目には目を歯には歯を、そして
そろそろ本気で目を覚ましたくなってきたけれど、目覚めるタイミングを選べないのが夢というものだ。この夢で『目覚めた』当初は、体を自分の意思で動かせることに驚喜していたが、いい加減に面倒くさくなってきた。
ぼんやりとそんなことを考えていると、テーブルから離れたアイザックが、窓辺の応接セットを示して言う。
「少し、そちらで話しをしよう。――ライニール。セイアッド。おまえたちは、そのまま第二部隊と第三部隊のフォローを続けてくれ」
金髪碧眼の美青年と、日本人カラーの美少年がうなずく。金髪碧眼の美青年は、ライニールという名前らしい。
いかにも魔術を使っているような彼らの様子に、好奇心でうずうずしてしまうけれど、凪は空気を読める日本人だ。アイザックの誘いに素直にうなずき、煌びやかな布張りのソファに腰掛ける。
シークヴァルトが、当然のように自分の隣に落ち着いたことについては、諦めの境地で黙って受け入れることにした。そして、今更気がついたが、イケメンはいい匂いがする。
(おふう……なんかシークヴァルトさん、めっちゃいい匂いするでござるぅ……。さっきまでは、やっぱり鼻が麻痺していたのかなー。それだけ、自分が臭かったってことか。そんな臭さで、こんないい匂いがするイケメンに抱っこされてたとか、何それ羞恥で軽く死ねる)
軽やかに窓から飛び立ちたくなった凪に、アイザックが穏やかな声で語りかけた。
「では、ナギ嬢。これから、きみに今の状況を説明させてもらおうと思うのだが……。その前に、きみから何か聞きたいことはあるかね?」
低く落ち着いた彼の声には、それを聞いた者の気持ちを鎮める力があるのかもしれない。深呼吸をする余裕ができる。
少し考えた凪は、膝の上で指を握って口を開いた。
「聞きたいこと、ではないのですが……。わたしに現状を説明していただけるのでしたら、ひとつお願いしたいことがあります」
「ほう。何かね?」
柔らかく促すアイザックに、ちらりと窓のほうを見てから凪は言う。
「外の様子からして、今は春先なのだと思います。けれど、わたしがあの森で目覚める前のことで、最後に覚えているのは秋の恵みの感謝祭なんです」
「……ああ、そうか。やはり、そうなのだね」
それまで穏やかな微笑を浮かべていたアイザックが、軽く眉根を寄せる。
「ここ半年ほどの間に何があったのか、わたしは何も知りません。……いろいろ、わたしが覚えていることと、あなた方がおっしゃることの間に、齟齬があるようにも感じています」
ですから、と凪はアイザックの目を見て告げた。
「もし、この半年の間に、何かとても大きな変化が世の中にあったのだとしたら、それについても教えていただけると助かります」
今回、この夢の中で『目覚めた』ときから感じている、さまざまな違和感。ひとつひとつは小さなものでも、いくつも積み重なれば、明確な居心地の悪さに変わってくる。凪はさほど細かいことを気にするタチではないけれど、せっかく自分の意思で行動ができるのだ。どうせならば、スッキリとした気分で楽しく夢を見ていたい。
そんな凪の願いに、アイザックは少しの間考えるようにしたあと、やがてうなずき顔を上げた。
「了解した。――では、ナギ嬢。まずは、去年の秋頃から現在までに起こったことを、順に説明させてもらうことにしよう。その上で、今後きみがどうしたいかを決めてもらいたい」
「はい。ありがとうございます」
凪は、どこまでも純粋でお人好しな『リオ』のことは、正直あまり好きではない。嫌いとまではいかないのだが、どちらかと言えば苦手なタイプである。
それでも、幼い頃からずっと『夢の中の自分』として、決して短くない時間を共有してきたのだ。その『自分』を血で穢し、森の奥へゴミのように捨てた何者かに対する怒りは、間違いなく凪自身のものである。もし、凪に馬の合わない姉妹がいて、その姉妹がリオのような目に遭わせられたなら、こんなふうに思うのかもしれない。
(うん。犯人を見つけたら、ぐるぐる巻きにして体の自由を奪った上で、家畜の屠殺場でもらってきた血をぶっかけて、わたしと同じサイテーな気分を味わってもらおう)
ハンムラビ法典が今どこにあるのかは知らないが、夢の中で適用したところで、誰に迷惑をかけるわけでもないだろう。
助走をつけて全力でぶん殴る、というのも、できればやってやりたいところである。けれど、非常に残念ながら、極度の運動音痴な上になんの鍛錬もしていない少女の細腕では、さほどダメージは与えられなさそうだ。その点、頭から大量の血をぶっかけられた場合の不快さは、凪自身が身をもって確認済みである。
目には目を、歯には歯を。そして、血には血を。
