レングラーの呪われ子
ナギの自室の周囲を、第二部隊のメンバーたちが固めるのを確認し、シークヴァルトは難しい顔をしているエルウィンを見た。
「何かあったら、すぐに呼んでくれ。オレは、第一部隊に合流してくる」
「了解した。……あまり、無茶はするなよ」
呆れ交じりの口調で言われ、シークヴァルトは口元だけで小さく笑う。
「ナギが目を覚ます前には戻るさ。じゃあな」
今頃、緊張の糸が切れた彼女は、ぐっすりと眠っているに違いない。はじめての実戦では、自分が疲れていることにさえ気づけないものだ。少なくとも、これから数時間は目覚めることはないだろう。
(さて、と。ナギの学生生活の第一歩に、こんなどでかいケチを付けてくれた阿呆は、いったいどこのどいつなんだかな)
今日の一件については、オスワルドが第三騎士団全体に箝口令を敷くと言っていた。人の口に戸は立てられぬとはいえ、ナギが普通の少女として学園で過ごす時間を、少しは確保することができるだろう。
こんなことさえなければ――東の地に、融解寸前の魔導鉱石を送り付けてくる愚か者がいなければ、聖女がこの国に存在することを知る者は、ごくわずかな数で済んでいた。しかし、こうして実際に聖女の恩恵を受けた者が増えていけば、それだけナギが自由に過ごせる時間は減っていく。
先ほどの襲撃者に敢えて聖女の存在を示したのは、ナギの安全を第一に考えたゆえのことではあるが――
(あぁ……。なんかすっげぇ、腹立つなぁ……)
今まで生きてきて感じたことのない苛立ちに、自分の吐息がひどく熱く感じる。ナギがそばにいるときには、決して表に出すことのない不快な熱が、ぐつぐつと胃の底を煮立たせていくかのようだ。
東の空へ転移したシークヴァルトは、眼下の森でいまだ仲間たちが強大な魔獣と戦っている様子を見て、小さく笑う。
(ごめんなあ、ナギ。おまえの護衛騎士とお兄ちゃんは、結構嘘つきなんだ)
どうしても聖女の力が必要だった、第三騎士団団長の汚染痕の除去、そして融解寸前の魔導鉱石の無害化は、すでに済んだ。ならば、狂化魔獣さえ討伐してしまえば、ナギがこの地に留まる理由は失われる。
彼女はすでに、充分過ぎるほどの力と優しさを示してくれた。どんな魔術であろうと、それに慣れない身での過剰な行使は、本人の心身を必ず損なう。いくら本人が望んでいたとしても、これ以上ナギを戦場近くに置いておくことはできなかった。
そのためシークヴァルトたちは、思念伝達魔導具で密かに連絡を取り合い、すべての魔獣討伐が済んだという嘘の情報を伝え、彼女を先に安全地帯へ戻すことにしたのである。ナギが魔獣討伐に関して、まったくの無知だったからこそ可能だった卑怯技だ。
ナギを戦場から離すための絶対条件であった狂化魔獣を討伐したのは、たしかに第三騎士団団長のエイドラムである。だが、あれだけの短時間でそれをなし得たのは、その場にいた精鋭たちが袋だたきにする勢いで総攻撃を仕掛けた結果だ。戦略上も、群れの頭を真っ先に潰すのは定石ではあるけれど、ほかの魔獣たちがほとんど無傷で残っている状況で、かなりの戦闘資源を消費したはずである。
現在、活動を継続している魔獣は、大型が三体。こうして見る限り、魔導騎士団と第三騎士団の連携も問題ない。この様子ならば、スタミナの問題で多少手間取ることはあるかもしれないが、日が落ちる前にはすべての討伐が完了するだろう。
(このまま高みの見物を決めこんでも、問題はないんだろうけどよ。……なんでかな。めちゃくちゃ八つ当たりをしたくて、たまんねえ)
シークヴァルトは、通信魔導具を取り出して口を開いた。
