肖像権の侵害はいけません
誤字報告ありがとうございます!
凪がなんとなく黄昏れたい気分になりつつも、問題なく落ち着きを取り戻したのを見て、オスワルドが改めて口を開く。
「ナギ嬢。とはいえ、大型魔獣を含むスタンピードが複数発生している以上、このままではミロスラヴァ王国は間違いなく滅んでしまう。この状況を引き起こした者たちの狙いがなんであれ、それだけは阻止しなければならない」
凜とした口調で彼が断言したとき、開きっぱなしだった会議室の扉を軽く叩く音がした。
「悪い、遅れた。――ああ、さっそくグレゴリーに確保されたんだな」
そんなことを言いながら現れたのは、大人バージョンで魔導騎士団の制服を着たシークヴァルトだ。
彼は凪に向けて小さく笑うと、表情を改めてオスワルドを見た。
「状況説明は済んだのか?」
「早かったね、シークヴァルト。――ひとまず、ミロスラヴァ王国の現状だけはお伝えしたよ。今回ばかりは、さすがにおまえにも出てもらう必要がありそうだから……。グレゴリーにナギ嬢のストッパー役を務めてもらえるのは、本当に助かるよ」
(あ、ヒドイ)
ふたりの会話に、凪は思わず半目になる。
とはいえ、自分がそんなふうに危険物扱いされる理由にも、それなりに心当たりがなくもなかったので、黙っていることにしたのだが――なんだか、グレゴリーの様子がおかしい。
凪の指を握る力が強くなったのを感じて振り返ると、彼はなぜか目と口をまん丸にしてシークヴァルトを見つめている。
いったい何事、と凪が驚いたのも束の間、はっと瞬きするなり、グレゴリーは青ざめて硬直した。
「グレゴリー? どうかしたかい?」
ライニールがそんな彼に、気遣わしげに声を掛ける。
その声に勢いよく顔を上げたグレゴリーは、ぷるぷると震えながら涙目で叫んだ。
「ライニールさま……! ぼく、クラスメートのヴァルが、レングラー帝国元皇弟のシークヴァルトさまだということを、今はじめて知ったんですが!?」
(へ?)
その場の視線が、グレゴリーに集中する。
……たしかに、魔導学園に入学して以来、シークヴァルトは彼の前では『ヴァル・シアーズ』という名の、同い年の少年だった。
その後、凪が聖女であることを明かした際、護衛騎士であるシークヴァルトのことも紹介したつもりになっていたのだが――。
(……あれ。そういえば、あのときオスワルド殿下もシークヴァルトさんのことを、普通に『学園内での護衛ですよ』っていう説明しかしてなかったかも?)
なんとも気まずい沈黙の中、シークヴァルトが軽く片手を上げて口を開いた。
「あー……。今まで黙っていて悪かった、グレゴリー。改めて挨拶させてもらうが、ナギの護衛騎士を務めるシークヴァルト・ハウエルだ。ただし、今後も学園ではヴァル・シアーズで通すつもりなので、よろしく頼む」
「……了解いたしました。今までのご無礼をお許しください」
そのかしこまったグレゴリーの対応に、凪はシークヴァルトの立場の複雑さを、突然目の前に突きつけられた心地になった。
彼は現在、凪の――聖女の護衛騎士という立場にあるとはいえ、基本的に爵位を持たない気楽な平民として生きている。
しかし、だからといって、シークヴァルトがこの大陸の中央を支配するレングラー帝国皇帝の実弟である、という事実が消えることはない。
――レングラーの呪われ子。
シークヴァルトに与えられた忌々しい二つ名は、彼が晒されてきた悪意そのものだ。
少しばかり規格外の魔力を持って生まれたからという理由で、シークヴァルトの家族は彼を遠ざけ傷つけ、あろうことか殺そうとまでしたという。
彼にとって祖国の記憶は、きっと幸せなものよりも悲しいもののほうが遙かに多いのだろうに、その柵からは決して逃れることが叶わないのだ。
(なんっという理不尽……! えぇい、いつかレングラー帝国の皇帝に会うことがあったら、思いきり膝かっくんをして背中を蹴り飛ばしてすっ転がして、弁慶の泣き所をホウキでビシバシに殴ってやりたい……!)
