力の証明
どうしよう。ライニールの発言が、ちょっと気持ち悪い。
ひとつ咳払いをしたアイザックが口を開く。
「ライニール、そろそろナギ嬢を下ろしたまえ。これから王宮に聖女発見の報を入れる。すぐに騒がしくなるだろうから、今のうちに体を休めておくように」
「……はい」
いかにも渋々、という様子で、ライニールが凪をソファへ下ろす。いくら凪が細身の少女とはいえ、人ひとりを抱えたままずっと立っていたというのに、まったく苦にしていないようだ。もしや、身体強化の魔術を使っていたのだろうか。ソレイユに抱えられたときも驚いたけれど、いつかぜひその便利な技を教えていただきたいものである。
それぞれが席に着くと、通信魔導具で王宮に連絡を入れたアイザックが、ひとつうなずいて口を開いた。
「さて。聖女であるナギ嬢が見つかったとなれば、すぐに王宮と神殿から、確認の使者が来るだろう。通常ならば、王宮からは王位継承権第五位以内のどなたかが、神殿からは特別に選ばれた神官がやってくるはずなのだが……。彼らは一度、偽物の聖女を認定してしまったという汚名を抱えている。次の使者に名乗りを上げるとなれば、相当の胆力の持ち主になるだろうね」
シークヴァルトがアイザックに問う。
「オレたちの汚染痕が消えていることで、ナギの力の証明にはならないのか?」
「理屈では可能だろうが……。私は今まで自分の汚染痕を、団員以外の者に見せたことがない。おまえたちはどうだ?」
問われたふたりが、揃って眉根を寄せ、首を横に振った。アイザックが、少し困った顔をしてうなずく。
「王宮や神殿の方々も、汚染痕がどのようなものであるかは、知識としては知っていらっしゃるだろう。だが、実際に目にしたことがないものを『聖女の力で消した』と申告しても、今の方々はそう簡単に信じられないのではないかな」
一度失敗した身となれば、以前よりもより慎重な判断になるのは当然だ。
(うーん……。神殿はともかく、王宮にはわたしが聖女だってことを認めてもらわないと、困るんです。タダ働きは、いやでござるいやでござるー)
「だから、ナギ嬢にはやはり通例通り、地脈の乱れに影響されて濁った魔導鉱石を、『聖歌』で正常化してもらうことになるのだと思う。実際のところ、それ以外に確認の術はないのだしね。何、ナギ嬢の力は本物なのだ。先方の見る目は少々厳しくなっているかもしれないが、何も不安に思うことはないよ」
「……え?」
凪は、固まった。
『聖歌』というと、たしか聖女のみが使える固有魔術で、歌の届く範囲内すべての魔力の乱れを調えてしまうという、必殺技。
今まで聞き流していたけれど、歌、である。それは、つまり――
「わたし……使者さんたちの前で、歌うんですか? ひとりで?」
「ああ。何か、問題があったかね?」
ありまくりである。
凪は、真顔で答えた。
「無理です。初対面のエラい人たちにじろじろ見られている状態で、ひとりで歌を歌うとか、緊張するどころの話しじゃありません。想像するだけで、胃がキュッてなります。無理です。大事なことなので三回言いますが、本当に、無理です」
学校の授業でのクラス合唱や、友人たちと楽しむカラオケとはわけが違う。
凪の感覚で言うなら、いきなり総理大臣や皇族方の前でひとりで歌え、と言われているようなものである。普通に、無理だ。心が折れる。歌うどころか、まともに声が出るかどうかすら甚だ疑問だ。
死んだ目をした彼女の主張に、アイザックが顔を引きつらせる。
「な……なるほど。ナギ嬢は、人前で歌う訓練はしたことがなかったのだな」
「普通は、ないと思います」
凪が無邪気にアイドルを夢見ていたのは、ほんの幼い頃のことなのだ。
本気でアイドルを志す少女であれば、そのための専門学校などで、歌の訓練を受けているかもしれない。だが、たとえそうだとしても、国を代表するVIPを観客とした単独ライブの練習など、しようとも思わないのが普通だろう。
アイザックが何やら沈痛な面持ちで口を開いた。
「いや……貴族の家に生まれた魔力持ちの女子は、聖女に選ばれたときに備え、幼い頃から歌の訓練を積んでいるのが普通なのだよ。そもそも聖女は、魔力の強い女子の中からしか現れないのでね。だが……そうか。何も訓練を受けていない少女には、たしかに無理な話しか……」
ライニールが、ぐっと両手で拳を作る。その目つきが、据わっていた。
「ふ……ふふ……。あのクソオヤジが、ナギを身ごもった母上を追い出したりしていなければ……。よし、もごう」
(何を!?)
