可愛いは正義だそうですが
グレゴリーのこれからの生き方を決められるのが、グレゴリー本人だけだというのは、わかっている。それでも、彼がナギの敵となる生き方を選んでしまえば、ナギが泣く。彼女の護衛騎士である以上、そんな未来は断固として避けなければならないのだ。よってシークヴァルトは、隙あらばグレゴリーに『あんなダメ両親のようになっちゃいけないよ』と、さりげなくチクチク言っていく所存である。
(悪いな、グレゴリー。オレはおまえの自由意志よりも、ナギが泣かずに済む未来を優先する護衛騎士なんだ。まあ、おまえが両親と同じような生き方を選んだ場合、問答無用でライニールに叩き潰されるだけだからな。あいつは、そういうところはガチで容赦がないぞ。というわけで、さっさとろくでもない両親とは縁を切ってくれると、お兄さんはとっても嬉しいです)
とはいえ、シークヴァルトはグレゴリーに両親とは真逆の――即ち、ごく普通のまっとうな人生を望むよう、ちまちま誘導しているだけだ。多少のことは、クラスメイト割引で許していただきたいところである。
うん、とぎこちなくうなずいたグレゴリーが、ふと目を見開く。そして、呆然とした様子で口を開いた。
「おまえたち……あれだけの量の食べ物を、いつの間に消していたんだ?」
今までのやり取りの間に、セイアッドは山盛りパスタのほかにも具だくさんの野菜スープ、それにブルーベリータルトとチョコレートムースのデザートセットを。レナードは巨大なオムライスにほうれん草のキッシュ、デザートには人参のシフォンケーキを、それぞれきれいに平らげている。
シークヴァルトはシーフードパスタにボイルドポークを添えた温野菜サラダ、デザートのオレンジタルトまで、きっちり美味しくいただいた。この学園の食事は期待していいと、オーナー一族のオスワルドが自信たっぷりに言っていただけのことはある。
一方のグレゴリーは、グリーンサラダは食べきっているものの、海老とアボカドのサンドイッチにはまだ半分しか手を付けていないし、デザートのかぼちゃプリンも丸ごと残っている。
シークヴァルトは、真顔で答えた。
「グレゴリー。これが、貴族と庶民の違いというものだ。焦る必要はないから、ゆっくり食え」
「いや、そういう問題か!? おまえたちの手品じゃないのか!?」
焦るなと言っているのに、懸命にサンドイッチを頬張りはじめたグレゴリーを、レナードが面白そうな顔で見る。
「グレゴリーって、小食だよなー。だから、体もちっこいのかな」
グレゴリーが、固まった。その顔が思いきり引きつり、次いでわかりやすくしょんぼりと肩を落とす。シークヴァルトは、半目になってレナードを睨んだ。
「おい、レナード。デリカシーって言葉を、知ってるか?」
「え? デリ……えっと、何?」
なんということだろう。首を傾げ、困った顔をしたレナードは、冗談を言っているようには見えなかった。これだけ流暢にこの国の言葉を喋っているくせに、『デリカシー』という単語がなぜ頭に入っていないのか。
わざとであれば、後頭部を全力でひっぱたいてやるものを――と、シークヴァルトは頭痛を堪えながら口を開いた。
「デリカシーというのは、他人に対する配慮のことだ。いいか? レナード。これからは、他人の外見についてあれこれ言うのはやめておけ。この国では失礼に当たるし、場合によっては相手を怒らせることになるからな」
「え、そうなの!? ごめんなあ、グレゴリー! 昨日女の子たちが、おまえをめちゃくちゃ可愛い可愛い言ってたから、こういうのは言ったほうがいいモンなのかと思っちまってたー!」
慌てて謝罪したレナードが、悪気なくグレゴリーの傷を抉っていく。シークヴァルトは、頭を抱えた。
昨日、グレゴリーに『アナタはとっても可愛いです!』攻撃をした少女たちは、完全なる善意で彼を励ましていただけだ。グレゴリーもその攻撃に戸惑ってはいたものの、相手がそれこそ可愛らしい少女たちであったために、落ち込む様子はまるでなかった。
しかし、レナードの『ちっこい』という言葉に対する反応からして、グレゴリーが自分の小柄な体躯を気にしているのは、間違いあるまい。そしてそのレナードは、クラスメイトの中でも群を抜いて体格のいい少年だ。いくら言った本人に悪気がなくとも、グレゴリーのコンプレックスがゴリゴリに刺激されてしまっても仕方がない。
(こういうのも、相手を見た目で差別していることになるのか? 昨日の女子はよくて、レナードは許されない理由……グレゴリーよりも、ずっとデカくて体格に恵まれているから? うん、それ以外に理由はないのに、こうして改めて言葉にすると、ものすごく理不尽だな!)
