カミングアウト
まさか、姿形が同じだけの別人じゃあるまいな――とバカなことを考えてしまうほど、グレゴリーのオスワルドに対する態度は洗練の極みである。今の落ち着き払った態度の彼からは、初対面のときの小生意気な様子も、ガーデンパーティーのときの怯えた幼子のような様子も、とても想像できない。
この場に凪がいることにも当然気付いているのだろうに、彼の意識はすべてオスワルドに向いている。これが、正しい貴族の子弟の姿というものか。
――王家への忠誠。
貴族の家に生まれた子どもたちが、生まれたときから本能のレベルにまで叩きこまれるというそれを、公爵家の後継者として育てられたグレゴリーもまた、しっかり標準装備しているようだ。凪は、密かにため息を吐いた。
(なんだかなー。マクファーレン公爵家の人たちってば、子育てスキルが完全底辺のど下手くそでも、王家への忠誠と礼儀作法だけはしっかりガッツリ教えこんでいるとかね。なんだか、教育の歪みと闇を感じます)
凪がしみじみとマクファーレン公爵家に対する不信感を募らせている間に、オスワルドはグレゴリーを立たせて室内に招き入れ、改めて防音と人払いの魔導具を展開させる。
「突然、驚かせて悪かったね。今日は別件で学園に寄らせてもらったんだけど、実を言うと僕はきみにも一度、会っておきたかったんだよ」
「ぼくに……で、ございますか?」
ひどい緊張と戸惑いの中にいるだろうグレゴリーに、オスワルドは笑って頷く。
「うん。昨夜、兄上から連絡があってねえ。マクファーレン公爵夫妻はやっぱりダメダメだったけど、きみはとても優しくていい子だったからよろしく、だってさ」
「ライニールさま、が……」
グレゴリーの声が、掠れる。
「昨日の一件に関する報告書も、しっかり読ませてもらったよ。そこで、きみに聞きたい。――グレゴリー・メルネ・マクファーレン。きみ、王宮推薦の後見人を受け入れて、今すぐマクファーレン公爵家の当主になるつもりはないかな?」
(……へ?)
オスワルドの唐突な申し出に、凪は目を丸くした。
そんな話しは聞いていないぞ、と思ったけれど、この国の王太子殿下の言葉である。横から口出しをしていい雰囲気でもないことだし、きっとオスワルドには何か考えがあるのだろう。ひとまず黙って成り行きを見守ることにして、彼の話しの先を待つ。
表情をひどく強張らせたグレゴリーに、どこまでも穏やかな口調のまま、オスワルドは続けて言った。
「ここ数年、きみの両親は、人々の規範となるべき公爵家の義務を、ほとんど果たしていない状態だ。地脈の乱れが発生している今、そんな無能をいつまでも筆頭公爵の座に据えたままにしてあげられるほど、僕らは甘くないし、余裕もないんだよ」
「……は、い」
青ざめた顔のグレゴリーが、ぎこちなく頷く。
「そこに、今回の醜聞だ。たとえ王妃の実弟であろうと……いや、実弟だからこそ、かな。怒り狂った王妃自ら、今度こそマクファーレン公爵に引導を渡すと息巻いていらっしゃるよ」
王妃自ら、ということは、間違いなくマクファーレン公爵終了のお知らせ、ということだろうか。いい年をして、王妃という大変な激務をこなしている姉の手を煩わせるとは、本当に情けないへっぽこ中年男である。……そのへっぽこが、紛れもない己の実父であるという残念な現実からは、全力で目を背けておく。
「そんな主を諫めるどころか、一緒になってくだらない遊興に耽るばかりだった家人たちには、主と運命をともにしてもらう。そうなると、きみがこの話を受けるにしても、頼れる家人も、先代からの引き継ぎもないことになってしまうだろう? それは、さすがに無理があるからねえ。きみが成人するまでの間は、王宮が選任した後見人に公爵家の立て直しを頼んで、それから改めてきみに引き継ぎを、という形にしたいんだ」
ちなみに、とオスワルドがにこやかに告げる。
「きみの後見人には、兄上――ライニール・シェリンガムを立てる予定だよ。彼なら、マクファーレン公爵家の舵取り方法も十二分に熟知しているし、なんといっても公爵の座に対してこれっぽっちも興味がない。何しろ、今の兄上が最優先に守らなければならないのは、我が国の大切な聖女さまだからねえ」
「………………は?」
グレゴリーが、固まった。その原因は、マクファーレン公爵家の立て直しを委ねる後見人がライニールであると言われたからなのか、唐突に突っこまれた聖女ネタのせいなのか――おそらく、その両方であろう。
「だからまあ、公爵家の立て直しは、聖女さまの護衛任務の合間を見つけてする感じになるかもしれないけれど……。彼は元々、騎士養成学校の在学中でも、問題なく領地運営を回していたような男だからねえ。大丈夫、何も心配することはないよ」
「………………あの、殿下?」
