罰則は、罰になるから罰則というのです
あやうく「ヒェ! なんてイケメン!」と叫びそうになってしまったけれど、凪はどうにか首を横に振った。
「いいえ。その……アイザックさんから聞いているかと思いますけど、わたしがレディントン・コートにいた怪我人のみなさんを治したのは、わたしの治癒魔術の確認のためです。本来ならば、不必要な治癒魔術の行使は、安易にするべきではないと教わりました」
治癒魔術を受けた人間の体は、それこそ凪が自ら経験したように、傷跡ひとつ残さず完治してしまう。まるで、怪我をした事実すらなくなったかのように。
だが、万が一治癒魔術の行使中に術者の魔力が尽きた場合、被術者の怪我は治るどころか非常に中途半端な状態――すなわち、傷のあった場所が再びぱっくり開いて、大量出血してしまうこともあるそうだ。怖すぎる。
その可能性をきちんと説明された上で、初心者にもほどがある凪の治癒魔術の、言うなれば実験台になってくれた騎士のみなさまには、大変申し訳ないことをした。
幸い、彼らの傷はきちんと治すことができたし、本人たちからはそのことを感謝もされたけれど、治癒魔術の扱いに慣れるまでは本当に怖かった。お陰でその日は、ひとりで自室に戻るなり、また胃の中のものを全部吐く羽目になったものである。極度のストレス、よくない。
もっとも、治癒魔術といっても、凪の場合は本当に気合いのようなものなのだが。怪我人の体を見て、『あ、ここを治さねば』というところに手を当て、治れー、治れ~、と念じると、手のひらがほんわり温かくなる。その熱が引けば、不思議に傷が消えている、という感じだ。
また一般的に、治癒魔術というのはかなり魔力を消費するらしいのだが、当時レディントン・コートにいた怪我人を全員治しても、凪が特に疲れることはなかった。
(……あ。ちょっとヤなこと思い出したぞーう)
治癒魔術の効果確認の『前』に受けた検査の結果、凪の魔力保有量は、王立魔導研究所の職員が驚くほどの高い数値だったそうだ。先にその結果を教えてもらえていれば、治癒魔術を使うときあまり怖い思いをせずに済んだだろう。あの件以来、凪は『王立魔導研究所の職員は、気が利かない』と認定している。
(自分の体なら、完全自己責任だし好きにしてもいいんだけどさー。……緊急事態でもないのに、他人様の体に干渉するっていうのは、やっぱりヤダ)
困った凪は、ライニールを見上げた。
「これからしばらくは安全な学園に通うんだし、治癒魔術の出番ってそうそうないよね?」
「ああ。心配することはないよ、ナギ。そもそも学園の敷地内では、教員の許可なく魔術を行使することは禁じられているんだ。それは、治癒魔術も例外じゃない」
何より、と兄が小さく笑う。
「シークヴァルトがついていて、おまえを治癒魔術が必要な状態にするわけがないからね。もし何かの事故に遭遇して、誰かが怪我をしていたとしても、それが今にも死にそうな重傷じゃない限りは放っておきなさい。自分の不注意で負った怪我は、自分の力で治すのが基本だよ」
「はーい」
凪は、聖女であっても聖人君子などではないのだ。見ず知らずの他人のために、頼まれてもいないお節介をするつもりはなかった。
ライニールとのやり取りを見て、何やら複雑そうな表情を浮かべている第二部隊のメンバーたちに、凪は慌てて片手を挙げる。
「あ、みなさんがお仕事中に怪我をしてしまったときには、いつでも言ってくださいね。わたしの魔力保有量は、歴代の聖女さま方の平均よりもかなり多いそうなので、問題ありません。死にかけの成人千二百人を一気に治す程度なら問題ないと、王立魔導研究所の保証付きです!」
魔導騎士団の仕事が凪の護衛であるなら、凪は彼らへの感謝をきちんと形で示すべきだろう。
血塗れスプラッタは、本当にいやだ。R18Gなど、できることなら一生関わることなく生きていきたい。しかし、自分が彼らに護衛される立場だということを受け入れる以上、ここは腹をくくるべき場面である。
(死んだらそれまで! 生きててナンボ! 大丈夫! 怪我した人たちに協力してもらったおかげで、わたしの治癒魔術のスピードはめちゃくちゃアップしてるから! どんなにグロい怪我だって、触れば一瞬のはず! たぶん!)
