同時多発スタンピード
本年もよろしくお願いいたします。
ミロスラヴァ王国王宮、中央大会議室。
そこでは数刻前から、常にはありえない、騒々しくも悲痛な叫びと怒号が飛び交っていた。
「南のラダ領において、スタンピードが急速に拡大! ただいま、第二騎士団が地域住民の避難と保護に当たっております!」
「北北西バレク領! 中央市街地はスタンピードに呑み込まれ、すでに壊滅状態とのこと! 死傷者多数! 周辺地域にも、甚大な被害が発生していると思われます!」
「東のクハシュ領山岳地帯において、新たなスタンピード発生を確認……! 第八騎士団が、人口密集地への進行阻止のため急行! 現在、魔獣たちと交戦中です!」
半年前、地脈の乱れへの対処を統括管理する専門部署として設立された、魔導騎士団参謀司令本部。
そのトップに立つのは、ミロスラヴァ王国王太子であるユーリウス・マレク・ザハ・ミロスラヴァだ。
――ミロスラヴァ王国で生まれた聖女が、その存在を明らかにしてから、約一日。
午後になってから次々に飛びこんでくるスタンピード発生の報に、ユーリウスは息つく間もなく、各方面に指示を飛ばしていた。
「第二騎士団に伝達! 現在、第四騎士団がラダ領へ急行している! そのまま任務を続行せよ! ひとりでも多くの市民を救え! バレク領市街地は放棄する! 第一騎士団は、住民が避難していると思われるシェルターに向かえ! 生存者の保護を最優先にせよ! 第八騎士団へ伝達、現在魔導騎士団第一部隊が急行している! 増援の到着までは武器の損耗を極力抑え、群れトップの所在確認に努めよ!」
いくつもの通信魔導具に同時対応しながら、大会議室中央テーブル直上に浮かび上がる自国の地図を睨みつける。そこには、スタンピードの発生を示す赤い光が、いくつも不気味に点滅していた。
(なぜ……突然、こんな……!)
たしかにミロスラヴァ王国は、地脈の乱れが発生しやすい土地の多い国だ。それでも、つい昨日までは、そういった土地において発生していたのも、せいぜい凶暴化した中型魔獣による被害程度。スタンピードはおろか、大型魔獣凶暴化の兆候すら確認されていなかった。
なんの予兆もなく、これほど急速に、しかも広範囲で同時多発的にスタンピードが発生するなど、大陸全体の記録にもなかったはずだ。
焦燥に唇を噛むユーリウスの耳に、小さな呟きが届く。
「この惨状は、聖女さまが……我が国でお生まれになった聖女さまが、我々にお怒りでいらっしゃるせいなのか……?」
誰が零したとも知れぬその呟きに、何をばかなことを、と思いながら、ユーリウスは顔を歪めた。
(あの、度し難く救い難い、愚か者どもが……!)
一年前、ディアナ・エマ・ドランスキーから婚約者を奪った第三王女ヨゼフィーナは、ユーリウスの末の妹だ。
王太子となる長男のユーリウスが生まれたあと、国王夫妻には次々に女児が生まれている。
国王の本音としては、王太子の『予備』となる男児が、もうひとりは欲しかったことだろう。だが、第二王女が生まれてから六年後、王妃が最後に産んだのは女児だった。そのとき、まだ八歳だった第一王女が、妹の誕生を喜びながらも微妙な顔をして、「これでいよいよ、わたくしがお兄さまの予備として、王太子教育を受けることが決まったのですね……」とぼやいていたことを覚えている。
ほかの子どもたちから少し年が離れて生まれた末の姫は、やはり国王夫妻にとってことさら可愛いものだったのだろう。特に王妃のヨゼフィーナに対する溺愛ぶりは、凄まじかった。すでに王太子として厳しい教育を受けていたユーリウスはともかく、上の妹たちはかなり寂しい思いをしていたはずだ。
「失礼いたします、お兄さま! わたくしがバルターク公爵家の私兵を率いて、バレク領へ向かいます! 許可を!」
そう言いながら大会議室に飛びこんできたのは、騎士服をまとった第一王女ウルシュラである。すでにミロスラヴァ王国筆頭公爵家に嫁ぎ、二児の母でもある彼女だが、その魔力保有量も魔導武器の扱いも、歴戦の騎士のそれにまったく劣るものではない。
しかし、ユーリウスはそんな妹の嘆願を一蹴した。
「却下する」
「なぜです、お兄さま! バレク領は、我が国の交通の要所! 彼の地が潰れては、今後我が国の経済はどうなりますか!」
懸命に言い募るウルシュラの言葉は、まったく正しい。だが――。
「もう、手遅れだ」
ウルシュラが、鋭く息を呑む。そんな彼女に目を向けないまま、ユーリウスは淡々と告げる。