無意識にか、落ち着きなく両手を持ち上げたグレゴリーに、オスワルドは楽しげに笑って見せる。
「兄上は、ああ見えてとても根に持つタイプでね。五年前に、彼自身と彼の母君を侮辱した連中を、王家の名の下に全力で叩き潰せるんだ。きっと、大喜びで引き受けてくれるんじゃないかな?」
「~~っ殿下! ご無礼を承知でお尋ねいたします! その、我が国の聖女さまというのは、まさか――」
混乱しきった様子のグレゴリーに、オスワルドはうん、と頷いた。
「こちらにいらっしゃる、ナギ・シェリンガム嬢。兄上の掌中の珠である妹君にして、きみの腹違いの妹君である彼女が、当代の我が国の聖女さまだよ」
絶句したグレゴリーの視線が、ぎこちなく凪に向く。
「ナギ……?」
「はーい、グレゴリー。聖女のナギ・シェリンガムですよー」
掠れた呼びかけに、にへらと笑って軽く手を振る。自分で望んだこととはいえ、改めて聖女名乗りをするというのは、なんだかものすごく面映ゆい。よって凪は、ひとまずオスワルドに文句を言うことにした。
「オスワルド殿下。わたしはたしかに、グレゴリーを彼の両親から引き離したいと思っています。けれど、彼をマクファーレン公爵家の当主にしてほしいなんて言っていませんよ?」
「ああ、うん。でも、これが一番確実な方法かなって思ったんだよねえ」
まったく悪びれた様子のない彼に、凪は半目になった。
「たとえどんなものでも、殿下から提案をされたら、グレゴリーには拒否権なんてないようなものじゃないですか。――グレゴリー? いきなりごめんね。あなたにこれからはご両親じゃなくて、わたしや兄さんと仲よくしてほしくて、わたしがオスワルド殿下にわがままを言ったの。でも、いきなりマクファーレン公爵家の当主になれっていうのは、いくら兄さんが後見人になってくれても大変だと思うし……。イヤなら、ちゃんとイヤって言ってね?」
グレゴリーの返事がない。もしや、凪のよけいなお世話に怒っているのだろうか。
「えっと……。やっぱりグレゴリーが、これからもご両親と一緒に居たいっていうなら――」
「ごめん、ナギ。ちょっと……ちょっと待って。うん。よし……うん」
凪に向けて片手を挙げ、下を向いたまま何度も頷いたグレゴリーが、最後に何かを思いきるようにしてから顔を上げる。
「オスワルド殿下。当代マクファーレン公爵である父の引退及び、それに伴う私の当主就任の件、謹んでお受けいたします」
まっすぐにオスワルドを見て口を開いたグレゴリーが、一呼吸置いてから続けて言った。
「……つきましては我が両親に、空気のいい土地での永蟄居を、ご許可いただきたく存じます」
「うん、わかったよ。公爵夫妻の蟄居先については、兄上と相談して決めるといい」
ありがとうございます、とグレゴリーがオスワルドに一礼する。
(永蟄居って、ずっとおうちに居て出てきちゃダメですよ、ってことだっけ? なるほど、公爵夫妻はこれから、自宅警備員がお仕事になるのかー)
たしかにグレゴリーは、ずっと王都で華やかな暮らしをしていた公爵夫妻には、空気のいい田舎暮らしは辛い罰になるかもしれない、と言っていた。しかし、腐っても公爵夫妻だったふたりが暮らすとなれば、庶民には想像もできないほど立派な屋敷であるはずだ。そこでずっと自堕落にのんびり過ごせるというのは――別に、羨ましいなんて思っていない。ないったらない。
オスワルドが、グレゴリーに向けてにこりと笑う。
「ちなみに、ここにいるヴァル・シアーズと、きみたちと同じクラスのセイアッド、ソレイユという名の生徒たちが、学園内でナギ嬢を守っている護衛だよ。そのほかに、ナギ嬢が聖女であることを知っているのは、学園長とこちらのミルドレッド・フォスター教諭だけだから、くれぐれもうっかりしないようにね」
「了解、いたしました。――殿下。聖女さまの存在を公表されるまでは、彼女に対して今まで通りの振る舞いをしても構わない、ということで、よろしゅうございますか?」
うん、とオスワルドが破顔する。
「グレゴリー。きみ、思っていたよりもずっと肝が据わっているんだねえ。ナギ嬢が聖女であることを教えたら、もう少し驚いてパニックでも起こすかと思っていたよ」
「いえ、殿下。私は大変非常にものすごく驚いておりますし、なんなら自分でも半分以上パニック状態になっている自覚もございますし、よりによって聖女さまを身ごもったレイラさまを修道院送りにした両親には、本当に一体全体何をしてくれてやがるんだいっぺんライニールさまに八つ裂きにされて死んでこい、と思っておりますが、驚きと怒りが何周か回って逆に冷静になってしまった感じでございますね」
グレゴリーの真顔で淡々とした口調が、ちょっと怖い。一拍置いて、オスワルドがぼそりと言う。
「……立派な肺活量だねえ」
「お褒めいただき、光栄に存じます」