魔力の共鳴
何はともあれ、凪が聖女であるということは、無事に証明できたようだ。
(あのひび割れみたいな黒いシミ――汚染痕? って、魔獣に接触する魔導士だけがかかる病気みたいなものなのかな。……よくわかんないけど、とりあえず最優先事項は一時変更を余儀なくされました! ごめんねリオ! リオに酷いことをした連中は、近いうちに絶対ぶん殴って身ぐるみ剥ぎ取ってやるからね!)
ひとつ深呼吸をしてから、凪は気合いを入れてアイザックを見た。
「はい! ぼーっとしている場合じゃないですよ、アイザックさん! 魔導騎士団のみなさん、今すぐ全員集合です!」
「ナ、ナギ嬢?」
「ナギ嬢? じゃないです! 全員、わたしと握手してご挨拶! 自壊だの暴走だの処分だの、そんな物騒なことは、絶対にごめんですからね!」
凪は、まだ十五歳なのだ。
R18指定は、エロだろうとグロだろうと、断固として遠慮したいのである。ビシッと宣言した彼女に、アイザックが穏やかにほほえんで言う。
「お気持ちは大変ありがたいが、そう慌てることはない。ナギ嬢。汚染痕が出始めてから、完全に魔力のコントロールが効かなくなるまで、早くとも数年はかかる。私とシークヴァルトは、団の中でも魔獣との接触が多いほうだったので、すでに汚染痕が出てしまっていたがね。ほかの団員の中で、汚染痕が出ているのはあとひとりだけなのだ。まずは、その者だけきみと挨拶させてもらっていいだろうか? 先ほどもこの部屋にいた、ライニールという者だ」
「……そういうことなら、それでいいですけど」
現状予測されるグロ展開が、少なくとも数年後だというのなら、たしかに今すぐ全員と握手する必要はなさそうだ。実際、初対面の相手と握手をしまくるなど、想像するだけで疲れてしまう。まだ汚染痕の出ていない団員たちについては、おいおい少しずつクリアしていくことにする。
だが、すでに汚染痕が出ている人物がいるとなると、たとえ暴走の危険がそう高くないとはいえ、早急にクリアしたいところだ。あの見た目は、放っておくには痛ましすぎる。
「お呼びですか、団長」
そうしてアイザックに呼び出されてやってきたライニールは、改めてじっくりと見てみると、ものすごくキラキラしていた。むしろ、金ぴかである。高級感がすごい。
(うーん、グレイトゴージャス)
同時に感じるのは、少しの親近感。癖のない華やかな金髪といい、宝石のような緑がかった碧眼といい、なんだか色合いと髪質だけ見ると、今の凪に大変通じるものがある。
彼の中性的、というわけではないけれど、男くささがまるで感じられない美麗な顔立ちは、美術の教科書で見た宗教画を思い出させた。彼が幼い頃には、それこそ『天使のような』と言われていたのではないだろうか。
「ああ、こちらに来てくれ。――ナギ嬢、こちらが我が魔導騎士団副団長、ライニール・シェリンガムだ。ライニール、ナギ嬢にご挨拶を」
「はい。ナギ嬢、ただいまご紹介に与りました、ライニール・シェリンガムと申します。どうぞお見知りおきを」
「はい、ライニールさん。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
突然の呼び出しにもかかわらず、ライニールは特に驚いた様子を見せることなく、実にスマートに、かつまったく目が笑っていないほほえみで挨拶をしてくれた。どうやら、森で拾った凪に対し、いまだ警戒を解いていないらしい。
凪は、間近で見ても麗しさの変わらないライニールの美貌に、しみじみと感心した。実に目の保養である。
(うーん。生きる芸術品みたいなこの人が、魔獣をガンガン討伐する騎士さんなのか。アイザックさんやシークヴァルトさんはいかにもって感じだけど、なんか意外。……なるほど、この国の魔導騎士団は、ギャップ萌えを推奨中ということなんだね!)
