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聖女さまは取り替え子  作者: 灯乃


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110/117

聖女さまの旦那さま

 ディアナ・ザハールカが、彼女の夫であるイグナーツとはじめて出会ったのは、彼女が十四歳のときのことだ。

 一歳年長の彼は、当時十五歳。

 その年まで男児に恵まれなかったドランスキー侯爵は、いつまでも後継者不在という状況が続くことを、よしとしなかったらしい。

 さまざまな事情を考慮して下した、長女であるディアナの夫を自らの後継者とするという決断に伴い、新たに年の近い優秀な従者を選んで連れてきたのだ。

 実際、まだ幼さの残る風貌ながら、イグナーツはそのときすでに年齢に似合わぬ落ち着きと、有力貴族の家に仕える者としての完璧な立ち居振る舞いを身につけている少年だった。

 低く柔らかな声でゆっくりと話し、何があろうと決して慌てることなく、常に適度な距離感で控えている。

 従者というには端正すぎる容貌をしているにも関わらず、不思議と人の目を引き寄せない振る舞い方を熟知しているような、寡黙で優秀な少年従者。


 そんな、ある意味空気のような存在だったイグナーツが、あの日――ディアナが家族から見捨てられたあの日、半ば強引に生家から連れ出してくれたときには、本当に驚いた。

 すでに不要な存在だと断じられていたとはいえ、あのときの彼女はミロスラヴァ王国の名門ドランスキー侯爵家の長女だったのだ。

 いくらディアナの専属従者として、彼女が起居している屋敷の構造を知り尽くしていたとしても、そこには常に大勢の使用人や警備を担う者たちがひしめいている。そんな中を、足手まといにしかならない娘ひとりを連れて出奔するなど、普通ならばできるはずもない。


 それなのに、イグナーツは立ち上がることすら難しかったディアナに「少しの間、目を瞑っていてくださいね」と、いつも通りの穏やかな声で言ったのだ。

 泣き疲れ、意識が半ば朦朧としていた彼女を抱き上げたイグナーツが、それからどうやって屋敷から脱出したのかは、今でもよくわからない。

 気がついたときには、下町の小さな借家ながら、居心地よく整えられた空間で、温かな蜂蜜入りのミルクを差し出されていた。


 ――あなたが傷ついているところに、つけ込んだ形になっているのはわかっています。

 ――ですから、あなたの気持ちが落ち着かれるまで、俺の言ったことは忘れてください。

 ――ゆっくりお休みになって、やはりドランスキーのお屋敷に戻られたいということであれば、すぐにお送りいたしますから。


 優しい声でそんなことを言ったイグナーツは、次の朝にはディアナのまるで知らない人間になっていた。

 地味な従僕服ではなく、いかにも頑丈そうなジャケットやブーツ、革手袋といった装いになっているだけでも驚いたのに、いったいどこで手に入れたものなのか、慣れた手つきでさまざまな魔導武器を扱っているのだ。

 彼が魔力を持っていることすら知らなかったディアナは、その様子にひたすら困惑してしまった。


 ――あなたには悟られないよう命じられていたのですが、俺は元々、お嬢さまの専属従者兼護衛だったんです。

 ――不測の事態が起きたときに、あなたが俺を頼る素振りを見せないほうがいいだろう、と……。今まで黙っていて、申し訳ありません。

 ――俺のことは、気になさらなくて結構ですから。今は、あなたご自身がこれからどうしたいのかだけ、考えていらしてください。


 下町で暮らすための知識を身につけるまでは、ひとりで外出することこそ禁じられていたけれど、彼はずっとディアナの意思を尊重し続けてくれた。

 屋敷を出奔する際に、火傷しそうなほどの熱を感じる瞳で「お慕いしています」と言ったことなど、まるで忘れたような顔をして。

 ディアナが居心地よく過ごせるよう、家の中では完璧な従者として、そして外では腕利きの傭兵として働く彼は、本当になんでもできる人だった。

 彼女が料理を学びたいと言えば、調理器具の持ち方から教えてくれたし、魔導具を使わない掃除の仕方も、丁寧に優しく指導してくれた。

 おかしな見た目になってしまった失敗作の手料理も、イグナーツは嬉しそうに食べてくれたし、掃除が上手くできたときには、手放しの笑顔で褒めてくれた。


 そんな彼に、なぜ、と改めて尋ねたのは、一緒に暮らしはじめて一月ほど経った頃だろうか。

 ディアナはドランスキー侯爵家の総領娘として、物心ついたときから多岐にわたる高度な教育を施されている。

 けれど、どれほど美しい文字を書けようと、楽器や絵画の腕が優れていようと、領地の経営に必要な知識を備えていようと、そんなものにはもはやなんの価値もない。

 唯一、幼い頃から褒められていた刺繍の技術だけは、少しずつ生計の足しになってきているけれど、その仕事を探してきてくれたのだってイグナーツだ。結局、彼がいなければディアナには何もできない。

