時代は省エネ
ミルドレッドのすらりとした体躯は、女性としてはかなりの長身だ。細身のパンツに包まれた脚が、素晴らしく長い。温かみのある紅茶色の髪をきっちりと編み込んで後頭部でひとつにまとめ、背筋を伸ばした立ち姿が実に美しかった。
落ち着いた眼差しで生徒たちを見る切れ長の瞳は、深い森を思わせるダークグリーン。健康的な色合いのふっくらとした唇、高い鼻梁がバランスよく配置された顔立ちは、一見して派手ではないが、凛とした気高さを感じさせた。
それだけならば、パーフェクトな隙のなさが近寄りがたさを感じさせたかもしれない。しかし、彼女の浮かべる穏やかな微笑が、柔らかな親しみやすさを醸し出していた。
つまり――超、推せる。
(はわわわわ……。なんてキレイなお姉さま……)
凪がウットリとミルドレッドに見とれていると、彼女は生徒たちの顔を順に見つめてから、にこりと笑った。
「さて、諸君。知っての通り、現在この大陸は地脈の乱れという難事に直面している。そのため、今年度から事態の収束に至るまで、我が魔導学園における授業カリキュラムが、非常事態宣言下のそれに準じるということは、みなもすでに知っていることと思うが――」
一度言葉を切り、ミルドレッドは軽く手のひらを打ち合わせる。
「きみたちの面構えが、想像していたよりもかなりほややんとしていたのでな。全員、今すぐ訓練着に着替えて、屋外第二訓練場へ移動したまえ」
(へ?)
ぽかんと目を丸くした生徒たちに、ミルドレッドは重ねて告げた。
「理論の先にあるのは、常に実践だ。そして、その実践に対する明確なイメージ――ヴィジョンがあるか否かは、理論の吸収という面において、大きな差異を生む。まずは、魔導理論の先にある魔導の実践というものを、その真っ白な頭に焼き付けてもらう。わかったなら、さっさと動け。授業時間は有限だぞ」
「は……はいっ」
てっきり座学がメインかと思っていた魔導理論の授業で、まさか初っ端からその実践を見られるとは。一気にわくわく指数が爆上がりした生徒たちは、それぞれロッカーにしまっておいた訓練着を持って更衣室へ向かう。
そうして、ちょっとした魔導攻撃なら無力化してしまうという、頑丈で動きやすい訓練着に着替えていると、さりげなく隣に寄ってきたソレイユに小声で話しかけられた。
「あのセンセー、かなりデキる人だよ。ぶっちゃけ、かなりの実戦経験者。周りの子たちのフワフワした魔力の流れを、完全再現してるシークヴァルトさんはともかくねー。あたしとセイアッドがある程度魔導訓練を積んでいることは、たぶん見抜かれてると思う」
「え? えっと……それって、なんかマズい?」
困惑した凪に、ソレイユはどうかな、と首を傾げる。
「問題はないと思うけど、ちょっと気になるって感じかなー。訓練着に着替えるってことは、教室じゃできないことをさせられるんだろうし。……まあ、センセーに何か言われても、適当に躱すから大丈夫ってことにしておこう!」
慎重なのか大雑把なのかわからないソレイユの言葉に、魔導に関してはド素人もいいところの凪は、黙ってうなずく。
何より、ミルドレッドの言う通り時間は有限なのだ。できる限り急いで、指定された屋外第二訓練場に向かう。そこでは、生徒たちとは少し違うデザインの訓練着を着た魔導理論教師が、軽くストレッチをして待っていた。
「ふむ、揃ったな。では、さっそくはじめさせてもらおう。全員、そこの籠に入っているボールを、ひとつずつ持ちたまえ」
ミルドレッドが示した先には、テニスボールサイズの柔らかなゴムボールが山盛りになった籠がある。生徒たちが戸惑いながら指示に従うと、彼女は籠から十歩ほど離れた地面に、太さが三センチ、長さが一メートルくらいの棒を無造作に突き立てた。
「さて。そこから魔力を使わずにボールを投げて、この棒を倒せる者はいるかな?」
(え? この授業は、いつから体育に?)