黒髪で、黙っていれば大人の男の色気がにじみ出ているようなシークヴァルトと並べれば、とても絵になりそうだ。そんなことを密かに妄想していると、アイザックがふと首を傾げた。
「……よく、似ているな」
それは、ライニールと凪を見比べての言葉らしい。凪は、笑って応じた。
「ライニールさんとわたし、髪も目も同じような感じですもんね」
「いや……それもそうだが、何より魔力の質がよく似ている。今後、きみが魔力のコントロールを学ぶ際には、ライニールに指導を担当させることにしよう」
その発言を聞いて、異議を唱えたのはソファに腰掛けたままだったシークヴァルトだ。
「なんだよ、団長。ナギには、オレがいろいろ教えてやろうと思ってたのに」
「それは駄目だ。おまえの魔力の扱いは、感覚に頼っている部分が大きすぎる」
あっさりと不可を出され、不満げな顔をしたシークヴァルトに、ライニールが訝しげな視線を向ける。
「どういう風の吹き回しだ? シークヴァルト。それに、団長も。まさか、彼女を魔導騎士団に入団させるつもりですか? いくら高度な治癒魔術の使い手といっても、彼女はなんの訓練も受けていない子どもでしょう。何も、こんな危険なところで預からずとも――」
「ああ、いや。そうではない。ライニール、ナギ嬢は我が国の聖女だ。すぐに王宮へ報告しなければならないが、その前にまずはおまえに信じてもらわねば、と思ってね」
は、と目を丸くしたライニールに、凪はにこりとほほえんだ。
「どうも、聖女のニセモノさんに、がっつり慰謝料を請求する予定のホンモノです。今、この魔導騎士団の中で、汚染痕が出ているのがライニールさんだけだというので、それを消すために来ていただきました。わたしと、握手してもらえますか?」
「え? いや……汚染痕でしたら、団長やシークヴァルトのほうが――」
言いかけたライニールが言葉を失ったのは、いたずらっ子のような顔をしたシークヴァルトが、腕を剥き出しにして軽く手を振ったからだろうか。一瞬、大きく目を見開いたライニールが、勢いよくアイザックを振り返る。
「ああ。この通りだ。我々の汚染痕は、すでにナギ嬢に消していただいた」
そう言って、アイザックが袖を引き上げる。あらわになった彼の腕には、もはやなんの障りもない。ただ逞しく力強いだけの腕が、そこにあった。
これ以上ないほど大きく目を見開いたライニールが、ぎこちなく凪を見る。そんな彼に右手を差し出す。
「みなさんは、わたしを拾ってくださった恩人です。どうぞ、手を」
ライニールは何度か迷う仕草をしたあと、ゆっくりと右手を持ち上げた。その指先が、凪のそれに触れる。
(……へ?)
その瞬間、リィン、と高く澄んだ鈴のような音が、幾重にも重なり合って響いた。凪とライニールの金髪が、風もないのにふわりと舞う。
はじめての現象に驚いて見上げると、凪以上の驚愕に染まった瞳があった。
「魔力が、共鳴した……?」
小さく呟いたライニールが、信じられないものを見る目で凝視してくる。その視線の強さに居心地の悪さを覚えるけれど、いつの間にかしっかりと握られていた手が離れない。
「あの、ライニールさん? もう、汚染痕はきれいになっていると思うんですけど……」
「……ちょっと、待ってくれ」
凪の右手を握ったまま、ライニールが自分の腕をあらわにする。そこに、あの黒いひび割れのようなシミは、ひとつもなかった。
(あ、よかった。ちゃんと消えてる)
大丈夫だとは思っていたけれど、凪が意識的に汚染痕を消しているわけではないので、結果が目に見えるまではどうにも不安なのだ。対象に触るだけでいいというのは楽だけれど、なんというかこう、もう少しお仕事をした実感が欲しい。
とはいえ、ライニールの汚染痕は無事に消せたのだ。そろそろ手を離してくれないだろうか、と思うのだが、彼は繋いだ凪の手を見つめたまま、微動だにせず固まっている。
「ライニールさん? どうかしましたか?」
「……した」
まさかの肯定に、意表を突かれた。何やらひどく混乱している様子のライニールが、ぐしゃりと自分の前髪をつかんでぼそぼそと言う。
「孤児……ノルダールの? 十五歳ってことは……ああぁあああ絶対ぶっ殺す、あんっの無能で低劣で惰弱で救いようがないほど性根の腐りきったクソハゲオヤジがあぁああーっっ!!」
「ひょわぁ!?」
初対面のとき、金髪兄さんが凪を抱っこしていたら、めちゃくちゃ大騒ぎになっていたやつです。




