お坊ちゃまの愛らしさを称える会
「それでは、叔父さま。わたしたちのせいで、せっかくご縁があって今日からクラスメイトとなったみなさまが、大変驚いていらっしゃいます。まずは、このような騒ぎを起こしてしまったことを、みなさまに謝罪いたしませんか?」
軽く手のひらを上にして促すと、グレゴリーが跳び上がって周囲を見回した。彼が泣いたり喚いたり本音をダダ漏らしているところを、ずっと眺めていた少年少女が、揃って生暖かい表情を浮かべている。
それに気付いたグレゴリーが硬直したまま動かないので、凪はこの騒ぎの片割れとして、先に頭を下げることにした。
「みなさま、入学早々お騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後はこのようなことのないよう注意して参りますので、ご容赦いただけるとありがたく思います」
グレゴリーのお陰で、クラスメイトたちとのファーストコンタクトがとんでもなく騒々しいものになってしまった。やはり駄犬扱いするべきだろうか、と思っていると、聞き慣れたものとは少し違う、けれど大好きな声が耳に届く。
「あんたは、何も悪くないだろう。そこのマクファーレン公爵家のお坊ちゃまが、あんたに喧嘩を売った。あんたは、売られた喧嘩を高値で買った。それだけだ」
(はわわわわ、十五歳シークヴァルトさんからの『あんた』呼びいただきました……大変美味しいです、ありがとうございますしゅてき……)
二十歳バージョンのシークヴァルトからは、当然ながら完全に年下扱いで『おまえ』と呼ばれているため、なんだかものすごく新鮮だ。
彼は今、平民出身の『ヴァル・シアーズ』としてこの魔導学園に入学している。そのほうがいろいろ動きやすいとのことだが、いつもより少々乱雑な口調が、実にいい。
目がハートマークになっていたらどうしよう、と不安になりながら、どうにか顔を上げる。
「あ……ありがとう、ございます。そうおっしゃっていただけて、嬉しいです」
「いや。――それで? そっちの元凶のお坊ちゃまは、自分の姪っ子にだけ謝罪させておくつもりなのか?」
シークヴァルトの揶揄する口調に、グレゴリーが顔を真っ赤にして振り返った。
「なんだと!? きさま――」
「まあ、あれだけぎゃん泣きしていたおまえに謝罪されてもな。まずは、顔でも洗ってきたらどうだ? 涙と鼻水だらけで、ひどい有様だぞ」
淡々と告げられ、グレゴリーがわなわなと震え出す。それでも、今の自分が大変情けない姿をしているというのは、さすがにわかったのだろう。足音も高らかに、勢いよく教室から飛び出していく。
教室中の注目を一身に集めていたグレゴリーが退場すると、少し場の空気も和らいだようだ。凪がほっとしていると、同じように肩の力が抜けた様子のソレイユが近づいてきた。
「いきなり大変だったね。大丈夫? あ、あたしはソレイユ。よろしく!」
彼女とのファーストコンタクトを失敗するわけにはいかない。凪はすかさず笑顔で応じた。
「はい。ナギ・シェリンガムです。こちらこそ、よろしくお願いします」
それをきっかけに、新たなクラスメイトとなる少女たちが、わっと近づいてくる。
どうやら、マクファーレン公爵家の後継者であるグレゴリーは、貴族社会の子どもたちの間ではかなり有名な存在だったらしい。
「グレゴリーさまには、わたくしも何度かご挨拶させていただいたことがございましたけれど、いつもどこかピリピリしていらっしゃる感じで……。ご両親とのご関係が、大変辛いものだったからでしたのね」
「本当に。今までは、マクファーレン公爵さまの美丈夫ぶりなら……と、あの方のなさりようもどこか当然のように思ってしまっておりましたけれど、すっかり目が覚めた心地です。まさか、愛人たちが我が子に暴言を吐くのを放っておくだなんて。いくらなんでも、酷すぎますわ」
「ええ。それも、あの方を見苦しいだなんて、とても許せません! グレゴリーさまの愛らしさを妬んだ女性の戯言など、耳に入れる価値もありませんのに!」
ぐっと握り拳を作った少女の言葉に、次々に同意の声が上がる。
「そうですわ! せっかくこうしてグレゴリーさまと同じクラスとなれたのですもの。わたくしたちで、あの方の愛らしさを全力で称えて参りましょう!」
「まあ素敵! ええ、くだらない女性の嫉妬と悪意に満ちた暴言など、わたくしたちが忘れさせて差し上げればよろしいのです!」
どうやら彼女たちは、グレゴリーを傷つけた愛人の女性たちに対し、非常に憤りを感じているようだ。それは凪とて同様だが、お嬢さま方の熱の入りようが、ちょっと怖い。
(え? いや、たしかにグレゴリーは可愛い顔をしてると思うよ? 思うけど、お嬢さま方の方向性が、『え、ナンカチガウ……』な感じに変わってない?)
