叔父さまは、駄犬扱いはいやだそうです
「浅ましく……卑劣な、嘘つき……? 父上、が……?」
大きく目を見開いたまま、掠れた震え声で言うグレゴリーに、凪はにこりとほほえんだ。
「ええ。少なくともわたしと兄は、マクファーレン公爵のことを、そういう人間なのだと認識しています。ですが、彼も大切なご子息であるあなたには、違った面を見せることもあるのでしょう。わたしも、そこまで否定するつもりは――」
「……いや」
ありませんよ、と言う前に、グレゴリーがぽつりと呟く。
(……んん?)
想定外の反応に、凪は首を傾げる。
聞き間違いだろうか、と思っていると、突然ひくりと肩を揺らしたグレゴリーが、泣きはじめた。
(うぇえええっ!?)
しかも、控えめに言っても号泣、というやつである。ぶわぁ! といわゆる目の幅涙状態で、とても十五歳の少年とは思えない、豪快な泣き方だ。
「ち……っ、父上、は……っ! い、いつも、母上とは違う、若くて麗しい女性ばかりとっ、ご一緒していて……っ」
「なるほど。マクファーレン公爵は、今でも大変浮気性な方なのですね」
うなずくと、グレゴリーの声がますますひび割れる。
「は……母上は、ぼくが父上に似ていないからだ、って……っ、ぼくが、もっと父上に似ていたら、父上はもっとぼくらのことを、見てくれたはずなのに……っ」
「いや、それはないでしょう。わたしの兄は、マクファーレン公爵に大変よく似ているそうですが、それでもあっさり捨てられたのですよ?」
なんだか、雲行きがおかしくなってきた。
てっきりこの腹違いの兄は、マクファーレン公爵家で蝶よ花よと、大切に甘やかされたお坊ちゃまだとばかり思っていたのだが――
「じゃあっ、母上がまんまるに太ったからだー! 昔は、母上だって、お綺麗だったのにっ! 毎日甘ったるいお菓子を食べまくって、ろくに運動もせずに昼寝ばっかりしていらっしゃるから! だから、父上もまんまるくなった母上が、いやになってしまったんだあぁあああーっっ!!」
「それは……あなたのお母さまが太ってまんまるになられたから、お父さまが浮気をされたとおっしゃいたいのですか?」
凪は、むっと顔をしかめた。
「冗談ではありません。たとえあなたのお母さまが、自己責任の不摂生でもちもちと見苦しい肥満体型になってしまい、異性として愛することができなくなったとしても、それがマクファーレン公爵が浮気をしていい理由にはなりません」
「じゃあっ、なんで父上は、浮気ばかりするんだよ! は、母上は……っ、父上しか、見ていないのに!」
そんなことは、本人に聞いていただきたい。
とはいえ、どうやら話しを聞く限り、マクファーレン公爵は一般的な体型の美女がお好みのようだ。我が子にまんまると評されるほどの、ご立派な体型となった妻への愛情が薄れてしまうのは、一応わからなくもない。そんな夫の愛情をキープする努力を怠った公爵夫人にも、自業自得という向きはあるだろう。
だが、そもそも妻がまんまるになってしまうほどの暴食を、夫たる者が見過ごしているというのはいかがなものか。もし凪が将来結婚をしたとして、パートナーが極端な不摂生に走りはじめたなら、必ずどうにかして止めようと思うだろう。
(心と体が健康なら、まんまる体型になっちゃうほどの暴飲暴食なんて、普通はしないだろうし。だったら、何かの病気とか、ひどいストレスがあるんじゃないかって、相手のことが心配になるもんじゃないの?)
なんにせよ、まずは不摂生に走りはじめた相手の気持ちに寄り添いたいと思うし、もし何か原因があるのであれば、それを取り除くため一緒にがんばりたいと思う。凪にとって、家族であるとはそういうことだ。
(……って、公爵夫人のストレス原因なんて、夫の浮気に決まってんじゃん! 公爵夫人のまんまる原因、公爵本人じゃん! 公爵が浮気をやめない限り、公爵夫人が延々と丸くなり続ける永久機関が完成してるよ! そんなの、全然エコじゃないよ!?)
