魔女の呪詛
凪が、三人のお嬢さま方の不可思議な生態に圧倒されていた頃。
彼女たちから少し離れた席で昼食を摂っていたシークヴァルトは、たまたま席が隣だったという縁で、なんとなく食堂まで同行した少年の言動に戸惑っていた。
「歌って踊れる魔導士って、カッコいいよなー」
「おまえは何を言っているんだ」
ほぼ脊髄反射でシークヴァルトがツッコんだのは、魔導理論の授業で教師の言うがままに膨大な魔力を放出してみせた、レナード・ブレイズだ。
職務上の都合により、ちょっと仲よしなクラスメイト感を出すべく同じテーブルについていたセイアッドも、諸々の理由で距離感を縮めておいたほうがいいグレゴリーも、同じく『何言ってんだコイツ』という目をレナードに向けている。
レナードは、黙っていれば精悍に見える大人びた顔立ちをしているし、今のシークヴァルトより上背もある。何より、あのとき見せた彼の魔力量は、上位貴族レベルのものだった。このまま上手く育てば、相当優れた魔導士になれるはずだ。
体格も魔力保有量も、エリートコースである騎士養成学校の入学基準を満たしているはずなのに、レナードはこの魔導学園へ入学している。もちろん、危険の多い騎士団勤務を望まないのは、本人の自由だ。
しかし、地脈の乱れが発生している今、たとえ騎士団勤務を選ばなくとも危険に遭遇しない保証などどこにもない。むしろ、危険への対処方法をキッチリと学べるぶんだけ、騎士養成学校を選んだほうが将来が安泰であるとも言える。
(イヤ別に、コイツがどんな将来を選ぼうが、ほぼ初対面のオレがどうこう言う筋合いは、まったくないんだが。それにしたって、さすがに歌って踊れる魔導士ってのは、意味がわからなさすぎるぞ?)
困惑する三人の視線に気付いたのか、レナードがへらりと笑う。
「あー、ヴァルとセイアッドは、寮生じゃないから見てないのか。昨日の新入生歓迎会でさー、バンド組んでた先輩方が、めっちゃカッコよかったんだよね。音響とか、照明とかもさ、すっげー本格的で。あ、グレゴリーは見てたよな? あのとき、近くにいたもんな」
「……ぼくも先輩方の演奏は聞いていたし、格好いいとも思った。おまえも、その派手な見た目だけなら、あの先輩方にも負けないだろう」
だが、とグレゴリーが半目になってレナードを見る。
「おまえは、音痴だろうが。音痴の分際で歌手を目指そうなど、見当違いも甚だしいぞ」
「グレゴリー、なんで俺が音痴だって知ってんだよ!?」
コイツ音痴なのか、とシークヴァルトとセイアッドが憐憫の眼差しを向けていると、グレゴリーがものすごくいやそうな顔で口を開いた。
「先輩方のバンド演奏の最中に、おまえも彼らに合わせて歌っていたじゃないか。おまえが楽しそうだったから、黙っていたけどな。ハッキリ言って、原曲がまるでわからないレベルだったぞ」
「えー……マジかー……」
レナードが、しょんぼりと肩を落とす。
……なぜだろう。歌手がカッコいい、なら普通に納得できるのに、『歌って踊れる魔導士』と言われると、途端にものすごく間抜けな感じに聞こえてしまうのは。
ビーフシチューのかかっているオムライスをすくいながら、レナードが言う。
「ま、いっか。別に、あの先輩方がカッコいいなーって思っただけで、歌手になりたいわけじゃないし。……つうか俺、この国に移住してきたのが、つい最近でさあ。半年くらい前まで、南のウエルタに住んでたんだ。だから、この国での将来のこととか、どう考えればいいのかいまいちわかんないんだよなー」
ウエルタ王国といえば、大陸最南端に広がる大国スパーダから、ルバルカバ砂漠を越えてすぐのところに位置する、温暖で風光明媚な小国である。シークヴァルトは、彼に問うた。
「移住してきたってことは、両親のどちらかがこの国の人間なのか?」
「おう。父親がこの国の出らしいぞ。よく知らんけど」
まるで他人事のようにけろりと応じたレナードが、笑って言う。
「俺が生まれる前に、事故で死んだんだって。それで、おふくろがひとりで俺を育ててくれてたんだけど、地脈の乱れがはじまっただろ? その煽りで、一気に生活が苦しくなってさー。困ってたら、父親の親類から大丈夫かーって連絡があって、お陰でこの国に移住できることになったんだよね」
砂漠に隣接する国であれば、砂漠の民との小競り合いも珍しいことではなかったはずだ。南で生きる者たちにとっては、魔導鉱石だけでなく、水という資源も常に争いの原因となるのだ。地脈の乱れがはじまった今となっては、それらを巡る争いもますます激化していくだろう。
「それは、大変だったな」
「いやー、俺は運がよかったよ。おふくろもこっちですぐに仕事を見つけられたし、この学園は基本タダだろ? まず、食うに困ることはないもんな!」
明るい口調で言う彼は、心底そう思っているように見える。その芯の強さに、シークヴァルトは感心した。
「この国の言葉は、母親から教わったのか? 南のなまりもまるでないし、てっきりこの国の生まれ育ちだと思っていたぞ」
「ああ、うん。俺のおふくろは、ウエルタじゃ有名な魔女――ああ、魔導士だったからさ。外国人の客も多かったし、この国の言葉のほかにも帝国語に共通語、スパーダ語と、あと砂漠の民の言葉も四種類はしゃべれるぞ」
特に誇る様子もなくそう言ったレナードに、目を丸くしたグレゴリーが問いかける。
「砂漠の民の言葉とは、そんなに種類があるのか?」
「おう。俺が知っているだけでも、十七種類はあるぞ」
箱入りお坊ちゃまのグレゴリーにとって、砂漠の民の話題はものすごく興味をそそられるものなのだろう。キラキラと輝く目をした少年の様子は大変ほほえましいが、シークヴァルトはほかのことが気になった。
(今コイツ、魔女って言ったよな……?)
