聞き間違い
「聖女がいる国は、そうでない国に比べて、地脈の乱れが大幅に抑えられているものなんだ。すでに魔導鉱石の融解がはじまっている国もある中、この国はいまだに魔獣の凶暴化だけで済んでいる。だから元々、この国に聖女が生まれている可能性は高いだろうと言われていた。もしそうじゃなくても、王宮側は――いや、国中の誰もが、聖女の出現を切望していたんだ。実際、過去には能力の発現に関して、非常に波がある聖女も存在していたしな。……みな、簡単には諦め切れなかったんだよ」
ひどく苦々しげに、シークヴァルトが言う。
たしかに、どんな方法を使ったにせよ、ユリアーネ・フロックハート嬢が一度でも地脈の乱れを解消する力を見せたなら、彼女に聖女の能力があるということを誰も疑わないだろう。
そして、希望を抱いたはずだ。
これでもう、何も心配することはない。今まで通りの穏やかな暮らしを、恙なく維持することができるのだ、と。
だがその希望は、無惨に打ち砕かれて絶望に変じた。
この国の王宮と神殿が、『偽物の聖女を認めた』という恥辱とともに。
「最終的に、あの女の言葉がすべて嘘だったことを、国王陛下自ら魔術で確認して――ああ、おまえが森で団長に使われたやつな。それでようやく神殿側も、自分たちが騙されたことを認めるしかなくなった」
シークヴァルトが、ため息を吐く。
「そこまできて、みなやっと諦めることができた。だから……まさか、あの女とは別の、本物の聖女がこの国にいるかもしれない、なんて。誰もそんな、都合のいい希望を持つことはできなかったんだ」
また、新たに希望を抱くには、みな絶望しすぎていたから。
ひどく複雑な表情で、シークヴァルトが凪を見た。彼のゆっくりとした話し方は、そうやって言葉にすることで、自分の考えを検証しているように聞こえる。
「だが、おまえの言ったとおり、聖女の歌声を音響系魔導具に録音することができれば、地脈の乱れを調えることは可能だったかもしれない。多少大型の魔導具になったとしても、聖女のズルズルした衣装なら、それくらい隠せたはずだしな」
「なんだか……行き当たりばったり感が凄すぎですね」
地脈の乱れに干渉できるのが聖女だけだというなら、おそらくシークヴァルトの推察は当たらずとも遠からずというところなのだろう。だからこそ、今更ながらに同じ考えに至ったアイザックたちが、聖女を騙ったユリアーネ・フロックハートを、生きたまま捕らえようとしている。もし本当に聖女が存在していたなら、彼女がその居所を知っている可能性が高いから。
そこで素朴な疑問を覚えた凪は、シークヴァルトに問いかける。
「聖女さまがいない場合、どうやって地脈の乱れに対処するんでしょう?」
「他国にいる聖女に、多額の報酬を払って来てもらうしかない。聖女を擁する国は、ここぞとばかりにふっかけてくるだろうな」
大陸にふたりしかいない聖女のレンタル料となれば、それはたしかにとんでもない金額になるに違いない。需要と供給のバランスが、悪すぎる。
現在、聖女を確保しているのは、中央のレングラー帝国と、西のスパーダ王国。いずれにせよ、聖女による救済が真っ先に施されるのが、自国の領土になるのは当然だ。彼らが聖女を国外に派遣するのは、そのあと――さらに言うなら、彼の二国はそれぞれの友好国を優先するだろう。つまり、聖女を擁する二国と交流のない国に、その救いの手が差し伸べられるのは、相当先のことになる。
「レングラー帝国とスパーダ王国のどちらかと、この国は仲よくしているんですか?」
凪の問いかけに、シークヴァルトが苦笑する。
「レングラー帝国の現皇帝は、常に領土を広げようとしている国粋主義の野心家だ。スパーダ王国は、かなり独自の文化体系を持つ国で、他国との交流は最低限。当代国王も、かなり排他的な御仁だな」
「ハエたたき?」
それはいったいどんな人物なのだろう、と首を傾げた凪を、なぜか目を見開いたシークヴァルトがまじまじと見つめてくる。それから、ふっと視線を逸らした彼は、ぼそぼそと口を開いた。
「……排他的、だ。スパーダは大陸の西端にある大国だが、他国との境界が広大な砂漠であることもあってな。交易はそれなりにあるものの、民間レベルの交流がほとんどない国なんだ」
「そうなんですね……すみません。一瞬、王冠を被った成人男性が、両手にハエたたきを構えて格好良くポーズを決めている姿を想像してしまいました」
聞き間違いを詫びた凪だったが、その途端シークヴァルトに、思い切り顔を背けられてしまう。同時に、少し離れたところから、ごふっという奇妙な音が聞こえた。そちらを見ると、テーブルのそばで作業中だったらしい金髪碧眼の美青年――ライニールが、片手で口元を覆ってぷるぷると震えている。
おや、と思って視線を戻すと、シークヴァルトも同じように顔を赤くして、細かく肩を揺らしていた。どうやら、笑いを堪えているらしい。
一方、マッチョ紳士なアイザックは困ったように苦笑しており、日本人カラーのセイアッド少年はわずかに眉根を寄せているだけだ。
よくわからないが、どうやら『ハエたたきを構えたスパーダ国王』という概念が、シークヴァルトとライニールの笑いのツボに嵌まってしまったらしい。
それにしても、と凪は思う。
(この世界の聖女さまって、ガチで国防と経済の要なんだなー。そりゃ、どこの国でも欲しがるわけだ)
凪が知っている聖女たちは、基本的に『貧しい民衆のために、命がけで頑張った女性』であったと思う。中には、時の権力者の意思に反した行動をした者もいたはずだ。
しかし、この世界における聖女は、ひたすら実利的な意味で、誰もが欲しがる存在である。何しろ聖女を手に入れた者は、富と安寧を約束されるのだ。聖女と認められれば、国から丁重に保護されるということだし、聖女を騙った女性もそういった特典に目がくらんでしまったのだろうか。
(でも、いくら裏技を使って聖女認定されたとしても、それが継続できなきゃ意味がないわけで。実際、ニセモノだってばれちゃってるわけだし。……本当は、もっとちゃんと聖女のお仕事をできる予定だったのかな?)