つまり、妻のまんまる体型を放置して、堂々と浮気を続けているマクファーレン公爵にとって、妻の健康はどうでもいいことなのだろう。彼はつくづく、夫にも父親にもなってはいけない御仁らしい。
あまりの不毛さに無言になった凪だったが、グレゴリーはべそべそと泣きながら話し続ける。
「ぼ……っ、ぼくが、どんなにがんばっても、母上は『あの女の息子はもっとすごかった』って、おっしゃるばかりだし……っ! ぼくだって、がんばってるのに……っあ、あんな、騎士養成学校を首席で卒業して、あの若さで魔導騎士団副団長になるような人と比べられたって……!」
(あ、それはさすがに可哀相)
ライニールは我が兄ながら、少々優秀すぎる御仁なのである。半分とはいえ、血の繋がった兄があれでは、思春期真っ只中の少年にはきつかろう。グレゴリーのことを、ライニールやオスワルドは『能なし』と評していたけれど、それも比較対象が悪すぎただけだったのかもしれない。
……もしかしたら、グレゴリーのライニールに対する無礼な態度は、コンプレックスの裏返しだったりするのだろうか。なんだか、気の毒になってきた。
(つーか、公爵夫人ひどくない? 自分の子どもががんばってるんだから、結果はどうあれそこは認めてあげようよー)
そもそも、子どもを比べて育てるというのがよくないと、凪は思う。
ライニールは、文句なしにかっこいい。グレゴリーは、黙っていれば可愛い。それでいいではないか。
「ぼくだって、好きでこんな髪と目で生まれたわけじゃないのに……。ち、父上の愛人たちにまで、父上の子のくせに、なんでそんなに見苦しい姿なのかって、笑われるし……っ」
「お待ちなさい。どこの性根がただれ落ちたバカ女が、そのような酷いことをあなたに言ったというのです?」
思わず口を挟んだ凪に、きょとんと顔を上げたグレゴリーが答える。
「みんな、そう言うから……誰かと、言われても……」
「みんな? みんな、ですって? 自分の愛人たちを子どもに会わせるだけでも許しがたいのに、揃ってそんな暴言まで吐かせていたと? ……そうですか、よくわかりました。マクファーレン公爵は浮気性のろくでなしであるだけでなく、我が子を虐待する腐れ外道でもあったのですね」
グレゴリーが、若干ひねくれた性格の少年に育ってしまったのも、さもありなんだ。
父親は女遊びばかりで、まったく家庭を顧みない。
母親はそんな父親に執着し、我が子に過度の期待をかけて傷つける。
そんな家庭環境で、子どもがまっとうに育つわけがない。
深々とため息を吐いた凪は、ふとグレゴリーに問いかけた。
「先ほどからお話しを聞いておりますと、あなたもあなたのお母さまも、随分マクファーレン公爵と同じ髪と瞳にこだわっていらっしゃるようですが……。あなたが、兄とわたしをやたらと敵視しているのは、そのせいですか?」
「~~っうるさい、うるさい!」
少し落ち着きかけていたグレゴリーが、再び泣きわめく。図星か。
「だって、母上がそう言うんだ! ぼくが、父上とまるで似ていないのが悪いんだって! だったら、父上にそっくりなあの人ときみがいたら、ぼくなんかいらなくなる! ぼくなんかより、あの人のほうがずっと優秀なんだから! だから……っ」
「いらないのは、マクファーレン公爵と公爵夫人です」
グレゴリーが、止まった。
「子どもを傷つけるばかりの親など、親を名乗る資格はありません。公爵夫妻に、あなたが不要なのではありません。あなたにとって、公爵夫妻が不要であり、害悪なのです」
「……え?」
真っ赤になった少年の目から、止めどなく涙が溢れ落ちる。
「奇遇ですね。わたしの人生にとっても、マクファーレン公爵夫妻は不要であり、害悪です。わたしがこの国で平穏に生きていく上で、彼らの存在は邪魔でしかない」
そう言って、凪はにこりとほほえんだ。
「あなたは、これからどうしますか? グレゴリー・メルネ・マクファーレン」
「どう……って……」
困惑する腹違いの兄に、凪は告げる。
「今日の保護者たちが集うガーデンパーティーには、多くの報道関係者が入っていると聞いています。今頃は彼らの前で、私の兄がマクファーレン公爵夫妻にご挨拶しているところかもしれませんね」
ひゅっと、グレゴリーの喉が鳴った。