「バレク領中央市街地は、放棄する。……残念だがな」
今も絶え間なく上がってきている報告によれば、国内各地で発生しているスタンピードは、現状八カ所。うち五カ所では、大型魔獣の存在も確認されているという。
この大会議室に満ちる空気も、すでに焦燥から絶望へと変わりつつある。現地からの報告に対し、せめてそこに住む人々を少しでも救うべく、どうにか指示を続けてはいるが――。
「ウルシュラ。そなたは子どもらを連れて、マルツェラの元へ行け」
第二王女マルツェラは、二年前に隣国の王弟の元へ嫁いでいる。すでに国王の子が立太子しているため、よほどのことがなければ王位継承には無関係の、気楽な立場だ。彼女なら、幼い頃からよく慕っていた姉とその子どもたちを、必ず保護してくれるだろう。
「一年前、ヨゼフィーナの暴虐を止められなかった罪を、幼い子どもたちにまで背負わせるわけにはいかぬ。急げ。もはやそう時間はないぞ」
「お兄さま……!」
ウルシュラの声が、ひび割れた。
「あれは……っ、お兄さまが他国からのお招きで、王宮を留守にしていらしたのをいいことに、陛下がヨゼフィーナの愚かなわがままを許したのがいけないのです! いいえ、たとえお兄さまがいらしたところで、あのときの陛下のご決断を止められたとは思えません!」
「わかっている。だが、私はこの国の王太子。王室が為したことには、責任を取らねばならぬ」
――もうじき、日が落ちる。
夜は、凶暴化した魔獣たちの狂乱が、ますます激しくなる時間だ。
「陛下と王妃殿下、そしてヨゼフィーナ夫妻のことは、私に任せよ。だが、そなたとマルツェラは、すでに王室を離れた身だ。……ウルシュラ」
ユーリウスはそこではじめて、久しぶりに会う妹を見た。
艶やかな黒髪をひとつにまとめ上げ、騎士服を凜と隙なく着こなす彼女は、母となってから一層強く、美しくなったように思う。
「マルツェラに伝えてくれ。私は、そなたらの兄であって、幸せだったよ」
末のヨゼフィーナに対して、兄としての情がなかったわけではない。だがそんなものは、一年前のあの日、国王夫妻への敬愛と同時に跡形もなく消え失せた。
王族としての誇りも節度も失い、人の道を外れても恥じることなく、我欲を満たすことばかりを優先する者たちなど、路傍の石よりも価値がない。
今や、ユーリウスにとって心を許せる『家族』であるのは、幼い頃から助け合って生きてきた上の妹たちだけだ。
「生きてくれ」
どうか。
――たとえこの国が、これから滅んだとしても。
「お兄、さま……」
呆然と呟いたウルシュラが一呼吸置いたのち、何かを決意した顔で口を開いた。
「……降嫁したとはいえ、わたくしはこの国の第一王女。その誇りにかけて、わたくしはヨゼフィーナの姉としての責務をまっとういたします」
「何?」
いったい何を、と戸惑うユーリウスに、ウルシュラは落ち着き払った声で言う。
「国王陛下と王妃殿下、そしてヨゼフィーナとその夫。今、後宮の奥に隠れて引きこもっているという彼らの首、お兄さまに代わってわたくしが取らせていただきましょう。そのうえで、我が命をもって聖女ディアナさまにお詫びいたします」
「ウルシュラ!」
それは、王太子であるユーリウスの仕事だ。
止める間もあればこそ、踵を返したウルシュラが駆け出そうとした瞬間、大会議室の壁面に設置されていた巨大なスクリーンが強制起動した。
まさか、と一同が一斉にそちらを見る中、画面に現れたのは、北の大国ルジェンダ王国の王太子だ。
『――聖女に関する大陸条約加盟国のみなさま。ルジェンダ王国王太子、オスワルド・フレイ・ユーグ・ルジェンダです。非常事態につき、こうしてこの場をお借りすること、どうかお許しください』
普段着らしい簡素な服装のまま、美しい銀髪を僅かに乱した彼はそう言って一礼すると、まっすぐに前を見て口を開く。
『現在、ミロスラヴァ王国において、大型魔獣を含むスタンピードが複数発生しているとの報告を受け、現在我が国の魔導騎士団及びアシェラ傭兵団の精鋭部隊が、聖女さまとともにそちらへの出立準備を整えております。――ミロスラヴァ王国国王陛下に申し上げる。我々に、貴国への入国許可をいただきたい』
その申し出を疑問に思う間もなく、ユーリウスは通信魔導具を掴んでいた。そのまま、聖女に関する公式発表でのみ使用を許されるチャンネルに接続する。
――繋がった。
