お嬢さま、とは
そうして訪れた魔導学園の食堂。ちょっとした体育館ほどの広さがあるそこは、すでに大勢の生徒たちで賑わっていた。
凪たちは、前もって説明されていた通りに入り口近くでトレイを取り、それぞれ食べたいものを注文して空いていた席につく。
(うーん。注文してすぐ、ほかほか熱々のラザニアが出てくるって、いったいどういうシステムなんだろ?)
凪が選んだ本日のAランチは、ラザニアとグリーンサラダにきのこのポタージュ、それにアイスティーのセットである。ほぼ待ち時間ゼロで出てきたのだが、こんがり焼けたチーズの下では、美味しそうなソースがぐつぐつしている。不思議で仕方がないけれど、これだけ大勢の生徒たちの食事を提供しようというのだから、きっとさぞ立派な調理系魔導具を導入しているのだろう。
凪たちが陣取ったのは、天井から床まである大きなガラスの向こうに美しい庭園が見える、日当たりのいい席だ。隣には知的美少女のマリアンジェラ、向かいの席にお色気美少女のリディア、その隣にロリ系美少女のブリジット。
(目が! 幸せ! です……!)
思わず、ぐっと親指を立てたくなったけれど、さすがにクラスメイトとの初交流で、そこまで空気を読めないことをするつもりはない。密かに深呼吸をした凪に、コロコロと楽しげに笑いながら話しかけてきたのは、艶やかな赤い髪のリディアである。少しきつめの印象がある顔立ちの彼女だが、残念ながら縦ロールではない。ごく普通のハーフアップスタイルだ。
彼女の目の前で、黒々と輝く鉄板の上でキツネ色に輝くチキンソテーが、色とりどりの温野菜とともに美味しそうな湯気を立てている。……特大のチキンソテーが二枚重ねになっていることと、サイドメニューのポテトフライとフライドオニオンが山盛りになっていることに、かなり大きめの違和感を感じているのは、どうやらこの場では凪だけらしい。
(このスーパーハイカロリーは、もしや全部彼女の素敵なお胸になっているんだろうか……)
リディアの胸部装甲は、同い年の少女の中でも一際目を引く素晴らしさだ。凪は、今の自分が巨乳だと思っていたけれど、それはあくまでも日本人の感覚基準での巨乳であったらしい。真の巨乳というのは、きっとリディアのようなダイナマイトバディのことを言うのだろう。
「突然のお誘いで、驚かれてしまったかしら? けれどわたくしたち、昨日からずっと、あなたとお話しをしてみたかったのよ」
「そうなんですか?」
香ばしいチキンソテーの迫力が気になりつつも首を傾げた凪に、リディアがいたずらっぽく笑みを深める。
「ええ。まさか入学初日から、社交界に特大の爆裂魔導を叩きこむような一幕を、目の前で拝見できるとは思いませんでしたもの」
「……爆裂魔導」
その怖がればいいのか、若干漂う中二臭に半笑いになればいいのかわからない単語を復唱した凪は、少し困って口を開いた。
「お話し、と言いましても……。わたしとマクファーレン公爵家の関係で語れることは、昨日お聞きになったことがすべてです。正直なところ、わたしも兄からさほど詳しい事情を聞いているわけではありませんの」
「あら、ごめんなさい。そういうつもりではなかったの。どうぞ、ご心配なさらないで。マクファーレン公爵家に関する情報ならば、きっとあなたよりもわたくしたちのほうが、ずっとよく存じていましてよ」
うふふ、とほほえむリディアが、ねえ、とふわふわ黒髪美少女のブリジットに同意を求める。
「んー。マクファーレン公爵家に関する、過去十六年のあらゆる公開済みデータは、昨日のうちにぜーんぶ精査しといたー」
(……んん?)
