第三騎士団団長は、とても元気です
「信じ……られない……」
呆然と呟いたのは、白衣の青年。
「聖女さまが……治癒魔術を、発動させた……? しかも、切断された腕を、あっという間に接合してしまうなんて……」
その言葉に、精神的にものすごくぐったりしていた凪は、にへらと笑った。どうやらプロの目から見ても、セイアッドの兄は無事に治すことができたらしい。
シークヴァルトに支えられていた体を立て直し、見よう見まねで覚えた魔導騎士団の敬礼をする。
「はじめまして。聖女だけど治癒魔術も使える、ナギ・シェリンガムです」
「あ……は、はい! お初にお目にかかります、ルジェンダ王国第三騎士団所属の治癒魔導士、ヒューゴ・エルマンと申します! このたびは……このたびは……っ」
言葉を詰まらせたヒューゴが、片手で顔を覆って俯いてしまう。
気持ちは、わかる。何しろ、あの世逝き待ったなしだった上司が、無事に生還したのだ。彼が心から感動しているのがわかるから、なんだかちょっと照れくさい。
シークヴァルトを振り返ると、ひとつうなずいた彼が通信魔導具に向けて口を開いた。
「全体通信。こちら、魔導騎士団所属のシークヴァルト・ハウエル。現在、聖女による第三騎士団団長の汚染痕の急速侵蝕、及び左腕切断への対処は、無事完了した。団長に若干の意識の混濁は見られるが――」
「エイドラム・ジェンクス、一生の不覚ーっっ!!」
それまでぼんやりと天井を眺めていたセイアッドの兄が、カッと目を見開いたかと思うと、突然腹筋だけで跳ね起きる。動くのに包帯が邪魔だったのだろうか。きっちりと上半身に巻き付けられていたそれを力尽くで剥ぎ取ると、彼は仁王立ちになって力強く宣言した。
「なんと、ここは対魔導隔離用閉鎖病室だな!? 情けなくも意識を失っていたようだが、こうして気力体力溢れる五体満足で復活できたとはありがたい! 今すぐこの手で、あの厄介な魔獣どもを一網打尽にしてくれる!」
(……わあー……元気ぃー……)
セイアッドの兄は、見た目はものすごくクール系だというのに、中身のほうはなんだかものすごく熱そうだ。そういえば、セイアッドとはじめて話しをしたとき、彼が『うちの兄は暑苦しい』というようなことを言っていた気がする。
ヒューゴが、誰にともなく「団長の新しい制服を取りに行ってきますね」と言って足早に出て行く。凪はそのとき、なぜか良妻賢母という四字熟語を思い出した。
朗々と語られる声の大きさに耳が痛くなったのか、半目になったシークヴァルトが淡々と続ける。
「訂正する。たった今、これといった後遺症もなく覚醒したようだ」
「……ムッ!? なんと、魔導騎士団の方か! これは失礼した。察するに、俺の治療に助力してくださったのだな、かたじけない! ところで、そちらの可愛らしい女学生どのは、なぜこのように血なまぐさい戦場にいらっしゃるのだ? どのような理由であれ、今すぐ安全な場所に避難されるがよろしかろう。せっかく似合いの制服が、汚れてしまっては大変だ!」
少々……否、かなり声が大きすぎる気はするけれど、ものすごく実直、かつまっとうなご意見とともに、まったく裏表のない輝く笑顔を向けられてしまった。そのまぶしさの直撃を食らい、凪はよろめきながら全力でおののく。
(え……何このピッカピカの光属性。太陽神なの? そんな知的クールな見た目で、中身は少年漫画の主人公なの? ギャップ萌えは、魔導騎士団の専売特許じゃなかったんですか?)