スクリーンの画面が半分に分かれ、オスワルドの隣にこの大会議室の映像が並ぶ。憔悴しきった自分たちの姿が大陸中に流れる中、ユーリウスは掠れた声で口を開いた。
「お初にお目にかかります、オスワルド殿下。私はミロスラヴァ王国王太子、ユーリウス・マレク・ザハ・ミロスラヴァにございます。現在、我が国の国王は後宮にて蟄居中ゆえ、こうして私からご連絡差し上げたこと、どうかご容赦くださいませ」
深々と一礼すると、オスワルドが小さく笑う。
『了解いたしました。ご挨拶は、いずれ改めて。それでは、ユーリウス殿下。あなたの権限で、我々に貴国への入国許可をいただけますか?』
「もちろんで、ございます……!」
なんだっていい。
今まさに沈みかけているこの国に、救いの手を差し伸べてくれるというのなら、たとえ悪魔であろうと構わない。
「オスワルド殿下……どうか、どうか……!」
『ユーリウス殿下。現在、貴国を蹂躙しているスタンピードは、人為的に引き起こされたものである可能性がございます』
唐突に告げられた言葉に、思考が一瞬停止する。
『先日、我が国の東の国境付近で、なんの前兆もなく狂化魔獣が出現するという事件が起きました。その原因となったのが、未登録のゲートによっていずこかより送りこまれた、融解寸前の魔導鉱石だったのです』
彼は――いったい、何を。
『我が国の国王陛下は、この件を非常に重く受け止めております。これは、この大陸に生きるすべての人々に対する大罪である。このように非道なことを目論む卑劣な犯罪者は、必ず人々の前でその罪を暴かれ、裁かれなければならない、と』
そこで一呼吸おき、オスワルドは続けて言った。
『貴国は、このようなことで滅んでいい国ではありません。よって、スパーダ王国の聖女エステファニアさま、トゥイマラ王国の聖女ウィルヘルミナさま、そして今は所属国なき聖女ディアナさまのお三方が、これより貴国に赴かれます』
「……は?」
間の抜けた声を零したユーリウスに、表情を和らげたオスワルドが告げる。
『たった今、我が国からの要請に対し、トゥイマラ王国よりご回答がありまして。――今は個人的な感情に囚われているべきときではなく、ひとつの国が沈もうとしている現状を看過できない。それが、ウィルヘルミナさまとディアナさまのお言葉です。ああ、当然ながらお二方にはトゥイマラ王国魔導騎士団、そしてディアナさまのご夫君イグナーツ・ザハールカどのが護衛として同伴されます。彼らの入国許可もいただけますか?』
「は……い……」
ユーリウスがぎこちなく頷くと、オスワルドは少しの間横を向き、画面の外の誰かと何かやり取りをしたようだ。その後画面に視線を戻した彼は、改めて口を開いた。
『ユーリウス殿下。このまま貴国が滅びれば、人々の中にはそれをディアナさまのせいだと噂する者がおりましょう。聖女であるディアナさまが貴国を見捨てたせいだと、ディアナさまの行いが一国を滅ぼしたのだ、と』
「それ、は……」
ありえない、とはとても言えない。
ユーリウスは先ほど、同じようなことを口にした誰かの言葉を聞いたばかりだ。
言葉を失うユーリウスに、オスワルドは強い眼差しをして告げた。
『ですから、貴国は断じて滅びてはなりません。あなた方が生き延びることこそ、ディアナさまに対する償いになるとお考えください。我々も微力ながら、そのお手伝いをさせていただきます。――ああ、ユーリウス殿下。我が国には、そちらの地理に詳しいアシェラ傭兵団がおりますのでね。聖女さま方は、すでにスタンピードの現場に到着されたようですよ』
え、とユーリウスが瞠目した直後、大会議室中の通信魔導具から次々に報告が入ってくる。
『報告いたします! こちらセト領! ただいま、ルジェンダ王国魔導騎士団の増援を確認! 魔獣の群れが、次々に撃破されていきます! 第七騎士団は、これより地域住民の保護任務に移行します!』
『報告! こちらメデリナ領! アシェラ傭兵団、そして……っ、スパーダ王国の聖女さまがお越しです!』
『報告いたします! こちら、プロウ領! たった今、トゥイマラ王国の聖女さまが現着されました……! トゥイマラ王国魔導騎士団第二部隊とともに、スタンピードの制圧を開始!』
『司令本部……! ただいまバレク領に、聖女さまが……っ、聖女ディアナさまが、トゥイマラ王国魔導騎士団第一部隊とともに、いらっしゃいました……!』
歓喜に満ちた報告の数々に、ユーリウスは呆然と立ち尽くした。
(なんと……いう……)
