十五歳の衝撃
にこやかな笑顔のライニールから、オスワルドはアイザックに視線を移す。
「ナギ嬢が王族に嫁ぐことを拒否している以上、彼女の聖女としての働きには、正当な対価をお支払いするのが道理だと思いますよ」
「それは、その通りだろうけど……いや、うん。了解した。……それじゃあ財務のほうには、僕から話しを通しておくよ」
(ぃいいよっしゃあっ!!)
凪は内心、両手の拳をぐっと頭上に突き上げた。完全勝利のポーズである。
王族との婚姻拒否と、聖女業に対する報酬の確保。
このふたつを、この国の王太子殿下が約束してくれたとなれば、凪の今後の人生における懸念は、ほぼ払拭されたと言っていい。
なんだか話しが上手く進み過ぎて、ちょっと怖いなと思っていると、やたらときらびやかな笑みを浮かべたオスワルドが、なんでもないことのように問うてきた。
「ところで、ナギ嬢。きみ、学校って行ってみたくないかな?」
「学校……ですか?」
そうそう、とオスワルドがうなずく。
「王立魔導学園っていう、魔力を持った子どもが通う四年制の学校があるんだよ。さすがに、ちゃんと卒業させてあげるのは、難しいと思うけど……。今のところ、この国で起きている地脈の乱れは、そう多くないからね。差し迫った危機があるわけでもないのに、なんの心構えもできていない女の子をいきなり現場に放りこむほど、僕らは極悪非道じゃないよ。だから、まずはきみの実践的な訓練が先かなあ、とも思ったんだけど」
顎先に軽く触れたオスワルドが、軽く首を傾げる。
「なんていうか……うん。きみは、たしかに聖女なんだろう。でもその前に、この国で生まれたひとりの子どもでもあるわけだよね。だから僕は、きみに普通の子どもとしての生活も、少しくらいは経験させてあげたいんだ。基礎的な勉強と訓練なら、学校でちゃんとした教師に教えてもらったほうがいいだろうし。どうかな?」
「……ありがとうございます。学校、できれば行ってみたいです……けど」
「けど?」
凪は、小さくため息をつく。
「学費がないです。聖女業をはじめて、学費ぶんくらいを問題なく稼げるようになったら、改めて検討してみたいと思います」
「……うん、兄上ちょっと待って。そのいくら入っているかわからないカードの中身を、軽率にナギ嬢のカードに移そうとするの、ちょっと待って。それ、絶対贈与税がかかる額でしょう。――ナギ嬢、王立魔導学園は、魔力適性のある子どもであれば、学費はすべて無償なんだよ。入学が認められるのは十五歳からだし、今年度の入学式はちょうど来月なんだ。よかったら休みの間に、兄上と一緒に見学だけでも行ってみないかい?」
無償、という言葉に、凪は思い切りときめいた。ぱっとライニールを振り返ると、当然のようにうなずいてくれるのが嬉しい。
「きみが、普通の子どもとしての生活を経験するのは、おれも賛成だよ。いずれ正式に聖女と認められれば、いやでも周りがそう扱ってくるだろうしね」
「はい! 学校側のご迷惑にならないのでしたら、ぜひ行ってみたいです」
何しろ、リオは人身売買組織の一角だったという、ちょっぴり――いや、かなりアレな孤児院育ちなのだ。はっきり言って、これからリオの記憶がすべて戻ったとしても、この国の一般常識については、めちゃくちゃ欠けている自信しかない。
十五歳以上が通う学校だというなら、一年生は凪と同い年。まだまだやんちゃな子どもの集団だろう。多少おかしなことをしても大目に見てもらえるだろうし、いずれ社会に出る前に、せめて普通の大人になれるだけの常識は身につけておきたい。
と、それまで話しの流れを聞いていたシークヴァルトが、アイザックに向けて口を開いた。
「団長。オレは、ナギの従者とクラスメイトの、どちらで学園に行けばいい?」
「ナギ嬢の身に、万が一にも何かあってはいけないからな。負担をかけてすまないが、クラスメイトとして必ずナギ嬢のそばについているように」
「了解した」
あまりにあっさりとした会話に、凪は驚く。
シークヴァルトは、おそらくライニールやオスワルドと同年代の、すでに大人の色気すらまとったイケメンだ。いくらなんでも、凪と同級生の十五歳に見えるわけがない。悪目立ちするだけだから、ぜひとも無謀なコスプレは遠慮していただきたい、と凪が言いかけたときだ。
(………………へ?)
