頭で考えるより筋肉で感じろ
ほんのりと頬を染め、それまでにはない熱を持った瞳でシークヴァルトをガン見していた凪だったが、唐突に視界を塞がれた。頭のすぐ上で、ライニールの冷ややかな声がする。
「シークヴァルト。元の姿に戻れ。今すぐだ」
「お……おう」
(ええぇええーっっ)
どうやら、凪の目を塞いでいたのはライニールの手だったようだ。その手が外れたときには、凪の恋心を持っていった少年の姿はすでになく、元通りのストイックな大人の色気漂うイケメンがそこにいた。
(はうっ)
しかし、一度奪われた恋心は、それを持っていった相手の姿が多少変わろうとも、返品されることはないらしい。どこか戸惑ったようなシークヴァルトと目が合った途端、凪の顔は一瞬でゆでダコになった。
カッコいい。恥ずかしい。なのに、見ていたい。……自分のことを、見て欲しい。なのに、やっっぱり見られるのも恥ずかしい。
生まれてはじめての感覚に、心臓がばくばく音を立てて全力疾走をはじめる。
どうしていいかわからなくなった凪の後ろで、オスワルドの声がした。
「あー……うん。兄上。ご愁傷さま?」
「やかましい。おれは今、ものすごく心が狭くなっているんだ。八つ当たりされたくなかったら、その無駄に危機管理が発達しているはずの脳みそで、これからのことでもくるくるコマネズミのように考えていろ。つまり、無駄口を叩かずにすっこんでいろということだよ。我が親愛なる王太子殿下」
(ひょっ!?)
背後で響いた重低音の冷たい声に、ほかほかに茹で上がっていた凪は即座に震え上がった。
おそるおそる振り返ると、まるで何事もなかったかのようにほほえむライニールと視線が合う。
「それじゃあ、ナギ。今日はいろいろあって、疲れただろう? これからのことについて、少し込み入った話を殿下たちとするから、きみは部屋に戻って休んでいるといい。ああ、部屋まではまたソレイユに案内させるけど、きみが聖女であることを公表するのはもう少し先になるからね。彼女にも、もちろんほかの誰にも教えてはいけないよ」
――ソレイユにも、ダメなのか。
凪に対してとてもよくしてくれる彼女に、隠し事をするのは気が引ける。しかし、秘密にしておくべきことを話してしまって『ナイショだよ!』と言うほうが、不親切な話しなのかもしれない。
彼女には騎士団の見習いとして、守秘義務というものがあるだろう。秘密を守らなければならないストレスを提供してしまうよりは、黙っていたほうがきっとお互い気が楽だ。
素直にうなずくと、すぐにソレイユが呼び出された。何かの訓練中だったのだろうか。先ほどのカッチリとした制服から、いかにも動きやすそうな飾り気のない、ハイネックの運動服のようなものに着替えている。
ソレイユは、王太子のオスワルドがこちらに来ていることは、まだ知らされていなかったようだ。入室を許可された瞬間、彼の存在に気づくとその場で跳び上がり、すぐに気合いの入った敬礼をした。
「魔導騎士団見習いソレイユ・バレル! お呼びと伺い参上いたしました!」
「ああ、きみが噂の体力のお化けだっていう見習いさんか。一度、どんな子なのか見てみたいと思っていたんだけど、こんなに小さな女の子だったんだねえ。驚いたよ」
見るからに緊張したソレイユの口上に、のほほんと答えたのはオスワルドだ。まさか彼から声を掛けられるとは思っていなかったのか、ソレイユがますますビシッと固まる。
(体力お化け……?)
オスワルドの言いようが少々気になったけれど、彼はにこにこと続けて言った。
「うん、うん。いやー、アイザック。ナギ嬢と同い年の女の子がいて、本当によかったね。きみが目を掛けているのなら、きっと間違いのない子なんだろう?」
「彼女は、とても優秀な人材ですよ。人柄もよいですし、度胸もあります。少々無鉄砲なところが玉に瑕と言えますが、そこはこれからの経験で勉強していってもらうしかありませんね」
アイザックに褒められたことが、よほど嬉しかったのだろう。彼が何か言うたび、ソレイユの瞳がキラキラと輝く。可愛い。
そうか、とうなずいたオスワルドが、ソレイユに向けてにこりと笑う。ソレイユが、再び緊張にビビッと固まった。なんだか、危険を感じたときの子猫のようだ。彼女の背後に、ぶわっと膨らんだ尻尾の幻影が見えた気がする。
「あのね、ソレイユ嬢。魔導騎士団が保護した、こちらのナギ嬢なんだけど。実は、兄上――ここの副団長どのの、実の妹さんだったんだよ」
「………………はぃい?」
ソレイユの声が、ひっくり返った。ぽかんと目を丸くした彼女が、ぎこちなくこちらを見つめてくる。そんな彼女に、オスワルドが告げる。
「本当にすごい偶然のようだけれど、ナギ嬢は赤ん坊の頃に、その魔力適性の高さのせいでノルダールの連中に狙われ、攫われていた。副団長は、そんな妹君を五年間ずっと探し続けていた。僕は、このふたりが今こうして出会えたことは、ある意味必然だと思っているよ」
(ちょっと殿下、何をドラマチックな感じに語っちゃってるんですか。ああホラ、素直なソレイユさんが、感動して目をうるうるさせちゃってるじゃないですか! ひょっとして、詐欺師に騙されやすいタイプですか!?)