突如として発生した『グレゴリーの愛らしさを称える会』が最高潮の盛り上がりを見せたとき、その対象であるご本人が俯きながら教室に戻ってきた。
そして、ぎこちなく顔を上げたグレゴリーが何か言いかける前に、少女たちが彼を取り囲んで熱弁をはじめる。
「グレゴリーさま! グレゴリーさまの子猫のようなふわふわの髪も、ぱっちりとした大きなお目々も、とってもお可愛らしいです!」
「ええ! グレゴリーさまのすべすべのほっぺも、ふっくらとした唇も、本当に羨ましいほど魅力的ですわ!」
「本当に! もしグレゴリーさまがドレスをお召しになって、きちんとしたレディの装いをなさったなら、マクファーレン公爵さまの愛人のどなたよりも、ずっと素敵におなりでしょう! グレゴリーさまを見苦しいだなんて、グレゴリーさまよりも遙かに劣った女性の無様で醜い戯言ですわ!」
大変気合いの入った少女たちからの賛辞の嵐を、グレゴリーはどうやら受け止めきれずにいるようだ。気持ちはわかる。
「え……は……?」
たじろぐように半歩下がったグレゴリーは、ひどく困惑しているようだ。その様子を見て、凪は少なからず驚いた。
(あ。ほんとだ、可愛い)
泣きはらした目をぽかんと丸くして、まるで毒気のない顔をしたグレゴリーは、たしかに大変可愛らしい。表情ひとつで、まさかこれほど印象が変わってしまうとは思わなかった。華奢で小柄な体躯と相俟って、いっそ儚げな美少年にさえ見えてしまう。詐欺だ。中身は、躾のなっていない駄犬だというのに。
(まあ……うん。とりあえず、今まであんまり褒めてもらえなかったぶん、いっぱい褒めてもらうといいよ)
犬の躾は褒めるのが基本だというし、この勢いで心優しい素敵なお嬢さま方から褒めまくってもらえれば、グレゴリーもいい感じに成長できるかもしれない。
今のところ、グレゴリーがクラスメイトたちの注目の的になっているお陰か、凪のほうにもチラチラともの問いたげな視線は感じるものの、正面から質問をしに突撃してくる者はいなかった。
すでに彼女の隣に、ソレイユが陣取っていることも大きいだろう。伯爵家の令嬢として生まれながら、幼い頃から騎士への道まっしぐらだったソレイユは、同年代の貴族出身の少女たちとほとんど面識がないらしい。そのため、虫除け効果――もとい、貴族の子どもたちからの過度な接触の抑制を期待して、平民出身の少女として入学登録をしたという。
(うーん……。平民出身の子どもがそばにいれば、貴族階級の子どもは近づきづらくなるっていうのは、本当だったんだなー。まあ、それも慣れるまでのことだろうけど)
ちらりと確認すると、シークヴァルトとセイアッドが並んで何かを話しながら、やはりグレゴリーの様子を観察しているようだ。ソレイユが、笑いをこらえるような表情でひょいと肩を竦める。そして、こそっと小声で話しかけてきた。
「ねえ、ナギちゃん。あのわんこ少年には、どんなドレスが似合うと思う?」
「レースとフリルが山ほどついた、ピンク色の可愛い系」
同じく小声で答える。なるほど、とうなずいたソレイユが、真剣な眼差しで何かを考えはじめたことには、とりあえず気がつかなかったことにした。
がんばれー、と他人事のように思いながら、グレゴリーとお嬢さま方の様子をまったりと見守っているうちに、オリエンテーション開始の時間になったようだ。
それからはすべてが恙なく進み、いかにもベテランという風情の教師により、これからのことについて一通り説明を受けた。どれもこれも興味深く、明日からの授業が今から楽しみで仕方がない。
(だって、魔術ですよ! これぞゴリゴリのファンタジー! ……いや、すでにいろいろやってはいるんだけどもね。聖女パワーは全然使ってる実感がないし、治癒魔術も「そいやー!」って気合い一発な感じだからさー。なんちゅうかこう、いまいちフワフワ感が否めないのでござる……)
凪は特に勉強が好きというわけではないのだが、興味のある対象については、思い切りのめりこんでしまうタイプだ。魔力や魔術のなんたるかをきちんと学ぶことができれば、いつかは身体強化魔術だって使えるようになるかもしれない。
(ユリアーネ・フロックハートの件があるし、法律系の授業も受けてみたいんだけどなー。その辺りは、二年生にならないと履修できないって、ちょっと残念)
魔導学園の授業は、必修科目のほかに選択科目というものがあり、それぞれ規定の単位数を習得することで、無事に進級できるという仕組みになっている。ざっと確認してみたところによれば、一年生の間はどの科目もまんべんなく基礎を履修し、二年生から興味のある科目に特化した授業を受けられるようになる感じだ。
とはいえ、何よりもまず、この世界の一般常識と一般教養を身につけたい凪としては、さまざまな科目をしっかり基礎から学べるカリキュラムは、大変ありがたい。
そうしてオリエンテーションが終了し、さてライニールと合流して帰ることにしよう、と立ち上がったときだった。
「ナ……ナギ嬢。先ほどは、無礼ばかりをすまなかった。その……少々、いいだろうか……?」
ひどくぎこちない声で問いかけてきたのは、マクファーレン公爵家のご子息だ。
「ええ。どうかなさいましたか?」
最初に顔を合わせたときとは、別人かと思うような態度の違いである。何やら悲壮感さえ漂わせているグレゴリーは、ほんの少し躊躇うような間のあと、思い切った様子で顔を上げた。
「きみとあの人の魔力が共鳴したというのなら、きみが父上の娘であることは、疑いようがないのだと思う。その上で、一応聞いておきたいのだが……。きみたちの魔力共鳴が起きた現場には、ほかに誰かいたのだろうか?」
「魔導騎士団団長のアイザック・リヴィングストン伯爵さまと、同じく団員でいらっしゃるシークヴァルト・ハウエルさまです」
え、とグレゴリーの目が丸くなる。
「リヴィングストン伯爵と、レングラー帝国皇帝の元皇弟どのが? それはまた、素晴らしく豪華な証人だな」
(………………今、なんて?)