「ふむ。五年前のオレは、こんなに視界が低かったんだな。慣れるまで、少し時間が掛かりそうだ」
シークヴァルトの姿が揺らいだ、と思った次の瞬間、まるで別の生き物がそこにいた。
凪が見上げるほどだった上背は、ほんの少し視線を上げれば目が合う高さに。シャープなラインを描いていた頬はかすかに丸みを帯びて、柔らかな印象になっている。全体的にかなりコンパクトになった体躯は、力強さよりも俊敏さを感じるしなやかさで、細い手足が少しアンバランスなほど長く見えた。
驚きのあまり、目と口をあんぐりと開いた凪に、シークヴァルトと同じ目と髪をした少年が明るく笑う。
「驚いたか? ナギ。十五歳のオレは少し頼りなく見えるかもしれないが、身につけたスキルは二十歳の今と変わらないから、安心しろ」
「え……その、十五歳の体になるのって、それも魔術なんですか?」
ぶかぶかになった上着の袖を折り返していたシークヴァルトが、あっさりうなずく。
「魔導士の中には、後天的に身につける一般的な魔術のほかに、生まれつき使用可能な固有魔術ってのを持っているやつがいてな。オレも、そのひとりだ。で、オレの固有魔術は、『巻き戻し』。自分自身と直接触れた対象の時間を、任意に巻き戻した時点で固定することができる。持続時間は、自分自身なら最長で一週間、自分以外なら一時間ってところだ」
「まさかの不老不死ですか!?」
ファンタジックにもほどがある、と声をひっくり返した凪に、シークヴァルトは楽しげに笑った。同年代の少年そのものの無邪気な笑顔に、凪の心臓がクリーンヒットの衝撃を受ける。
(と……年上のお兄さんじゃない、同い年の超絶美少年なシークヴァルトさんの素敵な笑顔ッ! どこかに課金ボタンはありませんかー!?)
「それこそ、まさかな。『巻き戻し』の固有魔術はかなり珍しいほうだが、過去に何人かいた所有者は、みな普通に死んでるよ。持って生まれた魔力がどれだけ大きくても、体力と同じで年を取れば徐々に減っていくからな。『巻き戻し』は、発動するのに結構な量の魔力を消費するし、正直あんまり使いどころもないんだ」
ひょいと肩を竦めたシークヴァルトが、ふと笑みを消すと満足げにうなずく。
「でもまあ、今回ばかりは大当たりだったな。この『巻き戻し』のお陰で、おまえをちゃんとそばで守れる」
(ふわわわわわ、ひょわ、はわわわわわ)
凪の語彙力は、無事に殉職した。
シークヴァルト、ライニール、アイザック、オスワルド。
みな、大変キラキラしいイケメンばかりではあるが、彼らはあくまでも凪にとって『とっても素敵な年上のお兄さん』であった。その麗しい姿は見ているだけでキュンキュンときめくし、これほどカッコいい彼らに可愛らしい仕草をされると「なんと素晴らしきギャップ萌え、ひゃっふうぅううー!!」と、テンションが爆上がりもする。
しかし、そのトキメキは常に年齢の壁の向こうにあるもので、イケメンを見た年頃の乙女としてはごく当たり前の反応だと思う。
なのにシークヴァルトは、その年齢の壁をあっさりとぶち壊してしまった。元々凪の好みにどストライクだった彼の外見は、同い年の少年の姿だとまだまだ未完成で、なのに大人の姿よりもずっと魅力的に見える。
大人のときは、その西洋風の雰囲気に対する馴染みのなさもあって「きゃー! カッコいいー! イイネイイネ!」だった萌えが、見た目が同い年だと「はわわわわ、カッコいいしゅてき……」という、すべてを超越したまったく別の概念になってしまったのだ。
その上で、中身が大人の気配りができるツッコミ上手だとわかっている相手から、とどめに「おまえを守る」という、乙女の心臓を瞬殺するキラーワードを食らったのである。
(か……っこいいー……)
――その瞬間、凪が恋する乙女に変貌したところで、一体誰に責められようか。
世界の色合いが鮮やかさを増し、すべてのものが美しく輝いて見える。
この半年間、凪は元の世界で寝る間も惜しんでがんばって、ようやく憧れの高校に通えるはずだった。新しい友人、新しい制服、新しい環境での新しい出会い。そんなすべてを突然奪われて、少し自暴自棄になっていなかったと言えば、嘘になる。
心のどこかに、いつも小さな虚しさが巣くっていて――きっとこれからも、ふとした瞬間にその虚しさを思い出すのだろうな、という確信があった。誰かとともに生きる将来など想像することもできなくて、どうやってひとりで生きていくかばかりを、頑なに、必死に考えていたのだ。
けれど今、そんな虚しさも丸ごとすべて、きれいに吹き飛んでしまった心地がする。
恋って、すごい。
恋に落ちる瞬間は、人それぞれ☆