聖女さまは十二歳
そうして、面倒ごとを敬愛すべき上司に押しつけ――もとい、これから多大な困難に立ち向かう上司に激励の言葉を捧げ、シークヴァルトとライニールは王都の屋敷へ戻った。ふたりの帰還を察知した見習いたちが出迎えに玄関ホールへやってきたが、なぜだか揃って汗だくになっている。
「お……っ、お疲れ、さまでした……っ」
「いや、おまえがな?」
切れ切れに挨拶をするソレイユに、シークヴァルトは思わずツッコんでしまった。ぜいぜいと肩で息をしている彼女の隣で、一呼吸おいたセイアッドが口を開く。
「お疲れ、さまでした。実は先ほど、第三部隊のリウさんから、エルウィン隊長に連絡が入りまして。その……まさか、聖女が暮らす屋敷の掃除が行き届いていないなどという、言葉にするだけでもおぞましいことは、万が一にもあるまいな、と。自分たちが行ったとき、もし少しでも汚れたところが残っていたら――」
「……残って、いたら?」
シークヴァルトが若干ビビりつつ問い返すと、セイアッドは珍しくどんよりとした表情で答えた。
「残っていたら――で、通信を切られました」
「それは、怖いな」
魔導騎士団の第三部隊は、どういう巡り合わせなのやら、几帳面で手先の器用なメンバーが揃っている。現在、ナギの護衛としてついている第二部隊は、基本的に筋肉至上主義――まではいかないものの、大らかで細かいことをあまり気にしないタイプばかりだ。
年頃の少女の、身の回りの世話を担うのならば、間違いなく第二部隊より第三部隊のメンツのほうが適任だろう。今回の件で、第二部隊以外の者たちがナギの護衛のローテーションに入るとなると、気遣い上手な第三部隊のメンバーたちが張り切るのも、至極当然というものか。
「はい。ですから今、第三部隊のみなさんがこちらへ来たときに叱られないよう、手の空いている者は全力で屋敷の掃除に当たっているところです」
「そ……そうか」
もしこの屋敷の状態が、第三部隊のお眼鏡にかなわないレベルだと見なされれば、小姑もびっくりの細かい教育的指導が入りそうである。なんだか怖いな、と思っていると、ライニールが首を傾げて口を開いた。
「話しはわかったし、第三部隊の気遣いは大変ありがたい限りだが……。ここには、まだ越してきたばかりだぞ。おまえたちが、そんなに汗だくになるほど頑張る必要があったのか?」
彼の疑問に、ようやく呼吸を整えたらしいソレイユが、死んだ魚のような目になって答える。
「それがですねー、第二部隊の人たちがリウさんの言うことに煽られたのかなんなのか、やたらと気合いが入っちゃっていまして。あたしはずっと、お屋敷の天井を磨いていました」
「おれは、屋根です」
天井と、屋根。……それらは普通、日常的な掃除の対象にはならない場所ではないだろうか。まさか第二部隊は、この屋敷を丸洗いする勢いで掃除するつもりなのか、と戦慄したところに、セイアッドが続けていう。
「第二部隊のみなさんは、水魔術の応用で、屋敷中の配管に高水圧洗浄をかけています。カールさんがめちゃくちゃイイ笑顔で、『オシャレと掃除は、見えないところをがんばるものなんだぜ!』と言っていましたね」
「配管の洗浄……?」
ライニールが、呆然と呟く。
どうしたものか。第二部隊の掃除に対する方向性が、なんだかおかしな方向に向かっている。
たしかに、そんな所まで徹底的に掃除するのであれば、かなりの体力仕事になるだろう。しかし、この屋敷は引き渡し前にしっかりハウスクリーニングをされているし、安全上の問題がないかどうかも徹底的に精査されている。いくらなんでも、入居して十日足らずで天井だの屋根だの配管だのを掃除する必要はないはずだ。
エルウィンは、いったいどこを目指しているというのか、と困惑していると、当の本人がふらりと姿を現した。何やら、ものすごく満足げなやりきった顔をしている。
「よう。ふたりとも、お疲れさん。こいつらから、話しは聞いたか? いやあ、驚いたぞ! 掃除ってのは、やりようによってはなかなかいい鍛錬になるものなんだな!」
呵々と笑うエルウィンの楽しげな様子に、シークヴァルトは半目になった。
これは、アレだ。掃除という概念が、第二部隊の筋肉思考によって、筋トレや魔術操作訓練の一環に変貌したやつだ。
「……アンタたちのブレなさには、感心するよ」
ぼそりと言うと、視界の端で見習いたちがものすごく微妙な顔をしていた。ふたりとも、なかなか苦労をしていたふうなだけに、何やら憐憫の情がわいてくる。
ライニールが、こほんと咳払いをした。
「エルウィン。ナギは、まだ眠っているのかな?」
「ん? ああ。目が覚めてるなら、そろそろ腹も減ってるだろうし、メシを食いに出てくるだろうからなあ」