ソフトクリームと生クリーム、そしてフルーツが山ほどのった特大のパンケーキに、たっぷりのメープルシロップをかけたものを幸せそうに頬張っていたブリジットが、妙にのほほんとした口調で言う。
「面倒くさいお嬢さま言葉を作るのに、カロリー使うのって、無駄だと思うのー。だからあたし、普段はこんな感じで喋ってるんだー」
ほわほわと笑うブリジットが、こてんと小首を傾げる。
「ナギナギのことは、一日経ってもちゃんと覚えていられたのね。だから、お話してみたいと思ったのー」
(ナギナギ)
なんだかよくわからない言葉だが、『ナギナギ』のインパクトのほうが強すぎて、そちらのほうが気になってしまう。困惑する凪に、マリアンジェラが申し訳なさそうに口を開く。
「申し訳ありません、ナギさま。ブリジットは、一度見たり聞いたりしたことは忘れない頭脳の持ち主なのですけれど……。残念ながら、本人の興味がある対象以外の知識については、本当に覚えているだけなものですから、なかなかそれらを活用することができないのですわ」
「あの……それはつまり?」
どういうことなのだ、とますます困惑していると、マリアンジェラが重ねて説明してくれる。
「例えば、どんな科目の教科書でも、彼女は一度読めばすべて記憶できますし、テストでの設問に対して完璧に答えることも可能です。ただ、興味がない知識については、日常生活にリンクさせることが難しいものですから、自発的に役立てることができない、ということです」
「……なんという宝の持ち腐れ」
凪が思わず零した言葉に、ブリジット本人がそうなのー、とうなずく。
「でも、大丈夫ー。ミルドレッド先生が、時代は省エネだって言ってたからー」
なぜかえっへん、と胸を張るブリジットの横で、いつの間にかチキンソテーを一枚減らしていたリディアが口を開いた。
「じゃあ、ボクも省エネモードでいかせてもらおうかな。――改めてよろしく、ナギ。ボクもブリジットほどじゃないけど、少々特殊体質でね。特に激しい運動をしなくても、食事さえきちんと摂っていれば、常に全身の筋肉がマックスに鍛えられた状態で維持されるんだ。体そのものも、普通の人よりかなり頑丈。素手でリンゴを握り潰す程度のことならいつでもできるから、リンゴジュースを飲みたくなったらぜひ声を掛けてよ」
「まさかのボクっ子!」
お嬢さま言葉のときには、きつめのお色気美少女にしか見えなかったリディアが、一人称と口調を変え、どこか少年めいた表情で笑うだけで、まったく別のイキモノに見える。
一瞬目を瞠ったリディアが、小さく噴き出す。
「えー。まずツッコむの、そこなの?」
「リンゴジュースよりも、オレンジジュースのほうが好きなもので……」
そう言うと、リディアがものすごくいやそうな顔になった。
「オレンジを握り潰したら、めちゃくちゃ目にしみるじゃないか」
「あ、経験者が語ってる」
「うん。あの悲劇は、二度と繰り返したくないね」
お色気巨乳美少女から、マッスルボクっ子美少女にジョブチェンジしたリディアが、かなり大きめに切り分けられたチキンを口に放りこみ、幸せそうに咀嚼する。
(いっぱい食べるキミが好き……じゃなくて。そういう特殊体質って、この世界だと普通にアリなの?)
混乱した凪がマリアンジェラを見ると、彼女はすまなさそうに眉を下げた。
「申し訳ありません、ナギさま。わたくしはこのふたりのようにこれといって秀でた点のない、ごくありふれた貴族の娘ですの」
その言葉に凪が何か返すより先に、向かいの席のふたりが口々に言う。
「何言ってんのさ、マリアンジェラー。きみの直感力? 勘のよさ? は、ほとんど固有魔術レベルでしょうよー」
「そうそう。ぶっちゃけ、キミがゴーサインを出さなかったら、いくら可愛くて面白そうなコだからって、ボクらもここまで強引にナギちゃんと仲よくなろうなんて思わなかったよ」
マリアンジェラが、軽く目を瞠って首を傾げる。
「あら、いやだ。わたくしがナギさまとお友達になりたいと思ったのは、ナギさまがマクファーレン公爵と対峙されていたときのご様子に、心から感動したからですわ。あの思いきりのいい平手打ちといい、公爵に向けられていた絶対零度の視線といい……。わたくし、本当にゾクゾクしてしまいました」
「えっと……ありがとうございます?」
褒められているポイントが若干謎だが、褒められていることに変わりはない。いいのかな、と思いながらも礼を言うと、フライドポテトにフォークを刺した手を止めたリディアが、真顔で言った。
「礼を言う必要はないよ、ナギちゃん。マリアンジェラはあのとき、新しい世界への扉を開いちゃっただけだから」
「へ?」
それはいったい、どういうことか。
凪が見つめた先で、マリアンジェラがにこりとほほえむ。
「ナギさま。言葉責め、というのは、いいものですのね」
「……言葉責め」
自分が言葉責めをしている自覚がまるでなかった凪は、呆然としながら思った。
なんでこのお嬢さま方は、揃いも揃って、こんなにキャラが濃いんだろう――と。