美少女は、何を着ても似合うようです。
(いや、事実なんだけど! ものすごく正しい事実ではあるんですけども!)
三人がみな、凪を心底気遣ってくれているようなのがわかるだけに、なんともいたたまれない心地になってしまう。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
このままでは、オスワルドが『聖歌を歌えない聖女を容赦なく前線に投入する、大変気遣いのできない王子さま』になってしまう。
凪が思わず、「わたしはオスワルド殿下からまったく信用されていないので、安全にはものすごく配慮してもらっていますから、大丈夫ですヨー!」と叫びそうになったとき、ライニールがすっと右手を胸に当てた。
「クラウス殿下。トゥイマラ王国の聖女。そして、所属国なき聖女。お話し中に失礼いたします。私はライニール・シェリンガム。聖女ナギの兄で、現在はルジェンダ王国の魔導騎士団副団長を拝命しております」
穏やかな声での挨拶に、それまで張り詰めていた三人の空気が、少し緩んだ。
ライニールは、一度凪を見てからゆっくりと続ける。
「お三方の我が妹に対するお心遣いには、感謝の申し述べようもございません。私とて、ようやく巡り会うことができた大切な妹を、叶うことならありとあらゆる危険から遠ざけておきたい。本当に、心からそう思います」
けれど、とライニールはまっすぐに三人の映る画面を見た。
「たとえ聖歌を歌うことができずとも、ナギの聖女としての力は間違いなく本物です。これから三名の聖女さま方がご尽力くだされば、たしかにミロスラヴァ王国は救われるかもしれません。それでも、ナギが赴けば間違いなく、より多くの人々の命が救われるでしょう。……この状況で、ナギがひとり安全地帯で座しているというのは、それだけの人々を見捨てることに等しい」
ライニールの声が、低くなる。
「どうか、お察しください。そんな痛みに耐えられるほど、我が妹の心は強くないのです」
クラウスとウィルヘルミナが、わずかに目を細める。
きっと、ずっと『守る側』の者として生きてきた彼らは、ライニールが語った凪の気持ちがわかるのだろう。
誰かを救える力を持ちながら、何もしないことの罪悪感。
それは、紛れもない痛みとなって、胸を刺し続けるものだ。
ディアナもまた、聖女として生きる覚悟を決めた女性である。少し迷うようにしたあと、一度目を伏せた彼女が、硬い声で問いかけてきた。
「……ライニールさま。ひとつだけ、お聞かせください。ルジェンダ王国の方々は、これから何が起ころうとも、必ずナギさまをお守りくださいますね?」
「はい。我らが命に代えても――と、申し上げたいところなのですが」
そこでライニールが、困ったように首を傾げる。
「我が妹は、我々が彼女を守るために命を賭けることを、断じて許してくれないのですよ。ですから、これから何が起ころうとも、我らは必ず生き抜いて、ナギを守ってご覧にいれます」
彼の言葉に、三人が同時に目を瞠った。
それから、クラウスが小さく息を吐いてほほえんだ。
「了解いたしました。……ナギさま。この大陸に生きる者のひとりとして、あなたの勇気と覚悟に心からの感謝と敬意を」
(ヒェ!)
超絶美麗系美青年に突然言葉を向けられて、凪はその場で跳び上がる。
「いえ、あの、ハイ! お気遣い、本当にありがとうございます! でもでもあの、わたしはその気になれば、大型魔獣の外殻も素手で砕けますので! これから多少危ないことがあっても、大丈夫だと思います! たぶんきっと!」
緊張のあまり、うっかりぺろっと自分のバイオレンス具合を口にした凪に、一拍置いてウィルヘルミナが問うてくる。
「大型魔獣の外殻を……ですか?」
いかにも半信半疑、というその声に、凪はキリッと片手を上げた。
「ハイ! ただ、それはわたしの理性が吹っ飛んだ状態であれば、という条件つきなので! そういった事態が起こらないよう、オスワルド殿下には大変気を遣っていただいてます!」
束の間、沈黙が落ちる。
額に手を当てたライニールが、先ほどまでよりも一段低い声で言う。
「その……ナギの魔力保有量は、大型魔獣を単騎討伐できるレベルのものなのです。ただ、先ほどオスワルド殿下がおっしゃった通り、ナギは魔力のコントロールを学びはじめたばかりなもので……。我々は彼女の安全を確保するため、そんな彼女の暴走を抑えることに注力している、というのが実情です」
画面の向こうの三人が、信じがたいものを見る目を凪に向けてくる。
(……あ。コレ、めちゃくちゃ失敗したやつでござる)
我に返った凪は、自分の発言を心から後悔したが、覆水盆に返らずだ。