凪が今まで手にしたことがある中で、最強の武器は柄の長いホウキなのである。
たしか、現在起居している屋敷は立派なお掃除魔導具で管理されているため、ホウキや雑巾といった一般的な掃除道具は、ほぼ新品の状態で保管されていたはずだ。
(よし。お屋敷に帰ったら、ホウキの振り心地を確認しておこう)
密かにそう決意を固めていると、オスワルドがわざとらしく咳払いをした。
「ナギ嬢。状況が状況なのでね、エステファニアさまとザインどの率いるアシェラ傭兵団の精鋭部隊には、すでにミロスラヴァ王国の安全地帯で待機していただいている。スタンピードの発生点近くには、あちらの人員を配置済みだと先ほど連絡があった」
(……へ?)
そして、とオスワルドが、珍しく少し緊張を孕んだ声で言う。
「トゥイマラ王国の聖女ウィルヘルミナさまと、所属国なき聖女のディアナさまにも、情報を共有したうえでの協力を要請させていただいている。今は、あちらからの返答を待っているところだ」
凪は、驚きのあまりはくはくと何度か無意味に口を動かしてから、どうにかオスワルドに問いを向けた。
「それって……。今、動ける聖女を全員、スタンピードの対処に投入するってことですか……?」
「可能であれば。……正直、それくらいの無茶をしなければ、ミロスラヴァ王国は明日の朝には滅びてしまうと思っている」
そう答えたオスワルドが宙に浮かぶ情報シートを操作する。
大きく広げられたそれ一面に表示されたのは、知らない土地の地図だった。山があり、川があり、街がある。
そんなありふれた地図の上に、いくつもの赤い光が点滅していた。よく見てみれば、それらの赤い光が少しずつ、だが確実に広がっていっている。
「この赤い光が、ミロスラヴァ王国で発生しているスタンピードだ。現時点ですでに八カ所。うち五カ所では、大型魔獣の姿も確認されている」
(……なんで)
スタンピードについて、ほとんど何も知らない凪にだってわかる。
オスワルドの言う通りだ。
このままでは、ミロスラヴァ王国は滅んでしまう。
どうして。
なぜ、この事態を引き起こした者たちは、こんな酷いことを平気でできる。
スタンピードを示す赤い光が点滅しているのは、山間部や森林地帯といった、人の住まない場所だけではない。見るからに大勢の人々が暮らしているだろう、大きな街にもその光は容赦なく存在していた。
いったいどれほどの人々が、命が、スタンピードの犠牲になっているのだろう。
想像するだけで、恐ろしさに手が震えてくる。
「ナギ嬢。本当に、きみたちのようなうら若き女性たちに、このようなことを願わねばならないことを、心底申し訳なく思う。それでも――僕らには、そうするしか道がない」
頼む、とオスワルドが凪に希う。
「ミロスラヴァ王国の人々を、どうか助けていただきたい」
「はい」
迷う理由も必要もなく、凪は即座に頷いた。
「わたしも、行きま――」
『ねえ、ちょっとおぉおおおお!! 聞こえてる!? 聞こえてるわよね、小娘聖女ー!! 聞こえているなら、今すぐ返事をしなさーいっっ!!』
ものすごくキリッと宣言しようとした瞬間、脳みそを直接ぶん殴られるような大声が響いて、凪は危うく背後にすっ転げそうになる。
「ナギ!?」
すかさずライニールが支えてくれたが、彼に礼を言う間もなく、どこかで聞いたことのある声が延々と脳内で響き続けている。
『ちょっとってば! 聞こえてるんでしょ、聞こえてるわよね、聞こえていないなんて言わせないわよ、聞こえて――』
「聞こえてるよー! 聞こえてるから、もうちょっと静かに喋ってくれる!?」
