大人たちは、ダメなことで共感するらしいです
第三騎士団の制服は、紺色を基調とした金色の縁取りのある上着に、同色のパンツ。白いシャツに赤いネクタイ。魔導騎士団のそれとはデザインがまるで違うけれど、とても動きやすいし格好いい。
凪が借りた女性用の制服は、少しサイズが大きかったけれど、ベルトを締めて調節すれば問題なかった。長い髪は邪魔にならないよう、ポニーテールにまとめる。
(ぃよし! 治癒魔術で一番大事なのは、残存魔力の確認です! というわけで!)
更衣室で着替えを終え、シークヴァルトの元へ戻った凪は、めいっぱい気合いをいれて口を開く。
「シークヴァルトさん! わたしの魔力残量がヤバそうだと思ったら、すぐに止めてね!」
いまいち自分の感覚に自信がない凪は、その辺の管理は頼れる護衛騎士さまにお願いすることにした。シークヴァルトが、ものすごく複雑そうな顔で言う。
「……おう。おまえ、第三の制服も普通に似合うな」
「ありがとうございます! って、いきなり何ー!?」
これから他人様の命には関わるかもしれない仕事をしにいくというのに、突然乙女心にジャブを入れに来ないでいただきたい。あわあわと動揺しかけた凪だったが、シークヴァルトは何やら悩ましげだ。いったい、どうしたというのだろう。
「シークヴァルトさん?」
「いや、なんでもない。――ヒューゴどの、ナギはどこから手を付ければいい?」
血塗れだった白衣を、新しいものに取り替えたヒューゴが答える。
「現在、この二階病室に重傷者、一階ホールに軽傷者を収容しています。ですので、まずはこのフロアにいる者たちを治療していきます。私は西の端から順に参りますので、ナギさまは東の端の部屋からお願いいたします」
「了解した。ナギ、行くぞ」
「ふぁい!?」
――凪が自分の足で走るよりも、シークヴァルトが彼女を抱えて走ったほうが、遙かに速いのはわかっている。それでも、お姫さま抱っこをする前に、できれば一声掛けていただきたいというのは、贅沢な願いなのだろうか。
問答無用で抱えられ、若干遠いところを見たくなった凪だったが、シークヴァルトの足でもかなりの距離を移動することになった現実を前に、潔く彼に感謝することにした。もし自力のダッシュで移動していたなら、最初の部屋へたどり着く前に息切れを起こして、床に座りこんでいたかもしれない。
(アイザックさんのおうちも、ものすごく広いと思ってたけど、やっぱり砦って砦なんだなー。すごーい、広ーい)
半ば現実逃避気味にそんなことを考えてしまうくらい、東の砦は広かった。
それはつまり、これだけ広い砦のベッドがいっぱいになるほど、重傷者が大勢いるということでもある。
(魔導騎士団以外の騎士団には、魔力がない騎士さんもたくさんいるっていうし。それでも、こうやって命がけで魔獣と戦ってくれてるんだから……。ホントに、すごいなあ)
魔力を持たない騎士が魔獣と戦う際には、内蔵した魔導結晶の魔力で攻撃や防御を可能とする、魔導武器を使用するのだと聞いた。それらの魔導武器は、すべて王立魔導研究所で研究開発されており、もちろん魔獣との戦闘に耐えうる精度と耐久性を持つものばかりだ。
しかし、どれほど立派な魔導武器であっても、魔導結晶の魔力が尽きれば、ただのガラクタになってしまう。もしそうなれば、魔力を持たない騎士たちは、暴れ狂う魔獣を前にあまりに無力だ。それでもなお、戦うことから逃げない彼らは、本当に勇気ある人々なのだと思う。
(魔力のない騎士さんたちが命がけで頑張ってるんだから、魔力だけはアホほどあるわたしが頑張らないとか、ありえないよね!)
