素敵な魔人の物語
だって、殺されたのは凪じゃない。自分のことじゃないから、簡単に諦められない。
けれど、少なくとも今の状況では、ユリアーネ・フロックハートとその仲間の魔導士まで、この手が届かないことは理解した。
(あの連中が捕まったのなら、すぐにでもリオの仇を討てるのかと思ってたのに)
ここは、夢の世界じゃない。ただの現実。そう何もかも上手くいくわけがない。
だったら、どうする。
(……やっぱり、学校かな)
今の凪に一番必要なのは、この世界で生きていくために必要な知識と常識だ。自分にできることとできないことを見極めるためにも、その基準となるものをきちんと身につけなくてはならない。
知識は、力だ。まずは、その力を手に入れる。幸い、そのために必要な環境は、たった今この国の親切な王太子殿下が用意してくれているところだ。
(よし。このお礼は、のちのち聖女業でしっかりお支払いしますので、ありがたくお勉強させていただきます。オスワルド殿下)
いじいじとしゃがみこみながら、そんなことを考えていた凪に、セイアッドが声を掛けてくる。
「ユリアーネ・フロックハートとその仲間たちは、あんたが手を下さなくても勝手に死ぬ。それでは、だめなのか?」
「セイアッドって、なんにも悪いことをしていないのに心臓を剣でぶっ刺されて、そのまま森にポイ捨てされても、犯人の後始末を黙って他人に任せられるわけ? すごーい、心広ーい」
しばしの沈黙のあと、セイアッドがぼそりと言う。
「あんた……なんで生きてるんだ?」
「そこかよ! いや、気持ちはわかるけど!」
くわっと顔を上げると、中途半端に両手を挙げたソレイユが、困り切った顔で口を開いた。
「いや……うん。ナギちゃんの、犯人をぶん殴りたい気持ちは、ちょっとわかるよ。あたしだって、そんな目に遭ったら――まあ、あたしは治癒魔術の適性がないから、心臓を刺されたら普通に即死するけどさ。……そうだね。もしそんなことになったなら、相手を生きたまま腐り殺せる素敵な魔人に、あたしはなりたい」
途中で真顔になった同僚の宣言に、セイアッドの顔色が若干悪くなる。
「おい、ナギ。ソレイユまで怖いことを言い出したぞ」
「え? ここの人たちって、恨みを残して死んだら魔人になるの? 魔人って何?」
凪の疑問に、セイアッドは真面目に答えてくれた。
「いたずらをした子どもに言い聞かせる、おとぎ話に出てくる化け物のひとつだ。その昔、とても強い力を持った魔導士が仲間に裏切られ、非業の最期を遂げた。その際、あまりに強い恨みを抱えていたせいで死にきれず、徐々に腐っていく体のまま、今も己を裏切った者たちへの復讐を狙っているという。それが、魔人だ。ソレイユが言っているのは、その体に触れた者は、同じく生きたまま体が腐っていくとされているやつだな」
なるほど、ゾンビか。
納得した凪はうなずき、ソレイユに満面の笑顔を向ける。
「ソレイユ。魔人になっても、仲よくしようね!」
「うむ。しかし、炎を統べる魔人や、落雷を統べる魔人も捨てがたい」
どうやら魔人というのは、感染ゾンビタイプだけではないらしい。ちょっと、わくわくする。
「ほかの魔人も、体が腐ってるの?」
「基本はねー。魔人は死人返りみたいなものだから。ただ、魔人になるのってすごい魔力の持ち主ばっかりだから、普段は幻覚魔術で生前の姿をしてるんだって。それで、レッツ復讐! ってときだけ、相手にドロドロになった本当の姿を見せるんだよ」
おお、と凪は両手を打ち合わせた。
「それは、カッコいいね! 復讐は決して諦めない強い心を保ちつつ、無関係な人たちに迷惑をかけない心意気が素晴らしい!」
「だよね! 目指せ、イケてる魔人の心意気! と言うわけで、ナギちゃんが今すぐユリアーネ・フロックハートたちを殴りに行こうとすると、ライニール副団長を筆頭に、ものすごーく胃を痛めそうな人たちがたくさんいるから、何か上手い方法を考えつくまでは先送りにしておこうねー」
打ち合わせた両手を、ソレイユの両手にがっしと掴まれる。凪は、思わず半目になった。
「……ソレイユって、演技が上手だって言われない?」
「ない。むしろ、かなり下手なほう。とりあえずわたしは今、団長たちから全力で褒められてもいい仕事をしたと自負している」
真顔で言う彼女の頭を、セイアッドがぽんぽんと撫でる。
「安心しろ、ソレイユ。おまえが魔人になったら、おれがちゃんと首を刎ねてやる」
「人を勝手に腐らせるな!」
ソレイユが、べしっとセイアッドの手を払いのけた。猫パンチか。
非常に不本意ながら、ユリアーネ・フロックハートたちをぶん殴ろう計画は、ひとまず暗礁に乗り上げる形になったようだ。凪は、ぐぬぬ、と唸った。
(ええい、畜生め。こうなったら、本懐を遂げるそのときまで、この恨みをじっくりねっとりコッテリ熟成してやる。わたしはお母さんから、ご恩は倍返し、恨みは三倍返しが基本だと教わっているんじゃい。わたしから逃げられると思うなよ、ユリアーネ・フロックハート!)
