キレイなお姉さまは、好きですか?
投稿が遅れて申し訳ありません。
侍ジャパン、最高でしたね!
翌日の朝、たった一日しか経っていないのに、随分久しぶりに感じる教室に入った凪は、そこにグレゴリーの小柄な姿があったことに、ひとまずほっとする。護衛チームの三人も、それぞれ自分の席の近くのクラスメイトたちから、積極的に情報収集――はなく、順調に周囲との交流を深めているようだ。
グレゴリーは、ぼんやりとした様子でひとり席に着いているが、少なくとも顔色は悪くない。
(よかった、よかった。昨日の今日でグレゴリーが登校してなかったら、マクファーレン公爵家のほうから何か圧力があったとしか思えないもんねえ。……いや、あれからどんどん出てきた報道記事を見てたら、マクファーレン公爵家はそっちの対応でいっぱいいっぱいだっただろうし。いろんな意味で安全第一な学生寮に入ってるグレゴリーには、今のところ構っている暇はないだろうって、兄さんも言ってたけどさ)
何しろ、この王立魔導学園の学生寮は、たとえ親族であろうとも前もって申請書を提出した上で、その許可が出た時間帯でなければ一切認めないという、大変厳しい面会制限があるのだ。
それに、ライニールがオスワルドに『グレゴリーはいい子だったから、そこんとこよろしく』と報告してあると言っていた。もしマクファーレン公爵家が、彼に対して何かよけいなことをしようとしても、きっとどうにかなるだろう。
(うん。いざとなったら、『聖女サマのワガママ』を発動して、グレゴリーを兄さんの養子にしてもらおう)
子どもを親元から無理矢理引き離すのはどうかとも思うけれど、その親がとんでもない毒親なのであれば、話は別だ。
凪は、これからのマクファーレン公爵家がどうなっていくかについて、まったく興味がなかった。公爵夫妻がどれほどの醜聞にまみれようと、そのせいで公爵家が凋落の一途を辿ろうと、すべては自業自得だと思っている。今後彼らが、自分と大切な人々に迷惑をかけないでいてくれれば、それでいい。
ただ、凪とライニールのために、泣きながら両親に立ち向かってくれたグレゴリーにだけは、どうか幸せになってほしいと願ってしまう。……たとえそれが、彼と両親との別離を意味するものだとわかっていても。
「おはようございます、グレゴリー。昨夜は、きちんと眠れましたか?」
「……おはよう、ナギ。残念ながら、しっかり寝不足だよ」
いかにも眠そうな声で答えたグレゴリーが、ぼそぼそとぼやく。
「寮の新入生歓迎会が、あれほど無礼講なものだとは思わなかった……。講堂の一角で、流行の歌を完全コピーしたライブ演奏がはじまったかと思えば、あちこちで曲芸だの軟体ショーだの、果ては特別に許可をもらった先輩方の、派手な魔術を使った一発芸が連続で披露されるし。どれも素晴らしかったけれど、小鳥型の従魔が空中に浮かべた風船を次々に割っていって、中から紙吹雪と手作りクッキーが降ってきたのが、ぼくは一番よかったな」
「……さぞ、美味しいクッキーだったんでしょうね」
凪が想像していたのとは、少々――否、だいぶ違うグレゴリーの寝不足原因である。うん、とグレゴリーが素直にうなずく。
「母上が毎日一缶あけていた、王都の有名パティスリーのクッキーよりも、ずっと美味しかったよ」
「なるほど。公爵夫人があれほどまん丸だった理由が、少しわかった気がします」
毎日クッキーを一缶あけていれば、肥満体にもなろうというものだ。心から納得した凪に、一拍おいてグレゴリーが口を開いた。
「その……ナギ。昨日は、迷惑をかけてすまなかった。あれから、いろいろと考えたんだけどね。どう足掻いたところで、ぼくはまだ未成年の子どもで、ひとりでは何もできない世間知らずだ。だから今は、ここで学ぶことに専念しようと思う」
「そうですか」
グレゴリーの瞳に、不安の色がないわけではない。両親との関係がこれほどこじれて、しかもその両親はとんでもない醜聞のまっただ中なのだ。たった十五歳の少年が、寄る辺のなさに心細さを覚えるのは当然だろう。
それでも彼は、落ち着いた声で言う。
「きちんと学んで、ちゃんとした大人になる。ぼくは、もう二度とあの家の連中の言いなりにはなりたくない。ならなくて済むように、がんばる。学校側にも、確認してみたんだ。もしぼくが今後、マクファーレン公爵家から勘当されることになったとしても、このクラスに在籍していていいそうだよ」
……どれくらい、考えたのだろう。どれほど悩んで、グレゴリーはこの決意を固められたのか。
「あなたは、ご立派ですね。グレゴリー」
本当に、心からそう思う。しかし、グレゴリーは困ったように笑って首を横に振った。
「そんなことはないよ、ナギ。ぼくの名はまだ、グレゴリー・メルネ・マクファーレンだ。……本当に、すまない。父上と母上が、きみとライニールさまにとって憎むべき敵だということは、わかっているんだ。それでも、ぼくは……」
唇を噛んで俯いた彼が、ひどく葛藤していることが伝わってくる。凪は、小さくほほえんだ。
「よろしいのですよ。昨日の今日で、いきなり何もかもを決められるわけがありませんもの。あなたがきちんと納得できるまで悩んで考えて、その結果どのような道を選ぼうとも、それはわたしたちが口出しできることではありません」
