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好きじゃない。でも、大好き

 一拍おいて、兄がことさら淡々とした口調で言う。


「今、おまえの世界に生きる者たちを混迷から救える聖女は、おまえを含めてたった五人。だがまあ、この点に関しては、別の世界で生きてきたおまえには関係のないことだから、特に考慮することもないだろう」

「え、人でなしなの?」

「その通りだが?」


 真顔で返された。


「我々は、世界の管理者。人間ではない。正直なところ、おまえのいる世界で人間の死亡率がどれほど上がろうと、面倒な仕事が多少増えるだけのことだ。たとえ聖女として生きる道を選ばずとも、巻きこまれ事故にあったような状態のおまえが、気に病むことはない」


 人でなしのくせに、人を気遣うようなことを言うとは、これいかに。

 ただ、と兄が――兄の姿をした人でなしが続ける。


「リオは、彼女が持つ聖女の力を利用しようとした者たちに、殺された」

「…………は?」


 ずっとどこか現実味がなく、ふわふわとしていた凪の意識が、一瞬で冴えた。


「いずれおまえの魂がその肉体と完全に同調したなら、脳に刻まれた記憶もおまえ自身のものとして思い出すだろう。おまえがどう生きるかは、それから決めても遅くはない」

「リオが……殺された、って、え? なんで? だったらわたし、なんでリオになってるの?」


 声がひび割れ、震える。


「リオは殺され、その魂は肉体から離れた。しかし、この混迷と崩壊に向かっている世界に、聖女種は絶対に必要な存在だ。だからこの世界は、リオの肉体を生かすために必要な魂を、強引に取りこんだ。リオと同質でありながら、リオよりも遙かに強大な力を持つ、凪――おまえの魂を」


 喉が、ひりつく。


「聖女種の発芽に力を食われることがなかったおまえの魂は、現在この世界の誰よりも力に満ちている。今のおまえは、リオの力で聖女となった肉体に、聖女種を発芽させられる膨大な力を持つ魂が、そのまま入っている状態だ。そして、おまえの魂の力は、鼓動が消えたばかりだったリオの肉体を、瞬時に蘇生させた。これは、我々の記録上はじめての現象だ。まさに、奇跡といっていい」

「……奇跡?」


 混乱した心がどんどん冷えていくのが、自分でわかる。

 リオは、優しい子だった。凪の知るほかの誰よりも。

 彼女のことは好きではなかったけれど、本当は少しだけ羨ましかった。あんなふうに、誰に対しても優しく接することができるというのは、確かにリオの強さだったから。


 リオと比べると、自分はどうしようもなくひねくれていて、可愛げがなくて……弱くて、ずるい。彼女が殺されたと知らされて、こんなにも息が苦しくなるほど辛くなるなんて、思わなかった。


「そこまで知ってて……なんで、リオを助けてくれなかったの?」

「言っただろう。我々は、世界の管理者。支配者ではない。我々は本来、肉体を持つ者たちの行動には関与しない。ただ、今回のケースのように、世界の均衡が崩壊する危険が生じた場合に限り、その修正のため最低限の干渉が認められているだけだ」


 何を言われているのか、理解できない。リオの死に対して何もしなかった自分が、そのことについて誰かをなじっていいわけがないと、わかっている。頭ではそうわかっているのに、どうしても受け入れられなかった。

 リオが、死んでしまったなんて。


「わたしも……緒方凪の体も、死んじゃったのかな」


 凪の魂がこうしてリオの肉体に入っているということは、元の凪の肉体は空っぽになってしまったということだ。魂の抜けた肉体がどうなるのかなんて知らないけれど、とても無事であるとは思えない。


 こんなにひねくれたちっぽけな自分でも、今までそれなりにがんばって生きてきた。

 凪は両親や兄に愛され、大切にされてきたことを知っている。なのに、まだ何も返していない。愛されてばかりで、守られてばかりで、彼らのためにまだ何もできていないのだ。それがひどく苦しくて、虚しかった。

 しかし、兄の姿をした人でなしは、あっさりと首を横に振る。


「それが、これもちょっと想定外というか、我々も驚いたことなんだが。今、おまえの元の肉体には、リオの魂が入っている」

「へ?」


 無意識に唇を噛んで俯いていた凪は、ぱっと顔を上げた。


「リオは、この世界で殺された。通常ならば、肉体に依存する記憶は引き継がれることなく、その魂は次の新たな肉体に宿るはずだ。だが――おまえの魂を強引に取りこんだ反動なのかな。もしくは、リオの肉体がこうしてまだ生きているからなのか。リオの魂はこちらでの記憶を持ったまま、おまえの肉体に定着している」