苦悩したシークヴァルトは、レナードに向けてぼそりと言った。
「……あの女子たちは、グレゴリーを可愛いと言っていただけで、小さいと言っていたわけじゃねえぞ」
「え? 小さいものは可愛いだろ? 子猫とか子犬とか、めちゃくちゃ可愛くねえか?」
レナードが、真っ直ぐな瞳で見返してくる。その純粋さが、ちょっと眩しい。
「……うん。おまえにとって『小さい』とか『可愛い』って言葉が、心からの褒め言葉であることは、よくわかった。もちろん、悪気なんて一切ねえこともな」
だが、とシークヴァルトは全力で頭をフル回転させながら、続けて言った。
「この国の文化は、少々理不尽なんだ。可愛い女子が、可愛いものの可愛さを可愛いと褒め称えても、それらすべてをひっくるめて『可愛いは正義』と言われるだけだ。オレやおまえのような可愛げもへったくれもない男が、可愛い小動物を可愛いと言っても、まあ問題はねえ」
「うん?」
だったら何が問題なのか、と首を傾げるレナードに、シークヴァルトはズバンと告げる。
「しかし、可愛げもへったくれもない男が、男女問わず人間を相手に可愛いと言った場合、最悪セクハラになる恐れがある」
「なんでー!?」
レナードが、思いきり声をひっくり返す。シークヴァルトは、厳かにうなずいた。
「だから、理不尽だと言っただろう。たとえおまえに悪気がまったくなくても、言われたほうが不快に感じた時点でアウトなんだ。おまえだって、可愛い女子にカッコいいと言われたら嬉しいだろうが、オレに可愛いと言われても嬉しかねえだろ?」
「……オウ」
一瞬で顔を引きつらせたレナードが、死んだ魚のような目をして両腕をさする。どうやら、鳥肌が立ったらしい。
「うむ。理解してもらえたようで、何よりだ。可愛い女子には許されることでも、可愛げもへったくれもない男には許されないことがある。多少理不尽だろうと、そういった事実が現実としてある以上、文句を言っても仕方がねえ」
「んー……。うん。わかった」
レナードが素直にうなずく。シークヴァルトは、ほっとした。
「よし。相手が何を嫌がるかは、本当に人それぞれだからな。よけいなトラブルを起こさないためにも、他人の外見をどうこう言うのは、基本的に控えておいたほうがいいと思うぞ」
「わかった、気をつける。忠告、ありがとなー。ヴァル」
神妙に礼を言ったレナードが、ずっと身の置き所がない顔で、もそもそとサンドイッチを食べていたグレゴリーに向き直る。
「ごめんなあ、グレゴリー。いろいろ、気をつけるわ」
「……いや。おまえたちを見ていると、ぼくももう少し食べたほうがいいのだろうか、とも思うんだが」
ひどく言いにくそうに、グレゴリーが視線を落とす。
「その……あまり食べ過ぎては、母上のようになってしまうのじゃないかと思うと、なんだか怖くてな。食べたい気持ちがないわけじゃないんだが、食欲があまり湧かないんだ」
束の間、沈黙が落ちる。真っ先に立ち上がったのは、セイアッドだ。
「ローストビーフのサンドイッチと、蒸し鶏と温野菜のサラダを、追加でもらってくる」
シークヴァルトは真顔でうなずき、そのままグレゴリーに向き直る。
「ああ、頼んだ。――いいか、グレゴリー。十代の男のガキが、高タンパク低カロリーな食いものを多少食い過ぎたところで、おまえの母親みたいに病的な肥満体になることは、まずありえねえ。それでも心配なら、おまえが少しでも肥ってきたら、すぐにそう言ってやる。だから、これからは少しずつでいいから、食事の量を増やしていけ」
「え……? あ、うん……ありがとう……?」
戸惑った様子で応じるグレゴリーに、シークヴァルトはもう何度目になるのか、盛大に頭を抱えたくなった。
(ライニール……。おまえの弟、ある意味ナギより重症だぞ……っ)
ナギも食事に関しては相当悲惨な孤児院育ちをしているが、少なくとも今の彼女は、毎回の食事をとても幸せそうに食べている。しかし、グレゴリーは公爵家の後継として、幼い頃からさぞ豪華な食事をしてきたのだろうに、その楽しみをまったく享受できていないのだ。つくづく、マクファーレン公爵家の人間というのは、子どもの養育をしてはいけない連中らしい。
レナードが、ひどくおろおろとした様子で口を開く。
「え? えっと、どうする? やっぱりおふくろに頼んで、グレゴリーの両親、呪っとくか?」
「気持ちはわかるが落ち着け、レナード。おまえの母親に頼るのは、最後の手段だ。だがもし、いつか呪詛を依頼することがあったなら、そのときはぜひ呪詛の内容をオレの知り合いに相談させてほしい。頭がキレ過ぎて、こういうことを考えるのがものすごく得意なやつがいるんだ」
すでにグレゴリーを『身内』と認識しているライニールならば、さぞ愉快な呪詛を思いついてくれるに違いない。
彼は普段、弟妹のそばにいてフォローすることができないのだ。ならば長兄たるもの、こういうときくらいは全力で役に立ってほしいものである。