ぐっと拳を握りしめ、彼女は言った。
「もちろん、怪我をしないことが一番なんですけど! わたしがいる限り、みなさんが死ぬことはありません。何があろうと、絶対に治してみせます。なので、お願いですから、わたしが近くにいないときに死なないでください。死んでしまったら、治せませんから」
凪の言葉に、第二部隊のメンバーたちが何か動きかけたのを、隊長のエルウィンが軽く右手を挙げる仕草で抑えた。そして、その右手を軽く自分の胸に当て、口を開く。
「……その願い、たしかに承りました。我ら一同、何があろうとナギ嬢の目の届かぬ場所で死なぬことを、己が剣にかけてお約束いたします」
よかった、と凪はほっとする。いくら聖女が換えの効かない貴重な生物兵器でも、自分のために人死にが出るのは、心の底から遠慮したいのだ。
「ありがとうございます。ただあの、わたしは絶対にみなさんを死なせませんけど、だからといって無茶をしたりはしないでくださいね。治癒魔術なんて、使わずに済むならそれに越したことはないんですから」
改めてキリッと言うと、第二部隊のメンバーの視線が、副隊長のセレスに集中した。なるほど、一番やらかしそうなのが彼だということか。
「……セレスさん?」
にこりと笑って名を呼ぶと、赤いロン毛の副隊長が慌てて顔の前で手を振った。
「なんだよ、おまえら!? オレはなんにもしてねぇぞ!?」
「え、まさかの自覚なし? ウッソだろ?」
第二部隊のメンバーで最初に『ナギちゃん』呼びになったカールが、呆れ返った口調で言う。ほかのメンバーたちも「ぶっちゃけ、僕は魔獣討伐のたびに、なんでこの人死なないんだろ、って思ってる」「まあ、バカな子ほど可愛いとは言うもののな。たまに、背後から膝かっくんをしてやりたくなるぞ」「カッコつけられるのは、無事に生きててこそだと思うよ? 副隊長」と容赦なく続けていく。
最後に、隊長のエルウィンが、ぽんとセレスの肩に手をのせた。
「セレス。あまり、ナギ嬢の手を煩わせることのないようにな」
「~~っわかったよ、畜生ーっっ!」
第二部隊のメンバーは、お互いに仲がよさそうで、大変結構なことである。とりあえず凪は、今後セレスが無茶をやらかしたときには、罰としてフリフリひらひらの乙女系ドレスを着てもらおう、と決意した。
(魔導騎士団の制服を作ったときのサイズデータが、レディントン・コートにあるはずだよね。細マッチョなセレスさんなら、大人っぽいデザインのドレスなら普通に着こなしちゃうかもだし。やっぱりここは、膝丈の乙女系ドレス一択で。……すね毛は、見ないことにしよう)
罰というのは、受けた本人が『こんなことになるなら、二度と絶対するもんか』というくらいの精神的ダメージを与えられなければ、意味がないのだ。
よしよし、とうなずいた凪は、ひとまず荷ほどきをすることにした。
屋敷の南翼二階、寝室と書斎の続き部屋がある、いわゆる2LDKが凪の私室だ。もちろん、バストイレ完備である。
(まあ、荷ほどきって言っても、着替えをクローゼットにしまうだけだから、すぐ終わっちゃうなー。シークヴァルトさんたちは、今頃ひとり暮らしの準備を全部してるんだよね。大変そう)
ここにいないシークヴァルトとソレイユ、そして新たに凪の護衛補佐に加わったセイアッドの三人は、それぞれ別の学生用のアパートでひとり暮らしをすることになっている。何かあったとき、臨時の拠点とできる場所は複数あったほうがいい、という理由らしい。彼らはそちらの準備が整い次第、一度こちらへ合流すると言っていた。
(ソレイユ、ひとり暮らしははじめてだって、めっちゃ浮かれてたもんね。……うん、ちょっと羨ましい)
凪はこの世界に五体しかない生物兵器――もとい、大変貴重な聖女であるので、地脈の乱れが落ち着くまでは、ひとり暮らしなど夢のまた夢だろう。しかし、いずれお役御免になった暁には、家事のすべてを自分でこなさなければならないのだ。将来に備え、お気楽な学生でいられる間に、できるだけたくさんのことを学んでおかねばなるまい。
(お料理上手な騎士さまがいつもそばにいるっていうのは、すごくありがたいことだよね! よし、学園がお休みの日には、お料理を教えてもらえないかお願いしてみよう)
そんなことを考えているうちに、凪のクラスメイトとして学園に入学する三人が次々にやってきた。広々とした応接室へ移動し、今後のことを彼らを交えて確認していく。