凪は、ものすごくどんよりした気持ちになって、手の中のボールを見る。昔から体を動かすことが大変下手だった彼女は、体育の授業の中で一番苦手なのが球技の類いだった。
しかも、この軽くて柔らかなボールである。たとえ奇跡が起きて、ミルドレッドが立てた細い棒に当たったとしても、倒すというのは難しそうだ。
とはいえ、これは授業の一環である。周囲のクラスメイトたちがボールを投げるのに紛れて、ぺいっと放った凪のボールは、やはり的である棒に掠りもせずに、明後日の方向へ飛んでいった。
(……うん。お兄ちゃんの顔をした世界の管理者とやらは、わたしとリオが運動音痴だった理由をいろいろ語ってたけどさ。ずっと運動音痴だった体は、やっぱり運動音痴だよね)
凪がうふふー、と遠いところを眺めているうちに、クラスの全員がボールを投げ終えたようだ。ミルドレッドが立てた棒は、先ほどまでと変わらず真っ直ぐに地面に立っている。
ミルドレッドが、ふむ、とうなずいた。
「棒に当たったボールは、七つか。……こんなにコントロールの難しいボールで、よく当てたものだな」
どうやら彼女は、そもそも生徒たちがボールを棒に当てられることを期待してはいなかったようだ。自分たちはいったい何をさせられているのだろう、という空気が流れる中、ミルドレッドはひとりの男子生徒に視線を向けた。
「そこの、ボールを最も遠くへ投げたきみ。名前は、なんという?」
「あ、はい! レナード・ブレイズです!」
元気よく答えた彼は、華やかな金茶色の髪に赤銅色の瞳、それに南方の血が混じっているらしい蜂蜜色の肌という、なんとも派手な色彩を持った少年だった。垂れ目がちの甘い顔立ちにほわほわと人なつっこい表情を浮かべているが、クラスの中でも一際背が高く、体つきも十五歳とは思えないほどしっかりしている。
彼の投げたボールは、残念ながら的には当たらなかったようだが、どうやら体の大きさに見合った立派な腕力をしているようだ。羨ましい。
ひとつうなずいたミルドレッドが、レナードに問いかける。
「レナード・ブレイズ。きみは、ボールを使わず、魔力だけであの棒を倒せるか?」
「へ? えっと、まあ倒すだけなら……」
授業中に、担当教師の許可があれば、もちろん生徒が自分の魔力を使うことに問題はない。しかし、あっさりとうなずいたレナードの様子に、凪は心底おののいた。
(え? このクラスのヒトたちって、これくらいできて当たり前なの? わたし今、全力で『そんなの、できるわけないでござるー!』って叫びたいところなんだけど!?)
思わず周囲の様子を窺うと、レナードの答えを聞いても平然としている生徒が半数、おろおろと自信なさげにしている凪の同類が半数、という感じである。凪は、全力で胸をなで下ろした。どうやら、魔導に関するド素人は、彼女だけではなかったようだ。
ミルドレッドが、レナードに言う。
「では、私が許可する。あの棒を、きみの魔力で倒してみたまえ」
「えー……。俺、不器用なんです。本当に、ただ魔力の塊をぶつけて倒すだけですよ?」
居心地悪げに眉を下げるレナードに、ミルドレッドは重ねて告げた。
「いいから、やれ」
「……はーい。スマンみんな、ちょっと離れててなー」
申し訳なさそうにクラスメイトたちに向けた彼の言葉に、ソレイユがそっと凪の腕を引く。シークヴァルトとセイアッドが、さりげなくレナードと自分たちの間に入るのを見て、凪は顔を引きつらせた。
(これって……ちょっと、ヤバい状況なんです?)
教師がついているなら大丈夫だろうとは思うけれど、なんだか不安になってきた。
深呼吸をしたレナードが、右手を棒に向けて構える。そして――
「……っ!?」
「ふむ。なかなか素晴らしい魔力量だな」
レナードが放った魔力の渦が、真っ直ぐに空気を切り裂く。その余波でグラウンドに土埃が舞い上がる中、相変わらず地面に突き立った棒の前で、いくつもの重なり合う魔導陣が淡い光を放っていた。
どうやら、ミルドレッドが描いた魔導陣らしい。彼女は軽く指先を振ると、それらの魔導陣を空中に整然と並べて笑う。
「さて。たった今、レナードが放った魔力はすべて、これらの魔導陣に吸収されたわけなのだが。あの棒を魔力で倒そうと思うのなら、当然ながらこれほど大量の魔力は必要ない。そら、この通りだ」
さまざまな大きさの魔導陣の中で、最も小さなものが一瞬強い光を放ったかと思うと、そこから伸びたわずかな魔力があっさりと棒を倒してしまう。それでも、空中に並ぶ魔導陣の輝きが減った感じは、少しもしない。
「そして、この余ったぶんの魔力があれば、こんなことも可能になる」
ひょいひょいとミルドレッドが指先を踊らせるたび、魔導陣が淡く輝き、そこから咲き乱れる花々や、美しい羽根を持つ小鳥たちの幻影が現れては消えていく。その芸術的なまでに美しい光景に、生徒たちはひたすら驚き、みとれるばかりだ。
やがて、すべての魔導陣が空中に溶けて消えると、ミルドレッドはくるりと生徒たちに向き直った。
「わかるかね? 諸君。人間の身体能力だけでは不可能なことを、あっさり可能にしてしまうのが、魔力というものだ。そして、その魔力をいかに効率的に使うかを探求するのが、魔導の理なのだよ。ただ魔力の塊をぶつけるだけでも、たしかに離れたところに立つ棒を倒すことは可能だ。しかし、それはあまりに無駄。あまりにもったいない所業と言える。即ち――」
ミルドレッドが、ものすごくキリッとした顔で言う。
「地脈の乱れが生じている今、我々魔導士に求められるのは何より省エネ。そしてこの省エネこそ、いかに魔力を効率的に導き扱うかという、魔導における基本のキである。くれぐれも、忘れることのないように」
――省エネ。
それが、凪たちが魔導学園の最初の授業で学んだ、魔導理論の基本であった。