涙目になり、無意味だとわかっていても両手で耳を塞ぎながら喚き返す。
一拍置いて、先ほどよりはボリュームの落ちた声が聞こえてきた。
『遅いわよ! っていうか、アンタ今どこにいるの!? 全然魔力を感知できないから、アタシの中にあるアンタの魔力を伝って、強引に声を届けるくらいしかできないじゃない!』
アタシ、という一人称。相手の中には、凪の魔力があるという。そして、この特徴的な口調。
凪は、思いきり声をひっくり返した。
「ウエルタ王国で会った、猫にゃんさん!?」
『アースドラゴンよッ!!』
よほど猫にゃん呼ばわりがイヤだったのか、即座に訂正されてしまう。
「あ、そうだった、アースドラゴンさん。えっと、今はルジェンダ王国の空飛ぶお城にいるんだけど。何か用だった?」
『なんでそんなところにいるのよッ!! 今すぐ迎えに行くから、ちょっと外へ出てらっしゃい!』
凪は驚きに目を見開いた。
「迎えに行くって言われても……。わたし、これからほかの聖女さまたちと一緒に、ミロスラヴァ王国っていうところでたくさん起きてるスタンピードを、どうにかしにいかなきゃならないのね。それが終わってからじゃダメ?」
『……ほかの聖女も一緒に、ですって? ――そう。だったら、そのほうが効率的かしら』
アースドラゴンの声が、少し落ち着く。
『小娘聖女。今、大陸の南東部で起きている、八カ所のスタンピード。そのうちのひとつに、アタシの番が巻きこまれてるの』
「……ツガイさん?」
きょとんとした凪は、その単語が意味することを理解すると同時に、パニックを起こしそうになった。
(つ、番って! 旦那さん!? それとも、お嫁さん!? いやどっちにしても、それはとっても大変というか、そりゃあじっとしてなんていられないよね!?)
わたわたと両手を無意味に動かしながら、凪は問う。
「えぇと、ええと! 番さんなら、ウエルタ王国のときみたいに、魔力を同調させてスッキリ爽快とかできたりする!?」
『残念だけど、今のアタシの中に、それができるほどアンタの魔力は残ってないわ。だから、アンタをアイツのところに連れていって、アタシのときと同じことをしてもらおうと思っていたのだけど……』
凪は、ぴたりと両手を止めた。
「ごめんなさい。それは、わたしの周りにいる人たちが、絶対許してくれないと思う」
『……ええー』
ええー、とものすごく不満そうに言われても、無理なものは無理なのだ。
聖女に対する周囲の人々の過保護っぷりを、甘く見ないでいただきたい。
なんにせよ、今の凪はひとりで脳内で喋る誰かと話をしているという、大変痛々しい状態になっている。周りからの、ものすごく心配そうな視線がツラい。
凪は、オスワルドを見上げて問うた。
「あの、オスワルド殿下。ウエルタ王国で知り合ったアースドラゴンさんの番さんが、ミロスラヴァ王国で起きているスタンピードに巻きこまれてしまったそうなんです。えぇと……どうしたらいいでしょう?」
オスワルドが数秒間、天井を仰いで息を吐く。
「……了解した。そのアースドラゴンどのは、大型猫科獣の姿に変じることが可能だと聞いている。その姿でこちらにいらしていただけるかどうか、聞いてもらえるかい?」
「あ、はい。――アースドラゴンさん、聞こえる? この間の猫にゃんさんバージョンだったら、サイズ的にこのお城にも入れると思うんだけど、来てもらえるかな?」
アースドラゴンが凪の魔力を一切感知できないというのは、この城がそれだけ強固な防御フィールドに守られている、ということなのだろう。
通常であれば、まず魔獣たちが訪れることのない場所のはずだ。
あちらにとっては、完全なアウェイ状態ということになる。