ここは笑ってごまかすべきか、と思ったとき、オスワルドがひとつ咳払いをしてから口を開いた。
「まあ、そういうわけでございまして。ナギさまの安全確保については、最大限の配慮をしております。それから、これは我々からの勝手なお願いなのですが……。ナギさまが少しでも長く落ち着いた環境で魔力のコントロールを学べるよう、彼女という聖女が我が国にいらっしゃることを、しばらくの間はご内密にしていただけると助かります」
「了解いたしました。ルジェンダ王国から正式発表があるまで、ナギさまの存在を一切他言しないこと、我が剣にかけて誓わせていただきます」
オスワルドの要請に、クラウスがほぼノータイムで応じる。先ほどから感じていたが、この王子さまもつくづく判断が早い。
続いてウィルヘルミナとディアナも、同じように他言無用を約束してくれた。
それを受け、オスワルドが表情を改めて彼らに言う。
「ありがとうございます。――それでは、これよりミロスラヴァ王国への入国許可をいただいて参りますので、みなさまもどうぞ出立準備をなさってください。聖女さま方それぞれの出撃ポイントと優先順位については、テキストデータでお送りいたします」
時間が、ない。
そう宣言するようなオスワルドの言葉に、クラウスが即座に応じる。
「はい。――ナギさま。今回の件がすべて片付きましたら、改めてご挨拶させてくださいませ。それでは、失礼いたします」
ウィルヘルミナがそれに続く。
「ナギさま。くれぐれも、無茶はなさらないでくださいね。いずれご挨拶できるときを、楽しみにしております」
凪の答えを待つより先にふたりの画面が消え、最後に残ったディアナがひたと凪を見つめてくる。
「ナギさま。わたくしの祖国の人々を救うために、まだお若いあなたさまがこうして立ち上がってくださったこと、わたくしは生涯忘れません。本当に……本当に、ありがとうございます。あなたさまと周囲のみなさまがこれから歩む道が、光に満ちたものでありますように」
「……ディアナさま」
今のミロスラヴァ王国の状況に、きっと誰よりも動揺しているのだろうに、ディアナはそんなことを微塵も感じさせない。
そんな彼女の芯の強さに、感嘆する。
少し迷ってから、凪は思いきって口を開く。
「あの……わたし、ディアナさまとウィルヘルミナさまの公式発表を拝見したとき、とても不安になったんです。聖歌を歌えないわたしが、こんなにご立派な方々と並んで、同じように聖女だなんて名乗っていいのだろうか、って」
凪の告白に、ディアナが僅かに目を瞠った。
「今、ミロスラヴァ王国を見捨てることを選んだら、わたしは二度と聖女だなんて名乗れなくなります。だから、わたしが行くのは自分のためでもあるんです。わたしが、この国の聖女であり続けるために」
「ナギさま……」
本当は、怖い。とても怖い。
それはきっと、ディアナも同じ。
……怖くない、わけがないのだ。
それでも、今は頑張るしかない。
滅びの道を進んでいるミロスラヴァ王国を救えるのは、聖女である自分たちだけなのだから。
ひとつ息を吐き、凪はぱっと笑みを浮かべてディアナに言う。
「まあ、それはそれとしまして! ディアナさまとウィルヘルミナさまに直接ご挨拶できるのは、とっても楽しみなので! 全部終わったら、エステファニアさまもご一緒に、美味しいお菓子を食べましょうね!」
「……はい! わたくしも、おふたりにお会いできるのを楽しみにしております!」
そう言って、深々と一礼したディアナの映像が消える。
落ち着いたワンピース姿だった彼女も、きっとこれから動きやすい格好に着替えるのだろう。
と、そこで凪は、自分がいまだに魔導学園の制服を着たままだったということに気がついた。
慌ててライニールを見上げ、問いかける。
「兄さん! わたし、運動服に着替えてきたほうがいいよね?」
凪が普段の訓練時に着ている運動服は、王都の屋敷にあるはずだ。
今からゲートを使って戻れば、出立までに間に合うだろうか。
しかし、ライニールはにこりと笑った。
「大丈夫だよ、ナギ。きみの戦闘服は、この王宮に送ってある。隣の個室に用意してあるから、着替えておいで」
「そうなの? ありがとう!」
ぱたぱたと走って廊下へ出ると、侍女らしい制服を着た女性が隣の部屋まで案内してくれた。
彼女にお礼を言って室内に入ると、テーブルの上に衣装箱が置いてある。
わざわざこんな箱に入れてきてくれたのか、と思いながらその蓋を開けた凪は、そのままの格好で固まった。
(そ……そう言えば、兄さん、運動服じゃなくて戦闘服って言ってたね……?)