なんだか、ものすごくいたたまれない。
「ただ、ふたりが生き別れていた理由というのが、ちょっとややこしくてね。これから少し、厄介なことになりそうなんだ。ナギ嬢が、副団長と同じ血を分けた妹君だとわかると、とても都合の悪い人間がいるんだよ」
だから、とオスワルドが真剣な眼差しでソレイユを見る。
「ソレイユ嬢。きみには状況が落ち着くまで、ナギ嬢のそばで彼女を守ってあげてほしい。いくらシークヴァルトが規格外と言っても、彼は男だからね。外での守りはともかく、内向きでは難しいこともあるだろう。そこのフォローを、ナギ嬢の護衛補佐として、ぜひきみにお願いしたいんだ。どうだろう?」
「自分が……ですか……?」
声を掠れさせたソレイユに、アイザックが言う。
「ソレイユ。私からも同じことを命じたいところだが、この件を受けるかどうかについては、できればおまえ自身の意思で決めてもらいたい。ナギ嬢は、ライニールの大切な妹君だ。ノルダールで育てられた彼女には、これから外の世界で生きていくに当たって、何かと難しいこともあるだろう。おまえにはナギ嬢の友人として、そして我が国の一騎士を志す者として、彼女を守り導いてほしいのだよ」
(あ……アイザックさんまで……っ。そんな、外堀をガンガン埋め立てるようなことを言わなくても……!)
限りなく国のトップに近いオスワルドと、敬愛するマッチョな上官であるアイザックにここまで言われて、見習いのソレイユが「イヤです」と言えるわけがないではないか。
(お友達って……上司にお願いされてなるもんじゃないよね……)
ソレイユとは本当に仲よくなりたかっただけに、なんだか悲しくなってきた。凪がしょんぼりしていると、ため息を吐いたシークヴァルトが口を開いた。
「ソレイユ。ナギの護衛は、オレだけでも問題はない。オレは、人ひとり守りきれないほど無能じゃないからな」
シークヴァルトは、淡々と告げる。
「そもそも、見習いのおまえにこんな話しが出ること自体がおかしいんだ。いやなら、いやだと言っていい。都合がいいからといって、見習いの分を超えた責任を負わせようとする、殿下と団長が間違ってる」
そうだな、とライニールがうなずく。
「殿下と団長のお気遣いは、ありがたいと思っています。ですが、この件に関してはシークヴァルトが正しい。私はナギがこの世界の誰よりも大切ですが、だからといって、未来ある子どもの人生をねじ曲げたくはありませんよ」
アイザックが、しょんぼりと眉を下げる。
「私は、ソレイユに命じてはいないのだが……」
「あのなあ。団長に憧れて魔導騎士団に入ってきたソレイユが、あんたからの『お願い』を拒否できるわけがないだろう。少しは、自分の影響力の強さを考えろ」
上官の言い分を、シークヴァルトが即座にぶった切った。カッコいい。
オスワルドが、わざとらしく首を傾げる。
「僕だって、ソレイユ嬢にはお願いしただけだよ?」
「あなたの場合は、自分の立場をわかった上でやっているから、タチが悪いというんですよ。うちは基本的に、頭で考えるより筋肉で感じろというタイプばかりなんです。お上品な王宮の腹黒タヌキたちと同じだと思っていると、いずれ痛い目を見ますよ」
スッパリとライニールに切り捨てられたオスワルドが、「筋肉……」と呟く。
(あー……。そう言えば、ソレイユさんもアイザックさんの筋肉について、めっちゃテンション高めで語ってたなー……)
凪はそのとき、魔導騎士団の面々よりも、彼らの生態に引き気味になっているオスワルドのほうに、ちょっぴり共感したくなってしまった。
鍛えた筋肉は、たしかにその持ち主を裏切らないのかもしれない。けれど、その域まで極められない人間のほうが、世の中にはずっと多いと思うのだ。
誤字修正いたしました。
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