では誰も口にすることがなくなっていたのだ。
当時、ライニールはたったの七歳。生まれてからずっとマクファーレン公爵家で養育されていた彼が、子爵家の若き当主として多忙だったに違いない伯父と顔を合わせる機会など、そう多くはなかったはずだ。普通ならば、その年から十六年も音信不通だった親族の顔など、覚えていられるわけがない。……普通ならば。
(……うん。ザインどのがレイラさまの無実を訴え続けていたってことは、相当兄妹仲がよかったんだろうし。だったら、レイラさまの子どもであるライニールのことも、会う機会が少なかろうときっちり可愛がっていただろうし。何より、レイラさまの数少ない味方だったザインどのの顔を、いくら年齢が一桁のガキだったとしても、ライニールが忘れるわけがないよなあ)
ライニールの記憶力のたしかさは、たまにシークヴァルトが『え、なんでそんな細かくてどうでもいいことまで覚えてんの? そんなことに脳の容量使って、疲れて脳みそパーンとなったりしない?』と心配になるほどである。その彼が認めたということは、アシェラ傭兵団の団長は間違いなくライニールとナギの伯父に当たる人物なのだろう。
子爵家の当主から傭兵団の団長へのジョブチェンジとは、随分剛毅なことだな、とシークヴァルトが感心していると、その当人が小さく笑って頷いた。
「ああ。今は、ザイン・ラーズリーと名乗っているよ。大きくなったね、ライニール。元気そうで、安心した。それで――」
すい、とザインの視線が、シークヴァルトに抱えられたナギに向く。その視線の強さに、ナギがわずかに体を固くする。
そしてザインは、少しの沈黙のあとぎこちなく口を開いた。
「……本当に、レイラの娘だったんだね」
ひどく掠れた、震える声。ナギを見つめるスカイブルーの瞳が、くしゃりと歪む。
「伯父上?」
ライニールの呼びかけに、いや、とザインが片手で目元を押さえながら言う。
「魔導ネットワークからの情報で、きみの養女とマクファーレン公爵の魔力が共鳴したというのは、知っていたんだが……。あいつは、隠し子がどれほどいてもおかしくないやつだったから。きみが、その中の適当な少女をレイラの子として……レイラの復讐のために、あいつの名誉を傷つけた可能性も、なくはないと思っていたんだ」
ナギがマクファーレン公爵オーブリーの血を分けた娘であるという事実は、ふたりの魔力が共鳴した瞬間の証拠映像とともに、各種報道を通じて大陸中の知るところとなっている。
だが、ナギがレイラの娘であるということについては、ライニール本人の主張でしかない。たとえ、魔導騎士団団長であるアイザックが証人であるといっても、客観的に明確な証拠は提示されていないのだ。
そのためザインは、ナギが本当にライニールと魔力の共鳴を起こしたのか――本当に、彼の妹であるレイラの娘であるのか、確信を持つことができなかったのだろう。
それで、先ほどのイザーク伝いの質問になったわけか、とシークヴァルトはそっと嘆息した。
(あのときの報道に、ナギの映像は一切上げられていなかったし……。アシェラ傭兵団の情報部でも、さすがに鉄壁のセキュリティを誇るルジェンダの魔導学園はクリアできなかったか。でもまあ、こうして実際に見てみれば、ザインどのとナギは伯父と姪だ。自分と血が近いことは、魔力の波長ですぐわかったんだろうな)
もしかしたら、ザインもまたライニールと同じように、レイラの忘れ形見であるナギの行方を捜し続けていたのかもしれない。今やアシェラ傭兵団の団長となった彼の情報網をもってすれば、この大陸で探し出せないもののほうが少ないだろう。
だが、そんなザインでさえ、ノルダールの孤児院で『商品』として養育されていたナギを見つけだすことはできなかったのだ。
そして、だからこそおそらくザインは絶望していた。彼が手に入れた力でも見つけ出すことができないのならば、十五年前にレイラが産んだ子はすでに生きてはいないだろう、と。
けれど――。
「伯父上。ナギと母上は、よく似ているでしょう?」
「ああ。……ああ。本当に、よく似ている」
目元を押さえたまま応じるザインに、ライニールは問いかけた。
「伯父上は……なぜ、あの報道のあと、我々の元へ確認にいらしてくださらなかったのですか?」
「……すまない」
なぜ、震える声でザインは詫びるのか。ひとつ息を吐いたライニールが、続けて言う。
「もしおれがあなたの言うように、あの男の隠し子を母の娘と偽っていたなら、たしかに伯父上にとってはとても許せることではなかったでしょうね」
「違うよ、ライニール。そういうことではないんだ。ただ、私は――」
のろのろと目元を覆っていた手を下ろし、それを見つめながら、ザインが呟く。
「ルジェンダ王国に戻って……レイラを殺したあの男を、殺そうとせずにいられる自信が、なかったんだよ」