最後の一言だけ、やけに爽やかな笑顔で言うライニールに、彼の本気を感じる。
シークヴァルトがそんな彼を見て、淡々と言う。
「その件については、手を貸すこともやぶさかではないけどな。ライニール。今は昔のことより、これからのことを考えるべきだろう」
手は貸してくれるんだ、と思いつつ、凪はシークヴァルトに問いかけた。
「それなんですけど、シークヴァルトさん。わたしは握手するだけで、みなさんの汚染痕を消せたじゃないですか。その認定の儀に使われるっていう濁った魔導鉱石も、手で触ったらキレイになったりしませんか?」
シークヴァルトが、考える顔になって腕組みをする。
「こればかりは、実際にやってみなければわからんが……。たぶん、大丈夫なんじゃないか? 過去の記録では、聖女の命令だけで、凶暴化した魔獣が正気を取り戻したって話しもあるしな。『聖歌』に限らなくても、聖女の声そのものに力が宿っているんだから、別に歌わなくてもいいと思うぞ」
「へ? 歌じゃなくてもいいなら、なんでわざわざ歌うんですか?」
先ほどの緊張と胃痛を返せ! と文句を言いたくなった凪の疑問に、シークヴァルトは何やら困った表情を浮かべてライニールを見た。
「オレは、魔術学の理論方面はあまり得意じゃないんだ。ライニール、交代」
「……まったく、これだから実践ありきの感覚重視タイプは。いいかい? ナギ。少し長くなるから、途中でわからなくなったら、そう言うんだよ」
ライニールはわざとらしくため息をつくと、凪にも理解しやすいようにと、丁寧に易しい言葉を選んで説明してくれる。
そもそも聖女というのは、凪がそうして見せたように、ただ対象に触れるだけ、あるいは声を届けるだけで、その力を伝えることができる存在なのだ。魔術の行使、というよりも、むしろそういう体質である、と言ったほうが自然なくらいに、聖女というのはなんの苦もなく、ごく自然にその力を顕現させる。
「ただ、どれほど力ある聖女の声でも、一度途切れてしまえば、その先まで効果が広がっていくことはないそうなんだ」
もちろん、短い言葉の連なりであっても、全体で意味が繋がってさえいれば、その声が届く範囲には力が通じる。これを『聖呪』というが、実際のところ、あまり使われることは多くない。数秒で効果が途切れる『聖呪』では、広範囲に強い影響を及ぼすことは叶わないからだ。
「その点、歌というのは、意味ある言葉と旋律の連なりだろう? たとえ途中で何度ブレスをしようと、それが旋律の要素のひとつとして成立していれば、問題ない。旋律が長く続けば続くほど、聖女の力はその周囲に響き合い、重なり合って、より高い効果を発揮する。だから、聖女がその力をより広範囲に、より強く伝えようとするときには『聖歌』を歌う、ということになるんだよ」
「……なるほど。了解しました」
なんだか頭が痛くなってきたけれど、どうにか理解はした――と、思う。たぶん。
「つまり、これから王宮と神殿から来る方々の前では、別に歌わなくても問題はないってことですよね? 彼らが持ってくる、駄目になった魔導鉱石に手で触るか、至近距離で『キレイになーれ』って声を掛ければ大丈夫ってことですよね?」
「そうだね。聖女認定の儀に使われる魔導鉱石は、さほど大きなものではないはずだし、あまり心配することはないと思うよ」
にこりと、ライニールが大変麗しい笑みを浮かべる。
ひとまず、お偉いさま方を前にした単独ライブのプレッシャーから解放され、凪は深々とため息を吐いた。
凪は、日本人的羞恥心を標準装備しています。