 なのになぜ、こんな役立たずの自分にこれほどよくしてくれるのか――。

 本当にわからなくて尋ねた彼女に、イグナーツは一瞬目を瞠ってから笑って言った。


 ――役立たずだなんて、とんでもない。あなたはいつだって、俺を幸せにしてくれるのに。

 ――あなたがここでの暮らし方を学びたいとおっしゃるたび、俺はとても嬉しかった。

 ――大丈夫ですよ、お嬢さま。今はまだ難しくても、あなたはどこでだって、必ずご自身の力で生きていける方です。


 そのとき、ひどく泣きたい気分になったことを、今でもはっきりと思い出せる。

 婚約者の裏切りを知ったとき、本当に目の前が真っ暗になった。

 存在のすべてを否定され、婚約者にとっても家族にとっても、もはや無価値な邪魔者でしかなくなったことを、何度も思い知らされた。

 辛くて、苦しくて、いっそ死んでしまいたいと願った自分に、イグナーツはすべてを与えてくれた。生きていていいのだと、生きていて欲しいのだと願ってくれた。


 ……はじめは、純粋な感謝だったのだと思う。

 人生のすべてに絶望していたときに、唯一優しく手を差し伸べてくれた彼に、心からの感謝を抱くのは当然だ。

 そんな彼にできる限りのお礼をしたくて、ディアナは懸命に下町で生きるための知識とスキルを身につけた。

 ……どこへ行くにもやたらと目立ってしまう長い髪を切ったときは、帰宅した彼が膝から崩れ落ちるほど驚かせてしまったけれど、それ以外は概ね問題なく暮らせていた、と思いたい。

 少しずつ、少しずつ。

 穏やかで優しい日々を過ごす中で、ディアナはごく自然にイグナーツに心引かれていった。

 かつての婚約者に抱いていたものとはまるで違う、明確な熱と独占欲を孕んだ感情に戸惑うこともあったけれど、そんなふうに強く彼を想えることが嬉しかった。


 あの日、傷ついて泣いてばかりだったディアナに、手を差し伸べてくれたイグナーツ。

 そんな彼との関係を一歩進めるために、生まれてはじめての告白をするつもりが、うっかり「結婚してください」とプロポーズをしてしまったのは、我ながら本当に意味がわからない。

 けれど、イグナーツが泣きそうな顔をして抱きしめてくれたから、きっと間違いではなかったのだろう。

 ふたりだけで指輪を交わして、夫婦の誓いをして、本当に本当に幸せだった。

 ずっとあの小さな街で、彼と穏やかな日々を過ごしていけたらよかったのに――。


「怖いか? ディアナ」

「……ええ」


 豪奢な控え室でオスワルドからの出撃指示を待つ間、ディアナとイグナーツは、トゥイマラ王国魔導騎士団の第一部隊とともにいた。

 イグナーツはいつも通りの無骨なジャケットとブーツという姿だが、ディアナが今身につけているのは、この国の王族女性が出陣するときに着るという緋色の戦闘服だ。

 最上級の防御魔術を可能な限り付与しているというそれは、とても軽いものであるはずなのに、ひどく重く感じてしまう。

 椅子に腰掛け、ぎゅっと両手を握りしめるディアナの前に、イグナーツが膝を落として見つめてくる。


「そうだな。……俺も、怖い。すごく、怖い。正直、おまえをスタンピードのど真ん中に連れていくなんて、冗談じゃないと思ってる」


 けどな、と言う彼の手が、震えるディアナのそれをそっと包みこむ。


「ここで逃げたら、きっとおまえは一生後悔することになる。自分を責めて、傷ついて、泣いて生きていくことになるんだ。……おまえは、好きで聖女として生まれたわけじゃないのにな。本当に、なんでおまえばかりがこんな思いをしなきゃならないんだって、心底思うよ」

「あなた……」


 とても辛そうな顔をするイグナーツの手を、振り払うことができたなら――彼は、こんな危険とは無縁な場所で生きていけるはずなのに。

 強くて優しくて、なんでも器用にこなしてしまえる彼ならば、いくらでも穏やかで平凡な人生を選べるはずなのに。


(……ごめんなさい)