元々凪は、大切にとっておいたお菓子を兄に食べられた恨みを、いつまでもねちっこく覚えているタイプなのだ。リオが――『自分』が殺される瞬間のことを思い出し、胃の中身をすべて戻すレベルで追体験している以上、その恨みは市販のお菓子の比ではない。何しろあのときケロケロしてしまったのは、ここの騎士さまたちが凪のために、手ずから作ってくれた思いやりの塊なのだ。
殺されてしまったリオの恨み、無駄にしてしまった料理の恨み。そして、今までの幸福をすべて奪われた凪自身の恨み。これだけ揃って、忘れられるわけがないではないか。
とはいえ、現状凪にできることはない。慰謝料だなんだと喚いたところで、どんな手続きをすればいいのかもわからない。しょせんは、浅はかな子どもの思いつきだ。
(……勉強、しないと)
しみじみとため息をついた凪は、ふとこれからのことを考える。
「ねえ、ソレイユ。わたしはこれから魔導学園に入学するんだけど、わたしの護衛補佐ってことは、ソレイユも一緒に入学するのかな?」
ソレイユが、ああ、と目を見開く。
「そう言えば、そんなことを言ってたね? うん、たぶんそうなるんじゃないかな。……うわー、あたしが魔導学園に通う日が来るとは!」
何やら楽しげな様子の彼女に、セイアッドが問う。
「どういうことだ? おまえが、ナギの護衛補佐?」
「あ、言ってなかったっけ? うん、さっきそういうことになったんだー。ホラ、あんたも言ってたけど、これからマクファーレン公爵家の絡みでいろいろ面倒ごとが起こりそうだからさ。ナギちゃんに何かあったら、ライニール副団長が普通に病みそうだし。ちなみに、シークヴァルトさんが護衛のメインで、あたしが補佐ね」
先ほどの数分で、すでにライニールが重度のシスコンを患っていることを、ソレイユは見抜いてしまったらしい。なんだか、申し訳ない気分になるのはなぜだろう。
凪は、ぽりぽりと頬を掻く。
「わたしに何かあっても、それこそ死ななきゃ自分の治癒魔術ですぐ治せるんだけどねえ。むしろ、シークヴァルトさんとソレイユが怪我なんてしたら、わたし普通にキレるから。その辺ホント、安全第一でお願いします」
「~~っだーかーらー! あたし、魔導騎士団見習い! ナギちゃん一般人! ナギちゃんの護衛担当になった以上、あたしにとってはナギちゃんの安全が最優先! これは絶対、譲れません!」
ええー、と凪は眉根を寄せる。
「剣で心臓を刺されても、即セルフで復活するようなヤバい人間は、あんまり一般的とは言い難いと思う」
「い……一般的じゃなくても、カテゴリー的に一般人なの! 保護対象!」
そこで、ひとつため息を吐いたセイアッドが口を挟んできた。
「ナギ。あんたは少し、守られることに慣れたほうがいい」
「? どういうこと?」
首を傾げる凪に、セイアッドは続けて言う。
「あんたは、ライニール副団長の実の妹なんだろう。マクファーレン公爵家が、なんの落ち度もないあの人を、言い掛かりに近い理由で追い出したことは、貴族階級の人間なら誰でも知ってる。あんたの存在についても、いずれ公表されれば相当の騒ぎになるはずだ」
「え? セイアッドって、わたしがマクファーレン公爵家から捨てられた経緯、知ってるの?」
随分な物知りさんだと思っていたが、これは想像以上だ。
しかし、セイアッドは首を横に振った。
「それは、知らない。ただ、愉快な話ではないことくらいは想像がつく」
