聖女さまのレンタル料
凪の問いかけに、オスワルドが一瞬戸惑った様子を見せた。それからすぐに微笑を浮かべた彼は、顎先に軽く指で触れながら問い返してくる。
「理由を聞いても、構わないかな?」
「はい。グレゴリーには、昨日はじめて会ったばかりですし、彼を兄だと思っているわけでもありません。むしろ、弟というほうがしっくりくる感じではあるのですけれど……」
弟、とオスワルドが呟いた。
「それは彼が、小さくて泣き虫だから?」
ナチュラルに酷いことを言う王子さまである。この場に、グレゴリーがいなくてよかった。
「よくご存じですね。それに、グレゴリーはとっても素直で可愛いです。そのうち、詐欺師に騙されるんじゃないかと心配になります」
真面目に言った凪に、オスワルドがなるほど、とうなずく。
「こんなことを言っては、いけないのかもしれないけれどね。マクファーレン公爵夫妻が育児放棄をしていてくれて、本当によかったよ」
「まったくです。あの身勝手極まりないご夫妻の思考回路が、そのままグレゴリーに引き継がれていたらと思うと、心底ぞっとしますね」
育児放棄は、普通ならば断じて許されない子どもに対する虐待だ。しかし、その親たち自身がろくでもない毒親なのであれば、話しは少々変わってくる。
「オスワルド殿下。わたしは、マクファーレン公爵夫妻が嫌いです。一生、あのふたりを許すことはないでしょう。ですが、グレゴリーが彼らのそばにいることを選んでしまうと、わたしはマクファーレン公爵夫妻と本気で喧嘩をすることができません」
グレゴリーとリオ――もうひとりの自分は、同じなのだ。
同じろくでなしの親を持ち、そのせいでずっとしなくてもいい苦労を強いられてきた。
同病相哀れむ、というやつだろうか。よくわからない。ただはっきりとしているのは、これ以上グレゴリーがマクファーレン公爵夫妻のせいで苦しむところは見たくない、ということだ。
「……両親であるマクファーレン公爵夫妻よりも、聖女である自分を選べ、と。そう、グレゴリーに言うつもりかい?」
オスワルドの問いかけに、凪は困って首を傾げる。
「そこが問題なんですよねえ。聖女であることっていうのは、わたしにとって唯一、グレゴリーにメリットとして提供できそうなネタなのですけど。正直なところ、聖女と仲よくするメリットとデメリットっていうのが、よくわからないんですよ。騎士のみなさんだったら、聖女と仲よくしておけば、うっかり狂化魔獣と遭遇しても大丈夫! っていうわかりやすいメリットがあるわけですけど……。魔獣の討伐に従事していない普通の男の子って、聖女と仲よくしておくと、何かいいことがあるんでしょうか?」
凪の素朴な疑問に、なぜかオスワルドが固まった。いったいどうしたのだろう、と思ってシークヴァルトを見上げると、やはり頭痛を堪えるように額を押さえている。
(……あるぇ?)
自分は何か、おかしなことを言っただろうか。困惑しつつ、この場で唯一の教職であるミルドレッドに視線を向けた凪は、彼女に向けて問いかけた。
「ミルドレッド先生。聖女というのは、王族に準じる扱いになると聞いています。ですのでわたしとしては、聖女であるわたしがグレゴリーの味方になりますよー、と伝えることで、彼がマクファーレン公爵家から離れる不安を、少しでも軽減できたらな、と思っているのですが……」
返事がない。凪は焦って、わたわたと両手を動かしながら懸命に言う。
「いえあの、グレゴリー本人の気持ちとか、意思とかを尊重しなければいけないのは、重々わかっているんですけども! ただやっぱり、あの性根の腐りきった両親に今後も彼を養育させるのは、全身鳥肌レベルでイヤなので! ここはもう、聖女特権でもなんでも使って、多少グレゴリーに恨まれてでもあの両親から引き離してやりたいという本音が、もそもそと出てきちゃってですね!」
自分でも、何を言っているのかわからなくなってきた。
しかし、聖女というのはこの世界に五体しか存在しない、貴重な生物兵器だ。周囲の凪に対する甘やかしようからして、多少のわがままであれば聞いてもらえるだろう、という確信がある。