基本的に、この学園生活は凪が一般常識と基礎学力を身につけることと、同年代の子どもたちとの交流が目的だ。ライニールたちは、ほかにもいろいろと目的があるようだけれど、大人の事情には深入りしなくてもいいと言われている。
つまり、最初に王太子が言ったように、しばらくの間は『普通の子ども』として自由に過ごしていいのだ。きっと、あまり長い期間のことではないのだろうけれど、できるだけ楽しめたらいいと思う。
(そのうち聖女業がはじまるのは、仕方がないとして……。孤児院でリオと一緒に育てられた子たちのことも、やっぱり少し気になるし。どこかで、元気にやってるといいな)
凪は魔導学園の入学にあたり、一般的な学問知識がどれほどあるものなのかを確認するため、学園の運営側から送られてきたテストを受けている。
テスト科目は、言語が自国語と公用語、帝国語の三カ国語。一般教養が世界史、地理、数学、神学。それに、魔導理論。この中で、まったく解答できなかったのは、これから魔導学園で基礎から学ぶことになっている、魔導理論だけだった。
貴族家の子どもたちは、この科目についてもある程度勉強してから入学してくるらしい。けれど、平民出身の子どもたちが魔導理論を学ぶ機会はまずないと聞いて、ほっとした。自分ひとりだけスタートラインから大幅に出遅れているというのは、さすがに心が折れそうだ。
あの日、凪が夢の中で会話をした『世界の管理者』とやらは、十日もあれば凪の魂がリオの肉体と完全に同調し、リオの記憶がすべて甦るだろうと言っていた。そのため、目が覚めてからの十日間は、自分の人格が徐々にリオのそれに侵蝕されたりはしないかと、かなりビクビクしながら過ごしていたのだ。
しかし、実際には十日経ったところで、何も変化があったようには思えなかった。
これはいったいどういうことだ、と密かに首を捻っていたところに、件のテストである。どの科目のどの問題を見ても、『あ、これ知ってる』というノリで解答できている自分に気付いたときには、かなりの衝撃を受けたものだ。今の自分が使っている言葉が、日本語でなかったことにすら気付いていなかったのだから、なんだかんだいって通常モードとはほど遠い状態だったのだろう。もしかしたら、今もまだどこかおかしいのかもしれない。
だがよく考えてみれば、過去の記憶などというのは、普段はまったく意識していないものである。何かのきっかけがなければ――それこそ、テストなどで必要に迫られない限りは、思い出す必要などないのだから。
リオの記憶がすべて戻るというからには、短時間で彼女の人生のすべてを追体験するのではないかと思っていたので、少しばかり拍子抜けした気分だ。
(まあ、魔導理論が零点で、あとは全部満点っていうのは、ライニールさんもびっくりしてたけどさ。リオの脳って、実はかなりハイスペックだったりするのかな? ……うん、わたしのほうは平凡な脳みそでごめんよー、リオ。これからちょっと苦労するかもだけど、あれだけ必死に詰めこんだ受験科目は、さすがにちゃんと覚えてるはずだから、がんばって!)
だがこうなると、リオは少なくとも、貴族階級の子どもが多い魔導学園に、普通に通える程度の学力は身につけさせられていたわけだ。いずれ『商品』として売られるはずだった、孤児のリオ。そして、おそらく同じような教育を受けさせられていた、同年代の少年少女。
あの子どもたちは、いったいどんな目的で、誰に売られるための『商品』だったのか――
(……あ。わたしが凪って名乗っていたら、あの子たちは『なんでやねん! おまえの名前はリオだろうが!』ってなるのかな? まあ、『商品』の持ち主が変わったら、その名前が変わるなんてよくあることだし。もしそのうち、あの子たちに会うことがあってツッコまれたら、そんな感じでごまかすことにしよう)
リオと同じ場所で育った子どもたちに、会いたいわけではなかった。凪自身に、そんな感情はカケラもない。何しろ、まったく関係のない赤の他人だ。
ただ、無事で生きていてほしいとは思う。リオは、彼らのことを友人ともきょうだいとも思い、とても大切にしていたから。
そんなことを考えながら日々を過ごしていくうちに、あっという間に入学式の日となった。
誤字修正いたしました。
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