聖女さまの給料事情
攻撃力の高すぎるシークヴァルトからのアレコレにより、完全にぐったりしてしまった凪だったが、徐々に頭痛が治まってきたこともあり、どうにか立ち直ることができた。
「も……大丈夫、です。すみません、でした」
「無理はしなくていいんだぞ? 少し、横になるか?」
お気遣いは大変ありがたいが、できれば今は控えていただきたい。これ以上のオーバーキルは、凪の心臓がキュッと逝ってしまう。ただでさえこの体の心臓は、一度ザックリ刺されて止まっているのだ。過度の負担をかけては、あまりにも可哀相ではないか。
ひとつ深呼吸をして、ぐらつく意識を立て直す。改めて姿勢を正した凪は、へらりと笑ってシークヴァルトを見た。
「ありがとうございます。シークヴァルトさん。本当にもう、大丈夫です」
「まだ、顔色がよくない。おまえが大丈夫だと思っていても、オレが無理だと判断したら、即休ませるからな」
(えー)
なんという過保護だろうか。たしかに彼は、アイザックから凪の護衛を命じられてはいたけれど、ちょっと行き過ぎな気がする。結局シークヴァルトは、凪の隣に腰を下ろした。
内心首を傾げながら、凪は膝を揃えてアイザックに視線を戻す。
「団長さん。お話の腰を折って、すみませんでした。わたしに何か、聞きたいことがあったんですよね?」
「ナギ嬢。本当に、無理をする必要はないのだよ」
気遣わしげなマッチョ紳士に、凪は少し笑って言う。
「体調が悪いわけではないんです。ただちょっと、忘れていたことを思い出すたび、頭が痛くなるみたいで……。あ、そうだ」
ぽん、と両手を打ち合わせる。
「さっき団長さんが言っていた、白い長髪に赤い目の魔導士のことなんですが。その人が、森でわたしをズタボロにした犯人なので、殺人未遂容疑でキッチリ取り調べてやってもらえますか?」
「……うん?」
アイザックが、首を傾げた。マッチョ紳士の仕草にしては、実にあざと可愛い。凪は危うく「イイネ!」と親指を立てるところであった。
「今、少しだけ思い出したんです。金髪碧眼の、泣きぼくろが色っぽい美人さんに殴られたこととか。さっき目が覚めたときには、森の中であの魔導士に、剣で斬られたことを思い出して……」
トイレでケロケロする羽目になったことを思い出し、つい顔をしかめて口元を手で覆う。そして、ふと首を傾げる。
「あれ? わたし、なんで生きているんでしょう?」
兄の姿をした人でなしは、凪の魂が心停止していたこの体を、瞬時に蘇生させたと言っていた。けれど、心臓をぐっさり刺されたのはもちろん、目覚めたときの惨状からして、ものすごく丁寧に斬殺されたはずである。こうして生きているのはもちろんありがたいのだが、まったく意味がわからない。
それにしても、あの白い魔導士は、いろいろと腹立たしいことをのたまっていたけれど、あれほど念入りにザクザク切り刻むとはひどい話だ。いったいリオに、なんの恨みがあったというのだろう。
「……ナギ嬢」
アイザックの声が、かすかに震えている。
「ユリアーネ・フロックハートを捕縛した際、彼女はこう叫んだそうだ。――本物の聖女は、自分たちが殺してやった。ざまあみろ。自分を愛さなかった王太子ともども、この国の者たちもみな、せいぜい苦しみ抜いて死ぬがいい、と」
凪は、目を丸くした。逮捕された瞬間に、自らの罪を自供する犯人など、二時間ドラマの中にしか存在しないと思っていたのだ。
しかし、それ以上に気になるのは――
「なんですか、その痴情のもつれ丸出しの、アホみたいな安っぽい捨て台詞」
「~~っそこじゃないだろう!? おい、団長! どういうことだ、それじゃあまるでナギが、本物の聖女だったみたい、な……」
隣で中腰になり、大声を出したシークヴァルトを、片手を挙げたアイザックが制する。
「ナギ嬢。聖女というのは、自然魔力の流れを調えることに特化した存在だ。そのため、一般的な魔導士が使うような魔術は、通常使用することができないのだよ」
だから、とアイザックが低い声で言う。
「聖女にはその身を守るための盾として、各国の最大戦力を護衛として付けるのが通例なのだ。我が国であれば、我々魔導騎士団がその任に当たることになっている」
「へ?」
間の抜けた声をこぼし、ますます目を丸くした凪を、エメラルドの瞳がまっすぐに見る。
「きみが着ていた衣服を検分したが、たしかに致命傷となったであろう複数の破損部位と、致死量以上の血痕が確認された。もしきみが本物の聖女であるにもかかわらず、それだけの傷を完全に修復してしまうほどの、高度な治癒魔術を発動したのだとしたら――それは、なんという奇跡だろうか」
「治癒魔術」
致命傷を負った体を完全回復させるなんて、そんな非常識な魔術が存在するのか。……そう言えば、兄の姿をした人でなしも、凪がこの体で生きていることを奇跡だと言っていたような気がする。
改めて驚いた凪だったが、よく考えてみれば、ここは一瞬で長距離を移動できる、ど○でもドア――もとい、転移魔術なるものがある世界だった。魔術という不可思議な技術は、凪が生まれ育った世界よりも、遙かに高度な恩恵を社会にもたらしているようだ。
(そう言えば、王都の上空には馬鹿でかい空中魔導都市とか、空中要塞とかが、普通にふよふよ浮いてるんだっけ? ……リアル天空の城! うっひょう! 見てみたい!)
