お坊ちゃまの反抗期
シークヴァルトが、グレゴリーの咄嗟の選択に対して密かに賞賛の拍手を送っていると、ソレイユが軽やかな足取りでナギに近づく。
「ねえ、ナギちゃん。あたしも一緒に行っていい? 貴族さま同士のトラブルを直接見物できるなんて、この学園にいる間だけだもん! ぶっちゃけ、全力で野次馬したい!」
ものすごく興味津々、という顔をしているソレイユの言葉に、平民出身らしい子どもたちがソワッとする。その空気を感じたのか、ソレイユが悪戯っぽい顔をしてナギに言う。
「ナギちゃんもさー、孤児院育ちってことは、素のしゃべり方は違うよね? それとも、学園ではお嬢さましゃべりをしなきゃダメって言われてる?」
ナギが可愛らしく首を傾げてから、小さく笑う。
「ううん。人前ではお嬢さまっぽく話していなくちゃ、一緒にいる兄さんが恥ずかしいかなって思って、そうしてただけ。こっちのほうが楽なんだけど、これから貴族さまがたくさんいる中庭に行くしねえ。わたしの育ちが悪いせいで、兄さんが誰かにバカにされるとか、想像するだけでぶちギレ余裕だし。――ですので、今のところはこちらのお嬢さまモードでお話しさせていただきますわね? ソレイユさん」
明るく闊達な庶民モードと、ふんわり優雅なお嬢さまモードの見事な使い分けに、それを促したソレイユが爆笑する。あらかじめわかっていても、たしかに笑えてくる別人ぶりだ。
「すごい、すごい! 声まで違って聞こえるし!」
「ありがとうございます。褒めていただけて、光栄ですわ」
そんなふたりのやり取りを目の当たりにしたグレゴリーが、限界まで目を丸くしている。がんばれ。
ソレイユも立派な伯爵令嬢のはずなのだが、物心つく前から筋肉至上主義――もとい、武門で名高いリヴィングストン伯爵家で養育されたせいか、どうにも令嬢らしくない。淑女教育はきちんとされているのだし、その気になればナギ以上に立派なモード変更ができるだろうに、本人曰く「マジで勘弁してください、ずっと令嬢モードとかストレスで死んでしまいます」だそうだ。
(それにしても、孤児院育ちのナギが、ここまでちゃんとした立ち居振る舞いができるとはな。……ノルダールで、どんな『高級品』として育てられていたんだか)
非合法に魔力持ちの子どもたちを集めていたノルダールの孤児院は、捜査の手が入る直前に焼け落ちている。そこで育てられた子どもたちの資料も、そのほとんどは失われてしまった。それでも、生き残った職員や保護した子どもたちの証言から、わずかながらわかっていることはある。
体格と運動神経のいい子どもたちには、遊びという名の高度な戦闘訓練を。
おとなしく見目のいい子どもたちには、ハイレベルな座学とマナー教育を。
いずれにせよ、ノルダールで養育された子どもたちは、さぞ高値で売れたに違いない。国で管理登録されていない魔導兵士も、どんな高位貴族の屋敷にも潜り込める教養と美貌を持つ間諜も、野心ある者たちにとってはさぞ得がたい駒なのだろうから。
そんなことを考えていると、ライニールから護衛チーム三名への緊急通信が入った。
(……あぁ? マクファーレン公爵夫人が、ここにナギを呼べと喚いてる? ナギの魔力とマクファーレン公爵の魔力が共鳴しなければ、すべてライニールの虚言だと証明されるって? ……あー、マクファーレン公爵ご本人は、真っ青な顔で卒倒寸前、と。そりゃあそうだろうなあ)
魔力を持つ夫婦の間に生まれた子は、その父親が触れた瞬間に魔力の共鳴が起こるもの。それゆえ、魔力持ちの貴族の家で嫡出子として認められた子が、父親の血を引いていないということはありえない。
ライニールはその外見からしても間違いなくマクファーレン公爵の実子だが、公爵とまるで似たところがないグレゴリーもまた、疑いようがなく彼の実子なのだ。
そしてライニールとナギの魔力が共鳴した以上、彼女も間違いなくマクファーレン公爵の子どもである。
(まあ、そもそもナギの容姿が、どこからどう見てもマクファーレン公爵の子どもなんだけどな。顔立ちは、あまり似たところがないが……。髪色はともかく、あの瞳はちょっとほかでは見ない色だ)
ライニールから聞いた話では、先代のマクファーレン公爵夫人――当代マクファーレン公爵の母親が、西方の小国出身の姫君で、大層美しい金髪碧眼の女性だったという。公爵、そしてライニールとナギの持つ色彩は、おそらくその祖母譲りなのだろう。
一方、先代公爵はこの国の王家の血が濃く出たらしく、銀髪に淡い緑の瞳である。グレゴリーも、今でこそ淡いグレーの瞳だが、生まれたばかりの頃はもっと緑がかった瞳をしていたそうだ。