それを認識した上で、こんな場面で聖女特権などと口にするのは、正直気が引ける。けれど同時に、利用できるものはすべて利用してでも、自分たちのために泣いてくれた少年を、一刻でも早く劣悪な家庭環境から引き離したい、と願ってしまうのだ。
若干テンパり気味になった凪に、そっと息を吐いたミルドレッドがにこりとほほえむ。
「失礼いたしました、ナギさま。あなたが孤児院育ちであることを、少々失念しておりまして……。そうですね。私個人としては、あなたが聖女である事実を、グレゴリー・マクファーレンに伝えることには、賛成です」
「あ、ホントですか?」
その言葉にほっとする凪に、ミルドレッドは頷いた。
「はい。ですが、ナギさま。これだけは、ご理解してくださいませ。――聖女であるあなたに、これほどまでに気に掛けていただいている時点で、グレゴリー・マクファーレンの社会的価値は、王族のそれに匹敵します」
「…………ハイ?」
それはいったいどういうこっちゃ、と凪が困惑していると、表情を改めたミルドレッドが静かに続ける。
「現在、存在が確認されている聖女は、レングラー帝国とスパーダ王国のふたりだけ。地脈の乱れの発生状況から、大陸北西部と南東部のいずこかの国にも、聖女が存在している可能性は高いと言われておりますが、逆に言えばそれだけです。当代の聖女は、おそらく五名。それが、現在の大陸における共通認識です」
(あ、すごい。それ正解です、ミルドレッド先生)
ただし、とミルドレッドが苦笑する。
「ユリアーネ・フロックハートの一件で、我が国にいると思われていた聖女は、隣国のいずれかにいるに違いない、とも言われておりますが」
「あー……。それは、なんだか申し訳ない感じですね」
凪は、ぽりぽりと頬を掻いた。何も悪いことはしていないのだが、自分にまつわるアレコレのせいで、隣近所の国々が『ウチの国にこそ聖女さまがいるかもしれんッ! 探せ、探せー!』となっているのかと思うと、少々落ち着かない気分になる。
「まあ、そこはわりとどうでもいいことなので、放っておきましょう」
「あ、ハイ」
ミルドレッドは、もしかしたらわりと大雑把な人間なのかもしれない。凪は、ちょっぴり親近感が湧いた。
「よろしいですか? ナギさま。推定たった五名の聖女のうち、レングラー帝国の聖女は十二歳と若年ゆえ、聖女としての力がまだまだ不安定。そして、スパーダ王国の聖女は、彼の国の排他的な国風ゆえ、そもそも砂漠を越えて国外に出てくることがあるのかどうかも、非常に不透明な状況です。つまり現状、レングラー帝国とスパーダ王国以外の国々は、聖女の恩恵を受ける術が、まったく存在しないに等しいのです」
(……うん。ここは、排他的なハエたたきで笑いを取りに行く場合じゃないのは、わかってます。わたし、わりと空気を読める子です)
神妙に頷いた凪に、ミルドレッドが言う。
「半年後、あなたという聖女がこの国に存在することが公表され、またその能力がすでに実戦投入できるレベルにあることが知られたなら、大陸中の国々が雪崩を打ってあなたの助力を求めにやってくるでしょう」
凪は、思わずオスワルドを見た。彼に向け、ぐっと親指を立てる。
「オスワルド殿下! ガッツリしっかり稼ぎましょうね!」
「……そう来たかあ」
なぜか半笑いを浮かべたオスワルドに、凪は首を傾げた。
「聖女のレンタル料って、結構お高めなお値段設定なんですよね? いや、地脈の乱れがひどくて大変な国から、あまりふんだくるのもどうかと思いますけど……」
「ああ……うん。大丈夫、その辺のさじ加減をちゃんとするのが、僕らの仕事だからね。きみは何も心配しなくていいから、とりあえずミルドレッドの話しを聞いてあげてくれるかな?」
その言葉に、凪はハッとして振り返り、ミルドレッドに謝罪する。
「お話しの途中ですみません、ミルドレッド先生!」
目を丸くして凪を見ていたミルドレッドが、コホンと咳払いをした。
「いえ、大丈夫です。……ナギさま。その聖女のレンタル料――もとい、派遣申請に応じた場合の報酬でございますが。通常、派遣先の国主一家に係る年間予算と同額、というのが相場となっております」
「………………へ?」