「……リオが……生きてるってこと? わたしの、体で?」


 ああ、とうなずいた彼が、軽く目を細める。


「さすがに、無事とは言い難いがな。何しろ今言った通り、リオはこちらでの記憶を失っていない。つまり、自分が無惨に傷つけられ、殺された瞬間を覚えている。おまえたちは、まだ十五の子どもだ。とても平静ではいられないだろう」

「でも、生きてる」


 たとえ、本来の体とは違う体でも。

 生きているのならば、希望はある。

 考えろ。

 これから、どうすればいい。

 どうすれば、リオは救われる。


「わたしたち……もう、元の体には戻れないの?」

「不可能だ。この世界はすでに、おまえという存在を受け入れたことで安定を取り戻しつつある。仮に、これからおまえが死ぬことになったとしても、種子の発芽でほとんど力を失ったリオの魂を、世界が再び求めることはない」

「……そう」


 戻れない。帰れない。あの、穏やかで平凡で、幸せだった日々に。

 そんなひどいことを突然突きつけられて、受け入れろというのか。

 泣き叫びたいのに、心が麻痺をしているようで体が動かない。けれど今、すべてを投げ捨ててうずくまってしまえば、自分は何もできなくなる。


 泣くのも、絶望するのも、今じゃない。

 考えろ。

 自分はまだ、自分の足で立っている。立って歩ける。

 ただこの世界の聖女であったというだけで殺されて、きっと立ち上がることも出来ないほど泣いているのは、リオのほうだ。


「リオにも……そのうち、わたしの記憶が全部戻るの?」

「ああ。概ね十日もあれば、魂と肉体の同調は完了するだろう」


 なるほど、と凪は両手の指を握りしめた。

 凪の体で生きているリオに、凪自身の記憶が戻るというなら――


「人でなしの世界の管理者。わたしの体に入ったリオに、こっちで辛かったこと……自分が殺されたときのことを、忘れさせられる?」

「本人の同意があれば、可能だ。確認する。――同意確認。リオの魂の記憶から、殺害される瞬間より前一ヶ月間の情報を、表層部分を除きすべて削除。精神状態の大幅な安定を確認した」


 まさかの即時対応に、凪は唖然とする。


「対応が速すぎない?」

「現在、こちらと平行してリオの対応に当たっている我々と、情報を共有している。ああ、リオからおまえに伝言だ。――『ごめんなさい。わたしはずっと、優しい家族に囲まれている凪が羨ましかった。今、こんなことになっているのは、きっとわたしが死ぬ瞬間に、次に生まれるなら凪の世界がいいと願ったからです。本当に本当に、ごめんなさい』。以上だ」


 唇が、震えた。

 リオもまた、凪のことを知っていたのか。同じように、夢の中で凪の人生を眺めて――そして、当たり前のように家族から愛される日常を、羨んでいたというのか。


「……それ、違うんでしょ? わたしたちの体が入れ替わったのって、別にリオのせいじゃないんでしょ?」

「違う。一個体の魂の力で、恣意的に世界を越えることは不可能だ。おまえたちの現状は、あくまでもこの世界の意思によるもの。先ほどのリオの言い分は、死んだはずの自分がおまえの肉体を得たことに起因する、強烈な後悔と自己嫌悪。それにより、極度の判断力の低下に陥った結果の、後ろ向き過ぎる愚かな思いこみだ」

「言い方!」


 人でなしに恥じない言いように、凪は地団駄を踏む。頭を抱え、深呼吸をした凪は、世界の管理者を見据えて言う。


「リオに、伝えて」


 彼女のことは、好きじゃない。

 誰よりも可愛くて素直で優しくて、何ひとつ勝てるところのない『もうひとりの自分』なんて、本当に妬ましくて好きじゃない。

 けれど。


「大好き」


 好きじゃない。でも、大好き。

 まったく、バカみたいに矛盾していると思う。

 それでも、今この胸にある全部の気持ちは、どれも絶対に嘘じゃない。


「リオが死ななくて、よかった。……本当に、よかった。こんなの全然、リオのせいじゃない」


 だから、願う。


「泣かないで。ちゃんと、高校行ってね。たくさん友達作って、美味しいものいっぱい食べてね。あと、お父さんとお母さんとお兄ちゃんにも、大好きって伝えて。今までたくさん、ありがとうって。わたしは、こっちでがんばる」


 リオならきっと、凪の家族を幸せにしてくれる。

 そう、信じられるから。


「だから、リオもがんばって。一緒に、がんばろうね」


 ――凪の記憶がすべてリオのものになるのなら、彼女はこれから『緒方凪』として生きられる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やるせないけどいい話じゃのう…… おじさん仕事の休憩時間に読んで泣いちゃった……;;
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