「あ、そうなんだ。じゃあ、一応教えておくね。わたしもライニールさんから聞いた話だけど、わたしがお母さんのお腹の中にいるときに、マクファーレン公爵の愛人さんも妊娠してたんだって。で、公爵がその愛人さんを奥さんにするために、わたしのお母さんに浮気の濡れ衣を着せて、修道院に追い出したらしいよ」
この際だから、ふたりに全部説明してしまえ、と凪は続ける。
「わたしを修道院で産んだお母さんは、そのあとすぐに死んじゃって。去年の秋まではノルダールの孤児院にいたんだけど、あそこって人身売買組織の商品管理施設だったらしいし、状況的にユリアーネ・フロックハートに売られたのかな? この辺はちょっと記憶が曖昧なんだけど、最後には森でざっくり刺されて殺されかけて。それで、どうにか自力の治癒魔術で復活したあと、運よく魔導騎士団に拾われて、今はライニールさんの妹兼養女になりました、と。……うん、こうやって改めて並べると、本当に意味がわからないねえ」
もっとも、ユリアーネ・フロックハートたちに殺された直後に、リオと凪の魂が入れ替わってしまったというのが、一番意味がわからないのだが。その辺については誰にも言えないことであるし、どうしようもないことなので、スルーしておくことにする。
(……んん?)
なんだか妙に静かだな、と思えば、何やらソレイユとセイアッドが揃って顔を強張らせていた。
「ふたりとも、どうかした?」
「……どちらかと言えば、どうかしているのはマクファーレン公爵家だと思う」
セイアッドの答えに、ソレイユがうなずく。
「……だよね。普通、いくら愛人に子どもができたからって、正妻を追い出したりしないよね。しかも、そこまでして後継者にしたのが、ライニール副団長とは比べものにならないほどのあほたんちんとか。それが一番意味わからんわ」
「あほたんちん」
たしかライニールも、自分たちの腹違いの兄弟を指して『能なし』と言っていた。……そんなに、ひどいのだろうか。
(そう言えば、同い年ってことは、その兄弟くんも今年魔導学園に入学するのかな? まあ、親がどんなにアレで、本人が多少あほたんちんでも、わたしが直接その子に迷惑を掛けられたわけじゃないしねえ)
『腹違いの兄』の顔くらいは、一度見てみたい気はするけれど、それだけだ。深く関わると面倒そうな相手であるし、あまり近づかない方向で行くことにしよう。
そんなことを考えていると、セイアッドがずれた話を戻そうと改めて口を開く。
「まあ……うん。そういうことなら、尚更だ。マクファーレン公爵家があんたの存在を知った場合、最悪暗殺の可能性もある。そもそも、護衛する側の人間にとって、護衛対象を損なうというのは、断じて許しがたい事態だ。屈辱と言ってもいい。あんたは、護衛を付けられることを受け入れた時点で、何があっても無事でいる義務がある」
そうそうそうそう、とソレイユが全力で首を縦に振る。
「ついでに言うなら、ライニール副団長の養子になった以上、ナギちゃんを守るのは保護者である副団長の義務だから。ナギちゃんは、そんな副団長の胃を守るためにも、ちゃんとあたしたちに守られててね、ってことだよ!」
「いや、わたしだって別に好き好んで怪我をしたいわけじゃなくてね? ただ単に、わたしのせいでシークヴァルトさんやソレイユが怪我をするのはイヤだよ、って言ってるだけなんだけど……」
どうにも、会話が噛みあわない。
最終的に、大きく息を吐いたセイアッドが、眉間に皺を寄せてびしりと言った。
「じゃあ、あんたにもわかりやすいように言ってやる。――なんの訓練も受けていない素人は、黙ってプロに守られていろ。下手に動くな。邪魔だ」
「……ハイ」