うっかり明後日の方向に思考が飛びかけたが、今はそれどころではない。
新たな問題に気づいた凪は、へしょっと眉を下げた。
「護衛騎士団のみなさんを全員雇えるほど、聖女って高給取りなんですか?」
「………………んん?」
アイザックが目を瞠り、シークヴァルトがすとんと隣に腰を落とす。
「聖女に自分で自分の身を守る力がないから、護衛が必要っていうのはわかるんですけど。わたし、喧嘩すらまともにしたことがない、ただの孤児ですし。なんだか、結構危ないところにも行くみたいですし。でも、みなさん全員のお給料を危険手当付きでお支払いするとなると、どれくらいが相場なのかもわかりません。なので、聖女のお仕事をするのはいいんですけど、誰にも見つからないようにコソッとしにいくので、護衛とかはナシだと嬉しいです」
束の間、沈黙が落ちる。
ややあって、アイザックがどこか遠くを見はじめ、シークヴァルトは低く呻いた。
「おい……ナギ」
「はい。なんでしょう?」
軽く眉間を揉むようにしながら、シークヴァルトが言う。
「あー……その、なんだ。おまえ、自分が聖女だって自覚はあるのか?」
「自覚はありません。ただ、わたしを切り刻んだ白い魔導士が、わたしのことを愚かな聖女と呼んでいたので、少なくともそう考えている人はいるのだと思います。なんだか、複数の男性から強姦される前に殺してやることを感謝しろ、とか言っていましたね」
シークヴァルトとアイザックが、同時に目の前のローテーブルを拳で叩いた。バキゴッ! という鈍い音とともに、ローテーブルがローテーブルだったものになる。……ぶ厚い木材というのは、人間の力で破壊されていいものではないと思う。
「わあ、すごい」
人間、あまりにどん引きすると、ありふれた感嘆しか出てこないらしい。凪が目を丸くしてローテーブルだったものを眺めていると、ぐぐぐ、とシークヴァルトが顔を上げた。
「……いいか? 今後、おまえに不埒な目を向けるゲス野郎がいたら、必ずオレに報告しろ。全力で、そいつの性根をたたき直してやる」
「いや、ですからシークヴァルトさん。わたし、無一文の孤児なんですってば。聖女のお仕事で、どれだけ国からお給料がもらえるのかは知らないですけど。みなさんみたいな立派な騎士さんたちを護衛に雇うとか、出世払いでも勘弁してください。絶対、貯金とかできないやつじゃないですか」
ものすごく複雑そうな表情を浮かべたシークヴァルトが、給料、と呟く。そして、何やら頭を抱えているアイザックを見て問いかける。
「団長。聖女って、どれだけ給料が出るもんなんだ?」
「……聖女は通常、王族に準じた扱いとなる。だが、聖女に対する報酬……いや、手当? というのは……。王宮で記録を調べればわかるかもしれんが、その……」
アイザックらしくもない、もにょもにょした言いようである。凪は、なんだか不安になった。
「タダ働きとか、絶対イヤですよ? わたし。聖女のお仕事って、結構危険なんでしょう?」
「た、タダ働きというかだね……。聖女というのは、大抵その国の王族に嫁ぐのが慣例になっているのだよ。そのため、聖女としてというよりも、王族に輿入れする女性としての予算が組まれていたのではなかったかな」
嫁ぐ。つまり、お嫁さんになる。……王族の?
その言葉の意味を理解した瞬間、凪は全身に鳥肌を立てた。
「……絶っっっ対、イヤですっっ!!」
両手を固く握りしめ、立ち上がった凪は全身全霊で拒絶する。
「知ってるんですからね、わたし! 庶民が王族やら皇族やらに嫁ぐと、ロクなことがないんです! マスコミにあることないことないことないこと書き立てられて、プライベートとか完全皆無! 旦那さまの周りにいる、お血筋の正しいお姫さまやらお嬢さま方にいじめられて、ストレスのあまりぶっ倒れたり、声が出なくなったり、人前に出られなくなったりするんです! お気の毒! そんなことになるくらいなら、わたしは聖女のお仕事なんか出来なくたって結構です!」
ド○えもんの歌は、初代が好きです。




