タダ働きはいたしません
オスワルドが、しゃがみこみながら頭を抱え、絶叫した。
そんな彼に、ライニールがにこりと笑って声を掛ける。
「殿下。私はすでに、この国の重鎮であるマクファーレン公爵家から絶縁された身です。あの家に絡んだ醜聞をお嫌いになるのでしたら、愛娘ともども他国に移住させていただいても構いませんよ? 聖女の威光を利用した王宮での立身出世という野心など、私はまったく持ち合わせておりませんのでね」
「すみませんごめんなさい、よけいなことを言った僕が悪かった!」
一国の王太子ともあろう者が、土下座でもしそうな勢いだ。
それまで黙っていたシークヴァルトが、さほど考えた様子もなくライニールを見る。
「オレは、ナギの護衛だからな。おまえたちが国外へ出るというなら、一緒に行く」
「ん? それは助かるが……本当にいいのか?」
シークヴァルトは、あっさりとうなずいた。
「オレは元々この国の人間じゃないし、問題ない。ただ、移住するなら帝国以外の国にして欲しい。あそこは、いろいろと面倒だ」
「そうだな。レングラー帝国にはすでに聖女がいるし、あえて移住先に選ぶほどの利点もない。どうせならば、聖女のいない国にしておいたほうが、先方も喜んでナギを迎えてくれるだろう」
なんだか、ものすごく気軽に国外移住計画が語られている。そんな彼らに、アイザックが苦笑しながら声を掛けた。
「ライニールもシークヴァルトも、あまり殿下をいじめてやるな。おまえたちに揃って団から抜けられてしまうと、私が困る」
「いじめたわけではありません。しかし、団長がそうおっしゃるのなら、これからも魔導騎士団の一員として、誠心誠意働かせていただきます」
ライニールが、あっさりと手のひらを返す。そして、しゃがみこんだままのオスワルドをじろりと睨んだ。
「いつまでそのように情けない格好をしていらっしゃるのですか、殿下。私と同じ顔をしているのですから、あまり恥ずかしい真似はなさらないでくださいね」
「それって、怒濤の言葉責めをしてから言うことかなあ!?」
半泣きになったオスワルドが、それでもどうにか立ち上がる。彼はしばしの間、目を伏せて考える素振りをしたあと、よし、とうなずき顔を上げた。ライニールと凪を、順に見つめて口を開く。
「一応、確認しておきたいんだけど……。きみたちは、近い将来マクファーレン公爵家が途方もない醜聞にまみれて没落したなら、どう思うのかな? 正直な気持ちを聞かせてほしい」
「ざまあみろ」
「おめでとうございます」
真顔で即答したふたりに、オスワルドは苦笑した。
「なるほど。きみたちは、本当に血の繋がったきょうだいなんだねえ。ものすごく納得したよ。――アイザック。我が国の聖女が見つかった件については、当面箝口令を敷くことにする。おまえの部下たちにも、その旨徹底しておくように」
「了解しました。……マクファーレン公爵家を、切るのですね?」
ああ、とオスワルドがうなずく。
「僕がすでに立太子して、世界一可愛くて魅力的で素晴らしい婚約者もいる以上、もうマクファーレン公爵家の後ろ盾は必要ないからね」
なんだか、唐突にノロケられた。
(へー。二十一歳で、もう婚約者がいるんだ。すごいなー。……って、あれ? ちょっと待てや。まさかユリアーネ・フロックハートさんって、婚約者がいる殿下に横恋慕して、略奪するために聖女を騙ったってこと?)