女性の魔導士のことを、俗に魔女と呼ぶことはある。だがレナードは、自分の母親がウエルタという『国』で有名な存在だと語っていた。その上、彼女の顧客は大陸中から訪れるほど多岐にわたっている。
つまり、レナードの母親は、ほかの魔導士では代わりのできない能力――なんらかの固有魔術の持ち主である可能性が高い、ということだ。
(まあ、子どものコイツがこうして魔導学園に入学している以上、正規の手続きを踏んで移住してきているのは、間違いないわけだしな。そう気にすることもないか)
固有魔術の持ち主は、その能力の概要と魔力保有量を、必ずその所属国に登録することが義務づけられている。面倒なシステムだが、一般的な魔術では考えられない事象――犯罪などが起こったとき、よけいな疑いを持たれないためにも必要な措置だ。
その情報管理レベルはさほど高くないため、魔導騎士団の情報ネットワークを検索すれば、すぐに結果が出てくるだろう。今日の夜にでも確認しておくか、と思っていると、レナードが小さくため息を吐く。
「俺の母親って、ちょっと変わった固有魔術持ちでさあ。登録名は一応『呪詛』ってなってんだけど、ぶっちゃけ息子の俺から見ても、完全に名前負けしてる感じなんだよなー」
そのときシークヴァルトは、危うく十五度ほど体が傾きかけた。
「……おい。その固有魔術ってのは、ホイホイカミングアウトしていいモンなのか?」
シークヴァルトの『巻き戻し』もそうだが、固有魔術というのは、個人が生まれながらに備えており、通常の訓練では身につけることが不可能で、かつ自身以外の対象に著しい影響を与えるもの、と定義されている。その保有者は決して数が多くないため、固有魔術を持っているというだけで色眼鏡で見られることもあるのだ。
おまけに、レナードの母親の固有魔術は『呪詛』だという。セイアッドもグレゴリーも、一気に警戒していいのか、レナードのあまりにのほほんとした様子に戸惑えばいいのかわからない、という顔になっている。
「ああ、うん。おふくろは占いが得意だからさ、普段はそっちで稼いでたんだけど。たまーに、どこで聞きつけてくるのか『呪詛』を依頼してくるお客もいるわけよ。ただ、おふくろができる呪いって、対象を傷つけることはできないんだよねえ」
「……どういう意味だ?」
シークヴァルトは今まで『呪詛』持ちの魔導士に出会ったことがないため、詳しいことはわからない。それでも、普通に考えるならば呪詛というのは、呪った相手の心身に不調をもたらしたり、あるいは殺害することを指すはずである。
しかし、レナードは半笑いになって言う。
「そのまんまの意味だよ。おふくろが客からどうしてもって言われて、何度か呪詛を請け負ったこともあるんだけどさあ。あ、それって大抵、元々占い業のお客だった女の人からの依頼で、浮気した旦那さんとか恋人とかに、少しでも痛い目を見せてやりたい! って感じなんだけど。たとえば『浮気相手とのデート中に、パートナーの名前しか呼べなくなる呪い』とか、『大事な商談の最中に、赤ちゃん言葉しかしゃべれなくなる呪い』とか……。あ、一番人気があったのは『パートナー以外の相手には、男のアレが役に立たなくなる呪い』だったなー」
なるほど、とシークヴァルトはうなずいた。
「そういった呪詛なら、たしかに対象を傷つけることなくダメージを与えることが可能だな」
「うん。おふくろの魔力保有量って結構多いらしくて、それ以下の相手だったらまず間違いなく呪詛れるしさあ。本業の占いほどじゃないけど、結構稼げてたっぽいわ」
呪詛れる、とはなかなか聞き慣れない表現である。
(まあ、ナギの魔力保有量なら、大抵の魔導ははね除けられるし、問題ないだろ)
とはいえ、彼女の周囲に稀少な固有魔術の持ち主が存在しているのは、間違いないのだ。一応、この件については上に報告しておくか、と思っていると、グレゴリーがやたらと据わった目つきで口を開いた。
「……レナード。その呪詛を依頼した場合、代償は金銭だけでいいのか? それとも、何かほかのものを犠牲にする必要があるんだろうか?」
「犠牲っつうか、呪いの強度に応じた量の髪を客からもらって、それを封じた身代わり人形を燃やしてるな。そうしないと、呪詛の反動で必ず客に不幸が来るんだってさ。……って、えー? おまえ、誰か呪詛りたい相手がいるのか?」
おそるおそるのレナードの問いかけに、グレゴリーが真顔で答える。
「ぼくの父上が、母上以外の相手に対して不能になればいいと思ってる」