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再会

 ルカの申し出を、セレスがズバンと一刀両断に切り捨てる。

 どうやら、身体強化魔術を覚える前のルカをひょいひょい持ち上げていたのは、セレスだったらしい。まさかお姫さま抱っこじゃあるまいな、と凪が密かにおののいていると、天井の通信システムを備えた音響魔導具から、何やら困惑した響きの呼びかけがあった。第二部隊で、真っ先に凪を普通の子ども扱いしてくれた、カール・メイジャーの声だ。


『ナギちゃん、ちょっといいー? 今、屋敷の警備班から連絡があってさあ。なんか、ズタボロの不審者がいきなり屋敷の正門前に転移してきて、聖女に会わせろって言ってるんだって』

「へ?」


 思わず間の抜けた声を零した凪に、カールは続けて説明する。


『幸い、周囲に目撃者はいなかったし、そいつは口を開く前に警備班が即確保したから、聖女云々っていうのがよそに漏れる心配はないんだけど。ただ、どう見ても重傷でろくに動くこともできない感じなのに、聖女以外の人間に話すことはない! って、頑張っちゃってるんだよねえ。今は魔力封じの枷で拘束してるんだけど、ナギちゃんのことをどこで知ったのかは絶対確認しなきゃだし、ちょっと玄関ホールまで来てくれないかな?』

「あ、はーい。じゃあ、今から行くねー」


 凪が今まで、大勢の前で『我、聖女ナリヨ!』と言って働いたのは、東の砦での一件だけだ。その際に知り合った第三騎士団の団長は、まず箝口令を破るような人物ではないけれど、何しろ東の砦はとても大きい。そこで働いているのは騎士団のメンバーだけではないし、下働きの者たちの中に他国のスパイが潜りこんでいる可能性は、ゼロではないと言われている。

 凪としては、できればこの国の王宮が公表すると決めた期限までは、魔導学園での学生生活を楽しみたいところなのだが――こればかりは、なるようにしかならないのだろう。


「ナギ。対象が何者かはわからんが、おまえを聖女と断定していること、そのおまえの所在を把握していることの二点だけでも、警戒するには充分過ぎる。許可するまでは、絶対に俺の前に出ないように」


 瞬時にお仕事モードになったセレスに続き、同じく張り詰めた空気をまとったルカが言う。


「たとえ魔力封じの枷を嵌められていようと、戦闘訓練を受けた人間の肉体ってのは、それそのものが凶器だからね。本当に、安全第一だよ?」

「……ハーイ」


 聖女さま絶対守るマンの集団である彼らにとってみれば、凪の安全に関してはどれだけ念を入れても、入れ過ぎということはないのだろう。何しろ聖女というのは、世界全体で五体、この国に一体しか存在しない人型最終兵器なのである。その希少性を思えば、彼らの気持ちもわからないでもない。

 けれど凪は、そばにいる人間にあまりキリキリ気合いを入れられると、その背後から脇腹をくすぐりたい欲が湧いてくるタイプなのだ。


(いやあの、さすがにガチで身の安全が掛かっているときに、そんなふざけたことは絶対にいたしませんでござるなんだけども! 指がうずうずするのは、どうにもいかんともしがたく……っ)


 己の内に湧き起こる衝動に全力で耐えつつ、凪はふたりとともに指定された玄関ホールへと向かった。天井の高い広々とした空間に、第二部隊のメンバーたちが揃っている。

 そして、彼らに囲まれ、床に跪いているのは、後ろ手に拘束された細身の青年だった。くすんだアッシュ・ブロンドのあちこちにこびりついている汚れは、彼自身の血だろうか。

 静まり返ったホールに、青年の荒い呼吸だけが響いている。コフッと彼が咳き込んだ途端、その口からぼたぼたと溢れ出た鮮血が床を汚す。


(ちょ……っ! 重傷っていうか、これガチで死にかけてるやつじゃないのー!?)


 ぞっとした凪が、反射的にセレスの前に出ようとしてその腕に止められたとき、虚ろな眼差しで俯いていた青年が顔を上げた。その紅玉の瞳の一方は、額から頬にかけて走る真新しい傷に潰されている。

 だが、ふらついた片方だけの視線が凪の姿を捕らえた瞬間、今にも床にくずおれそうだった青年の口から、掠れきった声が絞り出された。


「リ、オ」


 その呼びかけに、凪は鋭く息を呑む。


(あ。この人、この間東で会ったお兄さんだ)


 たしかに彼ならば、この国にリオの姿をした聖女が存在していることも知っているし、あのとき覚えた凪の魔力を辿って、この屋敷に転移してくることも可能だろう。常にこの屋敷全体を覆っている対魔導防御フィールドがなければ、直接凪の目の前にやって来ていたのかもしれない。

 ――思い出す。

 幼い頃、三つ年上の彼は、いつも子どもたちの中心にいた。明るく朗らかな性格で、誰に対しても分け隔てなく接する彼は、リオが十二歳のときに『里親が決まって』孤児院からいなくなったのだ。