ただ、と凪は軽く頬に触れながら続けて言った。
「お兄さまはああ見えて、なかなかせっかちなところがあるものですから……。あなたがのんびり悩んでいる間に、うっかりマクファーレン公爵家を潰してしまうかもしれません。そのときは、彼らが兄を怒らせたのが運の尽きだと思って、潔く諦めてくださいね」
「え、何その死刑宣告。今、ちょっといい話しをしている雰囲気だったよね?」
真顔になったグレゴリーに、負けじと凪も真顔で答える。
「だって、お兄さまの仕事の早さときたら、わたしにはとても理解不能なんですもの」
「それはわかるけどさ! むしろ、そりゃそうだよねって感じだけど!」
頭を抱えたグレゴリーに、凪はキリッと片手を挙げた。
「ご安心くださいな。お兄さまにとって、あなたはマクファーレン公爵家の中で、唯一保護すべき対象です。たとえ、公爵家の方々が、すべて田舎の領地に押しこめられることになろうとも、あなただけはこの学園での平和な生活を続けられます」
「……田舎の領地?」
グレゴリーの目が、きょとんと丸くなる。
「えぇと……それってまさか、父上と母上も、ってことなんだろうか……?」
何やらソワソワした様子の彼に、凪は首を傾げた。
「ええ。マクファーレン公爵家の領地の中に、おふたりが過ごすのに相応しい場所があるとかで、なんだか張り切っていましたよ」
「ああ、うん。ライニールさまは、我が家の領地のことならなんでもよくご存じだろうしね。きっと、さぞ辺鄙で空気のいいところを……じゃなくてね。え? ライニールさまって、マクファーレン公爵家の一族郎党まとめて、凶暴化した魔獣の前に放り出すつもりじゃなかったのかい?」
ひどく意外そうに向けられたグレゴリーの問いかけに、凪は思わず半目になる。
「グレゴリー。あなた、お兄さまのことをいったいなんだと思っているのです?」
「……敵とみなした相手には、容赦なく死神の鎌を振るう、氷の貴公子?」
グレゴリーが、いきなり中二病くさいことを言い出した。若干引いた凪の様子に気付いたのか、顔を赤くした彼がわたわたと両手を奇妙に動かす。
「いや、きみはライニールさまと出会ったのが最近だから、知らないのかもしれないけれど! あの人が北の第一騎士団にいた頃、海賊たちから『氷の悪魔』って呼ばれていたことは、王都でも有名な話しだからね!?」
「何ソレ詳しく!」
そのとき、凪のお嬢さましゃべりが一瞬でログアウトしたのは、致し方あるまい。
(兄さんが、北の海で海賊退治してたとか! 聞いてないでござる、聞いてないでござるー!)
ぜひともその辺りをじっくりみっちり事細かに聞きたかったが、グレゴリーはそれどころではなかったらしい。
「いや、そこはご本人から聞きなよ」
「ここでまさかの正論パンチ」
がっくりと肩を落とした凪に、グレゴリーがため息交じりに言う。
「うん。だからさ、ライニールさまを全力で敵に回した父上と母上は、てっきり命をもって罪を償うことになるかと思っていたんだよね」
「……この国の貴族のヒトたちって、なんで思考回路が基本的にバイオレンスなの?」
命大事に、というのは、生きとし生けるものすべてに共通する最優先命題だと思うのだ。
死んでしまっては、反省することも後悔することもできなくなってしまうではないか。少なくとも凪は、マクファーレン公爵夫妻に死んでほしいと思ったことはない。
この体を産んでくれたレイラという女性を、公爵夫妻が殺したに等しいことはわかっている。けれど同時に、彼らはグレゴリーの親なのだ。
(レイラさんには……うん。なんか、悪い気はするんだけどさ。これ以上、グレゴリーが泣くようなことはしたくないなーと思うのでござるよ)
凪がひどく複雑な気分になっていると、グレゴリーがどこか困った顔で口を開く。
「まあ……。父上と母上は、ずっと華やかな王都で贅沢三昧をしてきたんだ。もしかしたら、そういった贅沢とは無縁の田舎で蟄居させられるほうが、おふたりにとっては辛い罰かもしれないね」
「そうなの? わたしは将来、田舎の小さなおうちで大きな犬と一緒に暮らすのが夢だから、むしろ羨ましいくらいだけど」
つくづく、凪とマクファーレン公爵夫妻は、相容れない者同士であるようだ。
そんなことを話しているうちに、始業五分前のベルが鳴った。グレゴリーに軽く手を振って自分の席に着き、教科書を確認する。
一時間目は、凪が最も楽しみにしていた魔導理論の授業だ。理論、といっても、授業内容によってはかなり実技的なこともするらしいので、今から非常にわくわくする。
そうして、期待いっぱい夢いっぱいの凪の前に、颯爽と現れたのは――
「おはよう、諸君。魔導理論の授業を担当する、ミルドレッド・フォスターだ。これから一年間、きみたちを指導することになった。よろしく頼む」
(……っ! とってもスタイルがいいのに色気よりも凜々しさを感じさせる、知的でキレイなお姉さまは、お兄ちゃんの大好物でございますッッ!!)
咄嗟に、元の世界で暮らす兄の性癖を思い出してしまうほど、素晴らしく魅力的な女性であった。