「全体通信。こちら、魔導騎士団所属のシークヴァルト・ハウエル。現在魔獣と交戦中の魔導騎士団と第三騎士団、聞こえるか? 我らが尊き聖女さまは、安全なおうちに戻ってお休み中だ。アンタらも、そろそろ疲れただろう。さっさと戻って休もうぜ、ってことで――あとは、オレが片付ける。対象の逃亡防止用フィールドだけ残して、三十秒以内に退避しろ」
言いたいことだけを言って、愛用の攻撃魔導武器を起動させる。
魔導騎士団の面々は、すぐにシークヴァルトの要請に従った。しかし、第三騎士団の動きが鈍い。再び、通信魔導具を取り出して言う。
「エイドラム団長、さっさと対象から離れてくれ。巻き添えを食らいたくはないだろう?」
『……了解した。感謝する』
そうして騎士団の面々が攻撃圏内から退避するのを確認し、シークヴァルトは右腕に装備した魔導武器を眼下に向けた。
どす黒い炎を纏った巨大な蜥蜴が二体、黒いまだら模様の鱗を持つ双頭の大蛇が一体。
すでに討伐された狂化魔獣は、空を泳ぐ巨大な魚だったという。
――哀れだと、思わないわけではない。
本来ならば、鮮やかな深紅の炎を纏っていたはずの蜥蜴たちも、純白の美しい鱗を輝かせて日向ぼっこをしているのが常の大蛇も、地上から見えないほどの上空で虹色の優美な鰭を揺らめかせる巨大魚も。こんなことがなければ、殺す必要などなかった者たちだ。
だが、こうして完全に理性を失った彼らは、人間たちにとっての災厄でしかない。
殺さなければ、殺される。だから、殺す。
それだけだ。
「仇は、討ってやるよ。……ナギによけいな血を見させた連中を、叩き潰すついでにな」
目標の魔力の流れから、核の位置を割り出し、標的として固定する。その破壊のために必要な魔力量を算出し、それを収束するための魔導陣を周囲に描き出す。
いくつもの魔導陣が明滅しながら魔獣たちの上空に展開し、徐々に光を強くしていく。
力の満ちる感覚を、ひどく心地よく感じるのはなぜなのだろう。
軽く、息を吐く。
魔導陣解放のトリガーとして設定した魔導武器を、シークヴァルトは三体の魔獣たちの中心に向けて無造作に撃った。
直後、魔導陣に満ちていた魔力が一気に迸り、魔獣たちの体を貫く。それは、それぞれの核をも同時に貫き、すさまじい爆破が連続して起こった。
魔獣は、どれほど肉体が損壊していようとも、その核を破壊しなければすぐさま周囲の魔力を吸収し、あっという間に修復してしまう。そのため、魔導士が魔獣と戦う際には、自らの魔力を奪われないよう、細心の注意を払う必要があるのだ。
(今回は、下の連中が防御フィールドを張ってくれていたから、だいぶ楽だったな。……ああ、三体ともちゃんと当たってたか)
土埃が舞い乱れる森の中、核を破壊された魔獣の肉体が、細かな粒子となって消えていく。三体の魔獣の核がすべて破壊されているのを確認し、シークヴァルトは通信魔導具に向けて口を開いた。
「全体通信。こちら、シークヴァルト・ハウエル。凶暴化した魔獣三体の核を破壊した」
『了解。こちらでも確認した。警戒区域内に、凶暴化した魔獣は存在しているか?』
アイザックからの問いかけに、ざっと周囲に探索をかける。
「いや、こちらからは確認できない。この場からの撤退を進言する」
『了解。魔導騎士団第一部隊、第三部隊は本部へ帰投。ライニール・シェリンガム並びにシークヴァルト・ハウエルは、先ほど発見されたゲート魔導陣の調査に入れ』
人使いが荒い、と言うつもりはない。どうせ、魔導研究所の連中が来るまでの監視業務だ。
アイザックに続き、エイドラムの声が通信魔導具越しに聞こえてくる。
『第三騎士団は、総員直ちに砦へ撤収せよ。怪我人への対応を最優先に。――魔導騎士団の方々に、心からの感謝を』
今回の魔獣たちが無事に討伐できたからといって、この地を守護する第三騎士団が即座に安穏とした時間を得られるわけではない。地脈の乱れが解消されない限り、各地の騎士団が暇を持て余すという事態はあり得ないのだ。