しかし、アースドラゴンはあっさりと答えた。
『アラ。人間の城にアタシを入れようだなんて、随分豪胆なことをするものねえ。すぐに行くから、アタシの入れるポイントを用意しておいてちょうだい』
「うん、わかった。――オスワルド殿下。すぐに行くから、入れるポイントを用意してほしいって、言ってます」
伝書鳩になった凪に、どこか疲れた様子で頷いたオスワルドが、通信魔導具を使ってその旨の指示を出す。
そして彼は、少しの間考える素振りをしたあと、シークヴァルトに問いかけた。
「シークヴァルト。おまえは、スタンピードの中の一個体をピンポイントで攻撃して、その核を回収して離脱することは可能かい?」
シークヴァルトが、あっさりと答える。
「可能だ」
そうか、とオスワルドはほっとした様子で頷いた。
「魔獣の番に対する執着は、人間の想像を遙かに超えるというからねえ。ナギ嬢にこうして一方的な魔力接触をしてくる大型魔獣が、もし番を失うなどということになったなら、どんな災厄となるかわからない。最優先で、対処に当たってくれ」
(へー……。魔獣って、人間より愛が重い生き物なんだあ)
魔獣の意外な一面にナギが驚いていると、シークヴァルトが軽く首を傾げる。
「つまりオレは、ミロスラヴァ王国の状況がどうあれ、まず第一にアースドラゴンの番の救命に当たればいいんだな?」
「そうだね。その辺はこちらで調整するから――」
そのとき、朗々とした声が辺りに響いた。
「来てやったわよ、小娘聖女! アタシの番を助けてくれたら、正式にアンタと従魔契約を結んでやってもよくってよ!」
(………………へ?)
先ほどから頭の中で響いていたのと同じ声に、以前見た素敵なモフモフを期待して振り返った凪は、そのままの姿勢で固まってしまう。
なぜならそこにいたのは、魅惑の巨大な雪豹ではなく、長い金髪に鮮やかなスカイブルーの瞳の――。
「なんっっで、ザイン伯父さまの姿なのーっっ!?」
伯父のザインと同じ姿形をしたアースドラゴンが、アラ、と瞬く。
アシェラ傭兵団の制服まで完璧に再現しているところが、芸が細かい。
「だって、アナタの記憶にある中で、この人間が一番好みのタイプだったんだもの。人間の姿をしていたほうが、お互い話しやすいでしょ?」
「好みのタイプ!? それは、とってもいいセンスをしてると思うけど! 勝手にわたしの知り合いの姿を借りるのは、絶対ダメ! 肖像権の侵害!」
肖像権……? と首を傾げる仕草は、ザインの姿をしているせいか、とてもあざとい。
だがしかし。
(ザイン伯父さまの姿で、そのお姐さま言葉は、全力で解釈違いです!!)
ここで引いては絶対にイカン! と凪は自分を奮い立たせた。
「今すぐ! 以前のモフモフバージョンになるのです! でないと、あなたの大切な番さんを助けたあと、ホウキでビシバシに叩いてやるんだから!」
「……ホウキでビシバシ?」
ぽかんと復唱したアースドラゴンに、凪はキリッと言ってやる。
「アースドラゴンの番ともあろう魔獣が、人間の小娘にホウキで叩かれたら、恥ずかしいでしょ? 恥ずかしいよね? 恥ずかしくないなんて言わないよね?」
「……それは、恥ずかしいわね」
でしょう! と、凪は据わった目つきで、ザインの姿をした相手を睨みつけた。
「わかったら、さっさとモフモフバージョンになって。……言っておくけど、わたしはやると言ったら、絶対やるよ」
その直後、ザインの姿をしていたアースドラゴンは、虎サイズの雪豹の姿に変化した。
まったくもう、と凪は腕組みをする。
よけいなことをせず、最初から素直にその姿で来ていればいいのだ。