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魔導学園に入学します!

 天気は快晴。

 凪は今日、ライニールとともに魔導学園の入学式に出席する。彼はこの国の貴族社会で、かなり顔を知られているのだという。

 マクファーレン公爵家から絶縁され、手切れ金のように渡されたのは、名ばかりの男爵位。そのほかには小さな領地すら持たない彼は、たった五年で魔導騎士団の副団長にまでなった。彼が行うさまざまな分野への投資は、最初は微々たるものだったその個人資産を、今や小国の国家予算レベルにまで膨らませている。


 この五年間、社交界には一度も顔を出していないとはいえ、ずっと本人が拒否し続けている領地も、いずれ国王から与えられるだろう。そうなれば、国内有数の資産家で、若く美しく、おまけに面倒な舅も姑もいない彼は、未婚の貴族女性にとって格好の獲物――もとい、結婚相手であるらしい。


「そんな兄さんが、五年ぶりに貴族さまがたくさんいる場に出てきたと思ったら、わたしという『いるはずのない妹』の入学式でした、と。なんだか、ものすごくびっくりされそうだねえ」

「ああ。おれが今日の入学式へ出席することは、誰にも知らせていないからね。きっと、マクファーレン公爵家のみなさまも、さぞ驚いてくださると思うよ」


 やはりと言うべきなのか、ライニールと凪の腹違いの兄弟である少年も、本日魔導学園の新入生として入学してくる。そして、マクファーレン公爵夫妻も、その保護者として入学式に参加するという。


 今、ふたりが乗っているのは、豪奢な箱形の馬車の本体だけが、地面から十センチほど浮きながらオートで目的地まで進んでいく、不思議な中速移動用魔導具だ。はじめて見たときには、『馬がいないのに、勝手に馬車が走ってる……? ていうか、超低空飛行? え、馬車、とは?』と困惑したものだが、乗り心地は素晴らしくよかった。何よりこの外観のレトロ感がヨーロッパ風のおしゃれな街並みにマッチしている。馬が引いていないのに呼称が『馬車』というツッコミどころも相俟って、今となっては凪のお気に入りの交通手段だ。

 その馬なしの馬車の中で、凪はくすくすと楽しげに笑った。


「わたしのもうひとりのお兄さん、グレゴリー・メルネ・マクファーレン、だっけ? その子もきっと、すごくびっくりするだろうね。兄さんも五年ぶりに会うなら、顔を見てもわからないんじゃない?」

「そうだね。おれが覚えているのは、十歳の生意気盛りのクソガキだ。オレがあの家を出るときには、栄えあるマクファーレン公爵家の嫡男だった方が、男爵位如きに身を落とすとはお気の毒なことですね、とまったくひねりのないことを言ってきたよ」

「うーん……。まあ、まだ十歳だし。そこは将来に期待……って、今がその将来か」


 一応、貴族の階級について、少しは覚えた凪である。

 上から公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵。ほかにも辺境伯だの騎士爵だのとあるらしいが、魔導学園のモットーは、学生間の身分を問わない交流による、豊かな可能性を持つ子どもたちの教育、だ。

 つまり、建前上は学園内では生徒同士は全員平等。身分が下の者が、上の者におもねる必要はない。そんなことをしている暇があるなら、しっかり勉強をしなさいね、ということである。


 そんな魔導学園の制服は、凪が密かに期待していた通り、とても素敵なものだった。女子のそれは、淡いくすみグリーンを基調としたワンピースだ。縁をフリルで飾られた白いカラーと、胸元のローズピンクの大きなリボンがアクセントになっていて、フロントに並んだボタンと腰のウエスト調節ボタンには学園の紋章が刻まれている。背中に編むようにあしらわれたサテンのリボンは胸元のリボンと同色で、三百六十度どこから見ても可愛らしい。


 そして、あまり華美にならないものであれば、アクセサリーは認められているということなので、凪の両耳と首は揃いのピアスとペンダントで飾られている。小さなドロップ型の青い魔導結晶が揺れているデザインだが、当然ながらただのアクセサリーではなく、GPS機能をはじめ、さまざまな防護術式が付与されているらしい。


 王立魔導研究所で作られたものだそうだが、ライニール曰く、これだけたくさんの術式を付与していながら、なんの術式も付与していないように見せる隠蔽機能が素晴らしい、とのことだった。凪にはよくわからないけれど、ぱっと見にはただのシンプルなアクセサリーに見えるので、学園に行くときは常に付けているように、と言われている。


「わあ……」


 そして、いよいよ学園の敷地内に入れば、そこは制服を着た大勢の子どもたちと、その両親と思しき華やかに着飾った人々でいっぱいだった。

 オスワルドには、入学前に見学に行くことを勧められていたのだが、あれからいろいろと忙しくて、結局それは叶わなかったのだ。そのため、見るものすべてが新鮮で、同時に何やらふわっとした既視感がある。


(すごーい……。なんだこれ、どこかで見たぞ? ……あ、あれだ! 千葉にあるネズミの国の素敵パレード! 着ぐるみ! どこかに可愛い着ぐるみはいませんかー!?)