いかにも高級感のある衣装箱の中に納められていたのは、黒地に赤いラインの入った詰め襟の――魔導騎士団の制服だ。
恐る恐る持ち上げると、二重になっていた下の箱には、黒のブーツまでしっかり入っている。
(いや……ね? そういえば、以前東の砦へ行ったときに、兄さんがわたし用の魔導騎士団の制服を用意してるって、シークヴァルトさんが言ってたけども。……兄さんって、妹とペアルックを楽しみたいタイプのヒトじゃないよね?)
一瞬、この制服を着るべきか否か迷ってしまったけれど、今はそんなことをしている場合ではない。
ミロスラヴァ王国で発生しているスタンピードを鎮圧しにいく以上、スカート姿で行くわけにはいかないのだ。凪には、不特定多数の人間に自分の下着を晒して喜ぶ変態的な趣味はない。
(ウィルヘルミナさまは、元々の騎士服があるからいいだろうけど……。ディアナさまは、どんな格好でいらっしゃるのかなあ)
そんなことを考えながら手早く着替え、髪を邪魔にならないようポニーテールにまとめる。
最後に大きな姿見でチェックすると、凪はしみじみと息を吐いた。
今の凪は、黙っていれば大層おとなしそうに見える、金髪碧眼の超絶美少女だ。
それだけに、格好よさと機能性を重視したような魔導騎士団の制服は、もしかしたら似合わないのではないのだろうかと思ったのだが――。
(美少女って、何を着ても似合うんだなあ……)
若干コスプレめいた雰囲気にはなってしまっているけれど、可愛らしさとは真逆のイメージの戦闘服すら問題なく着こなしてしまうとは、さすがにちょっと驚いた。
魔導学園の制服をたたんで衣装箱にしまい、足早に部屋から出ると、扉を開け放たれたままだった会議室から巨大な雪豹が現れる。
「アラ。なかなか似合うじゃないの」
「ありがとう。何かあった?」
凪の問いかけに、雪豹の姿をしたアースドラゴンが口を開く。
「小娘聖女。……本当なら、アンタと従魔契約を交わしたうえで、アンタとともに行くのが正しいのだとは思うの。聖女であるアンタの従魔になれば、アタシがスタンピードに呑み込まれる可能性はゼロになるのだから」
それでも、とアースドラゴンは言う。
「やっぱりアンタの魔力は、まだまだ不安定過ぎる。今のアンタと契約してしまえば、アンタの魔力の影響を強く受けることになるアタシは……。もしかしたら、自分の番を殺して楽にしてあげることすらできなくなるかもしれない」
「いや、殺させないよ!? 絶対助けるって、約束したよね!?」
思わず声をひっくり返した凪に、アースドラゴンは小さく笑ったようだった。
「そうね。アンタはきっと、アタシの番を全力で助けようとしてくれるんでしょう。……それでも、アタシは最悪の可能性を考えずにはいられないの。もし、アンタがアタシの番を助けられなかったなら――。そうなったときに、アイツを殺してやれないかもしれない、だなんて。そんな可能性を、少しだって許すわけにはいかないのよ」
低く落ち着いた口調で語られる言葉は、きっとひどく悲しく、残酷なものであるはずで。
それなのに――なぜだろう。
「だから、お願いよ。小娘聖女。今のままで――あなたと従魔契約を交わさないままで、アタシをアイツのところへ連れていって。アンタのことは、何があってもアタシが守る。アンタがアイツを助けられなかったとしても、それは仕方のないことよ。ただ……そうなったとき、アタシ以外の誰かに、アイツを殺させたりしないでほしいの」
アースドラゴンの言葉が、熱烈な愛の言葉に聞こえるなんて。
凪は、できるだけ抑えた声で問いかけた。
「……番さんを殺していいのは、あなただけだから?」
「ええ、そうよ」
当然のように返される答えがひどく重くて、胸に詰まる。
これが、魔獣という生き物の愛の形なのだろうか。
生きることも死ぬこともすべて、愛しい相手にだけ委ねて、決して他者の介入を許さない。
それほどの想いを前に、まだまだ子どもの凪にできるのは、その覚悟に全力で応えることだけだ。
「わかった。行こう、一緒に」
「……ありがとう」
雪豹の巨大な頭が、すり、と胸元に押しつけられる。
(はわわ、はわわわわわわわ)
その素敵すぎる毛並みに、凪の語彙力は無事に昇天した。
ほとんど無意識に、以前から気になっていた丸い耳に触れると、極上の天鵞絨のような手触りである。
うっとりしながら、その素敵な耳をもにもにむにむにと揉んでいると、会議室からグレゴリーがひょいと顔を出した。
「ナギ? ライニールさまとシークヴァルトさまが、これからのことをお話ししたいそうなんだけど……」
「ふぁい! 今行きます!」