「お察しの通り、兄はマクファーレン公爵にすべてを語るつもりです。わたしが、公爵の娘であることも。兄とわたしが、今後一切マクファーレン公爵家と関わるつもりがないことも。……今日、マクファーレン公爵夫妻の名誉は、地に落ちる」
現在、シスコン街道を全力で驀進中のライニールのことだ。
もしかしたら、マクファーレン公爵夫妻の名誉を地に落とすどころか、地下深くに埋めて踏み固めた上で、二度とひょっこり出てくることがないようにコンクリートで固める勢いかもしれない。
「そん……な……」
「そのことで恨むのでしたら、兄でなくわたしをどうぞ。兄の行動のすべては、わたしを守るためのもの。わたしが兄の前に現れなければ、彼はマクファーレン公爵家に対して何もすることはなかったでしょう」
グレゴリーの顔が、くしゃりと歪む。
「それでも、たとえどんな外道であろうと、あなたにとってマクファーレン公爵夫妻は血の繋がったご両親。そう簡単に切り捨てられるようなものではないのは、理解できます。あなたが今まで通りに、彼らとともにあることを選ぶのでしたら、どうぞご自由に。そのときはわたしのほうも、それなりの対応をさせていただきます」
びく、とグレゴリーの肩が震えた。
「そ……それなり、って……?」
「わたし、躾のなっていない愛玩犬は、好きではありませんの。きゃんきゃんと騒がしくて、うっとうしいだけですもの。わざわざ構ってあげようと思うほど、わたしは暇ではありません」
にこりと笑って言ってやると、グレゴリーはこれからの自分の選択次第で、凪から『躾のなっていない駄犬』扱いされることを悟ったのだろう。顔を引きつらせ、何か言いかけては口ごもる、ということを繰り返す。
やがて俯いた彼は、ぼそりと言った。
「ぼくは……浮気ばかりしている父上も、ぶくぶく太ってヒステリックな母上も、好きじゃない。あの人をマクファーレンから追い出しておきながら、彼とぼくを比べてばかりの連中も、大嫌いだ」
「そうですか」
グレゴリーの声が、引きつる。
「それ、に……ぼくは、犬じゃない」
「そうですね。そうやって普通にお話ししていただけたら、あなたも普通の男の子に見えますよ」
――駄犬扱いされたくなかったら、二度と大声で偉そうにきゃんきゃん喚くんじゃねえ。
そんな凪からの圧を感じたのか、グレゴリーが縮こまった。
「でも……ぼくがいなくなったら、あの家を継ぐ者がいなくなる。……あの人は、マクファーレンを継ぐ気は、ないのだろう?」
「ええ。今の兄には、不要なものですもの」
どうやらグレゴリーは、公爵家を継ぐ者としての義務を気にしているらしい。だが、そんなことを言い出すということは、その義務から逃れたいという気持ちも少なからずあるのだろう。
凪は、小さく息をついた。
「少々、性急でしたね。申し訳ありませんでした。今すぐにすべてを決めろとは言いません。あなたにも、いろいろと思うところがあるでしょう。ですからまずは、普通にクラスメイトとしてお付き合いをしていきませんか?」
「……クラスメイト?」
グレゴリーが、ものすごく意外そうな顔になる。
「ええ。何か問題でも?」
「いや……その、だが、きさ……き、きみは、ぼくの妹? いや、姉? うん? どちらなんだ?」
彼の凪に対する二人称は、きさま、から、きみ、に変わったらしい。別に、ありがたいとは思わない。ダメダメだったものが、普通になっただけだ。
「あなたのほうが、わたしよりも二ヶ月ほど先に生まれたと聞いています」
「そ、そうか。では、きみは――」
何やら嬉しそうなグレゴリーに、凪は淡々と言ってやる。
「ただ、わたしは法律上、マクファーレン公爵家とはなんの関係もありません。孤児として個人登録をした上で、兄の養女になりましたから。強いて言うなら、あなたはわたしの叔父ということになりますね」
「叔父……っ!?」
義父の弟なのだから、そうなるだろう。
「ええ。よかったら、今後はあなたのことを叔父さまと呼ばせていただきますよ」
「オジ、サマ……」
グレゴリーが唖然と繰り返し、それから今にも泣き出しそうな顔になる。そんなに叔父さま呼びがいやだったのだろうか。
だったら、ここはぜひ採用させていただこう。初対面でいきなり喧嘩を売られたことを、凪はしっかり根に持っているのだ。
誤字修正いたしました。
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