今のシークヴァルトたちは、『本物の聖女がこの国のどこかにいる』という可能性に、だいぶ気持ちが行っているようだ。しかし、もし聖女という生物兵器――もとい、巨大な金の卵がいなくても、地脈の乱れをなんとかできる技術が確立できたなら、そちらのほうがよほど商売として手広く行えそうな気がする。
そんなことを考えているうちに、シークヴァルトとライニールは、笑いの発作から解放されたようだ。スパーダ王国の国王というお方は、そんなにハエたたきが似合わない御仁なのだろうか。庶民的で、けっこう親近感を抱けると思うのだけれど。
シークヴァルトが、ひとつ咳払いをしてから口を開く。
「あー……悪かった。笑うつもりは――」
「ハエたたきを構えたスパーダ国王」
真顔で追い打ちを掛けると、ぶはっ! と、笑いのツボにはまったふたりが同時に噴き出す。
「お……おまえなあ……っ!」
「すみません。わたしの中の、笑いを提供したい欲を抑えられませんでした」
凪はあまり面白みのない性格をしているので、こんなふうに笑ってもらえるというのは貴重な体験なのだ。よって、反省はしているが後悔はしていない。
ほう、と胸に手を当てて息を吐く。
「ありがとうございます。これでもう、思い残すことはありません」
「おまえは、何を言っているんだ」
シークヴァルトが、半目になってツッコんでくれた。嬉しい。
凪が生まれてはじめていただいたツッコミに感動していると、軽やかなノックの音が響いた。アイザックが許可を出すと、豪華なティーセットと軽食をのせたワゴンを押したソレイユが現れる。
「失礼しまーす! お待たせ、ナギちゃん! 厨房の先輩方の力作だよー! いっぱいあるから、遠慮なく食べてね!」
弾むような声で言うソレイユの笑顔が、大変眩しい。そして、ワゴンの上の軽食も、大変華やかで美しかった。
小さく切り分けられた三種類のサンドイッチに、くるみのスコーン。添えてあるのは、ベリー系と思われるフルーツソースに、クロテッドクリーム。スープカップでほかほかの湯気を立てているのは、野菜のポタージュだろうか。四種類もあるプチケーキは、どれも繊細な見た目が可愛らしくて、食べてしまうのが惜しいようだ。
(って、今ソレイユさん、先輩って言った?)
それはまさか、この乙女が全力でときめきそうな軽食を作ったのが、戦闘行動が本職であるマッチョな騎士さまたちだということだろうか。
たしかに、料理とは体力勝負のものであると聞く。けれど、大変美味しそうなだけでなく、目にも美しい品々を前に、思わず『騎士……とは?』と考えこんでしまう。
そんな凪に、手際よくテーブルに軽食の皿を並べていったソレイユが、何やら恐る恐る問うてくる。
「ナギちゃん? どうかした、かな?」
「え? あ……すみません。こんなにきれいな食べ物を見たのは、はじめてなもので……。つい、見とれてしまいました」
これは間違いなく、SNSに載せたらものすごく反響がくるやつだ。芸術品と言っても、決して過言ではないと思う。
作者が最近やっちまった聞き間違いは、『原価の高騰』を『伝家の宝刀』と……。
あとは、『不敗神話』をなぜか脳内で『腐敗神話』と変換したことがあります。
ちょっと脳髄が腐っているのかもしれませんが、貴腐人じゃないよ!