この非常時にも抗えないとは、モフモフの誘惑とは実に恐ろしい。
グレゴリーに続いて会議室に戻ると、オスワルドは誰かと通話中のようだ。
その邪魔にならないようにだろう、離れた位置に立つライニールに手招きされて、彼の前に浮かぶ情報シートを見た。
――ミロスラヴァ王国を示す地図に浮かぶ赤い光が、先ほどよりも増えている。
ライニールの隣にいたシークヴァルトが、アースドラゴンに向けて問う。
「アースドラゴンどの。あなたの番どのはフレイムドラゴンとのことだが、山岳部のスタンピードについては、番どのが中心となっていると思っていいのだろうか?」
「ええ。あの辺りに、アタシの番の眷属となっていない魔獣はいないわ」
なるほど、とシークヴァルトが頷く。
「大変申し訳ないのだが、あなたの番どのがいる山岳部には、人間がほとんど住んでいない。最初にナギを派遣するのは、人口密集地のスタンピードになるが、どうかご容赦いただきたい」
「わかってる。少し遅れるくらいのことで、文句を言ったりしないわよ」
アースドラゴンの声に、苛立ちは感じられない。
そのことに、ほっとする。
情報シートを見つめていたライニールが、凪に視線を戻して言う。
「ナギ。もうわかっていると思うが、おれたちはきみが危険な場所にいる時間を、極力短くしたいと思っている。これからミロスラヴァ王国への入国許可が出たなら、まずは魔導騎士団の第一部隊と第二部隊で人口密集地のスタンピードを制圧し、その中心となっている魔獣の外殻を破壊する」
凪は、はい、と片手を上げた。
「わたしはその外殻を破壊された魔獣さんの核に触って、元に戻してあげればいいの?」
「元に戻す、というのが、核を正常化する、という意味であるならその通りだよ」
ただ、とライニールがにこりと笑う。
「アースドラゴンどのにして差し上げたように、きみの魔力を食わせるというのは、絶対に! しなくていいからね?」
「は、はい!」
スタンピードの中心となるような魔獣であれば、さぞ立派なものなのだろう。八カ所中五カ所で大型魔獣が確認されているというし、これから対処する魔獣が大型である可能性はかなり高い。
(大型魔獣の体を再構築できる量の魔力を持っていかれたら、わたし自身の魔力が暴走しちゃうかもって話だし……)
ただ、そうなると凪が担当する地域のスタンピードに巻きこまれた魔獣たちは、その中心となっている個体以外は救えない、ということになってしまう。
――なんの罪もない多くの魔獣たちを、聖歌さえ歌えれば助けることができたかもしれないのに。
唇を噛んだ凪に、ライニールが小さく笑った。
「大丈夫だよ、ナギ。さすがに、すべての魔獣たちを救うという約束はできないけれどね。ちょっと、これを見てくれるかな」
そう言いながら、ライニールがテーブルに置いてあった、いかにも頑丈そうなケースの蓋を開く。
彼がケースの中から取りだした、手のひらサイズの小箱に一ダースほど入っていたのは、虹色に輝く親指サイズのものだった。
そのフォルムに、凪は強い既視感を覚える。
――これは、アレだ。
祖国ニッポンで、いにしえより永遠の戦いを繰り広げているという、きのこ派とたけのこ派。
そのたけのこ派が愛してやまない、小さなチョコレート菓子の形をしたものは、いったいなんなのだろうか。
差し出されたそれを手のひらで受け取ると、虹色のたけのこがふわりと光る。
おや、とライニールが目を瞠った。
「なるほど。きみの魔力への親和性は、かなり高いみたいだね」
「……えっと、兄さん。これ、なに?」
困惑した凪に、彼女の兄はあっさりと答える。
「これは、以前きみが正常化してくれた、融解寸前の魔導鉱石を加工したものだよ。結晶化したものを成形して、弾丸の形にしてあるんだ」
「弾丸?」
凪は、驚いた。
そして、弾丸というにはキラキラしすぎているたけのこ型のそれを、改めてまじまじと見つめてみる。
「ああ。驚いたことに、あのとききみが正常化した魔導鉱石には、きみの魔力が宿っていたそうでね。それを元に作られたこの弾丸は、小型魔獣であれば一発で、中型魔獣でも二十発も当てれば正常化することができるらしい」
「へ?」
間の抜けた声を零した凪に、ライニールは真剣な眼差しで言う。
「つまり、この弾丸さえあれば、直接きみが接触しなくても魔獣の正常化が可能になる、ということだね。素体があまりにも特殊すぎて量産はできないけれど、今は出し惜しみをしていられる状況じゃない。すでに性能チェックが完了しているぶんは、アシェラ傭兵団のルートを通して、すべて各地の現場に配備済みだよ」
作者はたけのこ派。