ぐっと決意を新たにした凪は、到着した東端の部屋に着くなり、回れ右をして帰りたくなった。なぜなら、そこにいた医療スタッフらしいシンプルなユニフォームを着た人々が、揃って勢いよく振り返るなり、「部外者は立ち入り禁止ですッッ!!」と異口同音に叫んだので。
点滴のパックだけは、見ればそれなのだろうとわかったけれど、さまざまな医療系魔導具と思しきものは、どれがどんな機能を持つものなのか、まるでサッパリわからない。
それでも、医療スタッフたちがそれらの魔導具や己の持つ知識を駆使して、負傷者の命をギリギリ繋いでいる状態なのだということだけは、素人の凪にも理解できた。一瞬、そんな厳しいプロの現場にのこのこ首を突っこんでゴメンナサイ、と土下座したくなる。
(いやいやでもでも、今のわたしはなんにもできないニッポンジンの女子中学生? あれ、もう女子高生かな? じゃないから! 聖歌は歌えないへっぽこだけど、代わりに治癒魔術が得意技の聖女だからぁー!)
どうにか己の存在理由を思い出し、キリッとそれを宣言しようとしたとき、頭上のスピーカーからヒューゴの声が響いた。
『あー、あー。医療棟全スタッフ。医療棟全スタッフ。医療棟総責任者のヒューゴ・エルマンです。先ほど、対魔導隔離用閉鎖病室に搬入された第三騎士団団長は、五体満足で無事現場に復帰しました。つきましては、団長の汚染痕除去及び左腕の接合処置を行ってくださった、聖女のナギ・シェリンガムさまが、これより重傷者の治療に当たってくださいます。ナギさまは聖女ですが、切断された腕の接合を十四秒ほどで完了させた、高度な治癒魔術の使い手でもあります。みなさん、くれぐれも失礼のないようにしてください。以上です』
凪は、ぽかんと頭上を見上げる。
「ヒューゴさん、わたしたちのこと、スタッフさんたちに連絡してなかったんだ?」
「そう言えば、前線に繋いだ通信魔導具の音声は、医療棟の通信システムとは共有していなかったな。……ってことを、あいつが西の端の部屋に着いたときのスタッフの反応で思い出して、慌てて全館放送した感じか?」
シークヴァルトの推察に、凪はなるほど、とうなずいた。
「意外とあわてんぼうさんなんだねえ、ヒューゴさん」
「まあ、自分のところの団長が死にかけてたわけだからな。それくらいは大目に見てやれ。――ってことで、東の砦医療スタッフのみなさん。こちらが先日、我が魔導騎士団が保護した聖女のナギ・シェリンガム嬢です。ただいまみなさんもお聞きになったように、こちらの責任者であるヒューゴ・エルマンどのの許可は得ておりますので、負傷者の治療に参加させていただいてもよろしいでしょうか?」
礼儀正しいシークヴァルトの問いかけが、どことなく冷たく聞こえたのは気のせいだろうか。医療スタッフたちが、こちらを見て硬直したまま微動だにしなくなってしまったので、凪はおそるおそる右手を挙げる。
「あの……本当に、ヒューゴさんの許可は、もらってます。治癒魔術の訓練も、魔導騎士団でしてきました。ので、そちらの患者さんに、近づいてもいいですか?」
やはり、答えはない。だが、スタッフたちがそろそろと場所を空けてくれたので、ここは彼らの許可をいただけたと思うことにする。
(いやホラ、今この砦ってば怪我人でいっぱいなので! できればサクサク進めていって、わたしの心臓によくない状況を一刻も早く解消したいんです!)
スタッフたちにとっても、いきなり聖女だなんだと言われたところで、すぐに状況を受け入れるのは難しいだろう。即座に凪の存在を受け入れたエイドラムのほうが、たぶんちょっと普通じゃないのだ。
完全に腰が引けてしまった凪だったが、シークヴァルトが軽く背中を押してくれたことに勇気をもらい、ベッドに横たわる怪我人の腕に触れる。全身を包帯でぐるぐる巻きにされていても、不気味な汚染痕に侵蝕されていないというだけで、恐怖感はだいぶ少ない。
(……うぅ、でもこの人全身ズタボロだよう。お腹に穴が空いちゃってたみたいだし、スタッフさんたち頑張ってたんだなあ……。治れー、治れ~。よし、完了!)