 できない。

 誰よりも自分を愛して、大切にしてくれるこの人を失うなんて、想像するだけで胸が潰れそうになる。


「大丈夫だ、ディアナ。――約束しただろう? 俺は一生、何があってもおまえを守る。絶対に、おまえをひとりにしたりしない。これでも俺は、防御系と幻術系の魔術については、自信があるんだ。たとえ暴走した大型魔獣が突っこんでこようと、おまえが退避する時間くらいは余裕で稼げるから、安心してろ」


 穏やかな声で告げられた言葉にディアナが答えるより先に、「ハァア!?」という素っ頓狂な声がした。

 驚いてその声がしたほうに視線を向けると、トゥイマラ王国魔導騎士団第一部隊の副隊長――このチームの責任者でもあるヴィクター・ソレイシィが、目を丸くしてイグナーツを見つめている。

 何度か瞬きをした彼は、ハッと我に返ったような顔をして頭を下げた。


「も、申し訳ありません! お二方のお話の邪魔をするつもりはなかったのですが……! その……イグナーツどの。貴殿がそれほど、防御系魔術に長けているとは存じ上げなかったもので……」


 妙にしどろもどろに言うヴィクターに、イグナーツが不思議そうに応じる。


「たしかに俺は、幼い頃から防御系魔術の適性が異様に高いと言われてきましたが……。魔導騎士団の方々にとっては、さほど珍しいものでもないでしょう?」

「え? は? いやいやいやいや、単独で暴走した大型魔獣を止められるレベルの防御フィールドなんて、ウチの団長でも数秒間の維持が限度だと思いますよ!? って、本当に失礼だとは思いますが、その……本当に、冗談でおっしゃっているわけではない……のですよね……」


 どうやらヴィクターは、イグナーツの言葉に半信半疑であるようだ。

 魔術に関してはまったくと言っていいほど無知なディアナは、首を傾げて夫を見た。


「そういえば、あなた……。わたくしがまだ一人で外出できない頃は、家の周りを常に幻術系の魔術と防御フィールドで覆って、実家からの追っ手を一切近づけないようにしてくれていたわね?」

「ああ。侯爵家を出てからしばらくの間は、連中もかなりしつこかったからなあ。おまえをひとりで家に置いておくには、それくらいしておかないと不安だった――」


 イグナーツが言い終える前に、再び「ハァアー!?」という声が、今度はいくつも上がったかと思うと、魔導騎士団の面々が信じがたいものを見る目でイグナーツを見つめている。

 いったいどうした、と引いている夫に、少しの沈黙のあとやけに平坦な声でヴィクターが問う。


「……イグナーツどの。それはまさか、貴殿がご自宅を離れている間……つまり、対象を視認できない状態にありながら、名門貴族の放った追っ手の目を欺けるレベルの幻術と防御フィールドを、同時に長時間維持していた、ということでございますか……?」

「はあ……まあ、そうですね。それが何か?」


 ごく自然にそう応じたイグナーツに、魔導騎士たちが揃って「うわぁ……」となんとも言い難い声を零した。世間ではそれを『どん引きしている』というのだが、庶民歴が一年足らずのディアナにはよくわからない反応である。

 ひたすら困惑していると、ひとつ首を振ったヴィクターが改めてイグナーツを見た。


「それでは、イグナーツどの。元々ディアナさまには、現場では一切お目を開かれないようお願いしておりましたが……。念のため、貴殿のほうでも周囲の様子がディアナさまの目に入らないよう、幻術の展開をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「はい、問題ありません。……あ、そうだ。それを許可いただけるのでしたら、今のうちにお願いしておきます。みなさまの邪魔になるようなことはしないとお約束しますので、こちらの判断で防御フィールドを展開する許可もいただけますか?」


 イグナーツの問いかけに、ヴィクターが小さく苦笑する。


「こちらの許可がなくても、いざというときはそうなさるおつもりだったのですよね?」

「申し訳ありません。俺は今まで、実戦で自分よりも強い誰かと共闘するという経験を、あまりしたことがなかったもので……」


 気まずそうに頬を掻く夫が、なんだか可愛い。

 しかし、そんなイグナーツの可愛らしさは、ヴィクターや魔導騎士たちには通じなかったようだ。

 どこか困惑した様子で、ヴィクターが問うてくる。


「イグナーツどの。貴殿はディアナさまとともにお暮らしになる前は、ドランスキー侯爵家で従者兼護衛として過ごされていたとのことですが……。魔導武器の扱いや、魔獣との戦い方は、いったいどこで身につけられたのですか?」