 馬車止まりでライニールにエスコートされて地面に降りるなり、ついキョロキョロと辺りを見回してしまう。そんな凪に、ライニールは柔らかな口調で優しく言った。


「何か、気になるものでもあったかい? おれの可愛いお姫さま」

「……っなん、でもないです。お父さま」


 あやうく「ごふっ」と口から出してはいけないナニカを噴き出しそうになったが、どうにか堪える。


(く……っ、最初から飛ばしてきますね、兄さん……! ふっ、いいでしょう。受けて立とうじゃあーりませんか。喧嘩と料理は何よりも下ごしらえが肝心だと、お母さんも言っていました! お母さんの喧嘩の相手は、主にこちらの都合をまったく考えずに同居を迫るおばあちゃんでしたけど!)


 自分でも、何を考えているのかわからなくなってきた。

 今の凪の役どころは『注目度バッチリのイケメン若手貴族に優しくエスコートされる、彼と同じ髪と瞳をした謎の美少女』なのである。たとえどれほどライニールの攻撃力が高かろうと、初手から撃沈している場合ではない。


 この日のために、鏡の前でソレイユからビシバシに鍛えられた、愛らしく可憐な笑みを浮かべてライニールを見上げる。ここは、公共の場なのだ。迂闊なことをしては、ライニールの恥になってしまう。凪は、リオの記憶からそれらしい振る舞い方を引っ張り出し、そのモードにシフトする。


「素敵なドレスを着た女性がたくさんいらっしゃるものだから、つい見とれてしまいました」

「そうか。ナギは、どんなドレスが好みなのかな? 気になるドレスを見つけたら、あとで教えてくれるかい。それを参考にして、新しいドレスを作ってあげよう」


 そう言ってライニールが笑った途端、周囲にざわりとどよめきが広がった気がした。しかし、一瞬のことだったので、気のせいかもしれない。

 ライニールに導かれ、入学式の会場である講堂に向かって歩き出しながら、できるだけゆっくりとした口調で話す。


「ありがとうございます、お父さま。でも、わたしはこれからこの学園に入学するのですもの。ドレスを着る機会なんてないのに、もったいないです。お気持ちだけ、受け取らせていただきますね」

「そんなことはないよ、ナギ。実は王太子殿下が、きみを自分の婚約者に紹介したいとしつこくてね。できれば近いうちに、その機会を設けたいとおっしゃっているんだよ」


 凪は、驚いた。


「王太子殿下の婚約者さまに? なぜでしょう?」

「うーん……。あの方は昔から、何を考えているのかわからないところがあるからね。もちろん、きみがいやならお断りしておくよ」


 この様子だと、凪がいやだといえば本当にこの話は立ち消えになるのだろう。

 しかし、王太子とその婚約者となれば、以前彼女がふわっと妄想した、理想的な王子さまとお姫さまカップルである。正直、見てみたい。


「……お父さまも、ご一緒してくださるのですよね?」

「もちろんだよ。おれがきみを、たったひとりでそんな場に放り出すわけがないだろう?」


 それならいいか、と凪はうなずく。


「でしたら、ぜひご挨拶させていただきたいです。王太子殿下の婚約者さまというのは、どんな方なのですか?」

「殿下の婚約者は、エレオノーラ・リンドストレイム侯爵令嬢。おれもご挨拶したことはないけれど、とても聡明でお優しい方だと聞いているよ」


 聡明で、優しい。ならば、聖女を騙るようなおバカさんで、リオを平気で殴っていたユリアーネ・フロックハートとは、真逆の人物とみた。

 ほっとした凪に、ライニールがにこにこと楽しげに笑って言う。


「そういうわけで、ナギ。きみは、どんなドレスが好みなのかな? 王太子殿下とその婚約者の女性にご挨拶するとなれば、ドレスを用意しないわけにはいかないからね。できるだけ早めに教えてくれると嬉しいなあ」

「……ぜ、善処いたします」


 そんなことを話しながら歩くうちに、芸術的な壁画で飾られた講堂に到着した。受付を済ませ、コンサートホールのような構造の会場へ入って、ライニールと並んで席に着く。

 どうやら、貴族階級の子どもたちは、着飾った両親とともに出席するのが普通らしい。なんだか、昔何かの映像で見たオペラの観客席みたいだな、と思う。


 ライニールももちろん盛装しているけれど、ほかの男性陣に比べると至極シンプルな装いだ。しかし、よその保護者たちの誰よりも人目を惹いているようなのは、決して凪の気のせいではないだろう。


(まあ、うちの兄さんは、若くてキラッキラのイケメンでスタイルも抜群でいらっしゃいますから? よけいな装飾品なんてなくても、超絶目立つのは当然の当たり前なんですけどもね?)


