吹っ飛ぶのは、困ります
つまりオスワルドは、ミルドレッドが身内であり、凪が聖女であることを知る『大人』として頼っていい相手だと伝えるために、わざわざこうして出向いてきてくれたということか。ここは、最大限の感謝を捧げるべきであろう。
「ありがとうございます。オスワルド殿下、ミルドレッド先生。もちろん、何事もないのが一番なのでしょうけれど、とても心強いです」
「うん、どういたしまして。ただ、今日はミルドレッドの身元保証のためだけに来たわけじゃないんだ。むしろ、こちらが本題。――ナギ嬢。昨日は、我が国の第三騎士団団長の命を救ってくださったこと、そして負傷に苦しむ騎士たちを癒してくださったこと。何より、融解寸前の魔導鉱石を無害化し、東の地を魔獣の脅威から遠ざけてくださったこと。ルジェンダ王国の王族の一として、心からお礼申し上げる」
居住まいを正し、右手を胸に当てて真摯に礼を述べたオスワルドは、目を瞠って彼を見上げる凪にほほえんだ。
「いずれ国王陛下からも正式にお礼の言葉があるだろうけど、第三騎士団団長のエイドラム・ジェンクスは僕の友人なんだ。個人的にも、きみにはぜひお礼を言っておきたくてね。本当にありがとう、ナギ嬢」
「えっと……はい。エイドラム団長とは、お話しされたんですか?」
凪が昨日、東の地へ向かったのは、第三騎士団のためではない。結果的にそうなったのはたしかかもしれないけれど、凪はただ、自分の友人であるセイアッドとソレイユが泣くのがいやだっただけだ。
だから、こんなふうに礼を言われると、なんだか落ち着かない心地になる。それをごまかすように向けた問いかけに、オスワルドは笑ってうなずく。
「ああ。あちらが落ち着いたら、改めてきみにお礼を伝えに行きたいと言っていたよ。そのついでに、弟くんの顔を見に行きたいともね」
「わたしへのお礼は別にいいんですけど、セイアッド――エイドラム団長の弟さんには、できるだけ早めに会いに行ってあげてもらえると嬉しいです」
昨日の様子からして、セイアッドはエイドラムと若干複雑な関係のようだが、彼が重傷を負った兄のことをとても心配していたのは間違いないのだ。一度、エイドラムの元気な顔を見せてもらえれば、きっと安心できると思う。
(べ、別に、いっつも表情筋をサボらせがちなセイアッドが、あのぴっかぴかの太陽神みたいに元気なエイドラム団長と顔を合わせたら、どんな感じになるのかなー、なんてワクワクしてないから! ふたりの面会現場を物陰からコッソリのぞいてみたいとか、全然考えていないからー!)
若干思考がズレかけてしまったが、オスワルドが快くエイドラムに伝えてくれるというので、ほっとする。
「うん。それから、きみが昨日、第三騎士団の重傷者たちを片っ端から完全復活させてくれた件を受けて、魔導研究所の医療部から提言があってね」
そう言って、オスワルドがミルドレッドに視線を向ける。それを受け、ミルドレッドが軽くうなずいて口を開く。
「ナギさま。結論から申し上げますと、治癒魔術についてあなたにご指導できる教員が、この学園ではご用意できません」
「へ?」
目を丸くした凪に、ミルドレッドは申し訳なさそうな顔で続けた。
「元々、治癒魔術に適性のある生徒については、外部から治癒魔導士を招いての個別指導が基本なのですが……。第三騎士団の専属治癒魔導士、ヒューゴ・エルマンどのからの報告書を拝見した限りでも、あなたの治癒魔術の精度とスピードは、学園で教員契約をしている治癒魔導士よりも、遙かに上です」
「はあ……」
なんだかよくわからないが、昨日の件をもう報告書にまとめているとは――
(ヒューゴさん、大丈夫かな。また働き過ぎで、寝不足になってたりしないかな?)