 そんなことを問われるとは思っていなかったのか、一瞬きょとんとしたあと、イグナーツがあっさりと口を開く。


「俺は、十五歳でドランスキー侯爵家に従者として引き取られるまで、ルジェンダ王国の孤児院で育ったんです。基本的な魔術や魔導武器の扱いは、その孤児院にいる間に一通り教わっていました」

「ルジェンダ王国の……?」


 ますます困惑した様子のヴィクターが、はっと表情を引き締め、イヤーカフ型の通信魔導具に触れる。

 そして、それまでより一段低い声で言う。


「オスワルド殿下より、出撃の指示が参りました。――ディアナさま、よろしくお願いいたします」

「はい」


 他愛ない世間話をしていたお陰か、恐怖や緊張はだいぶ薄れていた。


「少しだけ、目を瞑っていて」


 優しい声で言うイグナーツに抱き上げられ、目を閉じる。

 数秒の間のあと、生温かい風が頬に触れる感触と、何かが焼け焦げるような不吉なにおいに、世界が変わったことを知る。


「……いいよ、ディアナ」


 そうしておそるおそる瞼を持ち上げると、そこに広がっているのは、かつて何度も夫とともにピクニックに訪れた、風光明媚な丘の景色。

 すでに夕闇が広がっているはずの時間だというのに、澄み切った空に輝く太陽が明るく辺りを照らしている。

 この場にひしめいているはずの魔獣たちの姿も、もしかしたら存在しているのかもしれない人々の姿も一切なく、ただ美しい緑と花々の柔らかな色彩が広がっているばかりだ。

 イグナーツが、ディアナを地面に立たせながら少し不安げな様子で言う。


「ここなら、少しは歌いやすいかと思ったんだけど……。どうだった?」

「……ありがとう、あなた」


 人間が物事を認識するのに、視覚に頼る割合は非常に高いのだとどこかで聞いた。

 辺りに漂う不吉なにおいはたしかに感じているのに、不思議とまったく気にならなくなっている。


「魔導騎士団の方々に、この景色は見えていないから。これから魔獣の対処で、少し騒がしくなるかもしれない」

「ええ。大丈夫よ。……本当に、ありがとう」


 怖いこと、辛いことから、目を背けてばかりではいけないのだと思う。

 けれど今はまだ、イグナーツの優しさに甘えたい。

 この国で生まれた聖女として、ここで起きているという災厄を鎮めるため、全身全霊で歌えるように――。


海へ出るの 広げた帆で 南への風を捕まえて

星の標 月の道 あなたとともに 遙かなる約束の大地へ

どうか行かせて 思い出に別れを告げるために

誰も知らない深海を越え 幾百の星の煌めきを背に

風よ どうかわたしを連れていって

真珠の楽園 天上の瞬き 

あなたと行きたい 太陽の輝く南の海へ

荒れ狂う海峡を越え 月光に揺らめく白い砂浜を夢に見る

空に星が巡る限り どうかこの歌を祈りにかえて


(ごめんなさい……)


 今はまだ、この場に広がっているのだろう悲劇を、目を逸らさずに見ることさえできない。

 それでも、この気持ちだけは嘘じゃない。

 もう、誰にも傷ついてほしくない。泣いてほしくない。何も失ってほしくない。

 だから、歌う。

 力の限り歌い続ける。

 今の自分にできることは、それだけだから。


「……ディアナ。ちょっと、手を借りるよ」


 途中、歌う彼女の手を、イグナーツがそっと持ち上げる。

 指先に硬くつるりとした感触が触れて、驚きに一瞬歌声が途切れそうになったけれど、どうにか堪えた。

 それから、どれほど時間が経ったのだろうか。

 もういいよ、というイグナーツの声に歌うのをやめると、軽く目を塞がれる。


「うん。……ゆっくり、目を開けて」


 その指示に従うと、純白の鷲の頭に黄金の獅子の体を持つ魔獣――グリフォンが、ディアナの前でちんまりとお座りをしていた。

 子馬よりも、少し大きいくらいのサイズ。そのまん丸な金色の瞳が、瞬きもせずに見上げてくる。


(あら、可愛らしい)