ぽりぽりと、エルウィンが頬を掻く。
「嬢ちゃんが聖女だってことを公表するまでは、大っぴらにメイドや侍女の募集をかけることができないっていうのは、わかってはいるんだが……。今のところ、嬢ちゃんのそばにいられる女がソレイユひとりってのは、なかなかどうして不便なものだな」
「……その点については、おれも憂慮している。王宮のほうでも、いろいろと考えてくれてはいるようなんだがな。今のナギが、身分としては単なる男爵令嬢でしかない以上、身元と躾のしっかりした貴族女性を侍女に迎えるのは、さすがに無理だ」
ため息を吐いたライニールが、苦笑する。
「まあ、あの子は身の回りのことは自分でできるからな。そう慌てることもないだろう」
たしかにナギは孤児院育ちだけあって、普段の生活では特段周囲の手を必要とすることはない。だが、いずれナギが聖女として公表されれば、それこそ公の場に出る際の着付けやヘアメイクなどのために、たくさんの女性たちが彼女に仕えることになるのだろう。
その様子を想像し、シークヴァルトは首を傾げた。
「なあ、ライニール。孤児院育ちのナギが、お育ちのよろしい貴族出身の侍女たちに囲まれた場合、表面上はそれなりに上手くやるかもしれんが、ものすごくストレスを溜めこみそうな気がするぞ」
ライニールが、ばっと振り返る。そして、ものすごく苦悩に満ちた表情になったかと思うと、額に拳を当ててぶつぶつと呟き出す。
「なんてことだ。たしかに、その通りだな。だが、そうなると……いや、さすがに公の場でのマナーを身につけていない者を、ナギのそばにつけるわけには……。だからといって、あの子にこれ以上のストレスを与えるなど、おれが許せん。いや、しかし……っ」
若干引きつった顔をしたソレイユが、ぎこちなく片手を挙げる。
「副団長。一応言っておきますが、あたしは盛装用のドレスの着付けや、社交界に出られるレベルの髪型やメイクまでは、さすがにできませんからね?」
真顔で主張する彼女を見て、ライニールがにこりとほほえむ。
「……ソレイユ。今からでも、その辺りに関する諸々を、王宮で学んでくる気はないか?」
「全力でお断りいたします!」
ソレイユが、思いきり食い気味に答える。彼女は元々、アイザックの筋肉に憧れて騎士を目指しているのだ。幼い頃からそのための努力を続け、ようやく夢が叶うところまでこぎつけたところだというのに、まったくジャンル違いの要望を押しつけるわけにはいくまい。
それくらいのことは、ライニールもわかっていたのだろう。ひとつうなずき、素直に詫びる。
「いや、すまない。一応、聞いてみただけだ。……仕方がないな、この件についてはあとで王妃さまにご相談させていただこう」
女性の装いという異次元の難問について、騎士団内でごちゃごちゃ考えたところで妙案が出てくるはずもない。たしかにここは、プロに相談するのが一番だ。
その場がなんとなく緩い空気に包まれたとき、ライニールの通信魔導具が着信を受けたらしい。片手を挙げた彼が、通信魔導具を取り出して口を開く。
「――はい、オスワルド殿下。……は? それは――いえ、了解しました。……ええ、こちらから伝えておきます。はい、失礼いたします」
それがオスワルドからの通信であることを、シークヴァルトは意外に思う。
今頃、東の地で明らかになったあれこれで、王宮は相当忙しいことになっているはずだ。どこぞの敵対勢力が、融解寸前の魔導鉱石を送り付けてきただけでも大変な問題だというのに、そこにノルダールの孤児院出身の何者かが関わっているというのだから。
魔導騎士団が動かなければならない現場での問題は、すでに片がついている。ここから先は、王宮上層部の領分だ。まだ何か、現場レベルの案件が残っていたのだろうか、と首を捻っていると、通信魔導具をしまったライニールがシークヴァルトを見た。
「レングラー帝国の皇帝が、あの国の聖女と婚約したそうだ」
「……は?」
目を丸くしたシークヴァルトに、ライニールが続けて言う。
「その婚約披露宴に、オスワルド殿下と婚約者さまが招待されたらしい。周辺諸国の王族やそれに連なる貴族たちが、さぞ大勢詰めかけることだろうな」
「いや、ちょっと待てライニール。あの皇帝野郎はたしかにまだ未婚だったが、オレの十二歳年上だぞ? つまり、今年三十二歳のオッサンだぞ? 聖女ってことは、ナギと同年代なんだろう? あ、ひょっとして十八を過ぎてるのか? それならまだ――」
ライニールが、憐憫の眼差しでシークヴァルトを見る。
「あの国の聖女は、御年十二歳。つまり、しっかりきっぱり未成年の少女だ」
「マジかよ」
なんということだろう。
シークヴァルトの兄が、ロリコン皇帝になってしまった。