治癒魔術を発動させると、対象の状態が感覚的にわかってくる。魔力を持たない相手だと、その流れでの確認はできないけれど、そのぶん体温や脈拍、呼吸の状態が明確だった。
すっかり血の気が戻った患者の顔を見つめていると、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
「ここ……は……?」
声も若干掠れているけれど、言葉はハッキリしている。どうやら、無事に治せたようだ。
ほっとした凪は、少し離れたところでこちらを凝視していたスタッフたちを振り返る。
「終わったので、次の部屋に行きますね! お邪魔しましたー!」
スタッフたちの聖域に乱入した身として、精一杯の笑顔で一礼した凪は、そうして次々に重傷者を全快させていった。数をこなしていくにつれ、魔力切れになったらという不安は若干あったのだが、ありがたいことにまったくその気配はない。むしろ、「ハイ次ー! 失礼しまーす!」と新たな病室の扉を開くたび、そこにいたスタッフたちにもれなく硬直されるのが、地味に精神疲労を呼んでくる。
凪は、思わずため息を吐いた。
「ここの団長さんって、寝起きでわたしのことを認識しても、すぐに普通にご挨拶してくれたもんね。あれくらい、ものすごく切り替えが早いというか……想定外の驚きが起こっても、すぐに受け止められる立派な肝っ玉の持ち主さんじゃないと、きっと騎士団の団長なんてやってられないんだねえ」
「ああ。オレもあれは、さすがだと思ったな。――おまえの魔力はまだまだ余裕があるというか、むしろまったく消耗した感じがないんだが、体力のほうはそうもいかないだろう。疲れたなら、少し休むか?」
病室から病室への移動は自分の足でしているが、さすがにそれくらいの距離を歩いただけで疲れるということはない。凪は新たな病室の扉に手をかけ、へらっと笑う。
「大丈夫だよー。重傷者の人たちを全員治したら、次は一階ホールの人たちだもんね。まだまだ先は長いんだから、こんなところで疲れたとか――」
「ナギさま!? もう、ここまでいらしたのですか!?」
こちらの話し声が聞こえたのか、隣の部屋から飛び出てきたのは、先ほど別れたばかりのヒューゴだった。
「あ、ヒューゴさん。お疲れさまです。よかった、ヒューゴさんがここにいるってことは、この部屋の人を治したら、ひとまず重傷者の治療はお終いってことですね」
「そ、そういうことに、なりますが……」
何やら挙動不審になったヒューゴが、シークヴァルトを見る。
「各部屋にいたスタッフへの挨拶は、非常時ゆえ省略させてもらった。負傷者の治癒は、すべて問題なく済んでいる」
「……そう、ですか。いや……ありがとうございます。大変、助かりました」
ぎこちない笑みを浮かべるヒューゴの顔色が、ものすごく悪い。凪は彼の今までの苦労を思い、憐憫の眼差しを向ける。
(この大変な中を、ずっと少人数でがんばってたんだもんね……。そりゃあ、疲れるよね)
そのとき、凪の脳裏を軽やかにスキップしていったのは、『過労死』『医者の不養生』という、大変恐ろしげなワードたちだった。なんだか不安になった凪は、最後の重傷者をさくっと全快させると、小走りにヒューゴへ駆け寄る。
「ヒューゴさん。握手、してもらっていいですか?」
「え? は……はい?」
条件反射のように差し出された彼の手を、凪はぎゅっと握りしめた。
(……わあ。外傷はないけど、ストレスで内臓がボロボロじゃないですか。有能で貴重な治癒魔導士さんが、過労死まっしぐらコースはやめてください!)
治癒魔術を発動させると、あからさまにヒューゴの体内を巡る魔力の流れが滑らかになる。……外傷がゼロなのに、ものすごく重傷だった魔力持ちの騎士を治したときと同じレベルで回復するというのは、心の底からいかがなものか。
凪はヒューゴの手を離すと、小さくため息をつく。
「ヒューゴさんの体、いつ倒れてもおかしくない感じでボロボロでしたよ。怪我人の治療も大事ですけど、その前に自分の体も大切にしてくださいね」
「……すみません。こんなに体が軽くて気分もスッキリ爽快なのが久しぶりすぎて、違和感しかありません」
真顔でそんなことを言うヒューゴに、凪は黙ってシークヴァルトを見上げた。
「あー……。倦怠感とか気分がローに入る感じって、少しずつ積み重なっていくから、かなりひどくなっても自分じゃなかなか気付かないんだよな。わかる、わかる」
腕組みをして共感を示すシークヴァルトに、ヒューゴが力強く何度もうなずく。
「ホント、そうなんですよねえ。気がついたらいつの間にか溜まっている、それが疲れと書類の山ってやつなんです」
「それな」
凪は、思わず半目になった。
いい年をした大人たちが、ダメなことで共感して、朗らかに笑い合わないでいただきたい。
誤字修正いたしました。
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