 頭が、痛い。ズキズキする。思考がひどく混乱して、けれど今、何よりも優先しなければならないことだけは明確だった。

 体の前にあるセレスの腕に触れ、口を開く。


「どいて、セレスさん。この人は、わたしの敵じゃない」

「ナギ?」


 頭が痛くて、訝しげな視線を向けてくるセレスに、表情を取り繕う余裕がない。


「この人はわたしと同じ、ノルダールの孤児院出身者。傷を、治させて。話は、それからでもいいでしょう?」

「わかった。コイツがおかしな動きをしたら、即殺す」


 まったく会話が噛みあっていないけれど、話が早いのはありがたかった。小走りに青年に駆け寄った凪は、床に膝を落とし、震える手で彼の汚れきった頬を包んだ。


(……酷い)


 本当にボロボロ過ぎて、生きているのが不思議なくらいの怪我だった。何カ所もの骨折と裂傷、致命傷にならないギリギリの貫通創。栄養不足に過度の疲労。そして――おそらく、体のどこかに汚染痕が出ているであろうレベルの、魔力の澱み。

 凪が懸命に『治れー、治れ~』と念じていると、青年が小さく息を吐いた。そこに、苦痛の色はすでにない。浅く速かった呼吸も、ゆっくりと穏やかなものになっている。


「なん……で……」


 驚愕と失望に染まった青年の声が、空気を揺らす。


「治癒、魔術……? おまえ……聖女じゃ、ないのか……?」


 聖女は通常、その固有魔術以外の魔術は使用できない。治癒魔術を発動させた凪を見て、彼女が聖女ではないと判断するのは当然だ。

 凪は、青年の潰されていた左目が元通りの美しさを取り戻しているのを確認し、小さく首を横に振る。


「いいえ。正式な発表はまだですが、わたしはルジェンダ王国の聖女です。あなたの体に表れていた汚染痕も、消えていると思いますよ。……ノルダールの孤児院でともに育ったあなたと、こんな形で再会することになったのは、とても残念です。エリアス」


 魔導学園での魔力のコントロール訓練を経て、凪の治癒魔術の発動スピードと精度は幾分上達したようだ。完全な健康体に戻った青年――エリアスから手を離して立ち上がった凪は、改めて相手を見返した。


「あなた方がこの国に送り付けてきた融解寸前の魔導鉱石のせいで、この国の第三騎士団団長が狂化魔獣の攻撃を受け、瀕死の重傷を負いました。昔のよしみで、あなたの傷は治しましたが――」


 凪の敵ではなくとも、すでにこの国の敵となってしまっている。そんな彼の今後の扱いについて、魔導騎士団に丸投げしようとした彼女がそう言うより先に、エリアスが必死の面持ちで叫んだ。


「頼むリオ、ステラを助けてやってくれ!」


 ステラ、という名には覚えがある。リオの記憶を検索し、凪は軽く瞬きをした。たしかエリアスと同い年で、彼としょっちゅうどつきあいの喧嘩をしていた、いつでも元気過ぎるほど元気いっぱいだった少女の名だ。

 凪は首を傾げ、問い返す。


「ステラが、どうかしたんですか?」

「汚染痕が……もう、全身に広がってる。いつ、魔力暴走を起こしてもおかしくない。あいつ、バカで……っ、いつも真っ先に、一番危険な場所に突っこんでいくから……!」


 それはつまり、と凪は真顔になった。


「今のあなた方は日常的に、凶暴化した魔獣との戦闘に従事している、ということですか?」

「そう、だ。俺たちが配属された土地で、急に地脈の乱れが悪化して……。俺とステラ以外の仲間たちは、全員死んだ」


 思わず息を呑んだ凪に、エリアスは後ろ手に拘束された不自由な体勢のまま、額を床に擦り付けて希う。


「頼む。……頼み、ます。俺の罪の対価にこの命を差し出せというなら、喜んで差し上げます。だから、お願いですから、ステラを、どうか助けてください……っ」

「わかった」


 血を吐くような声での願いに頷いた凪は、いつも自分の耳元で揺れているピアスに触れて口を開いた。


「シークヴァルトさん、聞こえる? ちょっと一刻を争う感じの非常事態なので、そっちは兄さんとアイザックさんに任せて、戻ってきてくれると嬉しいです」


 このピアスには、通信魔導具としての機能も備わっているのだ。直後、凪の傍らで魔力が揺らぐ。


「どうした? ナギ。って、おい。なんでこの間のクソ生意気なガキが、ここにいる?」

「……来てくれたのは嬉しいけど、エリアスのことにすぐ気がついたのもさすがだと思うけど、シークヴァルトさん? 無抵抗の相手を、いきなり踏むのはどうかと思う」


 転移魔術で戻ってくるなり、ぶぎゅるとエリアスの頭を踏んだ自分の護衛騎士に、思わず胡乱な目を向けてしまった凪だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 孤児院関係者のお兄ちゃん、自力で来てくれちゃった。探す手間が省けて良かった。 最悪の場合、ナギちゃん達の敵対勢力に「人質」として使われる可能性あったし。 あと一人がいるところに、人身売買組…
[一言] 昔のよしみ、重要人物、仲間の仲間などでズルズルと断れなくなっていく予感… あ、そこの敵国人は監禁なり口外禁止ヒントも禁止の制約つけて要注意人物指定ですね。行く先々で聖女聖女と連発されちゃか…
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