 凪がもともと保有していた濃いめのブラコン成分は、ライニールに対しても順調に効果を発揮しつつあるようだ。内心、「うちの兄さん、超カッコいいでしょう! でしょう、でしょう!」とドヤりつつ、あまり失礼にならないように気をつけながら、凪は周囲の華やかなドレスのチェックをはじめた。

 それに気付いたのか、ライニールが低く抑えた声でアドバイスをしてくれる。


「この場にいる女性たちのドレスは、みな落ち着いた淑女向けのものだからね。十代のきみが着るには、ちょっと地味だ。それでも、きみが『素敵だな』と思うドレスであれば、その工房のデザイナーがきみ好みのドレスを作ってくれるかもしれない。そうじゃなくても、好きな色の組み合わせや、レースの使い方だけでもわかれば充分だよ。客の些細な好みの違いを把握して、その相手に一番似合うドレスを作るのはデザイナーの仕事だ」


 とりあえず、凪のドレスがオーダーメイドになるのは、完全に確定事項であるらしい。


「じゃあ、まずは色からいこうか。ナギは、何色が好きかな?」

「淡い青と、白が好きです」


 そう、とライニールが笑う。続けて、レースの使い方や刺繍の柄の好み、髪飾りの素材やそこにあしらう宝石の色まで、凪が感心するほど細かく尋ねられた。ライニールはこの五年間、社交界にまったく顔を出していなかったというが、こういった女性の装いに関する知識は、いったいどこで手に入れてくるのだろう。

 不思議に思った凪が問いかけようとしたとき、ふとライニールが彼女から意識を外した。


「ああ、残念。そろそろおしゃべりはおしまいかな。式がはじまりそうだ」


 ざわついていた講堂内に、音響系魔導具の稼働音が響く。口を閉じ、背筋を伸ばして前を見ると、壇上に魔導学園の学園長が姿を現した。

 粛々とした雰囲気の中、入学式がはじまる。


(へー。学校の入学式の雰囲気は、どこもあんまり変わらないんだなあ。……リオのほうも、入学式はそろそろかな。ここの制服もすごく可愛いけど、あっちの制服もずっと憧れてたから、着られないのはちょっと悔しいでござるー)


 凪が通うはずだった高校に、中学時代に仲のよかった友人は誰も進学していない。それがわかったときは、とても残念だったし寂しかった。

 けれど、こうなった今となっては、むしろよかったのかもしれない。凪の中身が、いきなりぴゅあっぴゅあなリオになっても、高校デビューといじられることはないだろう。


(……リオ。同窓会とかは極力避けようね。わたしの友達が、わたしの顔でほわほわ笑うリオに会ったら、笑いすぎて死んじゃうかもしれないからね。女子高生の突然死事件が発生、死因は極度の笑いすぎ……いや、さすがにそれはないか)


 そんなばかなことを考えているうちに、無事に入学式は終了した。なんだかエラそうな肩書きのおじさんおばさんがいろいろ話していたけれど、何も覚えていなくて申し訳ない。

 だが、そもそも子どもというのは、興味のないことはすぐに忘れてしまうものなのだ。つまり、凪が――ピッカピカの新入生が興味を持つことができない話しを、延々としていた彼らに落ち度がある。よって、凪は無罪。脳内裁判終了。


 それから一度ライニールと別れ、前もって知らされていたクラスでオリエンテーションを受けることになった。保護者たちは生徒たちが戻ってくるまで、学園の中庭でお茶や軽食、酒類を楽しみながら待っているらしい。

 ライニールが、心配そうに声をかけてくる。


「ナギ。ここから先は『はじめて会う人ばかり』だけれど、大丈夫かい? 緊張して気分が悪くなったら、すぐに担任の教師に言うんだよ」


 凪は素直にうなずいた。シークヴァルトとソレイユ、セイアッドとは、今日が初対面の設定なのだ。

 そして、非常に残念なことに、男子組のシークヴァルトとセイアッドは、凪とは少し距離を置いた中距離護衛ということになっている。近距離護衛は、ソレイユの担当だ。やはり、女子同士のほうが常に一緒に行動しても不自然ではない、ということらしい。


 正直なところ、シークヴァルトに距離を置かれるのは、少し――否、かなり寂しかった。しかし、四六時中彼にそばにいられては、凪の心臓が過労状態になるのは間違いない。心臓にストライキを起こされては、持ち主である凪も死んでしまうので、ここは我慢しておくことにする。


「はい、大丈夫です。お父さまも、気をつけてくださいね」


 保護者たちが楽しむ中庭でのガーデンパーティー。それは、同い年の子どもを持つ保護者たちの、社交場だ。つまり、ライニールが彼の獲物――もとい、当代マクファーレン公爵夫妻と、五年ぶりに顔を合わせることになるのである。

 校舎の前で足を止めたライニールが、にやりと笑う。体をかがめ、彼はひどく楽しげに囁いた。


「知っているかい? きみの『兄』は、実は結構優秀な男だったりするんだ」


 ――兄。

 自らを指してそう言った彼に、凪は柔らかくほほえんだ。同じように、こっそりと囁き返す。


「もちろん、知っています。では、楽しんでいらしてくださいね。……兄さん」

「ああ、行ってくる。愛しているよ、ナギ」


 ライニールの指先が、頬を軽く撫でていく。


(………………ヒェッ)


 一瞬、砂糖漬けにされたかと思ってしまったけれど、どうやらそんなことはなかったらしい。ちゃんと動ける。よかった。


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