 しかし、グリフォンといえば大型魔獣の中でもかなり力が強く、そのぶんだけプライドの高い魔獣ではなかっただろうか。

 それがなぜ、こんな可愛らしいサイズになっているのだろう。

 不思議に思っていると、グリフォンがおもむろに嘴を開いた。


「銀の聖女よ。そなたの番は、頭がおかしいのか?」

「え、なんですの? その突然の暴言は。わたくしに喧嘩を売っていらっしゃいます?」


 ディアナは自分自身のことに対してはわりと鷹揚だが、愛する旦那さまに関しては、非常に心が狭くなるのである。

 聖女の名に相応しいたおやかな笑顔のまま、くっきりと額に青筋を立てた彼女に、グリフォンは慌てたように翼を開いた。


「いや、そなたはずっと番の作った幻影を見ていたのであろうから、わからなくとも無理はないがな!? そなたの番ときたら、この辺り一帯を魔力の壁で囲うことで、そなたの歌をその内部に反響させ、威力を何倍にも跳ね上げさせたのだぞ!?」


 ディアナは、驚いた。

 まさか夫が、そこまで的確なサポートをしてくれていたとは、想像もしていなかったのだ。


「まあ……。それは、すごいですわね。ありがとう、あなた」


 心からの笑みを浮かべてイグナーツに礼を言うと、ほっとした顔で頷いてくれる。


「いや、ぶっつけ本番で上手くいくかは、正直賭けだったんだけどな。ほら、劇場なんかのホールだと、歌や楽器の音を反響させて、すごい迫力にしているだろう? 『聖歌』も歌であることには変わりないんだし、それを防御フィールドで再現できたらどうなるかな、と思ったんだ」


 そんなイグナーツを、半目になって見つめながらグリフォンが言う。


「それだけではないぞ、銀の聖女。こやつときたら、ほかの戦士たちの攻撃が我の肉体を半壊させて、核が露出した途端に、だ。魔力の壁で我の核を覆って肉体から引きちぎり、そなたの手元まで瞬時に運びよったのだぞ。あれほど歪んだ魔力のるつぼの中で、そんなふざけた芸当をやってのけるなど、頭がおかしいとしか言いようがなかろうが」

「あらいやだ、まだそのようなことをおっしゃいますの?」


 ディアナは、グリフォンの首を両手でキュッとしめたくなった。危険を察知したのか、頭を引っこめたグリフォンがささっと離れる。


「……まあ、なんだ。その番がそばにおる限り、そなたの身に危険が及ぶことはなかろうが……。聖女の番よ。我に名を与えるか?」


 魔獣が、自らに名を与えることへの許諾。

 それは、グリフォンがイグナーツと従魔契約を結ぶことを是としている、ということだ。

 大型魔獣の中でも、プライドの高い種族であるグリフォンと従魔契約を結んだ事例など、ディアナは歴史書の中にも見たことがない。

 イグナーツは少し考える素振りをしたあと、頷いた。


「そうだな。グリフォンと従魔契約を結んでいれば、聖女の夫として周りも納得しやすいか」

「ぬ……そんな理由なのか?」


 若干腰が引けた様子のグリフォンに、イグナーツは腕組みして胸を張る。


「ああ。何しろ俺は、どこの馬の骨ともわからん孤児なんでな。ディアナの隣に立っているために、利用できるものは、なんでも利用する精神で生きていくことにしたんだ。――というわけで、おまえの名前はクリューソスだ。よろしくな」

「なるほど、その判断の早さは悪くない。気に入ったぞ、我が主」


 そんな彼らの様子を遠くから眺めていたトゥイマラ王国魔導騎士団の面々が、「聖女さまの旦那が、いろんな意味でヤバすぎる。怖い」「そっか……。聖女さまの旦那って、グリフォンと従魔契約するレベルでおかしくないとなれないのか……」「ウチの王太子殿下がものすごくマトモに思えてきたのって、気のせいじゃないよね?」などと言い合っていたのだが――。


(わたくしの旦那さまが、格好よすぎる……!)


 改めて夫に惚れ直し、両手を組み合わせてぷるぷると震えていたディアナは、そのことにまったく気がついていなかったのだった。

イグナーツは、エリアスとステラの一歳年上です。

リオとは四歳差になります。

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― 新着の感想 ―
おい、こんなところに「ん?何かやってしまったか?」系主人公が居たぞ!
野菜王子にボン!されちゃうの失念しておりました、申し訳なくm(_ _)m イグナーツさんがスマートに常識の斜め上に突き進んじゃうのが爽快です笑 即断即決できたら良いけど色んなシガラミが邪魔してできな…
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