彼の弟のセイアッドは、しょっちゅう表情筋に仕事をサボらせる少年だというのに、この差はいったいなんなのだろう。ふたりの見た目や雰囲気がかなり似ているだけに、ものすごく違和感が仕事をしてくる。
混乱と困惑の狭間で立ち尽くす凪の背中を、シークヴァルトが安心させるように軽く叩いて口を開く。
「お初にお目に掛かります。私は、魔導騎士団所属のシークヴァルト・ハウエル。こちらは、先日我が団で保護した聖女のナギ・シェリンガム嬢です。あなたが狂化魔獣の攻撃を受けたとの情報が入ったため、急遽こちらへお連れしました」
「そうか! 俺は、第三騎士団団長エイドラム・ジェンクス。シークヴァルトどのと、ナギ嬢か。なるほど、俺の左腕を飛ばしてくれたのは、狂化魔獣だったのだな! だから、聖女であるナギ嬢が――聖女?」
きょとんと目を瞠ったセイアッドの兄――エイドラムが、まじまじと凪を見つめてくる。凪は、再びすちゃっと敬礼した。
「はい、はじめまして。聖女のナギ・シェリンガム、王立魔導学園の一年生です!」
「……ふむ。なるほど、了解した! このたびは、我が命を救ってくださったこと、心から感謝申し上げる! ところでナギ嬢、きみは魔獣に対して聖歌を歌えるのだろうか?」
理解が早い。
いきなり聖女が目の前に現れて、さぞ驚いたことだろうに、エイドラムはすぐに対処すべき現状に意識を戻した。多少暑苦しかろうとも、これが仕事のできる男というものか、と感動しつつ、凪はへにょりと眉を下げる。
「すみません。わたしは孤児院育ちで、聖歌を歌うための訓練をしたことがないんです。今のわたしが聖女としてできるのは、対象に直接触って魔力の乱れを正常化させるか、至近距離で『キレイになーれ』の呪文を唱えることだけです」
「そうか! いや、たとえ聖歌の歌唱訓練を受けていたとしても、いきなりの実戦投入でまともに歌える聖女のほうが珍しいと聞く。俺も一応尋ねてみただけなので、きみが謝罪する必要はまったくないとも!」
キッパリと言い切られ、凪は少しだけ気持ちが楽になった。聖女に求められる役割を学んでいくにつれ、聖歌を歌えないということが、どれだけ聖女としての価値をダダ下げるのかが、いやでもわかってきてしまうのだ。
今後、聖女としてしっかり働くつもりである以上、聖歌を歌う訓練もはじめていきたいとは思っている。だが、人前で――しかも、こんなふうに誰かの血が流れている戦場で、自分が平気でひとり歌えるようになる未来など、想像することも難しい。
(わたしが広範囲に聖女パワーの効果を伝える聖歌を歌えたら、今暴れている魔獣たちだってまとめておとなしくさせることができたかもなのに……)
聖女という、換えの効かない生物兵器を損なうわけにはいかない以上、凪を無闇に危険な現場へ連れていけないというのは理解できる。
何しろ、魔獣からの物理攻撃と魔力攻撃を無効化する防御フィールドは、聖歌の効力も通さないのだ。よって、聖女が魔獣に対して聖歌を歌うときには、対象からかなり離れた安全地帯から、大勢の護衛に囲まれた上で、というのが定石らしい。
つまり、聖歌を歌えないということは、対象からの距離を稼ぐことができず、聖女の安全確保が著しく難しくなるということだ。いくらシークヴァルトや魔導騎士団の面々が強くとも、大暴れする魔獣たちの群れに防御フィールドなしに突っこむというのは、さすがに無謀すぎる。
自分の役立たず加減にしょんぼりしていた凪に、シークヴァルトが言う。
「ナギ。おまえはもう、エイドラム団長を救った。ここに来た最大の目的は、すでに達成したんだ。胸を張れ」
「その通りだ! では、ひとまず失礼する。のちほど、改めてお礼とお話しをさせていただきたい!」
ちょうどそのとき、ヒューゴがエイドラムの新しい制服とインナーを手に戻ってきた。それまで晒されていた見事な細マッチョを素早く制服に包み、エイドラムが軽く敬礼して姿を消す。きっと、仲間たちのいる場所に転移したのだろう。