(怪我人も、また少し出たみたいだが……。まあ、ナギの治癒魔術で完全復活したヒューゴどのが、どうにかするだろ)
シークヴァルトが知る限り、治癒魔術によって回復した者が、通常時以上の気力と体力をみなぎらせているということはありえない。
しかし、汚染痕の侵蝕除去ついでに回復魔術を受けたエイドラムも、過労とストレスによってボロボロになっていた内臓をナギに癒されたヒューゴも、見るからにものすごく元気になっていた。
おそらく、ナギが片っ端から治癒しまくった第三騎士団の騎士たちも同じだろう。そうでなければ、生死の境をさまようほどの重傷を負っていた者たちが、治癒直後に前線復帰するなど不可能だ。
あの少女は、聖女としても治癒魔導士としても、つくづく規格外の存在であるらしい。
(怪我人たちが元気になるのは、いいことなんだが。エイドラム団長の命を救った聖女が、これほどハイレベルな治癒魔術を惜しげも無く披露してくれたとなると……。うん。東の連中が、揃ってナギに心酔しまくる未来しか見えないな)
当面の危機が去れば、いろいろと考える余裕も出てくる。
ひとまず、アイザックの命令通りに、先ほどナギが正常化した魔導鉱石が散らばる現場に転移すれば、一足先にライニールが来ていた。深々とため息を吐いた彼が、腕組みをして睨みつけてくる。
「いくらなんでも、やり過ぎだ。また、あの忌々しい呼び名で呼ばれたいのか?」
「レングラーの呪われ子、か? もう、子って年でもねえなあ」
笑い交じりに返してやれば、ライニールの眉間にくっきりと皺が刻まれた。
――シークヴァルトにとって、物心ついた頃から、周囲の人間から恐れられるのは当たり前のことだった。それだけならば、さほど珍しいことではない。高すぎる魔力適性を持って生まれた人間ならば、成長過程において少なからずそんな経験はしてきている。
だが、シークヴァルトが幼い頃に経験したそれには、終わりがなかった。
周囲から恐れられる側である『同類』たちにとってさえ、シークヴァルトの持って生まれた力の強さも、それを難なく制御できてしまう演算能力の高さも、ただただ異常なものでしかなかったのだ。
強すぎる力ほど、制御が難しくなるのが当然の理である。しかし、シークヴァルトはほんの幼い頃から、己の持って生まれた膨大すぎる力を、誰に教わるでもなく完璧に制御してみせた。それが、誰にとっても当たり前のことだと思っていたのだ。
……そして、彼にとっての『当たり前』が、周囲にとっての『異常』であり、『恐怖対象』でしかないと気付いたときには、すべてが遅かった。
レングラー帝国の皇位継承権を奪われることを恐れた、兄だけではない。皇帝である父親も、生みの母である皇后も――幼かったシークヴァルトの周囲にいた誰もが、彼に対して恐怖の眼差しを向けるばかり。
皇帝はそんな彼を、遊学という名目で隣国のルジェンダ王国に押しつけた。首輪、腕輪、足輪にピアス。一定以上の魔力を放出すれば、すさまじい激痛をもたらす『枷』を全身に施され、たったひとり放り出された異国の王宮。そこで、シークヴァルトは生まれてはじめて、自分を恐れない少年たちに出会ったのだ。
故郷では終わりがなかった居心地の悪さを、厄介払いされた先の異国では、少しも感じることがない。その泣きたくなるほどの歓喜を、今でも色鮮やかに思い出せる。
「いいんだ、ライニール。オレは、オレのすべてを利用して、必ずナギを守ると決めた。……安心してろよ、オニーチャン。オレがそばにいる限り、アンタの大事な大事な妹の安全は保障してやる」
「誰がおまえのお兄ちゃんか、おれをそう呼んでいいのはこの大陸でナギだけだ」
「スイマセン、オレが悪かったです」