どこかのアブない思想家のようなことを考えながら、表面上はあくまでも真顔をキープしている凪に、アイザックは静かな口調で語り出した。
「ちょうど、去年の秋の終わりのことだ。この大陸のあちこちで、大規模な地脈の乱れが起こりはじめたのだよ」
「え?」
魔力には、大まかに分けてふたつの種類がある。
ひとつは、魔導士が生まれながら保有している、魂魄魔力。そしてもうひとつが、自然魔力――文字通り、この世界そのものに満ちる魔力のことだ。空にも水にも大地にも、ありとあらゆる場所に魔力は存在している。
それらの中でも、大地の奥深くを流れる膨大な自然魔力のことを、地脈といった。そして、地脈の流れに沿って濃縮された自然魔力が鉱石化したものを、魔導鉱石と呼ぶ。それらを精製することで、人々の生活に役立つ魔導結晶を手に入れられるのだ。そのため、どの国でも地脈の流れを把握するのは、最優先課題とされていた。
その地脈に乱れが生じるなど、凪は今まで聞いたことがない。アイザックが、眉根を寄せて言う。
「他国の被害が甚大な地域では、魔導石鉱脈の融解という事態が生じている。今のところ、我が国の地脈の乱れは市民生活に影響が出るほど顕著ではないが、決して看過できるものではない」
凪は、驚いた。
この世界で唯一のエネルギー資源といえる、魔導結晶。高位の魔導士の中には、己の保有魔力を結晶化させることができる者もいるらしいが、それはほんのわずかな例外だ。
市民生活の基盤となっている魔導結晶――その大本となる魔導石鉱脈の確保が、各国の国力に直結しているといっても過言ではない。その魔導石鉱脈が融解などということになれば、それこそ国家の一大事である。
「事態を重く見た王宮は、地脈の乱れに関するあらゆる事象の調査と対処のため、我々魔導騎士団を設立した。我々の主な任務は、乱れた地脈の流れにより被害を受けた土地の、現状確認。そして、そういった土地の乱れた魔力に影響されて凶暴化した、魔獣の討伐だ」
「まじゅう」
やはり、突然ファンタジックな単語を放りこまれると、一瞬意味を把握し損ねる。
幸い、魔獣という存在についての知識は、わずかながら一応あった。たしか、自然魔力が豊富に満ちる場所で発生するとされている、種族固有の魔術を操る獣のことだ。彼らは総じて非常に美しい姿と高い知性、そして人間の魔導士よりも遙かに膨大な魔力を保有している。それゆえ、滅多に人と馴れ合うことのない、誇り高い生き物であるとされていた。
そんな魔獣たちが、いきなり凶暴化したなら――と考えた凪は、その恐ろしさに青ざめた。
「それって……とっても危険なことなんじゃ」
「ああ、そうだ。だが、凶暴化した魔獣たちは、哀れなことに知性も理性も失っているのが大半だ。こちらが冷静に対処すれば、討伐することは不可能ではない」
哀れ。
凶暴化し、おそらく人々を襲う危険があるのであろう強大な獣を、アイザックは憐憫の情をもって見ているのか。
……彼の立場で、それが正しいのかはわからない。だが、その気持ちは理解できる気がした。本来、命を奪う必要のない存在であったものを殺すのは、きっととても辛いことだから。
「その……凶暴化してしまった魔獣を殺すのではなくて、元の状態に戻すというのは、できないものなんですか?」
悲しい気持ちになった凪の問いかけに、アイザックは難しい顔になる。
「どんなに高位の魔導士でも、自然魔力の流れに干渉することはできない。それができるのは、聖女だけなのだ。聖女たちだけが、この世界に満ちる自然魔力の乱れを調えられる。だから、どこの国でも聖女の存在が確認されれば、国を挙げて保護することになっている」
凪の脳内では、すでに『魔力を貯め込む魔導結晶は、超高性能の電池です』という図式が完成していた。そこにいきなり『聖女』という浮世離れした単語がぶち込まれ、若干混乱してしまう。
第一話の誤字を修正いたしました。
ご指摘くださった方、ありがとうございます!
昨年、ちょっとしたご縁がありまして、皮付きのエゾシカを解体できるようになりました。
骨盤を割るのに、チェーンソーが唸るぜ!
血抜きは先に済ませているので、解体している間はほとんど血が出ません。
脂のほうが、すぐナイフにこびりついて面倒くさいです。
内臓は扱いが難しいのでまだいじれませんが(膀胱を破くと肉が全部ダメになっちゃうのです)、我が家の愛犬たちは、しょっちゅう鹿肉のローストを食べています。
だって、解体のお手伝いに行ったら、丸ごと一頭ぶんのお肉をタダでいただけるんですものー(゜▽゜*)。
凪は家畜の血液ー、と言っていますが、たぶん屠殺場でも血液は廃棄物扱いなので、譲ってもらうのはちょっと大変かも(汗)。