銀髪の王子さま
「とりあえず、よかったです。神殿はともかく、王宮の方々にはちゃんと認めてもらわないと、聖女業のお給料がもらえませんもんね」
「……給料?」
訝しげに首を傾げたライニールは、そう言えばそのくだりを話していたときには、この場にいなかったのだった。凪は、キリッと宣言する。
「あの、兄さん。わたしはこの国の聖女と認められても、王族のお嫁さんになるのは、絶対に絶対に絶対に、本当の本気でイヤなので。今後、もし王宮側からそんなお話しがあったとしても、必ずお断りしてくださいね」
「ああ。きみが望まないのであれば、そういった申し出をしてくる身のほど知らずは、もちろん全力で潰すつもりだけれど……」
ふむ、とライニールが顎先に触れ、少し考えるようにしたあと、優雅に笑った。
「いいかい、ナギ。これから先、きみに何か無理強いしようとする愚か者がいた場合、まずはそこに生ゴミが落ちていると思うんだよ」
「生ゴミ」
凪が真顔で復唱すると、ライニールが満足げに目を細める。
「そう。そして、すぐにその生ゴミの容姿と名前と所属をおれに報告すること。その生ゴミが堆肥として利用できるものなのか、捨てるしかないものなのかを分別した上で、おれがきちんと処理するからね。わかったかい?」
「わかりました、兄さん」
これまでの短い時間の中でも、ライニールが相当に頭の回転が速い人であることは、凪にもなんとなくわかっていた。どうやら彼は、ゴミの分別も得意なようだ。ここは、素直にうなずいておけば問題あるまい。
「それから、きみの聖女としての働きに、相応の報酬が支払われるのは当然だ。王宮側と交渉して、必ずきみが満足できる金額を約束させるから、何も心配することはないんだよ」
なんという心強いお言葉だろうか。感動した凪は、両手を組み合わせてライニールを見上げた。
「ありがとうございます、兄さん! わたし、将来は庭付きの小さなおうちで、大きくてかっこいい犬を飼うのが夢なんです!」
「そうか。それは、素敵な夢だね」
――目指せ、庭付き一戸建てで過ごす、安定した老後生活。
だがその前に、何よりも優先してしなければならないことが、凪にはある。
(よしよし。ライニールさんのお陰で、将来の不安がなくなってきたぞーう。これはもう、リオを殺した連中を、なんの憂いもなく全力でフルボッコにしていいってことだよね? うふふふふふふ)
こうなると、凪の力を見極めに来るという王宮と神殿の使者たちには、さっさとこちらに来てほしいものだ。捕縛されたユリアーネ・フロックハートたちに慰謝料請求をするにしても、やはり単なる孤児よりも、聖女の看板を背負ってからのほうが、いろいろと強気でいける気がする。
その辺りの手続きについても、ライニールに相談してもいいだろうか、と考えたときだ。
「本物の聖女を保護したというのは、本当かい!? アイザック!」
なんの前触れもなく、壊れるのではないかという勢いで扉が開いた瞬間、凪はライニールに抱えられ、扉から最も離れた壁のそばにいた。目の前には、シークヴァルトとアイザックの背中が並んでいる。本当に、瞬きひとつの間の出来事。
「……まさか、こちらへ連絡もなしにお越しとは。少々驚いてしまいましたよ、オスワルド王太子殿下」
低く平坦な声で、構えていた剣を鞘に収めながらアイザックが言う。それに従い、シークヴァルトも剣を収める。
(王太子殿下。……次の王さま? が、わたしの確認に来たのかな?)
先ほどアイザックは、王位継承権五位以内の誰かが来ると言っていたから、きっとそうなのだろう。神殿からの使者はまだのようだが、どうせなら一緒に来ればいいのに、と思う。二度手間は、ちょっと面倒くさい。
しかし、王太子ということは、この国でおそらくトップスリーに入るエラい人であるはずなのだが――なぜだろう。凪を抱えるライニールの腕は緩まないし、目の前に立っているふたりも、そこからどける様子がない。あまり、仲がよくないのだろうか。
なんとなく不安になっていると、アイザックが更に声を低めた。
「殿下。どうやらこたびは、護衛のひとりもおつけにならずに、このような所までいらしたようですね。まったく、いつまでそのように短慮で軽挙な振る舞いをなさるおつもりなのですか。国王陛下も王妃殿下も、今のあなたさまをご覧になられたなら、さぞお嘆きになりましょう。あなたさまの、その気さくで大らかなお人柄は、たしかに得がたく素晴らしい資質でございます。ですが、それは時と場合によっては、考えなしで大雑把に過ぎるという、非常に残念極まりない評価になるのですよ。さて、殿下。私は殿下が立太子なされた日に、あなたさま御自ら、立派な国王になると誓っていただきました。あの折には本当に心からの感動を覚え、将来あなたさまにお仕えできる己の幸運を、天空の神々に感謝したものです。だというのに……ああ、先にご無礼をお詫びさせていただきます」
――怒っている。アイザックが、ものすごく怒っている。怖い。
まだ顔も見えていない王太子に、凪は心から同情した。アイザックの怒りに満ちた背中に、『ゴゴゴゴゴ』とおどろおどろしいフォントの効果音が浮いていそうだ。
シークヴァルトが、おもむろに一歩下がって振り返る。彼は、無言で凪の耳を両手で塞いだ。
「……っいい加減に、少しは自分の立場を自覚しないか! この、大バカ者がーっっ!!」
耳をしっかりと塞がれていてさえ全身がびりびりするような、特大の怒号が落ちた。無防備にそれを聞く羽目になったシークヴァルトが、思い切り顔をしかめている。おそらく、凪を抱えたままのライニールも同じだろう。
アイザックの背後にいた自分たちでさえ、この有様なのだ。正面から直撃を食らった王太子は、さぞ大きなダメージを食らったに違いない、と思ったのだが――
「やあ、ごめんごめん。あの頭のおかしな女のせいで、この国は当代の聖女を失ってしまったとばかり思っていたからねえ。そこにきみからの聖女保護の報告を受けて、今王宮は上を下への大騒ぎさ。僕が自ら確かめに行くと言っても、誰にも止められなかったくらいだよ。だから、そんなに怒らないでくれないかい? アイザック」
なんだか、やけにのほほんとした口調である。アイザックのお怒りマックスな叱責を受けてこれとは、どうやらこの国の王太子は、信じがたいほどマイペースな御仁であるようだ。
「殿下……」
「うん。おまえたちの心配は、わかってる。置いてきた護衛たちにも、悪いことをしたと思っているよ。ただ、これ以上聖女絡みで王宮が失態を重ねれば、我が国の威信は地に落ちる。それだけは、絶対に許されないことだからねえ」
王太子の声が、近づいてくる。
「あれ? ひょっとして、そこにいるのは兄上かな?」
(兄上?)