この国の聖女は、王族の人間に嫁ぐのが慣例だという。そして、ユリアーネ・フロックハートが捕縛された際の捨て台詞からして、彼女は王太子に好意を抱いていた。
もし、彼女が王太子と結婚するためには聖女になるしかない、と思い詰めた結果が、今回の騒動なのだとしたら――
(……こっわ。うわ、こっわー。もしホントにそういうことなら、マジで引くわー。婚約者のいる相手に、ガチで略奪仕掛けにいくとか、普通に気持ち悪いわー。モラルとか良識とか常識とかって、人間がまっとうに生きていく上ですごく大事だと思います。……うん、これ以上は想像するだけで怖すぎるから、わたしは何も気づかなかったことにしよう)
初恋もどきの「お兄ちゃん、だーい好きっ」「悪いな、凪。おれは、年上のキレイなお姉さまが好きなんだ」「がーんっ」以来、さほど異性と縁のなかった凪にとって、略奪愛だの横恋慕だのといったドロドロ系は、少々濃すぎて胃がもたれてしまうのだ。
それに比べて、これほどナチュラルにノロケられるのなら、オスワルドと婚約者の関係はきっとさぞ良好なのだろう。なんだか、ほほえましい気分になってくる。
(殿下とその婚約者ってことは、リアル王子さまとお姫さまってことだよね! よし、メルヘン! いつか、素敵な仲よしカップルを眺めてニヨニヨしたいね!)
ひとまず凪は、キュートでリリカルな想像をして、気持ちを和ませることにした。ただでさえ、今の自分を取り巻く家族関係は複雑過ぎるのだ。少しくらい、ふわふわキラキラの幸せカップルの妄想をしたって、バチは当たらないと思う。
そのキラキラ妄想の片割れであるオスワルドが、にこりと笑って凪を見る。ライニールとよく似た笑顔に、思わずへらっと笑い返してしまった。
途端に、オスワルドが真顔になる。
「え、何この聖女さま。可愛い」
「可愛いでしょう。私の妹なんですよ?」
同じ顔をしたふたりが、空気を読まないことを言い出した。スンッと半目になった凪に、オスワルドがわざとらしく咳払いをして向き直る。
「失礼。あー……えぇと、きみにひとつお願いがあるんだ。これからしばらくの間、きみのことを『ニセモノ聖女に殺されかけて、魔導騎士団に保護された孤児の少女を、実の妹だと気づいた兄上が引き取った』という体で扱ってもいいだろうか? その、聖女ナギ、ではなく、ナギ・シェリンガム男爵令嬢と呼んでも構わないかな? ってことなんだけど……」
「ハイ、喜んでー!」
思わず、食い気味に答えてしまった。令嬢呼ばわりも正直遠慮したいところだけれど、聖女呼びよりは遙かにマシだ。
一瞬、呆気にとられた顔をしたオスワルドが、くすくすと笑い出す。
「え、何? 聖女って呼ばれるのは、そんなにイヤだったのかい?」
「イヤというか、恥ずかしすぎていたたまれません。わたし、そんなキヨラカな心なんて持ってませんもん。無償で世のため人のため、なんて絶対無理です。それから、今のうちに言っておきますけど、わたし王族のお嫁さんには絶対になりません。そこのところ、くれぐれもよろしくお願いします」
キリッと真顔で答えたというのに、なぜだかオスワルドがますます楽しげに笑み崩れる。
「おや。ナギ嬢は聖女なのに、王族の一員にはなりたくないんだ?」
「庶民育ちの孤児にとっては、王族との結婚なんて、なんの拷問か罰ゲームって感じですよ。絶対に、御免被ります。あと、タダ働きも断固拒否しますので、これからわたしが聖女のお仕事をしたら、そのぶんきっちりお給料を支払ってくださいね」
何事も、最初が肝心だ。せっかく、王太子という王室のエラい人と会えたのだから、主張するべき点はきちんと主張しておかねばなるまい。
なのに、呆気にとられた顔をしたオスワルドは、無言のままライニールを見た。
「殿下。ナギの聖女業に対する報酬に関しては、私が彼女の代理人として、のちほど書面できちんと契約を交わしたいと思っています」
「聖女業って……」
『聖女さま』がガチで希望したら、王太子の婚約者が変更される世界です。
でも、普通はしないです。
普通の聖女さまには、普通の良識と常識があるのです。