まっさきに援軍が派遣された四カ所は、スタンピードが起きた中でも、特に人的被害が大きいと目されていた場所だ。すでに夕闇が広がりつつある中、人々の心はどれほど勇気づけられたことだろう。
「ありがとう……ございます……!」
震える声で礼を述べたユーリウスに、オスワルドが笑って応じる。
『感謝の言葉でしたら、どうぞのちほど聖女さま方にお伝えください。――ところで、ユーリウス殿下。一年前、あなたの末の妹君が、ディアナさまの婚約者であった男性を略奪した際のことについて、少々調べさせていただきました。当時あなたは外交のため王宮を空けており、帰国されたときにはすべてが終わっていたそうですね。そして、妹君の蛮行を聞いて激怒したあなたは、妹君とその婚約者となった男性を顔の形が変わるほど殴りつけたうえで、おふたりとの絶縁を宣言されたとか』
「それ、は……その、お恥ずかしい限りです」
たとえどんな理由があったにせよ、理性を失うほど激昂するなど、王族にあるまじき失態だ。
だが、ヨゼフィーナと彼女が選んだ男は、揃って己の美貌の価値を盲信している人間だった。美しく生まれついた自分たちは、何をしても許され、誰からも愛される。そう無邪気に信じ、彼らを取り巻く者たちもまた、それを当然と許容していた。
そんなふたりが、なんの罪もないひとりの少女を絶望に追いやり、王室の名誉を地に落としておきながら、のうのうと幸せそうに笑い合っているのを見た瞬間――どうしても、怒りが沸騰するのを止められなかったのだ。
彼らはすぐに治癒魔導士の手当を受け、元通りの美しい姿になったけれど、それ以来彼らを溺愛する国王夫妻ともろくに口をきいていない。
『いいえ。もし私があなたと同じ立場なら、きっと同じことをしたでしょう。ただひとつだけ、どうしても不思議なのですよ。あなたはミロスラヴァ王国の次期国王として、近隣諸国からの評価も非常に高い方だと聞き及んでおります。そんなあなたがなぜ、妹君の蛮行を笑って許容した国王陛下と王妃殿下、そしてディアナさまにひどい仕打ちをしたドランスキー侯爵家を断罪することなく、今に至るまで放置していらっしゃるのでしょう?』
「……オスワルド殿下」
どこまでも穏やかに笑って問いかけてくるオスワルドは、当然理解しているはずだ。たとえどれほどの愚行を犯そうと、国王の座に在る者を断罪するなど――それも王太子の立場にある者がそのようなことをすれば、必ず玉座の簒奪だと誹られる。
そして、聖女ディアナの生家ドランスキー侯爵家については、断罪のしようがなかった。その実情がどうであれ、あのときの彼らの立場は、『王族のわがままによって、総領娘の婚約者を奪われた被害者』でしかなかったからだ。
ユーリウスの帰国時、最たる被害者であった聖女ディアナがすでに出奔して消息不明だったこともあり、結局うやむやのうちに流されてしまっていた。
『ユーリウス殿下。私は、貴国に対し内政干渉をするつもりはございません。ただ、ディアナさまよりユーリウス殿下に対するご要望を託かっております』
「ご要望、でございますか?」
聖女ディアナは、すでにミロスラヴァ王国を見限っている。その彼女が、この国にいったい何を望むというのか。
困惑するユーリウスに、オスワルドが告げる。
『此度の同時多発スタンピードにより、ミロスラヴァ王国が甚大な被害を受けたことについて、ディアナさまは大変お心を痛めていらっしゃいます。よって、ミロスラヴァ王国国王夫妻と第三王女ヨゼフィーナさま、そのご夫君。そして、ドランスキー侯爵家に連なるすべての者たち。もしあなたが王太子の名において、今後一切彼らと接触することのない環境をご用意できるなら――ディアナさまは、ミロスラヴァ王国所属の聖女として、ご夫君とともに貴国へお戻りくださるそうです』
前回の更新直後から、なんだか風邪っぽいなーと思っていたら、見事に某感染症にやられておりました灯乃です(´・ω・`)。
クリスマスから年明けまで、ずっとベッドの住人をしておりました……。
それでまあ、高熱だの咳だの喉の痛みだのは覚悟していたのですが、後遺症で現在嗅覚がゼロでございます。
ゴハンが美味しくないよう。
体力もめちゃくちゃ削られまして、少し歩くだけでも貧血でぶっ倒れる日々を送っていたのですが、ようやく外出できるようになってきました。
某感染症もですが、インフルエンザも大流行しているようですね……。恐ろしや。
みなさまも、くれぐれもお気をつけくださいませ!