誰のことだ、と不思議に思っていると、ライニールが冷ややかな声で口を開いた。
「お久しゅうございます、王太子殿下。ですが、私はとうの昔にマクファーレン公爵家から廃嫡された身。そのように親しげな呼び方は、今後一切ご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます」
「えぇー。きみがいなくなってから、僕と母上はものすごく苦労しているんだよ? いっそのこと、きみがあの家を乗っ取ってくれれば助かるのにさ」
なんだか、よくわからない会話である。ライニールと王太子は、幼馴染みか何かだったりするのだろうか。体の大きな面々が盾になっていて、いまだに凪から王太子の姿は見えていない。
「まあ、その話しはあとでいいや。……それで? 本物の聖女さまは、僕に見せてくれないの?」
声が、近い。柔らかな響きの、けれどとても強い声。
ライニールの腕に、ぐっと力がこもる。
「殿下。私の娘は、繊細なのです。なんの心の準備もなく、王族にご挨拶などできませんよ」
「……娘? へぇー……そう。ちょっと、意外だねえ。きみが、聖女の後見を買って出るなんて。いつから、そんな野心家になったんだい? 兄上」
野心家、という王太子の言葉に、嘲るような、失望したような響きを感じ、凪はむっとした。ライニールは、ただ血の繋がった家族として、凪を守ろうとしてくれているだけだ。ゲスの勘ぐりで、失礼なことを言わないでいただきたい。ライニールが拒否しているにもかかわらず、兄上呼びを続ける傲慢さもいかがなものか。
……というわけで、凪は失礼な王太子に対し、きっちりもの申すことにした。
「お父さま。わたしは大丈夫ですから、下ろしてください」
「ナギ?」
気遣わしげな目をする彼に、にこりと笑ってうなずいて見せる。小さく息を吐いたライニールが、そっと床に立たせてくれる。……ここの面々は、ひょいひょい人を抱き上げ過ぎだと思う。身体強化魔術か。身体強化魔術のせいなのか。それともただの力自慢か、羨ましい。
こちらの意をくんでくれたらしいシークヴァルトとアイザックが、一歩ずつ左右にずれた。
最初に目に入ったのは、艶やかな銀の髪。淡いペリドットの瞳。そして――
「兄さんと同じ顔っ!?」
「……えぇー。ちょっと、待ってよ。何この子、マクファーレン公爵の隠し子なの?」
素っ頓狂な声を上げた凪を、眉根を寄せた王太子がまじまじと見つめてくる。
(あ、しまった。つい、兄さん呼びをしちゃったでござる。……だって、めっちゃ驚いたんだもん! まさか、いきなり目の前に銀髪バージョンのライニールさんが出てくるとか、そんなの普通思うわけないじゃん! 目の保養が過ぎて、それこそ「目が! 目がー!」案件だよ!)
凪はひとまず、ごまかすことにした。
「すみません、間違いました。ライニールさんは、お父さまです」
「ごまかすの下手すぎか!」
すかさず、シークヴァルトがツッコんでくる。こんなときだというのに、凪は嬉しくてほっこりした。キレのいいツッコミは、いつでもヘイカモンのウェルカムだ。
ひとつため息をついて、ライニールが口を開いた。
「話しがややこしくなるので、殿下との面会はもう少し先にしてほしかったのですがね。――ナギ、こちらは我が国の王太子、オスワルド・フレイ・ユーグ・ルジェンダ殿下。彼の母君である王妃殿下は、マクファーレン公爵の双子の姉なんだ」
「……あ、なるほど。お父さんと、王太子殿下のお母さんが双子のごきょうだいだから、おふたりがこんなにそっくりさんなんですね。びっくりしました」
それにしても、本当によく似ている。髪と目の色が同じであれば、シャッフルしてもきっと気づかれないレベルだ。
ライニールが、凪からオスワルドに視線を移す。
「殿下。こちらが我が国の聖女、ナギ・シェリンガム男爵令嬢です。先ほど、彼女の同意を得た上で、私の養女として迎えました」
「……兄上?」
ひどく困惑した表情を浮かべたオスワルドに、ライニールは淡々と告げた。
「ナギは、十六年前に無実の罪で離縁された私の母が、追放先の修道院で産み落とした、マクファーレン公爵の娘です。つまり、あなたの従妹ということになりますね」
魔導騎士団の団長は、怒ると顔が某少年漫画調に濃くなるのかもしれません。