ナギが生まれたのは、そんなグレゴリーが生まれてから約二ヶ月後。新たな息子の誕生に浮かれていた公爵にとって、前妻の産んだ女児の存在など、まったく意識の外だったことだろう。もしかしたら今の今まで、そんな娘がいたことすら忘れていたかもしれない。
いずれにせよ、男子禁制の修道院で生まれ、その後すぐにノルダールの孤児院へ誘拐されたナギが、父親に触れられる機会などあったわけがない。マクファーレン公爵とナギが接触すれば、間違いなくふたりの魔力は共鳴する。
それをわざわざ、大勢の報道陣の前でしてみせろとは――もしや公爵夫人には、自滅願望でもあるのだろうか。
シークヴァルトは笑いを堪えながら、思念伝達魔導具に意識を集中する。
『ライニール。これから、ナギがグレゴリーとともにそちらへ向かう。オレとセイアッドは、中距離を維持して同行。ソレイユは、近距離をキープできるか?』
『はーい、大丈夫です!』
ソレイユの元気な答えに、ライニールの訝しげな問いが重なる。
『あ? なんでナギが、マクファーレンのクソガキと一緒に来るんだ?』
『お坊ちゃまに、ようやく反抗期が来たらしいぞ。まあ、マクファーレン公爵夫妻に育てられたガキが、幸せだったわけがねえってことだな』
魔導具越しに、ほんのわずかライニールが逡巡する気配があった。
『……了解した。こちらは状況に合わせて対応する』
『ああ。セイアッドは、現着したらライニールのフォローに入れ』
『了解です』
ひとつ深呼吸をしたグレゴリーは、ギャラリーのことなどすっかりどうでもよくなったようだ。そんな彼に絡みながら、ソレイユがナギの隣をキープする。
「それじゃあ、マクファーレンのお坊ちゃま。中庭にレッツゴーですよ!」
「お坊ちゃまはやめろ! なんなんだおまえは、いきなり馴れ馴れしい!」
おお、とソレイユがわざとらしく目を見開く。
「お坊ちゃまと呼ばなくてもいいと! じゃあ、グレゴリーだね! あたしはソレイユ。好みのタイプは、背が高くてムッチムチの素敵な筋肉を持つ、落ち着いた年上の男性でっす。コンパクトプリティーキュートなグレゴリーは、まったくあたしの好みじゃないから、安心してね!」
「~~っ! おまえは、ぼくをバカにしているのか!?」
足を進めながらも、くわっとソレイユに噛みつかんばかりのグレゴリーに、ナギがあくまでも真顔で言う。
「まあまあ、グレゴリー。あなたは黙っていればとても可愛らしいのですから、それでいいではありませんか。可愛いは正義です」
その途端、グレゴリーがわかりやすくうろたえた。ナギとソレイユが顔を見合わせる。少し考えるような素振りのあと、ナギがグレゴリーに問いかけた。
「あなたは客観的に見て、本当に可愛らしいですよ。……信じられませんか?」
「……ぼくは、本当に、見苦しくないのか?」
頼りなく揺れる声に、ナギは深々とため息をつく。
「あなたが見苦しかったら、この学園に在籍しているすべての学生が見苦しいということになりますね。そんなに丁寧にお手入れされた髪とお肌をして、いったいどこが見苦しいというのです?」
「そうそう。グレゴリーはあたしの好みとは真逆のタイプなだけで、すっごく可愛いし魅力的だよ! そんなに難しい顔をしてないで、にこにこ笑っていればもっと可愛くなれるって!」
周囲の女生徒たち――先ほどグレゴリーを賞賛しまくっていたクラスメイトの少女たちが、揃って力いっぱいうなずいている。
ナギが、グレゴリーに向けてびしりと言う。
「いいですか、グレゴリー。見苦しい人間というのは、我が子を傷つけて恥じることのない、あなたの両親のような者のことをいうのです。そして、妻子を持つ男性の愛人は、存在するだけでその妻子を傷つけているのですよ。そのような見苦しい者たちのくだらない妄言などに、なんの価値もありはしません。わかりましたか? わかったのでしたら、二度とあなたの可愛らしさを損なうような、卑屈な発言はなさらないように。もったいないにも、ほどがあります」
「わ……わかった……?」
語尾が怪しげではあるものの、グレゴリーがぎこちなくうなずく。その様子を見て、シークヴァルトは密かに苦笑した。
(元々が、きっとものすごく素直な坊主なんだろうなあ。今までは阿呆な両親の影響を受けまくって、ガチガチに『両親にとってのいい子』をやってた感じか? ナギの言葉責めで、その両親に対する幻想が木っ端微塵になった結果、今は自意識再構成の真っ最中、と。……これからは、ナギとソレイユの影響を、めいっぱい受けまくればいいと思うぞ。うん)
ナギもソレイユも、たまに愉快な発想で周囲を混乱させてしまうことがあるけれど、基本的にとても優しく、そして逞しい少女たちだ。彼女たちならば、両親からの虐待で縮こまってしまったグレゴリーの心に、きっといい影響を与えてくれるだろう。