過労が常態となりがちな第三騎士団の専属治癒魔導士のことが、ちょっぴり心配になってしまう凪だった。次に会うことがあったら、まず問答無用で治癒魔術をかけさせていただこう、と密かに決意を固めていると、ミルドレッドが凛とした口調で言う。
「ですので、ナギさまが今以上に治癒魔術の精度を上げようと思われるのでしたら、医療系の専門学校で学ばれるか、魔導研究所の医療部で研修を受けられるか、ということになります。ですが私は、今のナギさまが最優先に取り組まれるべきは、まずは基礎体力の増強。そして、基本的な魔力のコントロール。それらを踏まえた物理的護身術及び、護身系魔術の習得であると判断いたしました」
「あ、はい」
治癒魔術のレベルアップにも大変興味はあるし、それができないのは残念ではあるけれど、ここはミルドレッドの言う通りであろう。凪は、一度にいくつものことに集中して取り組めるほど、器用な子どもではないのだ。
昨日の一件で、聖女業が思っていた以上に体力勝負なお仕事であることだけは、凪にもしっかり理解できた。ヒューゴの過労を心配しておきながら、先に自分自身がぶっ倒れてしまうわけにはいくまい。
しかし、そうなると――
「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは、本来治癒魔術の個別授業に充てる予定だった時間は、ナギさまの基礎体力及び、魔力コントロール向上の訓練に振り替えさせていただきたく思いますが、よろしいでしょうか?」
にこりとほほえんだミルドレッドにそう問われ、なぜだか背筋がぞわっとした凪は、おそるおそる問い返した。
「よ……よろしいと、思うのですけど。それって、どんなことをするんですか?」
「そうですね。細かなカリキュラムはこれから作製いたしますが、まずはひたすら走り込みでしょうか。はじめのうちは、筋肉トレーニングは軽めに、柔軟体操を中心としたメニューを組んでいこうと思います。お食事に関してはご自由になさってくださって構いませんが、水分はできるだけ多めに摂っていただきたいですね」
思っていた以上に、体育会系の答えである。凪は若干おののいたが、走り込みがメインと聞いて、ほっとした。運動神経や反射神経にはまったく自信がないけれど、ぼーっと足を交互に動かしていればいいだけのランニングは、多少体が鈍くさくても問題ない。
「わかりました、がんばります」
「はい、よろしくお願いいたします。――ナギさま。今日の授業中にも申し上げましたが、これから何が起ころうとも、まずは御身の安全を第一に考えてくださいませ。私がこれからお教えすることは、すべてあなたご自身をお守りするためのもの。万が一のときに、危険から逃げ延びるためのものでございます」
ひどく真剣な眼差しで、ミルドレッドが言う。
「正直に申し上げます。私は、我が国の聖女であるあなたが、治癒魔術の適性をもお持ちだと聞いたとき、決して小さくない不安を覚えました。治癒魔術に適性のある者は、得てして自身の安全を軽視しがちな傾向があるからです」
(……ワア。シークヴァルトさんと、オスワルド殿下の視線が痛いナー)
そう言えばこの世界で目覚めたばかりの頃、彼らの前で『ワタシ、多少怪我をしたって、治癒魔術で勝手に復活するから、あんまり気合いを入れて守ってくれなくても大丈夫ナリヨ!』といった感じのことを、ドヤ顔で言っていた気がする。
あのときは、たしかに本気でそう思っていた。けれど、東の砦で大勢の傷ついた人々を見た今は、そんなことはとても言えない。
傷つくのは、痛いのだ。傷つけられた本人も、それを見ているしかできない者も。
「ナギさま。傷つけられることに、決して鈍感になってはいけません。もし、あなたが我々の知らないところで傷つけられたなら、おそらく魔導鉱石の融解レベルにとんでもない大惨事が起こることでしょう」
「へ? 大惨事?」
いきなりなんのこっちゃ、と目を丸くした凪に、ちらりとシークヴァルトを見たミルドレッドが真顔で告げる。
「そちらの護衛騎士どの。そして、あなたの兄君。このおふたりが、理性を失う勢いでキレた場合――最悪、街がいくつか吹っ飛びます」
「………………えぇー」
ミルドレッドが、冗談を言っているようには見えなかった。
ぎこちなく凪がシークヴァルトを振り返ると、これまた真顔の彼が当然のように言う。
「オレがそばにいる限り、おまえに傷がつくことはねえけどな。まあ、もしそんなことになったら、相手が挽き肉になるのは確定事項として……。そのついでに、周りがいろいろと吹っ飛んでるかもしれねえなあ」
挽き肉、と呟いた凪がオスワルドに視線を移すと、彼は朗らかに笑って首を傾げた。
「僕は、キレた兄上の相手はイヤだよ?」
「ハイ。オスワルド殿下に、兄さんを止める気が皆無ということはわかりました」
半目になった凪に、オスワルドが笑みを消して言う。
「だって僕、兄上に殺されたくはないからね。死ぬときは、エレオノーラの膝枕がいい」
「突然、高濃度のノロケをぶっ込んでこないでいただけますか。ちょっと反応に困ります」