凪たちがこの東の砦に到着してから、おそらく五分も経っていない。この世界に来てから、はじめてちゃんとした聖女らしい仕事をしたと思うのだが、あっという間過ぎてあまり実感が湧かなかった。
ほう、と息を吐いたのは、どこか気の抜けた顔をしたヒューゴだ。彼は凪に向き直ると、右手を心臓の辺りに当てて口を開く。
「ナギさま。改めまして、心よりお礼申し上げます。この第三騎士団において、団長は本当に団員すべての心の支えなのです。あの方が失われてしまえば、我々はきっと希望を持つことすらできなかったでしょう」
「……はい。エイドラム団長さんが元気になって、よかったです」
そうだ。少なくとも、これでセイアッドもソレイユも泣かずに済む。それだけでも、自分が聖女としてここに来た甲斐はあったのだ。だったら、あとは――
「それでは、ナギさま。シークヴァルトどの。大変申し訳ないのですが、私もすぐに任務へ戻らねばなりません。のちほど第三騎士団からの使者がお礼を申し述べに参りますので、どうぞ安全な場所に退避してくださいませ」
「え? いやあの、せっかく来たんですし、せめて怪我したみなさんの治療だけでもお手伝いさせてください! わたし、聖女としてはいまいちへっぽこですけど、治癒魔術だったらそこそこ使い物になるはずなので!」
この砦で最初に目にした、傷だらけの騎士たち。彼らはきっと、元の世界の医療ドラマで見たトリアージでいうなら、緑タグか黄色タグ状態の人々なのだろう。そして、赤タグ状態だったエイドラムを、現場に復帰できるレベルに回復させられたのだから、凪の治癒魔術に問題ないことはわかってもらえているはずだ。
今ここで、聖女としてできることがほかにないなら、せめてそれ以外のことで役に立ちたい。
しかし、ヒューゴはすぐに答えてくれなかった。何かを迷うような顔をして、シークヴァルトのほうを見る。
「……よろしい、のでしょうか?」
「ここの治癒魔導士の数が足りてないことは、聞いている。ナギの治癒魔術の精度と魔力保有量は、王立魔導研究所の連中が太鼓判を押すレベルだ。こいつの行動の結果については、すべてオレが責任を持つ。あんたが邪魔に思わないのであれば、手伝わせてやってくれ」
凪は、なんだか泣きたくなった。
いつだって、シークヴァルトは凪の望みを叶えようとしてくれる。凪がこの砦に行きたいと言ったときも、彼は一瞬たりとも迷わずその手を差し出してくれた。
甘やかされている、と思う。
それでも、もし凪が本当に危険で無茶なことをしようとしたなら、シークヴァルトは決して許してはくれないだろうという確信があった。
凪が聖女で、彼はその護衛だから。
(……うん。つまり、シークヴァルトさんがオッケーを出してくれているということは、まだ大丈夫なワガママの範囲だと思うんだ! だからヒューゴさん、ここは都合よく万能救急箱が飛びこんできたとでも思って、ちゃちゃっと使ってやってくださいなー!)
聖女として若干役立たずな自分から、目を背けたい気持ちがあるのは自覚している。それでも、今の自分にできることがあるのなら、この砦の惨状から逃げるという選択はしたくない。
再びの逡巡のあと、ヒューゴは小さくうなずいた。
「了解、しました。実を言いますと、私も含めた治癒魔導士が、みなギリギリまで魔力増幅薬に頼っている状態なもので、とても助かります。ただ――」
ヒューゴが、ものすごく困った顔で凪を見る。
「さすがに、その魔導学園の制服姿で、というわけには参りません。すぐに第三騎士団の女性騎士用の制服をご用意いたしますので、そちらに着替えていただけますか?」
「は……はい! そりゃそうですね! お手数おかけしてすみません、ありがとうございます!」
そのとき、シークヴァルトが背後で「あ、しまった」という顔をしていたのだが――自ら言い出したこととはいえ、これからはじまる重傷者への治癒魔術の行使という大仕事に緊張しまくっていた凪は、まるで気がついていなかったのだった。